2-11:後始末
「しかし、本当に真っ二つだな……」
「あの、どうか一つよろしくお願いします」
「……まあ、陛下の杯だ。代金さえ貰えればしっかり直してやるよ」
「あ、ありがとうございます! 代金はまた月末に支払いに参りますので」
結局私は銀の杯を弁償することになった。
これは誰かに責任を負えと言われたわけでなく、あの場で兎を動かせばどうなるか、それこそあの地下通路で散々な目にあったことも忘れていた自分の責任として、弁償という形で始末を付けたのである。
そうして散々回った金物屋で、やっと許可の出た厳ついドワーフの店長にお礼を言って預かった修理代を渡す。勿論領収書を切ることも忘れない。
正式採用ということで一応お給料が貰えるそうなのだけれど、食堂から勝手に借りたテーブルクロスと、陛下の杯。そして体の匂い消しの為のシャンパンが月に一本。
経理担当者にその都度領収書を渡して、毎月のお給料から修理代やらを天引きされ、実際に貰えるお給料は……なんと百五十トピ。
一トピ=一円として、たった百五十円しか貰えないことになった。けれど残った百五十トピでも何がしかは買えるだろう。そう思って城の中にある売店も見て回ったけれど、単価は半端なかった。
熊五郎から聞いていた通り、食糧難というのは本当のようで、一番安い細切れ肉でも百グラムで三万六千トピ。飴玉やお菓子よりも家財道具を買う方が軽くお釣りがくるような状態だったのである。
「……はぁ……物価高いなぁ。ジュースくらい買えると思ったのに……」
「こら、勝手にうろつくのではない」
あまりに値札を見ることに集中していたせいか、壊れた銀の杯を一緒に持ってきてくれたネブラスカを置いてきてしまったらしい。
慌てて謝ろうと振り返った途端。私はそこにあるものに釘付けになった。
ネブラスカの黒い腕。そこには美味しそうなフランスパンもどきとお菓子が大量に抱えられている。空腹に呻いているところにその視覚効果は半端なく、まるでネブラスカの背後に後光さえ指しているように見えた。
「ネブラスカ様~」
「……アズラミカのような性質の悪い口調はやめるのだ。それに懐くのではないと言ったばかりだろうが」
「懐いたんじゃないです! これはお願いなのです!」
「……さして変わりようもない気がするが。なんなのだ?」
「お金貸してください!」
両手を広げてお願いするとネブラスカはきょとんと眼を丸くして、次の瞬間、盛大なため息を付きながらこちらに美味しそうなパンを押し付けた。
なんだこれは。食っていいの? それとも預けられただけ? 久しぶりの食事だから全部食えるくらいお腹に余裕あるよ?
それこそこの城に来て初めてのまともな食事の形。目の前にある美しい小麦色のパンに、ふんだんに盛り込まれたチーズとハムと星型トマトの誘惑。陽の光を浴びて艶やかに輝く真っ青なブルーベリーもどきのタルトと、青紫色のジュース。どれも原材料は解らない。けれどその美味しそうな匂いに耐えられず、おもわず凝視する。
するとネブラスカはこちらを見て呆れたような顔をして、しかし静かに頷いた。これは『食え』の合図……!
