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2-3:新人と指導教官と2


 そうしてネブラスカに促された先は小さな書斎だった。

 天井高くまで設計され、壁一面に取り付けられたチャコールグレイの本棚。落ち着いた蒼色のカーテンに、白地に蒼の紋章のついたタペストリ。この城のシンボルのようなものなのだろうか。見ればどこもかしこも蒼で統一されている。

 部屋の中心には子供の背くらいの本棚が5つほど、等間隔に設置されており、棚には大小様々な本が一部の隙間なく敷き詰められている。まるでこの書斎の持ち主の几帳面さを示しているかのようだった。

 物珍しさに一番下の段にある背表紙覗き込むと、あの地下通路で見たものとは別の文字が記されている。


「………って、ええ!?」


 地下通路にあった文字とは違うからだろうか、不思議なことに今まで読めなかった文字が読めていた。けれどその見え方が普通じゃない。魔界の文字の横、そこにルビを振られたかのように、ひらがなが青白く点滅しているのだ。

 一瞬目がおかしくなったのかと擦る。けれど何度擦っても、頬を抓ってもルビは消えないままだ。

 まるで3D眼鏡をかけているような、その文字の浮き上がりの不自然さ。体だけでなく目までもおかしくなってしまったのかと気味の悪さが走る。


「ぼうっとしていないでさっさとこちらに来るのだ、下等生物」

「………あのー。ネブラスカさん。……ここにルビ振ってあるの見えますかね?」

「るび? なんなのだそれは?」

「あ。………えーと。その単語の訳というか、読み方というか…」

「はあ…? そのようなものあるわけがないだろうが。お前陛下に謁見する前に、一度精密検査をした方がいいのではないか?」


 そうまで言われてしまえばこちらも黙るしか無い。ネブラスカには見えていない。けれど確かめるように手で触れると、文字は消えることなく私の体をすり抜ける。

 そうして本の題名を読むと『正しい女性との付き合い方・初級編』『出来る! モテる! 男の着こなし術』『3000人が泣いた! 美女と魔獣の結婚』というものが書かれていた。

 その文字を理解した途端、気味の悪さが一気に霧散し、なんともいえない脱力感が襲う。

 ……どうやらこの部屋の持ち主は相当女性に苦労しているらしい。


「あのう、この部屋の持ち主って…」

「私だが? ────は!? 私の愛読書に勝手に触れるのではない!」


 アンタなのかよ!! 愛読書という響きになんとも言えない気持ちになり、思わず視線を本から外す。というかこちらの世界にもあるのか、ハウツー的なものや娯楽小説が…。

 ネブラスカはぶつくさいいながらも、一番背の高い本棚から数冊抜き取ると、窓辺の近くにある丸テーブルの側に座った。手招きされて近づくと木で出来た小さなベンチを示され、そこに跳ね上がる。


「まずは基礎を学ばねばならん。この魔界の総称くらいは流石に知っているだろうが…」

 

 前提で話されて一瞬固まる。でも、知ったかぶりはもっと危険だ。そう思って否定するために体を横に揺すると、ネブラスカにもの凄く不憫な物を見るような目を向けられた。


「…………す、すみません」

「………言葉を解せるだけましと思うことにする」


 流石に居心地が悪くなり頭を下げると、ネブラスカは無言でページを捲り本の最初まで戻し、ある物をこちらに示した。覗き込むとそこには、蝙蝠の翼の形をした図形が描き記されている。


「まずはこの世界の総称からだな。この魔界の名はトロテッカという」

「………トロ鉄火」

 

 なんとなくあちらの世界の丼ものを思い出し、慌てて思考を消し去る。幸いにもネブラスカはこちらの様子も気がつかず、更に紙面に手を滑らせた。


「この城、カルフォビナは東翼大陸の最北端に当たる。我が城の女王サフィーア陛下が各種族を統括し、この都から上半分、ディルトス領前までを納めている」


 次のページを捲り、かなり詳細に書き込まれた領土図にネブラスカが手を滑らせると、本の上に立体映像のようなものが表示された。

 目の前に浮き出た、おそらくこの城の模型。それは北欧にあるようなゴシック様式の城だった。それがくるくると回転して全景を映し出す。

 3Dのような技術がこの世界にもあるのだろうか。けれどよく見れば、映像の中で鳥が飛び交い、城の周りを埋める水がさらさらと音を立てて下流へ流れ落ちている。まるで実際そこに在るかのような立体映像に感激して手を伸ばすと、それが一気に拡大されて目の前に飛び込んできた。拡大された城の中にはそこで働く住人たちが映り込み、こちらに向かって手を振っていた。


