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2-5:新人と指導教官と4

「……何をしているのだ。アズラミカ」

 

 ネブラスカは鋭い目元を釣り上げられるだけ釣り上げると、無言で自分の乱れた衣服を確認し、心底嫌そうな顔をした。そしてまるで汚らしいものでもつまみ上げるかの如く、アズラミカのルージュのべったり付いたYシャツを床の下へ放り投げる。


「勝手に脱がすなと何度言えば…。いやいい、お前の勤務時間にここにきたこと事態が間違いだったのだしな」

「ね~。ネブラスカ様ぁ~」

「なんだ」

「あは~。モコモコちゃんが動かなくなっちゃって~」


 動かないんじゃなくて動けないんだっつうの…。

 散々に弄ばれた体はちょっと触れられるだけでも笑いのスイッチが入り、口を開くだけで奇声が発せられるようになっていた。

 それを出さない為に必死で口を噤んでいるというのに、アズラミカはなおもプニプニと体を揉むものだから溜まらない。


「モコモコちゃん~?怒っちゃった~」

「…………」

「どうしたのだ下等生物。嫌なら自分の意志で拒否するのだ。そのように黙ったままではその女にいいように解釈されて、更に酷い目に合わされるぞ」

 

 ネブラスカは乱れた衣服を直しながら言う。とはいえシャツは着ていないので裸に燕尾服という珍妙な格好だ。その至極あっさりとした対応を見て初めて、ネブラスカを大人だと感じると同時に、やる瀬無い気持ちが心に沸き上がる。

 恩着せがましいことを言うつもりはない。しかしこの状況に何か反応があって然るべきではないのか。いや、そう思うこと事態が間違っているのか。

 というか私が体を張る必要もなかったのでは? そう思い至った途端、虚脱感に体が重くなっていった。

 ……弄りに耐えたこの時間は一体なんだったんだろうか……。

 けれどそれ以上考えることを止め、アズラミカの手からのろのろと起き上がると体を跳ねさせて、地面に着地した。

 その瞬間、言い様の無い感じが体に響く。

 ぎゃあああ、ものすっごくムズムズする………!!

 そうして悶絶して間もアズラミカは私の頭を撫でさすりくすくすと笑うのだ。そのさすり具合がまた性質が悪い。


「うふふ~。また遊ぼうね~モコモコちゃん~」

「……桃子です。折角のお誘いですがご厚意だけ受け取って固く辞退させていただきます」

「え~。なあにそれ~可愛くな~い~」


可愛くなくて結構です。というかもう体から手を放してください。


「おい、治ったのならさっさといくぞ。それでなくとも時間がないのだからな」

「…だそうですので、私はこれでお暇させていただきます。先生には大変お世話になりました。先生の益々のご活躍とご健勝を、遥か遠く草場の影からお祈り申し上げます」

「いや~! 近くでちゃんとじっと見て~。モコモコちゃん~行かないで~」


 ネブラスカに促されたのをいいことに、アズラミカの静止を降りきって医療施設を後にした。

 あの場から逃げ出せて助かったとは思ったものの、その間通路で私もネブラスカも始終無言。

 書斎へ戻るべく通路を歩いているのだけれど、その足取りは重い。体を治しに行ったはずなのに、何故か残ったのは疲労のみとはおかしい気もする。


「しかし…相当の節操なしだとは思っていたが、今回ばかりは呆れてものが言えん。まさか私のみならずお前のような下等生物にまであのように破廉恥な行為を強いるとは…」

「……破廉恥って」


 それは流石に言い過ぎじゃないだろうか。それに自分の体はスライムだし、そんなような危険はないだろう。アズラミカが私を弄るのは、小動物を誂うのと同レベルの感覚なのだろうというのは、その言動からも伺える。

 ……ただアズラミカがネブラスカに向ける行動と目線の意味は、ちょっと解るような解りたくないような。なんとなく踏み込んだらいけないような雰囲気がそこにあったのは確かだ。 


「破廉恥以外なんと言うのだ。…ああ、変態か。あれは変態と言う方が的確だな」

「女性に向かって変態というのはどうかと…」

「私とて言いたくはない。言いたくはないが、そう言わねばならん理由があるのだ。私があの女に襲われたのはこれで通算五百回目なのだぞ。勿論必死に抵抗してきたがな。あの女が一度気に入ったものはとことん弄繰り回し、嬲り倒さないと気が済まない変態だと気が付いてからは、無事に嵐が通り過ぎることだけを考えるようになった程だ」

