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2-8:はじめてのお使い2


 非常に不本意な、そして倒錯的な状況を見ないようにして、細心を配りながらゆっくりと指を抜き取る。振り落とされる前に突っ込んだもの、それはミラリナの口と鼻で、それを覆い隠した瞬間ミラリナは体を弛緩させて突っ伏してしまった。

 食われなかったと思えば今の状況は割りといい方なのだろう。

 けれどベッタリとついた体液に気を失いかけつつ、倒れる前にかろうじて抱き留めたミラリナの頭部を抱えて唸るしかない。

 そのまま放置して逃げるわけにも行かず、とりあえず体をソファに預けようとするも大人一人分の重さは私では支えることができない。それでも引きずるようにしてミラリナの体をソファに預ける。

 彼女はそうして引き摺られている合間にも、恍惚の表情のままに何事かを喘いでいた。

 ……正直もの凄く複雑だ。

 嘆息を付いて項垂れるしかない。それにこんな状況を誰かに見られたら絶対に誤解される。そしてこの艶のあるなんとも言い難い雰囲気と乱れた衣服を見れば完全に疑われる。ミラリナを私が襲った、もしくは襲われた、と。


「嫌過ぎる……!!」


 ミラリナの乱れた衣服を泣きそうになりながら元に戻し、乱れた髪を整えて貞淑そうな姿に戻す。そして部屋の窓を開けて換気をし、落ちたティースプーンを元の位置に直し証拠隠滅を図った。彼女が意識を取り戻したあとに何を口走るかが不安だったけれど、ここの責任者であるカレンと女王にだけは正直に事情を話しておけば、多分大丈夫なはず。

 ……けれど何故こんな状況に陥らねばならないのか。

 女王から匂いは抜いたと聞いていたのにこの様。いやもしくは匂いが戻ってしまったのだろうか。どちらにせよ、この厄介過ぎる匂いを早くどうにかしなくてはいけない。

 どの程度まで匂いが回復しているのかは解らないけれど、さっさと荷物を持って四階から出ていかないとあの集落での二の舞になるのは確かだ。


「……そうだ。カレン様を探さないと……」 

「私ならばここにおりますが?」

「みぎゃあああーーッ!!」


 至近距離でささやかれた声に驚いて飛び上がる。カレンは一体いつからそこにいたのか、そしていつからこの行動を見ていたのか。バクバクと激しく動く体を抑えながら見あげれば、カレンは赤い箱を持ったままに繁々と恍惚状態のミラリナを見やり嘆息を付いた。


「まあ……」

「か、カレン様。違うんです! これはですね。襲ったとか襲われたとかではなくてッ!!」

「ええ。お気になさらず。────大変お楽しみでしたのね」

「ち、違いますよぅ…ッ!!!」


 もう泣きたい。なんでこんな間男的な心境にならなくちゃいけないんだろう。女なのに。

 あまりのことに耐えられずに突っ伏すと、カレンの足がこちらに近寄るのが見えた。後退るこちらにも構わずに間合いを詰め、黒いドレスを払ってその場に座り込む。


「解っておりますよ。モモコ様」

「へ?」

「最初から最後までずっと見ていましたから」


 カレンは悪戯っぽく笑うと、私の体を掬い上げて目線を合わせた。六角形の編み模様の瞳がきらりと楽しげに瞬くのを見ながら、言葉の意味を飲み込んで更に私は項垂れる。それでも理由を問うべき権利はあると、重くなりがちな思考をようやっと動かす。


「……どうして傍観していたんですか?」

「モモコ様が我らにどういう対応をなさるのか見たかったのです」

「あ、悪趣味過ぎませんか? 有り得ないことですけど、……ミラリナさんが本当に危険な状況に陥ったらどうするつもりだったんです?」

「その時は私の手によって貴方は死の淵に立たされていたでしょうね」


 そういってカレンは黒いドレスをいきなり太ももまで引き上げると、ミラリナと同様の黒レースのタイツの奥から何か針のような物を取り出した。いきなりの奇行になんと返していいかも解らずに、けれど白い指の間から飛び出したその部分を見つめると、次第に針の中から黄色の液体が流れ出す。


「万一ミラリナが貴方の手によって害された、もしくは死に伏したとしても、私がそれ相応の報復を致します。こうして呑気に語らっている間にもこの猛毒により息付くことなど許されぬ状況にいたでしょう。その点においてはモモコ様は幸運な御方ですわね」


 艶然と笑うカレンとその口から放たれた事実に蒼白になる。ということは、一つでも判断を間違っていたら私はミラリナに食べられることは免れても、役目を全うすることもなくここで────。

 紙一重で回避した危機。そして今まさにその相手によって捕まえられている現状。震える体をどうすることもできず、カレンの掌の上で縮こまるしかない。


「そんなに怯えられなくとも大丈夫ですよ? 前任の方のようにモモコ様を血祭りに上げる機会はなくなってしまいましたし」

「へ? それはどういう……」

「詳しくお聞きしたいですか? いいでしょう…」

「あの……ぎゃふッ!!」


 断りを入れる暇もなく語られたのは、ある男の悪行。そしてその末路だった。

 紳士的な態度で侍女たちに近付き、徐々に信頼関係を築いていった男。その容姿や温和な性格、地位についても申し分なく、周囲に認められるべくしてその男は侍女達にも歓迎された。

 しかしそれはあくまでも表向きの話。

 男はカレンの知らぬ内にその立場を逆手にとり、この階に忍び込んでは侍女のみならず、人妻、果ては子供にまで魔の手を伸ばそうとしたという。間一髪のところで子供を保護し、ことの詳細を聞いたカレンは激怒ののちに男の身柄を拘束し、三ヶ月以上も生かさず殺さずの中でいたぶり続け、最終的には死に至らしめたそうだ。

