3-5:お見合い3
こんな状態に陥ったとき、一体どう対処すればいいのか。
一つめは怒る。自分の憤りを示すために怒鳴り散らす方法。これはすっきりするけれども、双方に相当悪い印象を与える上に、自分の評価をかなり下げる。同じ城に勤務している今、悪い噂が蔓延するような事態は絶対に避けたいのでこれは却下。
二つめは泣く。こんなはずじゃなかったと嘆きながら相手の同情を引きつつ、この見合い自体をなかったことにする。でもこれは泣けば済むというか子どもっぽく思われそうだし、個人的にも微妙。
そうして私が選んだのは結局三つめ。怒ることもなく泣くこともなく、当たり障りの無い対応をしながら、やっぱりお相手との相性が~とやんわりと断る。
……ええ、結局こういう対応しかできないんですよ。私には。
「ハッハッハ! ほーらリンパギータ! いくぞー!」
「キュー!!」
しかしそんな風に断りの台詞を考えいるこちらにも構わず、周囲の状況はとても明るいものだった。
というか確か私は、この場で見合い相手として扱われる存在だと記憶している。
勿論ムササビの奥さんになれるはずもないけれど、それなりに丁重には扱われる対象だと思うわけで。まさか予想を大幅に裏切り、完全に放置プレイになるとは思うわけもないわけで。
「キュロキュロー!!」
「よーし! うまいぞリンパギータ!」
「キュー!」
なにこの状況。なにこの状況。
日の光りを遮るように大きく張られた黒いテントの下で、成人男性と小学生くらいの大きさのムササビが転がり、白球を追いかけている。まるで正統派俳優のような爽やかさを持つランカスタと、ペットモデルとしてすぐに起用できそうな愛くるしさを持つリンパギータ。そんな一人と一匹が、見合い相手の私なんぞそっちのけで楽しそうにしていらっしゃる。
もう一度言う。……なにこの状況。
「まったく。うちの甲斐性なしの旦那様とリンパギータちゃんがすみませんわね。久しぶりに会うものですから、もうどちらも嬉しくて堪らないみたいで」
「あ、いえ、そういうことなら仕方のないことだと……」
「気を使わせてしまってすみませんわね。でも本当にとても優しい方でよかったわ」
ツナギを着たままに腕を組み、格好よろしく仁王立ちするマリエッタさんは、そんな二人を静かに眺めていた。その目線は優しく、まるで二人の母親のように柔らかだ。見た目は一見たおやかなのに、その立ち姿はすっと芯が通って見えて、最初の印象に違わず格好良い。
「ところでね、モモコさん」
「はい」
「先程はああして歓迎しましたけれど、リンパギータちゃんに関心が無いのなら、きっぱりと振ってやってくださいね」
「え……?」
その硬質な口調におもわず仰ぎ見ると、マリエッタは先程よりも真摯な目付きでこちらを見下ろしていた。
「目を見ればすぐに解りましたわ。貴方は本当はリンパギータちゃんではなく、旦那様に懸想していたのでしょう?」
鋭く切りこまれて一瞬言葉に詰まる。確かに初めこそそうだったけれども、懸想と言えるほどに大相なものではなく、いまは完全に目の前にふっと沸いて出た『恋人』と『見合い』というキーワードに舞い上がっていたのだと自覚している。
ランカスタが私に見せていた当たり障りの無い表情と、マリエッタを見つけたときに見せた子供みたいに嬉しそうな表情。あの差異を見せつけられれば否応もなく自覚するというものだ。
私の気持ちはランカスタを想うまでには至っていない。
初めこそ衝撃を受けて真っ白にはなったけれども、その証拠に立ち直りは案外早かった。いまはむしろ、あんなに舞い上がってお馬鹿なことを考えていた自分を地の底に埋めたいほどである。
……いや、本当に猛烈に恥ずかしい。穴があったら入ります。
「け、懸想、とまではいきませんが。実を言えば、今回のお見合い相手の方をランカスタさんだと思い込んでました」
「やっぱりそうでしたのね……」
「知らずといえ、奥様であるマリエッタさんに大変ご不快な思いをさせてしまい、申し訳御座いません」
たとえ相手がスライムとはいえ、自分の夫がデート紛いな事をしていたら面白くはないだろう。そう思って謝ったのだけれど、マリエッタは静かに首を横に振った。
「モモコさんが謝ることではありませんわ。大方旦那様が惑わすようなことを沢山言って、リンパギータのちゃんの事で同情を引いて、こちらに強引に連れてこられたのでしょう?」
「え、と。まあ大体は……そんな感じです」
「ならなおさら謝らなくてもいいのですわ。あの人はいつもそうなのです。人辺りの良さを最大限に利用して、いかに周囲を都合よく動かし幸せになるかを考える。家族愛というか自己愛が人一倍強い人で……。もっともそういう自覚がないからこそ、私も時折手に負えないのですけれど」
そう口では嘆きながらも、向ける目元はとても柔らかい。本当にそういう所も含めて好きなんだと、傍目からも感じるくらいに優しい目で見守っている。最初から勝ち目など無かったけれど、こういう姿を見せられてはもう完敗だった。