「た、大変だったんですねー……」


 それって悟り開いたってことですか。いやだな嵐が通り過ぎるだなんて表現。男だったらあんな美人に襲われて喜ばない人がいるわけ…。

 ───いや、実際被害を被るとわからないものですよね。アズラミカのあの指さばきを思い出し、身震いするしかない。


「お前も気に入られたようだぞ。よかったな。アッハッハ」

「明らかに乾いた笑いで言われても…。私だってできれば撫で繰り回されるのは勘弁して欲しいくらいなんですから…」

「あの変態が飽きるまでは当分無理だぞ。触られたくないのならば、奴を見掛けたら身を潜めて何処かに隠れるか、全力で逃げた方がいいだろうな」

「…う。…そうします」


 女王の触り方はまだなんとか我慢できたけど、アズラミカの触り方はなんとも妙な気持ちになるから複雑だ。あれがなければ是非ともお友達になりたいけれど。


「他にも攻撃をしかけて昏倒させるという手もあるにはあるが、次に遭遇した際もっと手酷い状況に落とされるからな。あまりお薦めはできん」


 ネブラスカは何故か明後日の方向を見ながら、深い溜息を付く。

 こちらはもうあんまりな助言に返す言葉もない。アズラミカは熊やらと同等レベルのそれなのか…。

 …やっぱり今後の接触はなるべく避けよう。しっかり健康に気を使って、医療施設にお世話にならないようにしなくちゃいけないと心に誓う。

 なんとも微妙な空気を取り去ることもできず、再びぺたぺた歩くネブラスカに付いていくしか出来なかった。


「あ。そういえば…ネブラスカさん」

「なんだ下等生物」

「…アズ先生に様付けで呼ばれてましたけど、ネブラスカさんって、もしかして偉い人なんですか?」


 我ながらこの聞き方はどうかとも思ったけれど、気になったのだから仕方がない。この二日。何故か不自然な程に人に出会わなかったから解らなかったけれど、よくよく考えれば不思議なことだったのだ。ネブラスカの立場がいまいち不明瞭だということ。

 女王には警備担当としか教えられなかったけれど、そんな人がどうして私の指導教官になったのだろう。


「お前はどう思うのだ?」

「え? 私、ですか」

 

 こちらに向けられるネブラスカの目は意外にも真剣なものだった。探るような目線を向けられて少し戸惑ったけれど、ちゃんと考えてみる。

 女王がこの城の最高位にいるとして、ネブラスカはその下。警備担当という意味を含めると部下を纏める上司の立場にあり、その警備担当者よりも医療施設に勤務する医師は下の位置。

 簡易的に地位を位置づけるなら、女王>ネブラスカ>アズラミカ>私、ということになる。

 そして警備の仕事は女王の身、ひいては城の安全を守る立場。

 その人が私に付くということ。…ええと、つまりそれは。


「ええと。ネブラスカさん…いえ、…ネブラスカ様は、もしかして…私の指導だけでなく、行動を監視をするためにここに居るのでしょうか…?」


 こんな答えでいいのだろうか。小学生でももっとマシなことを答えが出せるだろうにと、ちょっとだけ視線を落としながらそう伝えると、ネブラスカはその黒い手で私の顔を掬い上げ、無理やり視線を合わさせた。 

 

「概ね正解だ。そして更に付け加えるならば、この城全体の警備に携わる私の監視を抜け出したお前は、私にとっての唯一の汚点であり抹消したいと思える存在だ」

「うぐ……」


 改めて解らされてしまうと結構キツイ。女王の時といい、己の至らなさにかなり呆れる。

 惨めさに自然と俯き加減になる顔を、ネブラスカはなおも引き上げた。


「この程度のことに打ちのめされるのではない。事実に己で気が付いた、という点においてある意味でお前は下等生物として進化の階を登ったことにもなるのだろうが」

「そうでしょうか…」

 

 実際ネブラスカに言われなければ考えもつかなかったはずだけど…。

 

「促されて気付いただけでも幾分マシだろう。ここにはもっと身勝手な者も居ることだしな…。この二日接してきたが、お前に害意は感じられなかったし、私はもうお前を害するという無駄な行為はしない。そしてアズラミカは例外中の例外だから除外するとしてもだ。………この城の者らはまた違う考えた方をするだろうな」

「え……」

「この城の地下通路に容易く入り込んだばかりか、数々の罠及び監視の目すら潜り抜けて、陛下の御わす石碑の間に到達した。本来ならば犯罪者として捕らえられるべき存在を、陛下の温情によって地位を与えられ生きながらえているのだ。───そんな明らかに不当な存在を、お前は信用できるか?」 


 ……うう。それを言われると立つ瀬が無い。

 熊五郎のあの特殊能力であの場まで移動できたなんて言い訳、今更言っても信じてもらえそうにも無い。それに熊五郎がいない今ではどうやって移動したか証明もできない。 

 反論も出来ずに肯定に体を振ると、ネブラスカは少しだけ険しい顔を納めて頷いた。

 

「私ですらそう感じるのだ。この三日を乗り越え陛下の元に侍ったとしても存在を無視されるか、もしくは陛下に取り入りたい者らの餌食ともなり得るだろう。……そういう輩に利用されないが為にも、常に己で考え最善を尽くす努力を怠るのではないぞ」

「………はい」


 なにか根本的なことからダメ出しされて、かなり凹んだ。けれどネブラスカの言葉を聞いて、なんとなく心配されているのが解って素直に頷く。そうか、女王の側にいるってことは立場を利用されるってこともあるのか。

 この世界に来てから住人にされてきたことを忘れたわけじゃないけれど、居場所ができたと思って少し浮かれていたのかもしれない。


「まあ正式に取立てられれば、そんな暇も与えられんだろうが…」

 

