2-7:はじめてのお使い
※ちょっとGL的な描写あります。
エレベーターに飛び乗り、円柱を四回程回して押し込む。目的地は地下四階。右から五番目の部屋にあるらしい侍女用控え室である。荷物を預かっている件の侍女頭はカレンという方らしい。
顔が解らないけれど、名前を覚えておけば大丈夫だろう。目的地に寄って呼べばいいだけだし。うん。意外に簡単だったかもしれない。
書類を持っているので体がいまいち安定しないけれど、上昇速度に体が揺らされないように手すりに固定する。
暫くしてガコンと階層に固定される音がして前を見れば、内部にあるインジゲーターには四階と示されていた。目的地についたことを確認し、蛇腹扉を押しのけて廊下に飛び降りる。
女王がいた石碑の間とは違い、この階層はどうも居住区のような感じらしい。内装は基本暖色でまとめられており、壁紙がなんと小花柄。いままで寒色で堅苦しい様式ばかりだったから少し物珍しくも見える。
っと、呆気に取られている場合じゃない。とりあえず右から五番目の部屋を探そうと周囲を見渡して────面倒なことに気がつく。
右・中央・左。この階層は道が三つに分かれており、その端々に部屋が配置されている。単純に考えて右・中央・左と歩きまわって右五番目の扉を叩けばいいということは解る。けれども……。
「なにこれ……」
何故かその通路の天井にも扉があるのだ。まるで蜂の巣のような六角形の扉の中から二枚羽の生えた亜人が書類を持って行き交っている。なかには子どもの姿もあり、こちらを見ては小さな声で何事かこそこそと喋り合っていた。
「あの、すみま……」
しかも話しかけた途端、さっと身を翻して隠れてしまう。どういうことなのかさっぱりわからない。けれどもその場で愚図愚図しているわけにもいかず、ひとまず順序通りに右側の通路から向うことにした。
右から五番目の扉に向かい数回ノックをし、中の住人の返事を待つ。しかし部屋の中から入室の許可は降りない。それから中央、左の通路の五番目の部屋にも向かったけれど、人の気配は無い。いや、本当は左と中央の通路側に気配はあったけれど居留守を使われていた。よっぽど会いたくない理由でもあるのだろうか。
普通だったら気分が悪いで済む話なのだけれど、扉の内側から押し殺したような声を聞いてしまうと、こちらの方が悪いことをしているような気持ちになってくる。実際歩く度に住人はこちらを避けるようにして円を書いたように遠巻きにされていた。違和感はより強くなるし、初対面でそういう態度を取られれば結構傷付く……。
けれど女王の任を果たさなくてはそれこそ落ち込む暇など与えられずに胃の中に押し込められるだろう。
そうした最悪の事態を考えれば、今の状況は流せる程度のもの。……だと思いたい。
気持ちに折り合いを付け、とりあえず眼に付いた人を適当に捕まえることにした。飛び交っている人の中でも、こちらに注意を向けていない女性の前に手を伸ばしストップを掛ける。
「ひっ!!」
「っと。お仕事中のところ申し訳ありません。女王陛下の使いの者ですが、侍女頭のカレン様は何処にいらっしゃいますか?」
「か、カレン様ですか?」
「はい。陛下から書類をお渡しするように仰せ使っているのですが」
「す、すみません。い、いますぐお呼び立てしますので…!」
そうしてそそくさと飛び立ってしまう。しかもかなりこちらを警戒しながら、通路の一番奥に入り中の人物に何事かを伝えるとさっと身を隠してしまった。
「……うーん?」
けれど程なくしてその扉の奥から現れた人物を見てそんな疑問は一瞬吹き飛んだ。
アズラミカとは違ったタイプの苛烈な印象を持つ美女。真っ赤な髪をきつく結い上げ、首元まで肌を隠すように長い黒のドレスに身を包んだ女性は、何故かその場に跪きこちらに向かって茶色の眼を釣り上げた。六角形の編み模様の付いた不思議な瞳、そして蜉蝣のような薄い二枚羽がふわりと揺れて床に付く。
妖精、というよりも昆虫系の亜人なのだろうか。この世界には色々な種族がいるんだなと思わず見入ってしまう。
