狭間の章2
男は新たな世界に溺れた。
毒素のない空気。歪みの無い美しい生物。
そして見たことも無い丸い耳の魔力の無い人達。
それらが知恵を寄り合わせて作る新しい技術に見惚れた。
世界を見ることを楽しみ、この世界に在ることを感謝した。
しかし素晴らしいと目を輝かせたのは最初だけ。
男はその世界にとっての明らかな異質であり、
どんなに馴染もうと努力してさえ、必ず奇異の目を向けられた。
男は人の輪から弾かれ、常に迫害されるべき象徴となった。
そして迫害の果てに見たのは、同じ形の人々が争う殺戮の歴史。
そして絶望の果てに見たものは、元の世界と幾分違わぬ同じ結末。
こんなにも美しい世界。
それなのにその世界すらも破滅の道を歩んでいた。
どんなに正常な世界であってさえ起こり得るその歪み。
「どの世界にあっても、結局道行きは同じなのか…」
失意の中でも男はその世界で死ぬことを願っていた。
その世界では男に力が無い。
やっとこの長い人生を終えることができるならば。
そう思っていたのだ。
─────男の願いはただ一つ。
すべての業から逃れて眠りにつくことだったのである。
男は住人に捕らえあげられ、まず体の自由を失った。
笑いさざめく観衆の狭間で視界を奪われ、不快だと声を取り上げられる。
残ったものは心のみ、壊れそうになる程の苦痛の中で
最後に感じたのは首に当たる刃物の冷たい感触。
男はやっとその生涯を閉じることができる────はずだった。
凄惨たる死の結末に控えていたのは、途方もない再生の日々。
幾度となく生まれ変わり、様々に生まれ落ちる世界を変え、
男は再び先を歩むことを余儀なくされる。
抗おうとも記憶は薄れず、蓄積されていく苦痛。
男はどの世界であっても異端と疎まれ排斥される運命にあった。
それは永遠の牢獄。それが世界から逃れた代償。
男は己の宿命からついに抜け出すこと叶わず、失意に眼を閉じた。
それでも男は世界の中で完全な傍観者となり続け、
その幾千の世界の中で、空虚な身の内を満たす何かを求めていた。
それは苦渋から逃れるためだけの、男の唯一の我侭だったのかもしれない。