3-6:お見合い後
「アーッハハハハッ!!!!」
「笑い事じゃありませんよ。陛下……」
「こ、これが笑わずに……くくッ…いられるかえ!!」
アズラミカの件も含めて私から見合いの顛末を聞いた女王は、爆笑しながら仕切りに腹の部分を叩いていた。
この広い寝室だけは他人の目がないこともあり、女王に個人的な質問や雑談をすることを許されているのだけれど、毎回寝室に引っ張りこまれて洗いざらい喋らされた挙句、腹を叩いて笑われてはこちらとしても面白くはない。流石にムムッとしていると、女王が私の膨れた頬をぶにーっと突っついて空気抜きをした。
「酷いですよ、陛下」
「そうは言うがの。見合いに行って相手先の姑を垂らし込む者なぞ、わらわは聞いたことがないぞえ」
「た、垂らし込んでなんかいません!」
「だがいまだにマリエッタとは交友があるのじゃろう?」
「う」
「ぬしは馬鹿じゃろ? 馬鹿じゃろ?」
「あうう……」
確かに自分でも馬鹿だなぁと思うけど、あれからも定期的にマリエッタに遊びに誘われ一緒にお茶したり庭いじりしてるのは結構楽しいし、リンパギータに円な瞳を向けられ柔らかそうな尻尾とお尻をふりふりして歓迎されれば、こう、満更でもないなーとか思ってしまうのだ。
初めこそは誘われて躊躇することもあったけれど、話していくうちにランカスタが悪気ない厄介な人だということも解ったし、マリエッタが曲がったことが大嫌いな人だということも、アズラミカへの仕打ちで重々……本当に重々解った。そうして機会を重ねるうちに、気がついたら家族ぐるみの付き合いをがっちりと結んでしまったのだから仕方がない。
「しかしぬしはどうしてそんなに自分を置いて他人を思いやれる。アズラミカの件にしても普通は怒ることじゃろう?」
「……そ、そりゃあ、そこまで思えるまでに時間はかかりましたよ? また騙されるかもっていう不安は今でもありますけれど、でもやっぱり優しくされたり、厚意を向けられたら嬉しくなってしまうんです。信じたいなって思ってしまうんです」
アズラミカの件だって今思えば、自分がアホな発言をしていなかったらそんなことしなかったのでは? とも思う。けれどもそう言った途端、女王は私の言葉を鼻で笑った。
「ふん。いい子ぶるな。ぬしとて本心からそう思っているわけではなかろう? 結局はそう思い込んで己の傷を深めたくないだけであろうが」
偽善じゃの、と女王の一言が、さくっと胸に刺さる。
「うう、陛下はやっぱりキツイです。でも確かに言われてみれば、そういう所もあるかもしれません……」
誰だって人から理由もなく嫌われるよりは、好かれていた方が心地いい。自分だけ我慢していればいずれ通りすぎる。時間は掛かるけれどそのうち忘れる。
けれど、そうして愛想を振りまいて、人の表情ばっかり伺うのが嫌だったのに、いつの間にかこの世界でも同じ事をしていることに気がついた。
本当にどこまでも堂々巡り。元の世界でもこの世界でも、こういう部分はそれほど変わりはないのかも知れない。
「ふん。甘っちょろいの。じゃが、…としてはそのくらいの方が丁度よいのかもしれん」
「はい?」
「なんでもないわ」
女王が言葉を濁すのは常のことだったので、気にせずに新しい布を取り出し、爪を磨くことにした。
「しかし食糧生産量が異様に減少したとは思っていたが、領内の土壌が更に悪化しているとはの」
「城内にある土も調べてみたのですが、こちらは普通の色でした。マリエッタさんによると東領付近が特に変質化が進んでいるみたいです」
