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2-9:はじめてのお使い3

 地上五階は地下に比べてかなり明るい。それは地上ということもあるのだろうけれど、この城に住むものの共同食堂でもあるからだろうか、光を全面に取り入れるようにして要所に観葉植物を配置し、人の入りやすいような雰囲気にしてある。

 地下は窓を開けても薄暗い岩壁が見えるだけだったからなおさら、その明るさはまぶしいくらいだった。

 やっと外に出れたような開放感に浸りながら窓を眺めてみると、ネブラスカの書斎で見たような青色の旗がたなびいて見えた。

 いまはまだ勤務時間中だからか人の気配もなく、広間はがらんとしている。まあ私にとっては幸いのこと。匂いの関係上、人がいないうちにさっさと用事を済ませて女王のところに戻った方がいいだろう。


「すみません」


 戸を開けて声を掛けるも人の気配はない。地下四階でも見た温石盤がところ狭しと並び、その上には牛一頭軽く煮込めそうな大きな鍋が立ち並んでいる。城の中にいる全員分の食事を預かる場所なのだから当たり前なのだろうけれど、その規模には圧倒されるばかりだ。冷蔵庫や倉庫が金属製なのは今更驚くこともない。けれどまな板や包丁一つ取っても、その大きさたるやあちらの世界では完全に規格外だろう。人間一人分の大きさはありそうな出刃包丁が、まるで鏡のように光り、今の私の姿でもあるピンク色したスライムの姿を写す。

 こんなものを使える料理人は一体どんなに大きな人なのだろう。

 正直いまの姿が食材という状態からして、合うのは避けたいような気もするけれど、仕事の関係上合わないわけにはいかない。

 腹の底から搾り出すようなため息を吐き、勢い良く息を吸い込んで大きな声を発した。


「すみません! 誰かいませんかッ!」

「ハーイ。ただいままいりますよ~」


 奥から聞こえたのは少年のような高い声。そして小柄な影だった。それが大きな樽の影からさっと飛び出してきてハッハッと荒い息をつく。

 そうして厨房の奥から現れたのは一匹の犬。

 人間形態でなく、どこから見てもビーグル犬なその人は、こちらを見るときょとんとして黒い目玉をくるりと動かした。


「お、噂のピーチスライムだ! 実物はやっぱ丸いねー!」

「ええと。あの……」

「ああ、ごめんごめん。スライム自体久しぶりに見たからちょっとびっくりしちゃってさぁ。騎士達から聞いてるよ。陛下が雇った小間使いってアンタでしょ?」

「は、はい。モモコと申します」

「うん。知ってる。最近食堂でもアンタの話題で持ち切りだから嫌でも耳に入るっていうかさ。アンタが女王の下に付いて生き残れるか、賭けの対象にまでされてるくらいだしね」


 すらすらと流れ出る裏事情に呆気にとられるしか無い。というかそういうのは普通隠すものだろう。それも本人を前にしてならなおさら。なのにこのお犬さまの口はまるでストッパーなどないように喋りまくる。


「最近の若い子は食べた事ないから知らないみたいだけど、ピーチスライムって辛党の人には全然合わない食材なんだよね。それこそ甘いの苦手な人には完全に地雷っていうかさ。もうあれね。劇薬みたいなもんだよね」

「そ、そうなんですか…」

「あ、勿論甘党の人には最高の食材だけどね。けど高級食材を食べられるなんて上層階だけの特権みたいなところがあるからさ。下層市民にはそこんとこ解ってないっていうか、妙な理想抱いてるのは確かだよ。まあどっちにせよアンタにはビミョーな事だけど」


 そういいながら犬は私の周りを回って匂いを嗅ぎまくる。そんなに嗅いだらミラリナの時と同様に大変なことになるんじゃ…。そうして警戒するこちらにも構わずに犬は一通り匂いを嗅ぎ終わると、犬らしからぬニヒルな顔で笑う。


