14 だけどだからこそ
ペンを置いてガチガチに固まった背を伸ばしたところで執事がやって来た。
「旦那様がお呼びでございます。お客様がいらっしゃいましたので」
「まぁ! もうそんな時間?」
私は鏡に向かってまぶたに濃い緑を一筆乗せると、机上の書類を手に部屋を出て応接室へ。
応接室では客人である著名な劇作家がペンを片手にこの屋敷の主人へいくつもの質問を浴びせかけている。私が部屋へ入るとふたりは待ってましたとばかりに歓迎してくれた。
「エリカ、来てくれて助かった。俺の記憶だけじゃ頼りなくてね」
「ふふ。本当は恥ずかしいのではなくて?」
「奥様、お手にあるものはもしかして」
「ええ、そのもしかしてです。つい先ほど書き終えたところですわ」
私が書類を差し出すと、劇作家はそれを奪うような勢いで手にとって頭から読み進めていく。私はこの屋敷の主人であり夫でもあるベルンハルトの横へ座り、彼に「どうだった」と問うた。
「どうもこうも。なぜいつもアルゴット・フリードン劇場の脇の路地にいたのかとか、旅に出ると決めたのはいつだったのかとか、そんなインタビューを受けていたんだ」
「後者は知ってるわ。貴族令嬢としてデビューした私と縁を切るためよね」
「語弊があるな。場末のバーにご令嬢が来るべきじゃないから、俺が姿を消そうと思ったんだ」
デビュタント・ボール以降、彼が私を突き放すような態度になったのは気のせいではなかったのだ。まさか私を捨てて旅に出ることまで考えていたとは思わなかったけれども。
ベルンハルトはサファイアの瞳を細めて私の頬を撫でた。もうリンゴ色ではなくなった私の頬も、彼に撫でられればたちまちリンゴのように染まる。
「んもう。同じことだわ。それで、どうしていつも劇場の脇にいたの? そういえば聞いたことがなかった」
「あれはね、境界線だよ。神に見放された醜悪な悪魔のくせに人に好かれたいと思ってしまう。あの路地が俺の定めた境界線で、あれを越えないようにと決めていたんだ」
「ばかね」
頬を撫でる彼の手をとれば、彼がぎゅっと握り返してくれる。
「そしたら天使が向こう側からやって来たからね、目が離せなくなった」
そこで劇作家が唸りながら顔をあげた。どうやら私の渡した書類を読み終えたらしい。彼は突然社交界へ戻って来たベルンハルト・リンドグレーンと、その妻エリカの「運命的な出会いと愛」を戯曲として書き上げたいのだと言う。
私は覚えている限りを私小説のように文章に起こし、ベルンハルトは劇作家によるインタビューという形で協力することになったのだ。
「確かに結末部分の原稿いただきました! ああ素晴らしい……! しかし、なぜロヴェーン伯爵閣下はこのとき列車に乗らない選択をなさったのですか?」
「列車……? ああ、エリカが迎えに来たときのことか。男爵との婚約が決まりそうだと聞いて、俺はエリカの幸せを願いながら姿を消すつもりだった。だがいざ列車に乗ろうとしたら急に恐ろしくなってね」
「恐ろしく?」
「男爵は本当にエリカを幸せにできるのだろうか、と。そこで俺はやっと彼女の兄の真意に気付いた。彼女の兄はわざわざ男爵との婚約について連絡を寄越したわけだが……それは『自分の手で幸せにしてみせろ』という意味なんだ。でなければ単純に俺が彼女に近づかないよう気を付けていればいいだけなんだから」
劇作家は「なるほど」と呟きながらペンを走らせる。
その後ベルンハルトは両親、つまりリンドグレーン侯爵に頭を下げて社交界への復帰を果たした。この際ベルンハルトは母方の祖父の養子となり、祖父の死後ロヴェーン伯爵位を継いだのである。かねてよりリンドグレーン侯爵家の男児のうち一方をロヴェーン伯爵家の養子とする予定があり、兄と弟の立場は逆になったがどうにか伯爵位を存続させることに成功したわけだ。
「その後、おふたりはそれぞれご活躍されていますね。それもこれもやはり、このときのご経験があったおかげでしょうか?」
私とベルンハルトは顔を見合わせて頷いた。
ベルンハルトは伯爵領の管理とリンドグレーン侯爵の補佐をする傍ら、イェルダの名義で今でも歌を作っている。最近ではラブソングが人気らしい。
私は、社交界のメイク・クイーンとして女性の化粧の一般化に尽力しているところだ。メイクは女の戦闘服なのだから、ドレスと同じくらいに着飾らなくてはと。立ち上げた化粧品会社も軌道に乗って、かつて私の容姿を笑った人々も今では大事な顧客となっている。
執事から次の予定を告げられると、私たちはまだまだ質問の絶えない劇作家をどうにか追い返して出掛ける準備をした。
屋敷の外では御者が誇らし気な顔で待っている。
「さぁさ、今日はセーデルバウム駅でいいんでしたっけね? そうそう、さっき出てった劇作家にね、あんたがたとの出会いは人生で一等最高の出来事だったって言ってやりましたよ」
「私たちもそう思ってるわ」
「しばらく忙しかったからな、俺たちが旅に出てる間はお前もゆっくりするといい」
二輪一頭立てのキャブリオレから四輪二頭立てのコーチに代わっても、彼の言葉遣いと人の好さは変わらない。
私はベルマン・アンド・ルンベック社の封筒がちゃんと荷物の中にあるかを確認してから馬車へと乗り込んだ。
雨が降っていたのだろうか、車窓から見える景色には虹がかかっている。それを「素敵だね」と言いながらベルンハルトとふたりで見つめた。
ありのままの姿でいるのはお互いの前でだけ。ベルンハルトは痣を隠す仮面をつけているし、私は人を欺くメイクをしている。だけどだからこそ、私たちはこの世界を素敵だと言えるのだろう。
あいしてる。そう呟いたら彼は私をぎゅっと抱きしめた。
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