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番外:女王陛下の憂鬱

「あれは私がこのトロテッカに産まれ落ちたときのことだった……」

「そんでもって勝手に始めるんですね……」


 半ば辟易する桃子にも構わず、ネブラスカは恍惚にも似た表情で語り始めた。勿論手元にあるジュースはいまだ人質ならぬモノ質となっており、桃子に手渡されることはない。


「産後の肥立ちが悪く、卵を温め出来なかった陛下の母上の代わりに、私の母上が代等として立たれたのが私たちの愛の奇跡の始まりだった」

「卵……? ああ、お二人とも卵生なんですね。ええと、じゃあ陛下とネブラスカ様は幼なじみってことですか?」


 幼なじみ。その言葉を聞いた途端にネブラスカの頬は紅潮し、とてつもなく嬉しそうに両頬に手を当てた。

 もしここに居るのが平均的容姿を持った成人男性であれば気色悪いことこの上ないが、ネブラスカはそのペンギンという愛らしい容姿のお陰で若干緩和されている。


「 そ う な の だ ! 一緒に温められたこともだが、幸運なことに殻を突き破って生まれた日時も寸分違わず同じでな。当時は運命の双子とも呼ばれたものだ」

「別々の母親から卵の状態で生まれたんだから、それはなんとなく違うような……。あ、いえ、でも凄い確率ですね」


 何気に入る桃子のツッコミにも構わず、ネブラスカのボルテージは更に上がる。


「だろう! だから運命なのだ! それから保育期間中は陛下の蹴りを受け、拳を受け、ひ弱だった私は普通の倍も強くたくましく育った。幼体期からすでに上層階の一員として選ばれたのも、陛下の愛ある扱きのお陰だろう……!」

「インプリンティングで一目惚れ……? もの凄い初恋ですね」

「ああ、産まれた頃から陛下一筋の純愛だ! 陛下は竜族一番の美姫と謳われ、族長である義兄上様から英才教育を受け、幼体時から他の追随を許さぬほどのお力を持っていらした。弱きを助け、強きを徹底的に挫く、慈愛煽るる御方でな。己が強いことを鼻に掛けることもしない。私のもっとも理想とする完璧な女性だった」

「あの最恐が理想……」

「ああ。最強で最高だ! だが可愛らしいことに、昔からペシューカという魔獣やお前の持っていた兎のように珍妙なものがお好きでな。あれらに模した縫いぐるみを与えると、と て も 可愛らしく微笑んで下さるのだッ! 私はその度に陛下を抱きしめたいのを堪え、悶絶しながら床を転がりまわるのが日課だった……ッ!」

「……日課」


 その場面を想像でもしたのか、桃子の頬は何かを堪えるようにぷっくりと膨れており、体は小刻みに震えていた。だがネブラスカがそれに気付くこともない。


「その度に陛下が私に愛ある平手を送り、正気に戻してくださるのだ。どうだ! 素晴らしいだろうッ!」

「……それを愛ある行動として変換しちゃうところがある意味素晴らしいと思います」

 

 桃子のなんとも複雑そうな態度を諸共せず、ネブラスカはひたすらに女王について、そしていかに己が女王を愛しているかと徹底的に並べ立て、桃子に精神的なダメージを与え続けたのだった。



 桃子が朦朧としながらネブラスカの妄想を聞かされていた頃。

 時を同じくして石碑の間では、一人の女と女王が対峙していた。


「陛下。王配の件は本当に宜しいのですか?」


 墓標のように立ち並ぶその石碑に女王は手をやり、爪で何かを記している。その姿は心なし陰りを帯び、女の問いに辟易しているようにも見て取れた。


「構わん。それにあれはどう突き放しても、勝手に這いずり上がってくるからの」

「それでも恋人として召し上げることは可能ですわ。ネブラスカ様はあんなにも一途に陛下を恋焦がれておいでですのに……」

「機会はやった。それを今に結べなかったのはアレの責じゃ」

「まあ。陛下ったら酷い方」


 ネブラスカは女王の為、そしてその気持ちを惹く為になんでもした。


『陛下の為ならば、私は幻と謳われる水銀蝶すらも召し捕ってみせましょう!』

『貴重種を無為に捕まえるな。可哀想じゃろうが』


『陛下の為ならば、私は迷い森の中を疾走してみせましょう!』

『迷子になるのがオチじゃろう。捜索に向かう騎士等に面倒を掛けるでない』


『陛下の為ならば、私は溶岩の波にさえ飛び込んでみせましょう!』

『火傷が大変そうだが。まあやりたいというのなら止めぬ。というかだな。わらわはそんな珍事、端から望んでいな……』

『陛下のためならばッ!! 私は(以下略』 

『…………もう勝手にせい』


 ネブラスカから発せられる言葉に虚言はなく、速やかに実行されるが、その行為に対して女王が賞賛する回数は百回に一度だ。なにせ頻度が多い上に実際忙しくて、その場面を見られないことも多い。