「……貴方が新たな使者様、でございますの?」
「あ、はい! はじめまして。女王陛下付き小間使いのモモコと申します」
しっかりと礼を取り半歩下がる。すると女性は鋭い目元をやや困惑気味に寄せてしまった。何かおかしいことでもあるのかと体を傾げると、女性は何度かの瞬きの後に優雅な仕草で礼を取った。
「初めまして。ここの侍女達を取り締まるカレンと申します」
そうして柔らかな笑みを浮かべる姿は、侍女というよりまるで貴婦人のようにも見える。というかアズラミカといいカレンといい、この城の美女率高すぎじゃないだろうか。
石碑の間での侍女達はよく見ていないから解らないけれど、カレンの背後に付き添っている侍女も相当の美人だ。女の私ですら見ている分には眼福と思うほどレベルが高い女性二人。そうして思わず呆けそうになった意識を振り落とし、役目を思い出して慌てて書類を掲げた。
「女王陛下から書類をお預かりしております。どうぞご確認下さい」
カレンは書類にさらりと目を通すと、僅かに寄せていた眉をようやく解いてくれた。
「確かに。お預かりいたしますわ」
「はい。それと折り返し荷を預かってくるようにとも申し付けられております」
「畏まりました。あの、使者様?」
「あ、モモコで結構です。まだ研修中の身ですし、カレン様よりは確実に下の地位ですので…」
様とか付けられるとなんだか居心地が悪い。体がむず痒くなるというか。それに上下関係とか把握しておかないと、女王やネブラスカの時と同様に後々面倒なことになりそうだし。するとカレンはますます困ったように眉を寄せて口元に手をやった。
「…………ミラリナ」
「はい、カレン様」
「モモコ様にお茶の用意を。くれぐれも丁重にお持て成しするのですよ」
「はい」
側に控えていたミラリナという女性はこちらに向き直り、カレンよりは幾分無駄のない動きで恭しく礼をとった。
「では使者様。こちらへどうぞ」
「へ? あのでもカレン様はどちらへ?」
「お気になさらず。主が荷を取りに戻られる間、ミラリナがお相手致しますので」
「はあ…」
すぐに荷物を持って帰れると思ったのにどういう事だろう。とりあえず荷を預かるまでは大人しくしていた方がいいだろう。そうしてミラリナに促されるままに小さな室に入り込んだ。
「いまお茶をご用意いたしますので」
「いえ、お構いなく……」
促された先はアメリカンカントリー調の部屋だった。蜜色の光沢を持つ柔らかい印象の木のテーブルに赤チェックのクッションの敷かれたクリーム色のソファ。白い食器棚には季節の風景を写した絵皿が並べ立てられている。カーテンも壁紙も小花柄に加え要所要所にふんだんにレースをあしらい、天井に取り付けられているシェードランプにいたっては飴色でチューリップのような花の形を模している。どこまでも徹底されたそのファンシーさにおもわず唸る。
「使者様。何か気がかりなことでも?」
怪訝な目を向けられて慌てて居住まいを正す。興奮しすぎて思わずじろじろ見てしまった。ちょっと恥ずかしいと感じながらもまだ不審そうな目を向けるミラリナに必死で説明する。
「いえ。あの、部屋がとても可愛らしくて素敵だなあと思いまして」
「お気に召していただけたのなら幸いです。ですが使者様にはこれ以上にもなる特別室が設けられているのでは?」
「え? 部屋なんて与えられていませんけど……」
小間使いとはいえ、その業務内容を考えれば正直個室に戻るよりも、女王と一緒に仲良く石碑の間に押し込まれる確率の方が高い気がする。女王の美容に関する項目に限らず、こういった細々とした仕事。水さえあればそれこそ丸一日フルで動けるのを実証されているのだ。流石に眠る場所くらいは欲しいけれど……。
「使者様はそういった待遇にご不満を抱かれないのですか?」
ミラリナはポットとティーカップを用意しながら静かに問う。ポットの下に本で見たことのある温石盤を敷いて水を温めているのを見ながら私は少し考えた。
「不満、と思うことはありますけど。とりあえずいまは雇ってもらえただけで感謝していますね。それにこれ以上何かを望んだら、罰があたりそうな気もします」