「……腹が減っているならばそう言うのだ。間違っても陛下や私以外の者から物や金を借りたりするのではないぞ。陛下に醜聞が立ってしまうのだからな」
「ネブラふかはま~! ほっへもおいひいへふ!!」
「喋りながら食べるのではない! 行儀の悪い……」
そう言いながらも胸元から取り出したハンカチでむにむにと口元を拭われ、にへらと笑う。ネブラスカは規則や女王への対応すら間違えなければ、とても面倒見のいい人だった。口煩いことも確かにあるけれど、限界まで苛立ちを超えなければ静かに諭してくれる。なによりもこの世界での不安や、疑問を相談出来る相手がいるというのは私に取って有り難いことだ。
……まあ頼られるネブラスカは、ちょっと迷惑そうだけれども。
「まったく。お前がこんなにも筋力がないとは思わなかったぞ」
「すみません。でもネブラスカ様のお陰で凄く助かりました! あんな重たい杯を軽く持ち上げちゃうんですもん。隊長っていうだけあってすっごく力強いんですね」
「……あからさまな煽て方は止めるのだ」
「へ? 煽ててないですよう。本当のことじゃないですか」
自分では絶対あんな重いものは持ち上げられなかったし、実際ネブラスカがいなければこんなにも呑気に外出なども出来なかっただろう。ここはまだ城の内部だから比較的安全だけれども、一人で外に出れば私は真っ先に捕獲され、食材として貪り食われる。どんなに言い募っても、姿が変わらない限りは私はその括りからは抜け出せない。
ネブラスカが一緒にいるお陰で襲われることもなく、ドナドナ宜しく連れ去られることもなく、安全な状態で外の空気が吸えている。そのことに感謝しているくらいなのに、ネブラスカは何故か眉間に皺を刻んで深い溜息をついていた。
「お前……自覚が無いのだな」
「何がですか?」
「こういうのが一番性質が悪いと聞いてはいたが……。なるほど、隊の奴らの認識は間違っていなかったようだ」
「はい?」
「……いい。深く考えるのではない。こちらが精神を鍛えればいいことなのだからな」
そうしてふっと息を付いて、ネブラスカは半眼で何もない空を見上げている。私はその姿をみてやっぱりと思った。いつも通りの態度を取っているけれど心なしか元気がないのは……。
「あの、ネブラスカ様。やっぱり怒ってますか?」
「は? なんなのだ。いきなり……」
「私があの時上手く動けなかったから……その、陛下と……」
「ああ、その事か」
ネブラスカの愛は事実届いたのか届かなかったのかいまいちよく解らない。
あのお披露目が終わってからすぐ、ネブラスカは私が侵入した地下通路の件、そして警備体制の甘さを追求されてその責任を問われた。
私を小間使いとして教育したことと引き換えに重い処断は下されなかったけれども、減給された上に王配候補としても認められなかったのだ。
私がちゃんと出来なかったことを怒ってもいいはずなのに、ネブラスカは至極あっさりと言う。
「それはもういいのだ」
「え? ……そ、それって陛下を諦めたって事ですか?!」
「そんなわけがあるか……ッ!!」
突然立ち上がり激昂したネブラスカに慄く。そして目の前の人は片手を胸に当て、以前見た時と同じようにそのクチバシをぱかりと高速開閉した。
「お前の教育に便乗し、あわよくばと考えた私が浅はかだったのだ。陛下の愛を勝ちとるにはまず己の力でなければ意味がない。それにも関わらず楽な方へと流された私が悪いのだ! たとえどのような結果になっても、陛下と添い遂げる気持ちに変わりはない! その気持ちを確認できた。いわばこれは 僥 倖 な の だ ! 陛下待っていてください! 私はいま以上に力を付け、陛下を心身ともにお守りし、幸せな家庭を築いて差し上げます!! ああ、陛下陛下陛下…………」
……ああ、そうだった。そうだったよ。
ネブラスカは下手な励ましなど必要ないほど、女王に関してはポジティブフィルターのかかった方だということを忘れてた。
こんな人の大勢いる広場の中で高らかに演説し始めたネブラスカ。