 最初こそ律儀に返していたが、度重なれば逆になんにも感じ無くなってしまうのは仕方のないこと。


『私は陛下を愛しております! 毎日毎晩毎時毎分毎秒、常に共に有りたいと思っているのです!』

『……毎秒か。…………考えただけでぞっとするの』

『ええ! 考えただけでうっとりしてしまいます! い、一緒に褥で眠れたら、さ、さぞかし……!!』

『──寝言は寝て言え。そしてその汚らしい妄想から飛び出た鼻血を拭け』


 再三の忠告を無視し、勝手に女王を束縛し、意思を聞き入れない相手ほど厄介なものはない。

 だがネブラスカは女王と同等か、それ以上の力があるために解雇することも殺すことも出来なかった。解雇して他領にみすみす戦力をやるわけにもいかないし、かといってこの勘違い男を放置することは逆に世に悪影響を及ぼしかねない。

 一時はあまりにも面倒くさく、適当な奴に王位を譲り隠居しようとも考えた。だが奴よりも下位に回ることはさらなる不幸に繋がると感じ、あえなく断念したのだ。

 それこそ権力を盾に妃にでもされたら堪ったものではない。


『…………はぁ』

『ため息を付かれる陛下のお姿も大変素敵です!』

『ため息を付かせる臣下を持って、わらわは幾分複雑じゃ』


 少しでも距離を置こうと次第につれなくする女王を見て、ネブラスカはついには『愛する陛下の為ならば、魔獣の姿にもなりましょう!』そんな馬鹿なことを言って、自ら魔獣の姿になってしまった。

 ペシューカという愛玩魔獣のことを昔好きだと言っていたのを律儀に覚えていたのか、わざわざあれを選ぶあたりがなんともあざとい。しかし思わず撫で回したくなるほどの愛くるしさに、女王は何度も手を伸ばしては止め、ネブラスカを暫く遠ざけていたのだ。

 もっとも桃子の所為でそれも無駄になったが……。

 女王も求婚者の愚直なまでの生真面目さと嘘の付けない部分は好いているし、頭の上に黄色い巻き髪が乗っている今の姿の方が可愛らしいとも思う。元の姿をあまり覚えていないというものあるが、少なくとも前よりはマシだと思っていた。

 だが、王配に召し上げるまでではない。


「そうは言うがの。ぬしはあれを夫として、男として扱う気になれるのかえ?」

「うふふ。流石にそれは無理ですわ」

「……己にすらできぬ事を他人に押し付けるでない……」


 女王は女のからかいの言葉に嫌そうに眼を眇めた。

 造作や仕草は可愛いが、やはり役目を考えるとなると、それとこれとは別である。


 程なくして石の廊下にゆったりとした足音の後、資料を沢山抱えた女の姿が現れた。白の衣服で覆いきれないほどの豊満な胸を揺すり、その褐色の肌を惜しげもなく晒した女は女王の前で留まり、のったりした動作で簡素な礼を取る。


「来たかえ、アズラミカ。調査結果はどうだったかえ」

「あの~。スライムなんて診察するの初めてなのでよく解らないんですけど~それでもいいですか~?」

「構わん」

「じゃあ言いますねぇ~。モコモコちゃんの体、普通のスライムの1.5倍の強さを持ってます~。体もとっても丈夫ですし~、匂いの影響力もすば抜けてます~。なによりもカワイイですね~」

「1.5……またなんとも微妙な数値じゃの。やはり下等の域から脱するような力はないか…」

「可愛いとか、そういう個人的な見解はいらないのではなくて? アズラミカさん」

 

 アズラミカの言動を咎めるように女が口を出すと、アズラミカはきょとんと眼を丸くした。まるでいま初めて気がついたようなわざとらしい動作を見て、女の片眉が自然に跳ね上がる。


「あは~。カレンちゃん。いたの~?」

「…………本当に失礼な方だこと。先程からいましたわ」

「ごめんね~。陛下しか目に入らなかった~」


 笑顔をまったく崩さないアズラミカと、眦をやや釣り上げたカレンが静かに瞳を交差させる。女王は微妙な雰囲気を醸しだした二人を眺めていたが、暫くするとその巨体を屈めて爪をかち鳴らした。

 女王にとって臣下同士の諍いなど些細な事であり、またどちらの肩を持つこともない。煩わしければその手ではっ倒せばことは済むからである。


「さて、カレン。モモコの現時点での利用方法、そして価値を述べよ」


 すると二人は目線をすぐさま外し、女王を見上げて礼を取った。

 

「はい陛下。先に被害にあったミラリナを診察及び分析させたところ、種族性別問わずに恋情を誘発する効果があると判明しました。既存の化粧品等に適量付与し、市場に売り出せば、モモコ様をこの城に囲うとしても現在の2.5倍の収益が望めます。私の見解は『有益』です」