 呟かれた言葉をぼんやりと聞きながら、教えられた事を振り返る。

 たしかに仕事内容は結構ハードだった。女王の爪一つを磨くにしても、私の手では半日以上も掛かってしまうかもしれないし、手順は覚えたけれど実践するとなるとかなりの手間取ってしまうだろう。元々そんなに器用でもないし…。

 ……駄目だ。ネガティブな考えはもうやめよう。どうやったら自分でも上手く出来るかを考える方がまだ実りが在る気がする。

 そうして凹んだ気持ちを無理やり押し込めていると、ネブラスカは突然立ち止まり自らの頬をピシャリと叩いた。


「……先程からどうも気が鈍っていかん。これが……の影響なのか?」

「はい?」


 小さな声を聞き取れずに体を伸ばすと、ネブラスカは何故かこちらをじっと見つめてきた。その目はなんとなく潤んでいるようにも見えたけど、多分見間違いだろう。その証拠に眉間には紙が挟めそうなほどの縦皺が寄っている。


「ふん。こんなものは気の迷いだ!! 私はトロテッカに産まれ落ちた頃より陛下一筋なのだからな!!」

「は? ああ、はい。そうですね?」


 突然吠えたネブラスカにビビりながらも賛同すると、何故かほっとしたように胸に手を当てる。……な、なんなんだ一体…ワケが分からん。


「ならばいいのだ! 書斎に戻るついでに厨房への道順も教えておくぞ」

「厨房、ですか?」

「まさかもう忘れたのではあるまい。陛下がお気に召されいる酒のことを話しただろうが」

「あ。確かノンブレル産のティッカト-レってお酒です、よね?」

 

 ちょっと前に読んだから覚えている。たしか南領から輸入されたものだと講義を受けたのを思い出して答えると、ネブラスカは歪んだタイを直しながら頷いた。


「おそらくそれを取り行くように言われるだろうからな。覚えておくことに越したことはない。それと最近はシャンパンという発泡性の酒がお好みらしいのだ。この領土で尊ばれる蒼色ではないのは嘆かわしいことだが…」

「へえ。どこからのものなのですか?」

「魔王領からだ。珍しいものは大抵あそこから供給されている。これから先にも新しいものが入荷されるだろう。陛下が召された銘柄はしっかりと把握おくのだぞ」

「はい」


 それにしても魔王領とは一体どんなところなのだろう。ネブラスカの話を聞いているうちに、なんだか解らないけれど微妙に何かが引っかかって、頭が晴れなかった。けれどそれがなんなのかが分からない。こう魚の小骨がのど元に刺さって取れないような、そんなもやもや感。


「………うーん?」 

「何を唸っているのだ。さっさと行くぞ」

「あ、はい!」


 疑問を解消できないままに、ネブラスカの後に付いて行き、厨房への行き方を教えてもらう。幸いにして地下通路のように複雑な順路ではなかったけれど、途中にあったそれに出会って面食らった。


「地上にある厨房に行くまではこの昇降機を使う。中にあるこの円柱を五回右に回して押しこめば厨房へ。陛下の居る石碑の間は地下十五階だから左に十五回だ。間違えないようにするのだぞ。今日はもう時間がないので拝謁することは出来ないが…」


 あちらの世界にある物と酷似したそれ。金属製のエレベーターがそこに存在していた。とはいえ現代にあるような洗練されたものではなく、少々古臭い感じは否めない。

 レトロな雰囲気の蛇腹式の扉と、一面に貼られた蒼い壁紙。階層を示すインジゲーターの部分にはあの地下通路で見たものと同じ、目の形のした意匠が施されておりこちらを見下ろしている。

 ────また目だ。一体この目になんの意味があるんだろう。


「ネブラスカ様。あの、これって…」

「ああ、陛下。早くお会いしたい…。三日といわず、今からでも変態に穢された心と体を洗い流してもらいたい。…ああ、陛下陛下陛下陛下陛下陛下陛下…」


 ………駄目だ。まったく聞いてない。

 仕方なく質問するのは取りやめ、暫くそれを眺めてみることにした。

 楕円をかいた目の中心には瞳孔まで丁寧に彫りこまれており、いまにも瞬きをしそうである。けれど目が動くことない。あたりまえだ。それは金属の固まりであるのだから。

 手を伸ばして触れてみても、仕掛けがあるわけでもないし、何かが動くような音もない。やっぱり考えすぎなのかもしれない。この城ではありふれた形なのかもしれないし…。

 程なくして正気に戻ったのか、ネブラスカは呆けたように空いていた口元をパクンと閉じると、さっとそのエレベーターから踵を返してしまった。


「って、あれ? 乗らないんですか?」

「今は厨房に寄っている時間はない。書斎へ向かうのだ」


 本当に立ち寄っただけなのか…。足早に歩いていくネブラスカに遅れないように体を動かしながら、必死についていく。

 ────だから私はその時気がつかなかった。

 あの目がギョロリと蠢き、じっとこちらを見ていたことに。


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