「うわわっ!!」

「こら。勝手に弄るのではない」


 ネブラスカが地図を示していた手を本の上で弾くと、一瞬にして映像が消え去る。本当にどんな技術なんだろう。けれど先を話そうとしてるネブラスカに気がつき、慌てて口を噤んだ。 


「陛下が統括する最北カルフォビナ、最東にディルトス、最南にガルム。現在はその3つの拠点に王を頂き、住人を管理されているのだ。各王は皆強大な力の持ち主だ。有事の際は陛下の元に来訪することもあるだろう。だが絶対に怒りを買ってはならん」

「な、なんでですか?」

「陛下は慈悲深い方だが、その他の王は皆残虐だ。不用意な言葉を発しただけで首を刎ねられる。それだけならばまだしも、その他にも被害が及ぶのだ…」


 ああはなりたくないものだな、と背を振るわせながらネブラスカは言う。女王の関しては見方が偏っているような気がしたけれど、ネブラスカすらこうなるなんて、一体どんな暴君なのだろう…。

 私は本にある二つの拠点の名前を眺めながら、あることが気になった。


「あの…」

「なんだ?」

「西には王様いないんですか?」


 北南東とくれば、もう一人居ないとバランスが悪い。ただそれだけの理由からの問いに、ネブラスカは地図の左側を手で辿ると、手を滑らせてあるものを宙に投影させた。すると程なくして西の大陸に黒い斑点のようなものが浮かび上がり、徐々に土地全体を埋め尽くしていく。左側の翼がすべて黒く染まったところでそれは止まった。


「西翼大陸は魔王領と呼ばれているな。黒く染まった部分の全てが魔王様方の直轄地であり、この場所は理も制度も東翼の大陸とはまったく違う。我ら如きが干渉出来る場所ではないのだよ」

「魔王様? ……あれ、でも各地区に王様がいますよね? 魔王様と王様ってどう違うんですか…?」

「…意外に気がつくものだな。簡単な図にするとこうなる」


 ネブラスカが次のページを捲ると、その上に三角型のピラミッドが浮かび上がった。ネブラスカが手で横に着る動作を取ると、一瞬にしてスライスされ、そこにヒエラルキー表が出来上がる。


「この頂点にいるのが魔王様だ。この魔界の政及び、維持に必要な事柄についての研究をなされている。その下に北東南の拠点王が続き、更にその下に上層階・中層階・下層階と住人が分類されているのだよ」

「階級社会…ですか…」

「能力が高ければ高いほどに上層階に当てられ、待遇も良くなる。どんな下層に置かれていたとしても、実力があれば誰でも認められる。そういう制度を魔王様がお作りになられたのだ」


 なんという実力主義社会……。少しだけ気疲れしながら図を眺めていると、住人図の裏側にも小さなヒエラルキー表が出来ていた。表題には魔獣域、とだけ書かれていた。けれど綺麗に別れた三色の層を見れば大体想像は付く。


「……あの、もしかして魔物も分類されてるんですか?」

「ああ。おおまかにではあるがな。上階に攻撃系魔獣、中階に補助系魔獣、下階には愛玩、及び食材系魔獣が割り当てられている」

「へえ…。スライムってどのあたりの位置にいるんですかね?」


 自分と同じ種が何処の辺りにいるかやっぱり気になる所。ゲームには様々なスライムもいることだし、もしかすれば…上位種かもしれない。少しだけ期待を寄せて仰ぎ見ると、ネブラスカはその質問を何故か鼻で笑った。


「さっきから言っているはずなのだが、もう忘れたのか?」

「はい?」

「下等生物」


 言われながらこちらを示されて一瞬固まる。

 …え。ということはだよ。もしかして、いやもしかしなくても…。

 ネブラスカは表をスライドさせ、一番下の部分を表示させた。するとそこには拡大された生物達が映り、各々の鳴き声を響かせながら蠢いている。

 あの湖で見た光鱗魚やタンクルル、羽の生えた豚やまだ見たことの無い生物が表示されていた。

 山で対峙したノックスのような凶悪な形態はない。どちらかといえばこの下層にいる魔物たちは可愛らしい形をしているようだ。

 そしてその下層の中、周囲にいる生物に踏み潰されそうになって存在しているそれを見ておもわず仰け反った。色は違えど今の姿にそっくりの姿形。もはや間違えようもない。


「さ、最下層…………」

「正確には魔獣域下層階下等指定生物。魔物の中でももっとも使えないとされている種がこれに該当する。お前はスライム種の中でも特別枠を与えられているピーチスライムだが、それでも食材位置に相当するのでどちらにせよこの下層の括りに入る。だから下等生物と呼んだのだ。理解できたか?」