「ふむ。東領な……」
通常の土は掘ると緑色に光ることが多く、しっとりとした質感で表面に苔が生えていて、傍目に見ても栄養が豊富に蓄えられているのが解る。しかし東領付近にあるランカスタの館は、軒並み紫に変色していて状態もぱさぱさ。変形した植物が多く、作物の味も不安定で苦味が強い。
そしてその影響は一部の魔獣にも出ているらしい。例えばリンパギータのように体を壊したり、その土地の農産物を食べたことで精神状態が不安定になる魔獣も増えている。
その時期には活動停止しているはずの大人しい魔獣が、ある日突然凶暴化して、亜人の生活圏内に危険を及ぼすような事態にもなってきているそうだ。
「おそらくその状態では土の中に住む生物も変質しておるじゃろう。警備についてはネブラスカが良いように動かすじゃろうが、地質調査部隊を新たに派遣せねばならんかの」
「あ、あの! 魔王領の方達に頼むとかは出来ないのでしょうか」
こちらよりも発達した技術を持っているのだから、そういう事態に陥った時の打開策もあると思うのだ。しかし女王の返事はなんとも素気無いものだった。
「あちらにはあまり期待するな」
「そ、そうですか……」
その切り捨てるような返答に結構がっかりとしてしまう。せめて栄養素の無い土壌でも、正常に育つ植物が入手出来ればいいと思ったのだけれど。
「それに援助を求めたとしても、魔王が不在ではあまり効果は期待出来ぬじゃろう」
「え? 魔王が不在……?」
「うむ。今あちらは宰相とその周りの者が運営しておるはずじゃぞ」
普通国のトップが居なくなったらそれはもう大変な事態だろう。代理を置くか、すぐに次代の王を立てる方が無難だ。私でも解る大変なことなのに、女王はさして気にした風もなく、ゆったりとした動作でマッサージの終わった手の具合を確かめている。
「そんな体制で大丈夫なんですか?」
「前任の魔王は特に優秀じゃったからの。一万年居らずとも政は正常に回っておるし、いままでは特に問題はなかったぞえ」
「い、一万年も!?」
途方も無い年数にあんぐりと口を開けると、女王は私の頭をぺちっと叩いて口を閉じさせた。慌てて口を抑えるも、やはり疑問の方は簡単に抑えられない。
「誰も文句言わないんですか?!」
「宰相が申し立てできぬようにすべてを担ってしまっているからの。実質そやつが魔王代理のようなものじゃ。それにあれの気質を知ってなお、王として立とうとする愚か者などおらぬ」
「意外ですね。魔王になりたい人とか、それこそこのトロテッカに一杯いそうなのに」
上層階の亜人は総じて気位が高い。女王くらい上の意見には従うけど、自分以下と思っている人の意見には絶対に従わないし、見下している部分もある。
それこそ頂点を極めないと気が済まないようなタイプが多そうなのに、これには本当に意外だと思った。
「あれが宰相という役職を担っている限り、その任からは外されることはない。もしも他の者が王と成り得たとしても、常に後ろから値踏まれ、狙われ、力を試される。あれの信条とする王足りえん者は、寝首を掻かれるのがオチじゃ」
つまり魔王になっても宰相は常に姑のように付き従い、理想に見合わないと判断された場合は殺されるということか。そんな臣下が付いてくるなら、確かに魔王になれるという特典があっても、かなり面倒かもしれない。
全然気が休まらないだろうし、だったらこっちで適当な地位を持ち、適度に仕事していた方が返って楽ということなのだろうか……?