「ほう。アズラミカはどうじゃ?」

「カレンちゃんと大体同じです~。旦那様と倦怠期に入った奥様には画期的な商品になることマチガイなしですよ~。それと魔獣にも発情誘発効果があるみたいです~。私のペットちゃん達に極少量薄めて与えてみたらぁ~、とっても盛り上がっちゃって三日も離れない感じでした~。あ、でも~濃度によっては共食いの危険性も含められますので~、試験して経過をみないことには実用化は危険とみられます~。モコモコちゃんは『有益』ですよ~」

 

 女王は両者の見解に満足そうに頷くと、にっこりと微笑んだ。


 桃子を雇うにあたって一つの問題点があった。

 現在桃子が弁償している銀の杯とテーブルクロスについては問題ない。水晶窟や鉱山が腐るほどあるカルフォビナ領に置いて、金属製品の価値はかなり低い。テーブルクロスに使われている布についても同様のこと。 

 しかしシャンパンは別だった。

 魔王領から流れてくる商品は、仲介業者によってかなり料金を上乗せされており、それが食材ならばより高額で取引されている。この領で生産できない植物、動物などはそれくらい貴重なのだ。それこそ野菜ゴミ一つでも領民が争いあうようなところである。

 そんな中シャンパンを体を洗うだけの道具として使う桃子は、この城の人間にとってかなりの贅沢者であり、特に調理場を預かるものからすればもはや罪人でしかない。そういう意味でも桃子は料理長であるシュトルヒに厭われているのだろうが、女王が桃子の為に直接便宜を図ることはない。

 一人に固執すれば臣下に様々な影響が出る。過去にあった出来事を踏まえれば、それは女王にとって望むことではなかった。

 ひとまず桃子の教育と監視についてはネブラスカに任せ、桃子を雇うことによって生ずる損害を、どうやって埋めるかを考えたわけである。


「うむ。ではカレンは企画部に伝達し新商品に向けての広告を作り直せ。アズラミカは来る冥夜の宴までに試作品を出品出来るよう、開発部と共に研究を進めよ」

「畏まりました」

「はい。陛下~」

 

 お互いに目線をそれとなく外しながら去っていった二人の女を目に留めながら、女王は思っていた以上の結果に至極満足そうに微笑んだ。

 この城の各所に設置してある監視の眼から、これまでのことを女王は全て見ていた。桃子がどう考え、どう動き、何をしたのか全て把握している。勿論この城に住む者全ての監視も可能であり、彼らが桃子に対して示した姿も全てだ。

 それを見た上で、判断を下した。

 桃子が預かり物であれ、本当に価値のないものならば、この城に居るべき存在ではないとしてあの場で喰らっていただろう。

 いくらあの存在が有益なものであれ、女王は努力をしない無能を好まない。


「────うむ。モモコのことはひとまず置いておくとして、こちらはどうしたものかの」


 石碑の間で静かに向かい合う女王と、米粒程に小さな兎。兎は女王の目の前で踊り回ることもなく、くたんと四肢を伸ばしている。

 その姿には桃子の前で見せた俊敏さや陽気さなどはない。


「むむう……」


 ぽにーぷにーと女王は絶妙な力加減で爪の先を動かし、兎の腹を撫で、その金の鍵穴に触れた。

 小さく、ともすれば見落としてしまいそうなその穴に手をかけ、躊躇する。兎を壊すのは容易い、しかし穿けば愛くるしさは半減してしまうだろう。

 どうにかして取り外せないものかと、女王は眼を閃かせ、その度にそれは最善ではないと首を振る。


「このような愛らしいもしゃもしゃに、こんなにも大きなものを突っこむなど……なんという鬼畜じゃ……」


 そういいながらも目線は兎から離れない。ふわふわの毛並み。ちょこんとついた円な瞳と黒の濡れ鼻、両の手を投げ出し、まるで抱きつけと言わんばかりの仕草。

 その首元には藍色のリボンがあしらわれており、兎の愛くるしさをこれでもかと強調している。


「……わらわが触れられぬではないか……」


 女王はその美しい鱗の艶を無くしてしょんぼりと肩を落とす。

 目の前に欲しいものがあるにも関わらず、触れることのできない。なんとも言えないもどかしさ。ネブラスカにシュトルヒと立て続けに愛らしいもの触れたことにより、可愛いものへの執着が増し、女王は思い切り可愛いものに抱きつきたいという衝動が収まらなかった。

 しかし女王自身が体当たりでぶつかれば、同族かよほど頑丈なものでない限り、相手は木っ端微塵になってしまう。

 それを考えるのならば最初から兎に抱きつくことなど出来ないのだが……。


「うむむ……」


 そうして暫く女王は兎を持ちながら唸っていた。口煩い求婚者も煩わしい臣下もいない今、その奇妙な対峙を遮るものなどいるはずもなかった。


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