目覚めの香
だが、それは予想済みだ。
深くかがみながら、横回転。
明日斗は獣の軸足を、全力で蹴りつけた。
「――グッ!?」
全体重がかかっていた足が、滑る。
獣がバランスを崩し転倒。
その隙を、短剣で斬り裂いた。
「チッ」
決定打だと思えた攻撃が腕に防がれた。
さすがは獣。咄嗟の判断力と、敏捷性が恐ろしく高い。
だが、こちらの攻撃を防いだ手は、もう使い物にならないだろう。
骨まで切断した手首は、切断は免れたものの、辛うじて繋がっているに過ぎない。
白い体を血液の赤が染め上げる。
空気さえ赤く染まるような臭いの中、明日斗は強く輝く可死の光を見た。
考えるより早く、体が動いていた。
相手も、動いた。
スローモーションの世界の中、明日斗と獣の攻撃が交錯する。
――ザクッ!
明日斗の短剣が、獣の胸に刺さった。
獣の攻撃は、明日斗の頬の横を通り過ぎていた。
不安定な片腕が邪魔をして、攻撃のバランスを僅かに崩したのだ。
「…………」
未練と怒りが入り交じった瞳で睨付けられる。
だがそれも少しのこと。
獣はすぐに崩れ落ち、息を引き取った。
>>新たな偉業を達成しました。
Bランクゲートの変異種ボスを単独撃破
報酬:ALLステータス+5
「……ふぅ」
確実に絶命したのを確認してから、明日斗は残心を解いた。
短剣を鞘に収めて、白い獣の姿をまじまじと確認する。
「なあアミィ。こいつ、なんて名前の魔物だったんだ?」
「さあ? オイラも魔物をすべて網羅してるわけじゃねぇからなあ」
「そうなのか」
「そりゃそうだ。こいつらは、地球よりも下の階層の住人だ。オイラたちとは直接関わりはねぇから、名前なんて知りようもねぇよ」
「それもそうだな」
魔物は別の次元から現われると言われている。
地球から見て上がアミィたち天使の世界。下が魔物の世界だ。
アミィが人間のことをよく知っているため忘れそうになるが、そもそも別次元の存在を認知することなど、アウトブレイク前までは出来なかったのだ。
名前を知らなくても無理はない。
「なんて名前か調べてみるか」
携帯を取り出し、ブラウザを開く。
しかし、インターネットに繋がらない。
「あっ、そうだ。圏外だった」
魔物の名前を今すぐ調べる手立てはない。
名前はわからないが、かなりの強敵だった。素材を剥ぎ取れば、高く売却出来るだろう。
念のため、魔物の気配を確認する。
するとこの建物周辺には、魔物がいないことがわかった。
どうやらこの白い獣が倒れたことで、他の魔物が遠くへ逃げ出したようだ。
「こいつが群れの頭だったのかもな」
明日斗は短剣をとりだし――
「…………」
構えたはいいが、剥ぎ取り方法がさっぱりわからない。
しばし悩んだ明日斗は、ゴールドショップを開いた。
「なあアミィ、解体スキルを教えてくれ」
「……くっくっく。ついにオイラ様の力が必要な事態が訪れたようだな! ああ、でもどうしようかなあ。教えようかなあ。最近明日斗は、オイラへの当たりがきついから、教えないでおこうかなあ」
「ふざけるな。さっさと教えろ」
「チッ。そんな態度だと教えねぇぞ!」
「別にお前に聞かなくても知ってるよ」
「だったらなんで聞いたんだよッ!?」
「なんとなくだよ」
「ひどいっ。オイラ、低俗な人間に弄ばれた……。もうお婿さんに行けない!」
空中でシナを付くってうなだれた。
そんなアミィを無視して、明日斗はカートにスキルスクロールを放り込む。
>>所持ゴールド:50329→49829
>>スキルスクロール878905番を使用
>>魔物解体を取得しました
これで解体がやりやすくなった。
あとは記憶にある解体知識を有効活用しながら、素材を剥ぎ取っていくだけだ。
「……よしっ!」
気合いを入れて、明日斗は獣に短剣を優しく突き立てた。
○
「ふわぁぁあ」
明日斗は大きなあくびをして、目をこすった。
あれから、一睡もしなかった。
夜は魔物避けのスプレーが効かない。
もし眠っている間に襲われれば、知らぬ間に〈リターン〉が発動しかねない。
そんな戻り方は不本意なので、眠らないことにしたのだ。
徹夜作業なら、前回日雇い労働時代で何度も経験している。
最長記録だと、三日間徹夜で仕事をしたことがある。
(その後、風邪を引いて治療費で給料全額が飛んでいったので、もう二度と徹夜で全力を出すものかと誓った)
一日や二日の徹夜作業なら、なんてことはない。
(万が一眠くなっても、『目覚めの香』を使えばいいしな)
目覚めの香は、ゴールドショップで購入出来る、甘い香りがするアイテムだ。
値段は一つ100ゴールドと少々お高いが、効果は高い。
徹夜作業の眠気覚ましから、混乱や誘惑などの精神異常の改善にも使える。大変優れたアイテムだ。
ただ、目覚めの香があるからといって福岡まで眠らずに移動するつもりはない。
なぜなら一切眠らない状態だと、生物は生命維持が出来なくなるからだ。
アメリカで行われた不眠実験において、三日目から被験者の記憶力が大幅に低下し、四・五日後には性格が変化。簡単な計算問題も解けなくなった。
魔物に襲われぬよう徹夜を続けているのに、そのせいで判断力を失い死んでしまったら元も子もない。
目覚めの香はあくまで奥の手。
眠れるときは、眠った方がいい。
明日斗は体に入念にスプレーをかけ、横になる。
日が昇れば、魔物避けスプレーも効果がある。
熟睡しても、魔物に襲われる心配はない。
明日斗は一度眠り、お昼くらいから移動することにした。
ブラック社長「目覚めの香……せやっ、良いこと思いついた!」
(アカン)