「……でも聞いていたよりもリンパギータちゃんが元気そうで安心しました。確かお医者さんに夜中しか出歩けないという診断を受けたんですよね?」
「ええ。それもあるのですけれど、最近は特にお腹をよく壊してしまいますの」
「お腹?」
何か悪いものでも食べたのだろうかと体を傾げると、マリエッタは私の横に腰を下ろしておもむろに土を摘む。指の間からこぼれ落ちる土は、所々が紫色に変色していてなんだかパサパサして良くないものに見えた。
「モモコさんは、マルマルタ種についてはご存知?」
「えと、すみません。よく知りません」
「そう。マルマルタ種は本来は草食魔獣なのですけれど、主食となるマリエの草花が近年減少傾向にあるんですの。いまは固形飼料を与えている状態なのですけれど、自然物でないからか消化が悪くて吐いてばかりで……。最近は特に土の質も悪くなっているようで不作も目立っていますし、その中でもなんとかリンパギータちゃんでも食べられるものをと、私も色々と模索中ですの」
「ああ、だから庭いじりをされてたんですね」
「ええ。旦那様は常にあんな風で研究室に篭りがちなものですから、家の方にはあまり帰ってこれなくて、必然的に私と家令が交代で面倒をみているのですわ。……ここに来た当初はそれこそなんにも出来ない妻でしたけれど、魔獣や地質のことについては随分学びましたのよ」
もっとも独学なので知識は浅いですけれどもね、と照れたように笑う。けれども土の色に黒く染まってガチガチにささくれだった手先を見れば、これまでどれだけ努力してきたか推し量れる。汗だくになって一生懸命作業していた姿がすぐに浮かんで、夫妻のどちらもがリンパギータを心から大切にしているのだろうと伺えた。
それと同時に、本当に軽い気持ちでここに来た自分が、もの凄く失礼に思えて恐縮してしまう。
「なんかもう、色々とすみませんでした……」
「あらあら。突然どうしたのです?」
「……いえ、私ほんと何も考えてなかったんですよ。お見合いって聞いて手軽に恋愛できるとかそういう軽いこと考えちゃってて、相手の事情なんか実はなんにも考えてなくて……。本当に自分がもの凄く浅くて、情けなく思えて……」
「あらあらまあまあ! そんなことないですわよ、モモコさん。元はと言えば旦那様がモモコさんを惑わせたのが悪いのですから」
「でも……」
「そんなに落ち込まないでくださいな。モモコさんはまだ、誰かをちゃんと好きになられたことがないのでしょう?」
ちくっと痛い所を刺されて唸る。かなり恥ずかしかったけれども頷くと、マリエッタは二人に向けた時と同じような顔で柔らかく笑った。
「種が違えど女の子なら恋愛事に夢を見るのは当たり前ですわ。私だって結婚する前は、それこそ陛下のように気高く素敵な方と、と夢をみたくらいですもの。まあ現実はそう上手くはいきませんでしたけれど。己の幸せの為に出会いを求めたりするのは、別に恥ずかしいことではありませんわ」
「そうでしょうか……」
「ええ。たとえ上手くいかなくても、その過程も楽しいものですのよ。その末に見つけた大切な誰かが側にいてくれる。恋人という形でなくとも気を許せる相手が側にいてくれる。忘れがちなことですけれど、それはとても幸せなことですもの。そういう相手を見つけたい、安らぎたいと思うのは当然のことですわ。────誰だって一人でいるのはとても寂しいことですもの」
そうしてマリエッタに微笑まれて、なんだか色々と胸につかえていたことがすっきりとした。
周りが幸せになっていくのを見て、正直もの凄く焦っていた。
アズラミカに煽られて、なんとかしなくちゃって思ってた。
スライムだってちゃんと解ってるけど、心はずっと人間で、これだけ頑張ったんだから自分も幸せになってもいいだろうと思っていた。普通の女の子みたいにちょっとぐらい皆と同じ幸せを味わってみたい、そう考えてお見合いに参加したのだ。
結果は……やっぱり散々だったし、ちょっとだけ傷付いたけれど。
でもマリエッタの言葉を聞いて、自分は単に『誰か』におもいっきり甘えたかっただけなのかと、やっと素直に納得できた。
恋人じゃなくても、結局そういう風に心を許せる相手なら誰でもよかったんだ……。
「マリエッタさんは、そう思える方と出会えて、素敵な恋愛をされたんですね」
「あらやだ、私ったら……! そ、そんなことはありませんのよ! ああもう、つい語ってしまった自分が恥ずかしいですわ!」
「いいえ。そんなことありません。少なくとも私は、マリエッタさんにそう言ってもらえて凄く気分が楽になりました。ありがとうございます」
異世界に来た当初はそれこそ色々妄想していたけれど、やっぱり自分もマリエッタのように大切な一人を見つけたい。そういう風に想える人と一緒にいたい。
ここに来て、それが解っただけでも無駄じゃなかったかもしれない。