……実際色々望んだ結果がこの姿だしな。そうしてため息を付くと不意に体に影が差した。不思議に思ってミラリナの方を仰ぎ見ると、こちらに花柄のティーカップを差し出している。礼を言って受け取るとティーカップからはほんのりと湯気が立ち込め、蜜のような甘い香りが漂った。
「使者様は謙虚な方なのですね」
「……あはは。どうでしょうか。ただ臆病なだけだと思いますけどね」
「それでも、苦境の中でそう思えることは素晴らしいと思います」
「そうでしょうか……?」
「ええ、少なくとも私はそう思います」
けれど苦境っていっても、外に居た時よりはこの城に居る方が安全だと思っている。住人にも魔物にも襲われないし、不用意に食われる心配も女王のお陰で今のところはない。
まあいろんな事があったせいで、私の感覚が麻痺しているというものあるんだろうけれど。
「使者様が思っていた以上に心根の優しい方で良うございました」
「……え、いや。それは買いかぶり過ぎだと思いますよ?」
「いいえ。使者様の前任にあたる方は先に勤めていた先輩方にそれは非道なことをなさったと、カレン様から聞き及んでおりましたので、私ったらてっきり使者様のこともそういう方だと思い込んでいたのです。……お恥ずかしい限りですわ」
そういってこちらに頭を下げるミラリナに慌てて頭を振った。
「そういう事情があったなら警戒されるもの仕方がない事だと思います。けれど、その前任って一体どのような方だったのですか?」
自分の前にも小間使いがいたのだろうか。けれどそういう存在がいたという情報はネブラスカから聞かされていない。
「私は当事者ではありませんのでよく知らされておりませんが、女性に対して屈辱的かつ非道なことをなさる御方だった、と聞き及んでおります」
「……そ、れはまた……」
どう返答していいのか正直迷うところだった。非道にも口頭から行動と段階はあるし、実際の人と成りを知らないとその人物に対しての評価は下せない。そんな不明瞭な人物と比較されても嬉しいよりは困惑の方が勝ってしまうわけで……。
けれどミラリナは更に楽しそうな笑みを浮かべながらこちらにずいと体を近づけた。
「やはりお優しい方ですね。使者様、御用向の際は私にお言いつけくださいませ。私、いつでも歓迎しております」
「……? あの、ミラリナ様?」
「あら、私に敬称などいりません。どうぞミラリナとお呼び捨てください」
その場に合わせただけの言葉に、何故そんなにも厚意を示してくれるんだろう。混乱しているこちらにも構わずミラリナは更にずいと体を寄せた。体のラインにフィットした清廉な印象の黒のエプロンドレス。けれどその綺麗なおみ足が、黒の大柄レースを大胆に使ったシースルータイツに覆われているのを見てぎょっとする。
「使者様」
「あの、み、ミラリナ……さん。私の認識が間違っている方が非常に嬉しいんですけど、……もしかしてこれは接待、いや…迫られていますか?」
「あら、野暮な御方ですのね。……そうだと申し上げたら、貴方はどうなさるお積りですの?」
艶やかなピンク色の唇をすぐ側にまで寄せられてびびっと体に電流が走る。というかどうするもこうするもそういう趣味自体ないです……。でもなんで迫られてるのかな。私の体はスライムでどう考えてもその、そういう対象と見ては取れないと思うのだけれど。それとももしかして性別が解っていないのだろうか。
「あの、ミラリナさん! 私はですね…!」
「はい?」
蕩けるような甘い笑みがこちらに向けられて、間近に茶色の瞳が迫る。ぴとりと肌に添えられた柔らかな手の感触とこれ以上も無い羞恥に体が熱くなり、慌てて身を引いた。それにも構わずミラリナは間合いを詰め、まるで獲物を狙う鷹──いや、女豹のような瞳を向けてくる。たとえ同性とはいえ、美人にそんな視線を向けられれば体は勝手にぽっぽと熱くなった。いやでも状況に流されはいけない。
本気で女性とホニャララな関係になるつもりはない……!