そうしてうだうだと考えながらふと見上げれば、苦虫を潰したようななんとも言えない表情をした女王がいる。その宰相がよほど苦手なのだろうか。
「えーと。もしかして、お知り合いですか?」
「まあの。わらわは幼体の折に魔王領におったのだが、奴にはやたらと疎まれて、当時は散々衝突しあったものじゃ」
そういう感じの関係者か……。幼い頃の因縁の相手ならそんな表情をするのも頷ける。
「叩いても叩いても飛び出てくる不屈の精神を持っておる男での。ある意味で言えばネブラスカと同種。わらわにとっては苦手な人種じゃったの」
「それはまた、強靭な精神をお持ちの方なんですね……」
「実に厄介じゃった。頑固で融通が効かぬ。その上、気を損ねるとかなり扱い辛い相手じゃ。何かを望んでもそれが容易に遂げられるとは思わぬ方が良いじゃろう」
「うーん。……でもその宰相様は、今も魔王様の代わりに苦労されているんですよね?」
一万年も生きているのだから、その宰相という人物はかなりのご老体なのだろう。腰の曲がった偏屈そうなご老人が、ガミガミ言いながらも政務をしている姿をなんとなく想像して、流石に頭の下がる思いをした。
「ハッ! 自業自得じゃ。己から喜んで縛られにいっておるのだから、同情する余地もない」
「……き、キッツいですね、陛下」
「事実じゃからの。まあ、そんな奴じゃからあまり期待はせず方がよいとは思うが、ぬしも程々にな」
「は? はい」
やはり魔王領の人に対して、土壌の改善については期待するなということだろうか。そうして返事をすると、女王は気を変えたようににっこりと笑う。
「まあそう落ち込むでない。ぬしが気を揉まずとも自領については女王であるわらわがなんとかすること。なんなら体調が悪化する前に、そのリンパギータをこちらに来させてもよい。城になら主食となる花もあることじゃしの」
「あ、はい! ありがとうございます。じゃあマリエッタさんにもそう伝えておきますね」
「うむ。しかしマルマルタ種か。……実際のものはとても愛らしいのじゃろうなぁ」
いつもの威厳を崩して、きらきらと目を輝かせた女王を見ながら、少しだけ思った。
……もしかして、さっきの言葉はリンパギータに会いたいだけとかじゃないよね。けれど思い返してみれば私がマリエッタから貰った写真も、一度見せたっきりで返してくれていないような。
「早く会いたいのう」
「そ、そうですね」
やはりそうなのか……。
けれども土壌の件も、魔獣の件も女王ならきっちりと改善してくれるだろう。それこそ末端にいる私が考えることじゃなかったみたいだし。
「ま。それはそれとしても、宰相ならば今度の冥夜の宴にもおそらく来るであろうな。久方ぶりにあの馬鹿面が見れると思うと腹を抱えて笑えそうじゃ」
そうして喉の奥で笑う女王を見ながら、冥夜の宴という祭事について思い出していた。
ランカスタから聞いたことがある程度だけれど、その宴は十年に一度の頻度で執り行なわれるトロテッカの繁栄を願う祭りだそうな。各拠点の粋を集めた技術、新商品の展覧会も兼ねているらしく、最優秀作品には各拠点の王から特別褒賞もあることから、宴が開催される年に入ると、城の各部署では昼夜問わず商品開発に勤しむのだそうな。ランカスタの所属する食品技術部も、あの防虫剤を筆頭に多数出品するらしく、ご夫妻一緒に参加すると言っていた。
まあ、そういうお祭りなら、小間使いという立場の自分にはあまり関係ない事だろう。
「じゃあ、お土産話を楽しみにしていますね」
「何を他人事のようなことを言っておる。ぬしも参加するのじゃぞ?」
「へ?」
意味が解らなくて体を思わずかしげると、女王はその瞳を細めて笑う。その笑顔は私の知る中でもっとも最悪、ワーストワンに輝く素敵で不吉な笑顔でもある。嫌な予感がして体を後退させると、女王はすかさず私の頭を掴み、ぎりっと絞めつけた。
「ご、ご冗談を! 第一私は新商品の開発等を手掛けていませんよ!」
「案ずるでない。全てはわらわに任せておけば良い」
「い、一応お聞きしても宜しいでしょうか?」
「なんじゃ。申してみよ」
「拒否権は?」
「────あるわけなかろうが」
ですよねー。なんて女王に向けて言えるはずもなく、私は一体何をやらされるのかと、今から不安で堪らなかった。