「いやー。しっかしいつ見てもひどい体型だよね。スライムってなんでこう締まりのない体付きなのかな。もっとさあ、僕らみたいに首や胴があってもいいと思うんだけど。ピーチスライムっつっても匂いばっかり立派でなんかあんまり役に立たなさそうだしさ。まあ最高級食材って大抵当たり外れあるから仕方ないよね。噂に尾びれも背びれもつきまくってるだけで、食べてみると期待するほど美味しくなかったりするし」

「………あの。そろそろ本題に入らせてもらっていいですかね」


 なんとなくこの犬嫌いだ。言い方がもの凄く腹が立つ。内心で苛立ちながらもカレンから預かった赤い箱を遠くへ放り投げないように丁寧に差し出すと、犬はクンクンと匂いを嗅いで器用に頭の上に乗せた。


「地下四の侍女蜂さんとこの蜜だね。アンタ良く生きてたねー。あそこの蜂さん甘いの大大大好物だからここにくるまでにてっきり食べられてるかと思ってたよ。しかもあそこの管理者、すげー嫌味ったらしかったでしょ?」

「食べ……。まあ確かにそういうとこもありましたけど、ぎりぎり食べられませんでしたし……。カレン様だってその……思いのほか優しい方みたいでしたよ?」

「ああうん。あの人外ヅラいいもんね。見た目に関してもすっげーいいとは思うよ僕も。でも性格に難有りすぎでしょ? ああいう女と付き合うと正直後がキツイよね。つか重いよね。一生束縛されて、なにやれかにやれって指図された挙句、生活をすべて管理されるんだよ絶対。結婚してまでそんな面倒背負い込みたくないよね」

「そ、そういう言い方はちょっと……」

「あれ。アンタ意外に偽善者っぽいところがあるんだね。それに完全に見下されてんのにあの人の肩持つなんて、頭に花でも咲いてるんじゃないの?」


 偽善者の上に頭に花だと……。思わず抗議しそうになって、すんでのところで思いとどまる。いかんいかん。いま問題を起こしたらそれこそ水の泡。苛立ちをぐっと抑えて、ネブラスカに言われたとおり『冷静』にと心に刻む。


「な、なんでそんなことわかっちゃうんですかぁ? 見下されるだなんて…」

「見下されてるよ~。だって相手は中層階の住人だよ? 魔獣は亜人より完全に格下、それも愛玩動物扱いなんだから。対等な関係になれるだなんて思い上がってたら痛い目見るよ。それにあの人、すっげえイビリで有名だから目付けられたら最後、一生纏わりつかれるよ」


 そういって犬は嫌そうに後ろ足で耳の裏をかりかりと掻いている。絶妙なバランスで赤い箱を落とさずにだ。というかいまいろいろ聞きたいことが混ざりすぎてて何を聞けばいいのやら…。とりあえずカレンの事は一旦置いておくとして。


「あの? 魔獣と亜人ってどこが違うんですか?」

「は? なに? そんなことも知らないで大丈夫なのアンタ……」

「私ここに来てまだ四日しか経ってないんです。だからその、階層があるっていうのは解るんですけど、ここの人間関係とかは全然…」

「は? 本気で言ってる? 誰にここの事教わったの? 陛下じゃないの?」

「いえ、ネブラスカ様ですけど」


 すると犬はぶふっと吹き出してゲラゲラ笑い始めた。何がそんなに可笑しいのか。けれどなんとなく嫌な感じがして無言に留める。


「あーはいはい。ネブラスカ様お決まりの教本丸読み丸呑み勉強会ね。あの人相変わらず変な本読んでるの?」

「えと。黙秘権を行使します」

「はは! そういってる時点で肯定してるのに気づいた方がいいよ。つか顔でバレてるし」

 

 犬はそうしてひときしり笑い、程なくして収めるとふうと息をついた。


「僕もここの事についてはあの人に教えられたから、アンタが何に戸惑ってるのか解るつもりだよ。正直もっと早くに知っておけばよかったなぁと思ったこともあるし、当時は恨んだこともある。まあ今はそんなことないけどさ」

「あなたもネブラスカ様に…」

「そ。あれ、それでなんだっけ。ああ、そうだった。魔獣と亜人の違いね。それはね……」

「そ、それは??」


 先程の陽気そうな姿はなりを潜め、尻尾を下ろして神妙にこちらを見つめる犬。一瞬息が詰まるような心地になった。……もしかしてそんなにも重大な何かが?!

