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12 探す理由


 男爵のタウンハウスを飛び出して、ドレスのスカートを両手でたくし上げながら走った。私の背をお父様の怒声が追いかけて来たが、同時にお姉様がそれを諌める声が私の背を押してもくれる。

 我が伯爵家の馬車は出発の準備などできていないから自分の足で向かうしかないのだが、いかんせんドレスでは走りづらい。仕方なく通りかかった辻馬車をつかまえて乗り込むと、なんとそれは仮面舞踏会の夜に悪魔が雇ったキャブリオレであった。もちろん偶然の出会いだが、今思えばそういう運命だったのだろう。


 ただでさえ火事と聞いて混乱していたのに、辻馬車を拾うことなど経験がなかったため意味不明なことを訴えていたのではないかと思う。それでも御者は嫌な顔せず目的地を聞き出し連れて行ってくれた。

 火事場となった「元セリアン・ベイクハウス」はやはり悪魔の家だった場所で、私が到着したときには真っ黒に焦げ付いていた。火はもう消し止められたようだが、消防隊は第三者が近づかぬよう厳重に見張っている。


 馬車を降り、状況を確認しようと消防隊のところへ走り出した私を、見知った顔の男が呼び止めた。


「お嬢ちゃん、会えてよかった!」


 ()()()()の勤めるバーのバーテンダーであり店主だ。私はそうと気付くなり縋りつくように彼の上着の襟を両手で握り締める。


「あの人は!」


「店にゃもういない。旅に出るとか言ってたな。もしお嬢ちゃんが来たら渡してほしいって頼まれてたモンがあったんだ。ええとねぇ。いやー火事になって驚いたけど、お嬢ちゃんが来るかもなと思って持って来たんだが、どこに入れたんだったか……」


 ポケットをまさぐるバーテンダーだったが、左胸を叩いたところで「ああ、これこれ」と笑顔になった。彼が取り出したのはアイシャドウだ。泣きながらデビュタント・ボールを飛び出した私を、このアイシャドウで綺麗に変身させてくれた。濃く深い緑色。

 なぜ悪魔はこれを残したのか、真意を図ろうとする私にバーテンダーが難しい顔で注意を促した。


「お嬢ちゃん、もう店に来ちゃアいけないよ。あのデビュタント・ボールの夜に、お嬢ちゃんが貴族の娘だってバレたろ。常連はイェルダの可愛い妹分だからってお嬢ちゃんのことも見守ってたけどねぇ、全員がそうじゃアないんだ」


「どういう意味?」


「貴族の子なんていろいろ使い道がある。や、悪いね、俺は言葉を知らないから酷い言い方かもしれんが。で、悪さをしようとした奴をイェルダがぶん殴ってさ。そんなことがあったモンだからみんな大人しくしてるけど、イェルダがいないとわかったらどうなるか」


 じゃあなと手を振って路地へと入って行くバーテンダーを見送って、私は手のひらほどの大きさのアイシャドウケースを握り締める。

 今まで悪魔はずっと守ってくれていたのだと知って、一層彼が恋しくなった。見上げた彼の家はやはり真っ黒で、もし消防隊に無理を言って中に入らせてもらったとて、何も残ってはいないだろう。


 彼は旅に出た。少なくとも火事で怪我をしたり死んだりしたわけではないのだ。大丈夫、まだ追いかければ会えるはず。でも、どこへ?


 アイシャドウを握ったまま動かなくなったからか、御者がおずおずと私の顔を覗き込んだ。


「あんた大丈夫かい。あのノッポの旦那は見つかったのか?」


「いえ……旅に出たとか。どこに行ったのか心当たりを考えてるんだけど」


「そんじゃあ旅行会社だよ。金持ちは大抵、旅行会社に相談するもんだろ」


 御者の言葉に、私は彼の家で見た旅行会社の封筒を思い出した。楽譜やメモに交じって机の上に投げ出されていたはず。


「ベ……ベルマン・アンド・ルンベック社だわ! お願い、そこに連れて行ってほしいの。お金はソレンソン伯爵家に請求してくれればいいから」


「ソレンソンだって? わぁ、こりゃまたすごい名前が出て来たな。でも、こないだ旦那にもらった分もまだ働き終えてないからいいんだ。よし、乗ってくれ!」


 御者には旅行会社の前で待ってもらい、私は悪魔の行方について問い合わせることにした。もちろん個人情報を簡単に教えてもらえるはずもなく、私はあらゆるコネを使う羽目になったのだけれども。


 まずはソレンソン伯爵家の名を出して責任者と奥の部屋で向き合い、それでもうんと言わない相手に義兄……姉の夫の名を出した。幸運にも、姉の嫁ぎ先はこのベルマン・アンド・ルンベック社の大口のスポンサーなのだ。

 着の身着のままで訪問しているため自分の言葉を証明する術を持たず、ソレンソン伯爵家にも義兄にも問い合わせがなされて時間ばかりが過ぎて行く。壁に掛けられたゼンマイ式の時計が微かにチチチと音をたてるのが気になって仕方がなかった。


「えー、レディ・ソレンソン。たった今、貴女のお義兄様より『できる範囲で彼女の希望に寄り添ってくれ』との返答がありました」


「では!」


「いえ。とはいえ、です。貴女様にご提示いただいたこのお名前、当方の勘違いでなければリンドグレーン侯爵家ではないですか。いくらなんでも侯爵家を敵にしたくはないのですよ。できる範囲というのが社が潰れない程度だと考えれば、答えは否です。ソレンソン家だってリンドグレーンと対立したくはないのでは?」


 貴族の特権と貴族のしがらみがぶつかり合う。義兄は恐らく「妻の実家」に対してできるだけ便宜を図りつつ、引き際の死守を命じたのだろう。それは大人の交渉術であり、当時の私には持っていないものだった。

 何も言えない私に立派な髭を蓄えた責任者が続ける。


「行き先を告げずに出掛けたのなら探さないでもらいたいのだろうと推察いたしますがね。貴女様はなぜその方を探すのです」


「……ひとりじゃないって。あいしてるって伝えないといけない、から」


 目の前に座っていた責任者は大きく息を吐いて席を立ち、部屋を出て行った。




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