その声の大きさは広間全体に響き渡るようなものであり、けれど住人は発信源を見ると慣れたように通り過ぎていった。その目はかなりの同情めいたものもあって、ネブラスカの足元には投げ銭までされ、ある人はその決意表明に拍手までしている。
自分から突っついた所為でこうなってしまったとはいえ、正直いまの状況に引き気味になる。
……けれどどんな結果になっても、女王を諦めないというネブラスカの気持ちには正直凄いと思った。流石に衆目を浴びてまでこんな情熱的な発言をするのはどうかなと感じるところもあるけれど、そのひたむきなまでの気持ちはかなり羨ましいというか、応援したくもなる。
女王への気持ちがいつか報われるといいなぁ……。
そう思いながら見上げていると、ネブラスカは先程よりもすっきりとした顔で手に持っていたジュースを飲み干し、やっとこちらに向き直った。
「そういえばすっかり忘れていたが。お前、魔獣と亜人についての見解は出たのか?」
「へ? あれ? ネブラスカ様にその話しましたっけ?」
「お前からの質問ではない。シュトルヒからどういう教育をしているんだと苦情が来たのだ。でどうなのだ?」
あの犬口軽すぎやしないか。なにも教えてくれたネブラスカに直接そんなこと言うことないのに……。
一瞬腹が立ったけれど、ネブラスカはじっと言葉を待っていてくれる。それを見て慌てて考えたことを纏めていく。魔獣と亜人の違いは……。
「えっと……。魔獣は亜人と違って人間形態になれず、言葉によって明確な意思を伝えられない……んじゃないかと」
「うむ。それで?」
「私は魔獣の括りですけれど、言葉を使えるし自己を持っているからここでは一応認められるのかな、……と思いました」
これまでに合った魔獣、タンクルルとノックスは明確に意思疎通ができなかった。同じ魔獣の括りにあるのにも関わらず、タンクルルは防衛本能が働いたとしても、あのノックスは完全に食欲という本能によって行動をし、理性などなかったと思う。
一方亜人は人間に近く知能も言語も発達している。その力によって自分の地位を確立できる社会が形成できている。
あちらの世界に照らし合わせるなら、人間と動物。ただそれだけの違いじゃないだろうか。
「うむ。お前にしては上出来だ」
「え? これで正解なんですか?」
「ああ。だが実を言えば、明確な線など引かれてはいないのだ」
訳が解らずに体を傾げると、ネブラスカは少しだけ笑った。
「先に知識を持ったのが亜人。その後に知識を持ったのが魔獣なのだ。亜人が先に明確な社会を作り上げてしまったからこそ、他の種族は亜人として認められていないし権限も与えられていない」
「…………え、それってつまり、どっちも同じ魔物ってことですか?」
「ああ。どちらもトロテッカから生まれ出たことには変わりはないのだから、そう認識するのが妥当だろう。こうした階層をお作りになられたのは魔王様だが、その亜人と魔獣の括りについては特に言及されていなかった、と陛下から聞き及んでいる。もっともこれは言葉なき弱き魔獣にとっては永遠に知り得ないこと。そして上層階に居る者達は己の立場を守るため、真実など知らせようともしないだろう。……お前やシュトルヒのように言葉を解せることのできる魔獣を除いては、だが」
神妙に呟くネブラスカの言葉に思わず頷きそうになって、はたとある事実に気がつく。
……あれ? いまなんかおかしなことを聞いたような……。
「シュトルヒ……さんも魔獣なのですか!?」
「姿を見れば解るだろうが、あれの何処に人の顔や四肢がある。確かシュトルヒはフランクドックという種でお前と同じ高級食材だったはずだ」
「私と、同じ………食材……?」
「……そういえばあれも陛下が気まぐれに見つけてきた種だったな…」
といってネブラスカはふっと笑った。シュトルヒが私と同じ高級食材だったという事は正直かなり驚いたけれど、同じ立場だったと言うことを知ったところでどうにも出来ない。今更友好的に接することは無理だし、あの冷えた眼を見るに多分あちらもそう思うことはないだろうとも思えた。それに私の中でも、シュトルヒはすでに危険人物として認識されている。
