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9 彼の過去


 帰宅するなり両親からお小言をもらい、私は外出が禁じられた。

 気分転換にと観劇に連れて行ってもらうことはあったがアルゴット・フリードン劇場ではなかったし、もちろんひとりにはさせてもらえない。必要なものがあれば貴族の慣例に倣って商人を屋敷へ呼べば事足りたし、暇だと言えば家庭教師を呼んで淑女教育のやり直しだ。


 悪魔は兄や両親から脅されるなど嫌な思いをしていないだろうか。そう心配しても彼の近況を知る術はない。私は日を追うごとに、彼と二度と会えないかもしれないという恐怖に苛まれるようになった。

 気が付けば涙がこぼれている。透き通るような空を見ても、誰もが絶賛する音楽を聴いても、ダンスの練習をしていても。言葉を交わしたい相手はいないのだ。鏡越しに目の端に残る涙の痕を見て私は自分の恋心を自覚した。

 好きという言葉では足りなくて、彼が自信作なんだと寂しそうに笑った愛の歌を口ずさんで自分を慰める。


 仮面舞踏会の夜から半月ほどが経って、ふさぎ込む私を心配したのか両親は友人を招待する許可を出した。真っ先に呼んだのは仮面舞踏会の招待状をくれた友人である。


「わたくし何も知らなくて、本当にごめんなさい。なんと謝罪申し上げたらいいか」


 テラスに準備したティーテーブルを囲み、席に着くなり彼女は頭を下げた。貴族の謝罪としてはかなり深い意味を持つ方法だ。私は慌てて顔を上げさせ、舞踏会についてはお互いに忘れましょうとあらためて約束する。


 それから彼女の母の体調についてだとか、はたまた当家の兄の結婚準備だとか、そんな挨拶がわりの話を一通り終えたところで私たちはスコーンを手に取った。

 ここからはいつもの通り。以前彼女からもらった、籠いっぱいの乙女桔梗の花言葉のように、楽しいお喋りの始まり……のはずだったのだが。


「そうそう、例の件、お聞かせいただけますか? 私ずっと気になっていたのです」


「あ、確かリンドグレーン家のお話でしたわね?」


 言いながら彼女は周囲に視線を走らせる。と言ってもメイドたちは離れたところで待機しているし、よほど大きな声を出さない限りここでの会話は聞こえないはずだ。

 私が頷くと、彼女はさらに少し声をひそめた。


「八年前でしょうか。リンドグレーン家のご長男のベルンハルト様にはソレンソン伯爵家の長女――エリカ様のお姉様ですね。そのデビュタント・ボールでのキャバリエを務める……という話があったそうです」


「あら? でもお姉様のキャバリエは確かお義兄様が務めたはずですわ」


 美男美女で会場中の注目を集めたのだよと、そんな話を度々いろんな人間から聞かされたものだ。そのふたりが婚約、そして結婚したのだから私の記憶違いということもない。

 彼女は「おっしゃる通り」と頷いて神妙な顔をした。


「デビューの前の打ち合わせを兼ねて、いくつかのお家が集まって小さな晩餐会を開いたのですが、そこで事件が起きたのです」


 そこまで言って彼女はこれはあくまで噂に過ぎないとわざわざ前置きをする。


「ベルンハルト様がエリカ様のお姉様に乱暴しようとしたとか」


「えぇっ?」


「いえ、実際にその場を目撃した方はいらっしゃらないのです。叫び声を聞いて近くの者がすぐにお姉様をお助けしたということもあって、大きな問題にはならずに済んだのですが」


 彼女が言うにはその時、男たちはプレイルーム、女たちはサロンでそれぞれ楽しい時間を過ごしていたらしい。そういう場では大人と子どもは明確に部屋を分けられるため、子どもらは別室でゲームをして遊んでいた。

 夜も更けてソファーで眠り始めた子、腹が減ったと食べ物を探しに行く子、大人しくしていることに飽きて庭へ出る子などバラバラになり、従者の目が行き届かなくなったときに事件が起きた。姉が「嫌よ、触らないでバケモノ!」と悲鳴をあげたそうだ。


 姉はデビュタント、そのキャバリエ候補であるベルンハルト。もはや子どもではない。私は仮面舞踏会で強く掴まれた左腕をゆっくり撫でて呼吸を整えた。


「本当なら大問題です。未だかつて噂にすら聞いたことがないのは、私が当事者の妹だからでしょうけど……それにしたって」


 姉が危ない目に遭ったのだ。ソレンソン伯爵家は強く相手方を非難するべきである。だが詳しい事情はともかく侯爵家と揉めたという話すら聞かないではないか。

 

「あっ。まさか侯爵家が事態をうやむやにしようとしたとか」


 私はハッとして耳をすませないと聞こえないほどの声量でそう問うた。けれど彼女は小さく首を横に振る。


「ベルンハルト様は真っ向から疑惑を否定。証言はベルンハルト様のお言葉のほうが理路整然としていて、残された状況とも一致したそうですわ。けれど、誰もがお姉様に肩入れし、真実を追求することそのものを取りやめたのです」


「姉の気持ちを大切にしたということでしょうか?」


「それもあるでしょう。ただベルンハルト様は……その、容姿が少々……。それで一層、大人たちはお姉様に同情的になったとか」


「容姿?」


 顔の造形ひとつでダンスを断られたり悪口を叩かれたりと散々悩んだ身としては、そう簡単に聞き流せるものではない。見た目が良くないから証言を軽んじるなど、あってはならないことだ。


「はい。ベルンハルト様はお身体が大きく人相も他者に恐怖を与えるような風貌でいらっしゃるとか。なにより、お顔の半分が生まれ落ちたときから真っ青で。それを神に見放された可哀想な方だと表現する人もいますけれど」


「顔の半分が真っ青……」


 思い当たる人がいる。

 その人物の年齢を直接聞いたことはないが、キャバリエを務めてもおかしくないくらいには姉と同年代に見える。人相が悪いとは思わないが背は高い。それにベルンハルト・リンドグレーンという人物と同じイニシャルを使用しているし、左目を中心に広範囲に痣がある。

 ただ、私の知るその人は誰かに乱暴を働こうとはしないはずだけれども。


 だから彼はソレンソンの名を知っていたのだろうか?

 だから彼は姉の不貞に舌打ちをしたのだろうか?


「以来、ベルンハルト様は公の場に姿を現さなくなりました」


 頭が真っ白になってしまって、その後のことはよく覚えていない。




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