「使者様……」
「み、ミラリナさん。よく聞いてください。私は男じゃなくてですね。あなたと同性、身体的…にはどうか解りませんが、精神的には女性なのですが!」
「左様でございますか。私も同性と愛を語り合う趣味はありません」
「へ?」
「────けれど使者様はそれを覆す程にとても魅力的な香りが致します。まるで心の底から愛されているような……私が生きていて感じたことも無いような不思議な感覚です。ああ、この香りに抱かれて眠れたらどんなに幸せなことでしょう…」
うっとりとした視線を向けられて、こっちがどうしましょうと慌てた。というか香り……って何。そんな匂い何処からもしないのに。そうして考えているうちにもミラリナの顔は近づき、私の体に再度触れる。そしていい匂い、たまらない、愛されていることを実感出来ると連呼するのだ。
まるで酩酊したようなその動き、そして口元から滴り落ちる透明な体液。どこかで見たことのあるその状態に違和感を覚える。火照った頬と潤む瞳、そして一切こちらの意思など聞くつもりも無い様相。
そうだ。まるで集落で襲われたときのような────……あれ。これってもしかして。
「ミラリナさん、正気に戻ってください! これは私の、いやピーチスライムの特性というかですね。単なる錯覚のようなもので……」
「ああ、使者様。私にその体を一口だけ含ませてください。貴方の幸福の一部を私にお与えください。そうしてくださったのなら私は貴方の下でどんなことでもいたしましょう」
「む、無理ですよ!! そういうこと簡単に口にしたら駄目ですよ! ……ってちょっと!!!」
ミラリナはティーセットに添えてあったスプーンをおもむろに取り上げると、こちら目掛けて振り下ろす。それを咄嗟に手で弾き避けながら、改めて彼女から間合いをとった。
「私からの愛です。使者様」
「お、お気持ちだけ受け取っておきます!」
「いいえ。貴方の下さる愛の為に、私は身も心もさらけ出しましょう」
「厳重に鍵を掛けて大事にしまっておいてくださいッ!!」
食われる愛だなんてどんな狂愛だ。そんな愛じゃなくて、私が欲しいのはもっとこうときめく感じのもので、どう考えてもこんな食欲混じりのものではない。けれど目の前にいる人が今更そんなことを聞くはずもない。じりじりと両手にスプーンを掲げ、かち鳴らしながら近づいてくるのを見て、必死で考える。
れ、冷静に考えよう。まったく体を傷つけない方法で、相手の自由を奪うには────。
「使者様ぁ…」
「ってこんな状況で思いつくわけねええ!!! ミラリナさん! 本当にごめんなさい!!!」
彼女から逃げるために上部にあるシェードランプに目掛けて手を伸ばす。反動を活かして彼女から触られない位置に飛び乗ろうとした時、ミラリナの二枚羽が高速で動き体を宙に浮かせた。
「げっ!!」
「もっと、もっと愛してください使者様」
腕が絡みつき体に指が突き刺される。恐怖に駆られている暇も無く、迫り来るミラリナの顔から逃れる為に手当たりしだいに手を伸ばす。けれどミラリナの力は強く、私の手をつまみ上げて楽しげに笑う。
────いや。まだだ。こんなところであっさり食われてたまるか!!
そうして体を反転させようと何か引っかかるものに手を入れた瞬間。
「……ふっ……んぅっ!!」
ミラリナは硬直したようにピンと体を反り返らせ、暫くすると体をくねらせながら私ごと床に突っ伏した。