女王やカレンのように試すでもなく、笑いながら殺そうとした。その時点で私の中では完全にアウトなのだ。いつかは分かり合えるかもしれないと考えられるほど楽観的にはなれない。
……これ以上理不尽な理由で傷付けられるのはウンザリだ。
けれどネブラスカは沈み気味だった体を無理矢理に引き上げて、私の額のあたりをぐりぐりと撫でた。まるで元気付けるように数回そうされて自然と目線が上がっていく。そうして見上げれば切れ長の瞳の付いた仏頂面。
「……万人に好かれるような人物などありえまい。誰かしら厭われるような処はあるし、それを許容出来ないことも儘ある。それこそ偉大な陛下ですら時に厭われるのだからな。……だがもしも、それを推してさえ相手と向き合えることが出来たのなら、それはいずれお前の幸せにも繋がるだろう」
「幸せ……?」
「気づくことの出来る『幸せ』だ。どんな苦難があってさえ、生きてそこにいるからこそ、それを感じ取ることができ、時に自分の力によって修正すらも可能になる。その度に困難も多少はあるだろうが、その結果に得た経験がいずれお前の強みとなり財産にもなるだろう。これはお前がただの魔獣であったのなら、一生感じ得ない幸福だ」
────……幸福。魔界にいてその不思議な言葉に、滅入っていた気持ちが少し動いた。ネブラスカのことが……ほんのちょっとだけ、格好良いとか思ってしまう。
「あれを好きになれとは言わん。向きあうも避けるのもお前の自由だ。だがそうした選択もあるのだということを考えておくのだぞ」
真摯な顔でそういうネブラスカに、何も返せずに口を噤んだ。色々なことが合って、質問する度に疑問は増えるばかりで、ネブラスカの言葉は正直いえば……説教臭いし面倒くさいとも思う。シュトルヒのことが苦手な私にとって、向きあうということはとても難しいだろう。嫌な相手なら避けて通ればいいだけじゃないか、そういうふうに思う自分も確かにいる。
────……けれど。
「……そう思えるように、努力してみます」
そう告げるとネブラスカは笑って、私の頭をぽんと叩いた。それはこれまでで初めて見た、優しい笑い方だったと思う。
「ふん! ならばいい。落ち込むお前の為に、私が一ついいことを教えてやろう」
「…………はい。なんでしょうか?」
「私と陛下の馴れ初めだ……!」
……どうしていま、この場面で、その話を選択した……。
さっきまでの緊張感が一気に解れて脱力してしまうと、ネブラスカは楽しげに笑いながら私に詰め寄る。
「あ。いえ、それは大事な思い出でしょうし、大切にしまっておくべきことだと思いますよ」
「遠慮するのではない」
「遠慮は全然してませ……、むごッ!!」
口元にいきなり丸めたパンを突っ込まれてむせ返る。喉奥まで一気に来て咳き込んでいると、タイミング良くもジュースをこちらに向けられた。けれどもそれは口を付ける前にさっと目の前から消えてしまう。
「はっはっはッ! これが欲しくば大人しく聞くのだ!」
「聞かせたいんですね……」
「あれは私がこのトロテッカに産まれ落ちたときのことだった……」
「そんでもって勝手に始めるんですね……」
ここの人々は基本的に聞かせたがりな癖に、こちらの意思を聞かないような気がするなー……。
そうして食事の代わりにネブラスカが満足するまで散々惚気話を聞かされた挙句、私は最後には砂を吐きながら突っ伏した。
先程の演説の比ではない。ネブラスカが女王に向ける愛情は甘いなんて表現では物足りない。
────砂糖と練乳と蜂蜜をかけまくったようなゲロ甘。客観的な視点はすべて省かれた、究極のネブラスカ視点によるネブラスカの為の妄想だった。応援とか正直どうでも良くなるほどのその話を聞いて、私は考えを改める。
これは酷い。
そしてこの人に好かれるを通り越し、文字通り骨の髄まで愛されている女王のことが、ほんの少しだけ不憫に思えたのだった。
これにて新生活編終了です。次章も宜しくお願いします。