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10 姉の後悔


 友人から我がソレンソン伯爵家とリンドグレーン侯爵家の間に起きた事件について聞いた翌日、姉が屋敷へ顔を出した。


「エリカがバカなことして外出禁止になるから、わたしまで遊びに行けなくなったじゃないの」


「夫のいる人が別の男とデートすることのほうがバカだわ」


「バレたことがバカだって言ってるのよ。それに、貴婦人と騎士の恋は数百年続く文化。快楽に溺れるだけの下品な催し物と一緒にしないでちょうだい」


「そのロマンス、お姉様のは精神性だけじゃなくて官能も付随するような程度の低いやつでしょ」


 いつも言われっぱなしの私が二度も口ごたえすると思っていなかったのか、姉は目を丸くして私を見つめる。


「可愛いエリカ。さっきから何を怒ってるのよ?」


 家族だからわかるが、姉は悪い人間ではないし私を愛してくれてもいる。ただちょっと価値観が貴族的で、誰も彼も自分と同じように合理的に物事を考え、効率的に行動できると思い込んでいるだけなのだ。そうできない私を不器用な子だと蔑む側面もないではないけれど。


「お姉様がリンドグレーン侯爵家のベルンハルト様に酷いことを言ったって噂を聞いたの」


「まだそんな話をしている人がいるの? ……まぁ、あれは今思い返せば確かに意地悪なことをしたわね」


「襲われたわけではないのね?」


 姉は少し考えてから小さく息を吐いた。彼女の美貌のせいだろうか、まるで抱えきれない悩みを打ち明けるかのように見え、自然と息をつめてしまう。


「今だから言うけど、襲われたっていうのは周りが勝手に言い出したことなの。わたしは『触らないで』って言っただけよ」


「でも、バケモノって」


「んー、それは言ったかもしれないけど覚えてないし重要じゃないわ。デビュタント・ボールで上手に歩けるか不安だって言ったら、ベルンハルト様が『練習してみるか』って私の手を掴んだ……いえ、差し出しただけだったかもしれないけど」


 当時を思い出すように彼女は天井を見つめ、たどたどしく話を続けた。


「デビュタント・ボールが女の子にとって特別なのはエリカもわかるでしょう? だからその……人生で最も華々しい瞬間を、彼と並んで歩くのが嫌だった。どうするのが正しいかって、今ならわかるけどあの時はわたしも子どもだったのよ。それで嫌だとか悲しいとか、そういう気持ちが彼に手を差し出されたときに爆発しちゃったのね、触らないでって」


 確か七歳の頃、洗礼のために着る白のドレスが祖母のお下がりだった。姉は新しいものを作ったと聞かされていたのに、どういった事情だったか知らないが私は薄っすら黄色く変色したドレスをあてがわれたのだ。

 嫌で嫌で、前日はほぼ一日中泣き喚いていたと思う。もしかしたら姉もそれと似たような気持ちだったのかもしれない。


「知らないうちにベルンハルト様が私に悪さをしようとしたことになっていて、それが恐ろしくてわたしはずっと泣いてたの。何もかもが嫌だったわ。でもキャバリエを代えようという話になって、わたしは黙ったの。彼に悪気はなかったのだと庇ったら、キャバリエを交代してもらえなくなるでしょう? だから」


「どうしてそんなにベルンハルト様を嫌がったの?」


「お顔の半分が青いのよ。大人になった今ならそんなことで、と言えるけれど。いいえ、ごめんなさい。嘘ね。今だって大事な場面でベルンハルト様と並べと言われたら躊躇してしまうかもしれない」


「あんなに素敵な方なのに」


 姉は天井から窓へと移していた視線をゆっくり私へ向ける。


「彼と会ったの? だって彼はあの日以来――」


 そこまで言って彼女は口元を手で覆った。気付いたのだ、自分が一度ならず二度までもベルンハルトという人物をバケモノ扱いしたのだということに。


「見た目で人を蔑むの、やめたほうがいいわ」


「待って、エリカ。もし彼と話せるならわたし、あの日のこと」


 姉の言葉は続かなかった。

 執事がやって来て、私が父に呼ばれていると告げたからだ。何やらソレンソン伯爵家全体に関わることであるらしく、執事は姉もまた同席するようにと言ってふたりで父の書斎へ向かった。母と兄はすでにそこにいて、私たちが入室するなり本題へ。


 結論から言うと、父の話とは私の将来に関することだった。某男爵家との婚約の話が出ているとのことで近日中に顔合わせの会があるのだと、父は淡々と語る。


「えっ、男爵家っていうか男爵との婚約でしょう? 彼まだ結婚してなかったもの。そんなのってないわ。だって彼、もう四十近いじゃない。エリカよりお父様のほうがお年が近いくらいよ」


 姉が父の話の途中で堪らず口を挟んだ。が、眉間にしわを寄せて首を横に振る父の様子を見る限り、冗談でもなんでもないらしい。


 社交に疎い私はよく知らないが、その年齢まで独身であるということはそれなりの理由があるのだろう。日頃の茶会でも彼の話題は事欠かず、もし夜会で彼を見つけたらいかにダンスの誘いを断るかに苦心するのだと誰もが言っていた。


「だからエリカの兄、姉であるお前たちにはおかしな風評がたたぬよう、うまく立ち回ってほしいのだ」


「デビューしたての伯爵令嬢が仮面舞踏会に行ったんだぞ? 耳の早い連中はもうその情報を仕入れてる。結婚相手なんて限られるに決まってるさ」


「だけど、ソレンソン家だと知られたのはお兄様の不手際じゃない」


 兄と姉が言い合いをするも、その言葉は私の胸の真ん中をするりと通り抜けていく。まるで死を宣告されたかのような空虚が私の心を蝕んでいった。





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