 そうして話しているうちにカレンは過去を思い出したのか、こちらの拘束が徐々に強まり、まるで憎々しいものを握りつぶすかの如く、爪の先が深々と肌に突き刺さっていた。

 ……自分が痛みを感じないことをこれほどまで嬉しいと思ったことはない。

 けれどもそれは一刻のこと。ふと顔を和らげるとカレンは私を床に下ろし、赤い箱を差し出しながら笑みを零した。


「────ですから、モモコ様がそういった方でなくて安心いたしました。侍女の安全と生活を管理する立場として、あのような下劣な輩を再びこの階に迎え入れる訳にはいかないのですからね」


 つまりカレンはミラリナを囮にし、私を試したということなのか……。ミラリナの誘いに乗っても駄目。危害を加えても駄目。ミラリナが途中私の匂いにやられて暴走したことを除けば、カレンの目論見は成功したといっていいだろう。そういった前例があるからこそ、次の使者がどういう人物なのか確かめたくなる気持ちも解る。

 けれども試すにせよ、もう少し違う方法にして欲しかった……。


「……そうですね。そういうことは二度とあってはいけない事だと思います」

「ご理解いただけたようで嬉しいですわ。良識あるモモコ様とご一緒に働けるなど、とても喜ばしいことです」

「恐縮です……」


 言葉になんとなく含みがあるような気がして、悪寒が走ったけれど。恐れを押し込めてカレンを見た。そんなに悪い人ではないと思う。美人で礼儀正しく、まとう雰囲気はあくまでも柔らか。責任感が強く、部下思いなところもある。…………過激なところを除けばだけれど。


「あの、カレン様」

「はい。なんでしょう」

「ミラリナさんは大丈夫でしょうか。さっきから気になっていたんですけれど…」


 先程から会話の合間にもソファの上で喘いでいる姿を見てしまえば危機感は一層に煽られた。もしもこのままミラリナが正気に戻らなければ、いままさに聞き入れた男のような末路を辿る上、目の前の優しい女性が残虐な執行人と化すことにも繋がる。

 そしてこの匂いがその執行人本人にも影響がでないとも限らない。


「それにカレン様は、私の匂いを嗅いでも平気なのですか?」

「……うふふ。それならば大丈夫ですわ。私の自制心は侍女達の中でも一番強いのです。ミラリナについては私が直に回復させますわ」

「そうですか。良かった……」

「────でもこのまま貴方にここに居られたら、流石にどうなるかわかりませんね。貴方の匂いは我らがもっとも好物とするリンシャの花蜜の匂いのようでいて、ミラリナの言うとおりとても心惹かれる香りなのは確かですから」


 うっふりと笑うカレンの姿を見て慌てて礼を取る。もう先程のような状況は御免被りたい。一刻も早くこの場から立ち去らないと本気でヤバイ。

 だってこの人顔は笑っているけれど、眼は全然笑っていない。

 何故かは解らない。けれど謝らなくちゃいけない気がしておもいきり頭を下げる。


「も、申し訳ございません」

「あら。謝る必要などありませんのよ? このとっても忙しい時期に雇われた貴方が、陛下にとっても私にとっても有益な人材であることは確かなのでしょう。一人の侍女が昏倒したとて忙しさにさして変わりの無いこと。ですから私が不満を申し上げることなど一つもありませんのよ」

「……い、いえ。それでもお手数をお掛けした上に、ミラリナさんをこんな状態にしてしまい、本当に申し訳ございませんでした!」

「うふふ。いやだわモモコ様ったら、先程から同じことばかり仰ってますわ」


 彼女の言葉に暴言や嘲りのような響きは一切ない。けれど真綿でぎりぎりと首元を締められるというのはこういうことをいうのだろうと、私はこの時身を持って悟ったのだった。



 先程の精神攻撃をなんとか流し込み、次は厨房に向かうべくエレベーターの円柱を回す。

 たしか地上五階だったか。そうして押し込みながら、先程のカレンの言葉を反芻する。私が来てからのあの場にいた人々の怯えよう、そして恐怖心はすべて前任の行動の結果であったこと。いわば完全なるとばっちりの上にあのような出来事があった訳である。

 試されたことについては気分は悪いけれど、流石にカレンやその他の人までは嫌うことはできなかった。

 事実カレンに見送られた際、小さな子供が遠くからはにかみながら手を振ってくれたのを見れば、嬉しくないはずがない。周囲にとりあえずは安全と判断された証拠なのだろうし。

 かなりの精神的ダメージを受けたけれども、それを考えれば先程のことも……、多少は複雑だけれども結果的にはよかったんじゃないかと思う。


「異様に疲れたけど……」

 

 小間使いになって、ネブラスカの元で指導されたとはいえ、解ったのはその城で働けるだけの一般知識と技術だけ。そこに住む人間たちの背景までは教えられなかった。せめて事情だけでも教えて貰っていたらこういう事態も起きなかったかもしれないと思いつつも、いまとなってはどうしようもない。

 これからこの城で働きながら徐々に覚えて行くしかないのだろうと結論つけて、一時的にそれについて考えるのは止めておいた。

 一度に二個以上考えると余計に混乱する私の頭では、知識吸収しつつ、周囲の状況を把握するという芸当なんてまだ出来るわけないし。

 それにいま考えるべき第一は女王のお使い。それだけだ。

 あとはシャンパンとチーズを持って帰るだけ。

 厨房に行って女王の元に帰るだけ。

 ……けれど正直なところ、この場から動くのがもの凄く億劫で仕方なかった。

 

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