 

 呆れ気味に言うネブラスカに何も言えず、その場に突っ伏す。縮図の中で緑色のスライムは、なんとか前に出ようともがいている。けれど周囲に押しのけられて転がされ、しぶしぶ後退を余儀なくされていた。

 ……そんな不遇なところまで同じでなくても…。

 なんとも複雑な気持ちを感じながら、ため息を付くことしかできない。


「さて、基礎についてはこの程度でいいだろう」

「え、もう終わりですか?」


 まだまだ知りたいことは一杯あるのに、ネブラスカは見ていた本を目の前でパタンと閉じてしまう。それを名残惜しげに目で追いながら、私はなんとか背表紙を記憶しようと体を伸ばす。タイトルには『下等生物でもよく分かる魔界知識・上巻』と書かれていた。……うん。なんかいろいろ複雑だけれども、もしもまた書斎に来れたなら、あの本をじっくり読んで見たかった。

 けれど振り返ったネブラスカに、石の間に居た時と同様の冷たい視線に呑まれ、慌てて居住まいを正す。


「……何を言っているのだ。これはまだ触り程度だ。お前には他にも学ぶべき項目が沢山ある。礼儀作法はもとより、陛下に対する接し方。陛下が召される食への知識。陛下が使用されている美容法や健康法。この城で従事するものとしての規則についても多少は学んでおかねばならん」

「え!? そ、そんなにですか!?」

「当たり前だろう。立場が小間使いとはいえ、陛下の側に侍るということはそういうことだ。『応えられない』では主である陛下が恥をかくのだぞ?」


 ど、どうしよう…。そんなに全部覚えられるだろうか。暗記系は特に苦手だというのに。一気に好奇心よりも不安が掻き立てられて身震いする。


「まったく…この魔界について学びたいのならば小間使いなどではなく、司書見習いとして希望を出せば良かったものを…」

「い、いまから変更というのは無理ですかね?!」

「……無理に決まっているであろうが。馬鹿かお前は…」


 言われて即座に頷くと、ネブラスカは額を抑えて天井を仰ぎ見た。

 ええ、すみません。本当に申し訳ありません。

 そうして暫く何かを考えこむようにしてネブラスカは顎に手を当て、手をパタパタと腹に打ち付ける。私はその間もじっと待ち、所在なく体を揺らしていた。

 

「……とにかくだ。陛下のお心を癒し、心証を害することないように努めるのだ。移動希望ができるまで精々頑張るのだな…」

「はい……」


 一応慰められているのだろうか…。ネブラスカにも結構いいところがあるようだ。

 けれど先程とは比較にならない大量の本を持ち出すネブラスカの姿を見て、やっぱりこのペンギン、鬼だと認識を改める。そうしてほんの数分もしないうちに、目の前にはうず高く重ね合わされた、本のタワーが出来ていた。


「一日30冊程度進めればいいだろう。希望を述べるのであれば40だが、そこまで多くは望めまい」

「は?! 無理ですってこれ…」

「なにを言っている。読むくらい簡単だろう。読んだ後、理解できたかいくつか質問する。そのつもりでしっかりと叩き込むのだぞ」


 目の前で絶妙なバランスで立っている本のタワーは、私の体に影を作りネブラスカの身長を軽く越えていた。それを見て気絶しそうになる。


「呆けている場合ではないのだぞ、下等生物!」

「ふぎゃ!!」


 頭をスパーンと何かで叩かれて、遠のく意識が一瞬で連れ戻された。

 何で叩いたのか。それを仰ぎみればネブラスカの黒い手、そしてその先には白い紙のようなもので出来た────どうみてもハリセンが装備されている。

 けれどもうツッコむ余裕もない。途方もない量のそれを一体どのくらい読まなくてはいけないのだろう。しかしネブラスカの鋭い目線と、手にあるハリセンを見て、もう何の文句もいえるはずがなかった。


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