そうして頭を下げると、マリエッタは最初に合ったときと同じようにぽっと頬を赤くして、何故かキラキラと目を輝かせていた。
「んまぁっ!! まあまあまあまあッ!! やっぱりモモコさんは私の好みですわ……! ああもう、なんでそんなにとっても素直でとっても可愛らしいんですの!? ほんとにほんとにあの子のお嫁さんに欲しいですわッ!!!」
「ええと、それは流石に申し訳ないですけど……」
「ええ、ええ! それは重々承知していますけれど、でもでも堪らないのですわ!!」
そう言いながらむぎゅーっと抱き締められる。なんか見合いとしてはもの凄く変な結果になってしまったけれど、とりあえずまあいいかなと思えるほどに、自分の中では納得していた。少なくとも自棄になって、お見合いを繰り返そうとか思わないし、また言われるままにお見合いもしないだろう。
「ところでね、モモコさん」
「はい。なんでしょうか」
「今回のお見合いの件。誰から紹介されたんですの? 旦那様に聞いてもはぐらかすばかりで、教えてくれませんのよ」
「そうなんですか? おかしいですね、別に隠すことないのに。城内の医療施設に常勤しているアズラミカ先生ですよ」
するとマリエッタはニッコリと笑みを馳せて暫く頷いていた。
「ああ、あの子ねえ」
「お知り合いですか?」
「ええ、同じ区で一緒に過ごしていたのですわ。昔はそれこそ一杯お世話して上げていたのだけれどねえ。まさか恩を仇で返すような子になってるとはねえ」
マリエッタは超絶笑顔のままに私を抱き締めていたけれど、その妙に含みのある言葉が気になった。ランカスタが来てすぐに霧散したけれども、異様なオーラが出ていたような気はする。
「モモコさん。今回はご縁が無かったけれど、また遊びに来てやってくださいね。あの子の始末は私が付けておきますから」
「はい?」
そうしてなんとかランカスタにも説明して、お見合いの件はお流れになった。
ランカスタはそれこそ涙目になっていたけれど、マリエッタに脛を蹴られて嬉しそうにしていたから問題ないだろう。少々バイオレンスな夫婦だけどまあ仲は良いみたいだし、人見知りなリンパギータも最後の頃にはランカスタの足元からちょこんと顔を出して手を振ってくれて、なんとか今回の件は事無きを得た。
────の、だ、けれども。
「えーと。それはなんでしょうか、アズ先生?」
「……お見合いの釣書き~……」
「あれ? 私断りましたよね? もうお見合いはしないって」
リンパギータとのお見合いの件を理由に、アズラミカにもこれ以上紹介はいいと全ての誘いを断った。中途半端な気持ちのままに相手に合ったら失礼だっていうこともしっかりと自覚したし、魔獣とお見合いをしても可愛いとは思えても、やっぱりそういう相手としては好きにはなれない。
そのことをきちんと説明して納得してもらったはずなのに、なぜかアズラミカの手や服には沢山の釣書きが積まれ、頭には真っ黒な封書が刺さっている。
「そうなんだけど~。マリエッタ様からメッチャクチャ色々言われて~、アタシも困ってるのよ~。毎日毎日黒いお手紙が届くの~。配達員に通達拒否してるのに~、気がついたら上着や書類の間~、部屋の壁一面にびっしり挟まってるのよ~……」
「……そ、それはある意味恐怖ですね」
「恐怖なのよ~。はぁ……。モコモコちゃんったらマリエッタ様に相当気に入られたのね~」
言いながら完全に遠い目をして廊下にぶっ倒れたアズラミカに、おもいっきり顔が引き攣った。いつも飄々と構えているアズラミカが、こんな風になるとは思わなくて慌てて手を伸ばして額の熱を計る。
ちょっと微熱もあるのか、顔全体が赤くて頭に生えている白い花もどことなく萎れ気味だった。
「わ、わかりました。じゃあ私がマリエッタさんにお断りを入れますから、住所を教えてください」
「う~ん。う~ん。もう黒いお手紙いらないです~。もうからかったり悪いことしませんから~、もう黒いお手紙いらないです~」
「ちょ、アズ先生?」
うなされたように苦悶の表情でのたうち回るアズラミカを見ても、その時は理由など解らなかった。
けれど、その言葉の意味をマリエッタの手紙によってすぐに知ることとなる。
あの釣書は私に送ったものではなく、マリエッタがアズラミカに送りつけたもので、全てはランカスタを利用した上に、私をからかったらしいアズラミカへの報復だったということを、ピンク色の可愛い封筒にリンパギータの写真付きで教えてくれたのだ。
とりあえず私へのお見合い斡旋でなくて安心はしたのだけれど、アズラミカはもう私に意地悪しませんと念書を書いて送るまで、釣書きと黒い封書攻撃が続けられたそうな……。
────マリエッタを怒らせると相当に怖い。
その時改めて思った。あの見合いの席で感情のままに取り乱したり、怒鳴り散らしたりしなくて本当によかったと、私はそっと体を撫で下ろしたのだった。