 けれどそれも一瞬の事。突然ぷふーっと吹き出して犬は楽しげに笑う。


「アハハ! 教えてあげないよー。アンタって本当に頭の中に花咲いてそう。聞けばなんでも誰かが教えてくれるとでも思ってる? しかもその意味を聞いても一度じゃ理解しないような感じじゃん。そういう人に丁寧に教えても正直時間の無駄だよね。うん。僕がいっちばん嫌いな性質だわ」 


 けろりと告げられた嫌いという一言。けれども私はどうとも思わなかった。「私もあんたみたいなのは大嫌いだ」と声を出して言いたい程に腹が立っていたから。


「……御不快にさせたようなら申し訳ありませんでした…! せっかくのご助言ですし、自分できちんと考えてみたいと思います」

「そうだね。そうした方がいいと思うよ。────さて、荷物も貰ったことだし、アンタもさっさと仕事に戻ったら? ここに遊びに来たわけじゃないんでしょ?」

「ッ…じゅうじゅう承知しております…! 陛下がレブラ産のシャンパンと黒チーズをご所望です。早急にお届けしたいのですが…ッ!」


 口調が荒くなってしまうのは仕方がない。わざとしているんじゃないかという程にこの犬は苛立ちを煽るからだ。口調・言い方・その態度。すべてが癇に障る。それにつけても先程の事でも結構疲弊しているところにそれだ。余計に苛々が止まらなかった。


「黒チーズ!! 陛下お気に召してくれたんだ! 良かったあ~!!」


 なのに犬は女王のことを口にした途端、キラキラと眼を輝かせとっても嬉しそうに尻尾を振った。まるでネブラスカにも似たその表情に違和感を覚えつつも、指摘することなく後に付いて行く。


「ねえねえ。陛下はなんて言っていた? 美味しいっていってた? やっぱり僕の選んだ食材は陛下の口に一番合うんだね! 下働きの奴らはまったく解ってないんだよ!」

「…………」

「ねえさっきからなんで黙ってんのさ! 感じ悪いなぁ。っつうかアンタ暗いよね。うじうじうじうじ、ちょっと嫌味言われたからってそういう態度取るなんてこの先ここじゃやっていけないよ」


 ────く、暗い。

 自覚しているからこそ、その言葉がまるで極太ナイフ並みに心に突き刺さる。ついでに後ろ向きが加われば連続コンボで大ダメージを受けだろう。幸いにしてその言葉は発せられなかったけども、苛立ちは最高値にまで跳ね上がった。私だって言われてるだけじゃないんだぞ…!


「……じゃあいいますけど! 私だって初対面の人に嫌味や暴言言われたら気分くらい悪くなりますし、話したくないほど苛立ちもしますよ!」

「はあ? こんなのいちいち気にしてたらそれこそ頭おかしくなるんだから、冗談半分にして聞き流すのが普通でしょ。それにこれから毎日顔合わせする先輩にそんな態度とってさあ、後々影響出るとか考えないわけ?」


 それを言われるとなにも言えなくなってしまう。ああ、言いたい。けど言えない。もしも面と向かって言ったら今後の関係に響くだろう。言ったら駄目だ。いや言いたい。そんな気持がない交ぜになって。


「ぐ、むうううううう!!!!」


 ……結局唸ることしか出来ませんでした。

 犬はそんな私を見て心底奇妙なモノを見る目つきで見下ろして、ふっと眼を逸らして息を付く。


「…………人語喋ってよ。流石に今のは僕も理解できなかった」

「これは言い表せない心の唸りです!」 

「うわぁ、言い切ったよ……。抗議の仕方にしてもかなり馬鹿っぽいからやめた方がいいよ」


 にこやかに嫌味をいう犬に、最高にイラっとしたけれどもう何も言わずに付いていく。これ以上口を開いたら、もう絶対暴言しか出てこないだろうし……。

 その合間もブチブチ何か言っている犬の言葉を助言通り適当に聞き流しながら歩いていると、程なくして銀色の大きな冷蔵庫が見えてきた。厨房の一番奥に並ぶ二十個ほどの業務用らしき冷蔵庫。

 犬が器用に前足を使って扉をノックすると、分厚い扉がぱかりと開き、色とりどりのチーズやハム、骨付きソーセージなどが目の前に現れる。ところ狭しと並ぶ、美味しそうな小麦色の食材。しかし中にはこれは本当に食べ物か?と疑問に思うほどに奇抜な、赤と紫のストライプ柄のものや緑色と黄色のねんどを混ぜたようなものまである。

 先程の怒りも忘れてぼうっと見ていると、犬はその中の一つに器用に前足をかけて取り出していた。


「うぐッ!!」


 その瞬間、つんと鼻につくようななんともいえない香りが漂う。本当にこれが食い物なのか。それ本当は腐ってるんじゃないのかと思うほどの悪臭。にも関わらず犬は平気そうな顔で淡々とチーズを転がし、私の目の前まで持ってきた。丁度人の大きさ位のそれに面食らいながらも受け取る。


「これが黒チーズね。陛下に渡すときは丁寧に外を切り落として差し上げるんだよ。いま切ってもいいけどやっぱり直前にした方が風味が落ちにくいから」

「は、はい」


 犬は隣の冷蔵庫を開けると今度は白い包装紙に巻かれたボトルを取り出す。これがレブラ産のシャンパンなのだろう。けれどもその大きさが半端じゃない。

 人間二人分はあろうかと言うほどに大きなボトルだった。胴体をぐるりと赤いリボンで巻いているせいか、まるでボウリングピンのようにも見えるそれと黒チーズを両手に抱え切れずに唖然とする。


「あ、あの」

「なに?」

「これ全部私一人で持っていかなくちゃならないんでしょうか?」

「は? 当たり前でしょ? こんなの持ってくのなんて簡単じゃん」


 すると犬はひょいっと頭の上にシャンパンを乗せ、黒チーズをその小さな体の上に絶妙なバランス乗せて普通に歩いていた。まるで曲芸師のようなバランス感覚に面喰うしか無い。

 犬は戸惑うこちらにも構わずにさっさと厨房の外に出てき、エレベーターの前でそれらを下ろすと、かったるそう首をごきごきと鳴らす。


「じゃ、そういうことで」

「あ、あの! お犬様」

「……まさかと思うけどその『お犬様』って僕のこと?」

「え、あのすみません。お名前を聞いていなかったので…」

「シュトルヒだよ。シュトルヒ。まったくもう……。で、何? まだなんか用あるの?」


 嫌そうにこちらを見る犬ことシュトルヒに、無謀だと思いながらも少しお願いしてみようと思ってみた。シュトルヒに頼んでも絶対協力してもらえないだろうなということは、なんとなく解っていたからそれ以外のことで。


「あのですね。そのワゴン……じゃなくて、台車とかないんですか? 押し車というか……」

「は?」

「その。一人で持っていけそうにないので……。ほら! 陛下に渡す前に大事な黒チーズとシャンパンを割ったら大変ですし!」


 必死になって説明するも、シュトルヒはニンマリと笑ってこういった。


「それをなんとかするのも小間使いの仕事でしょ?」


 そう言いながら私の体を押し込み、尻尾を振りながら軽い足取りで去っていく。

 その後ろ姿を見ていたら、いますぐにでも暴言を投げつけたくて溜まらなくなる。自然と動いてしまいそうになる口を必死で押し止めた。

 直接は言えない。けれど心の中でなら、そのくらい許されるはずだ。


 こんのッ! 嫌味ったらしい糞お犬様がーーーーッ!!!!


 エレベーターの円柱もろくに回せない状態でどうすればいいんだと呻きながら、私は二つの大荷物を落とさないように必死に腕を回したのだった。


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