奇跡の復活
もう、どうやってもお母さんは助からない。
暗い病院の廊下で、神咲真生はじっと床を眺めていた。
母を助けるために、自分に出来ることはすべてやったつもりだ。
実際、体にはかなり疲労が蓄積していて、立ち上がる気力がない。
しかし、本当にそうだろうか? という思いが頭を占領し続けている。
母は、女手一つで真生を育ててくれた。
必死に働いていたけれど、お金が足りず、親戚筋に無心までしていた。
そんなことをおくびにも出さず、常に笑顔で接してくれた。
子どもを不自由させてはいけないと、新しい服や化粧品すら買わずに、真生のためだけに尽くしてくれた。
欲しいものがあっただろう。
女性として、綺麗に着飾りたかったはずだ。
でも、お金が手に入っても、母は自分のものは何も買わずに、全額を喜んで真生の養育費にした。
そんな母親を、こんな形で失っていいのか?
母親が愛情を注いでくれた分だけ、自分は恩返し出来たのだろうか?
考えると、ボロボロと涙が溢れてくる。
「もっと、頑張れた、かもしれない……」
もっと頑張らなきゃいけなかった。
でなければ、母が、報われない。
「もう少し、頑張ってみよう」
ふらふらになりながらも、なんとか立ち上がる。
腰を上げるだけでも、息が乱れた。
無理もない。母が入院してからというもの、ほとんど真生は寝ずに、助力してくれるハンターを探し回っていたのだ。
でも、泣き言はいえない。
自分なんかよりも、母のほうがもっと辛い思いをしているのだから。
真生が一歩前に足を踏み出した、その時だった。
看護師が慌てて駆け寄ってきた。
「か、神咲さん、お母様が――!」
「――ッ!?」
ついに、終わりが来てしまったか。
愕然とした真生に、看護師が笑みを浮かべた。
「おめでとうございます。峠を越えましたよ」
「……えっ?」
「今、先生が体を見ていますが、もう、大丈夫です!」
予想だにしなかった言葉に、真生の頭が真っ白になった。
先ほどまで、母はあと何時間持つかという状態だったのだ。
それが、まさか峠を越えたと言われるとは思わなかった。
「一体、どうして……」
「それが、集中治療室(ICU)に見知らぬ男性が突然現われて、お母さんになにかを飲ませたんです。監視カメラを見て慌てて現場に行ったら、お母様の様態が安定されてて、傷も綺麗さっぱりなくなってました」
「――ッ!」
これまでの疲れが吹き飛んだ。
真生は母がいる病室に向けて走り出した。
母の病室に入る直前、ふと気配を感じ視線を向けた。
そこには、ボロボロになった結希明日斗の姿があった。
その手には、効力を失った透明マントが携えられていた。
「結希さ――」
「しっ」
結希が口の前で、人差し指を立てた。
それを見て、真生は慌てて口を押さえる。
ここは病院で、それも日が昇り始めたばかりの早朝だ。
大声を出してはいけない。
「結希さん、どうしてここに……」
そこから、言葉が続かなかった。
何故彼がここに居るのか、どうしてボロボロになっているのか、いろんな質問が溢れ出してごちゃごちゃになって、喉の奥で言葉が詰まった。
そんな真生の様子に、結希が少しだけ困惑したような表情を浮かべた。
「神咲さん、寝てないみたいだね」
「え、あ、はい……」
「じゃあこれを上げる」
ポケットから因縁のある『夢見の滴』を取り出した。
今は、このアイテムを見たくもない。
その思いが伝わったか、結希がやんわり首を振った。
「これは、人に良い夢を見せるためのアイテムなんだ。特に疲れてる時は効果があるから、試してみて。たぶん、よく眠れるよ」
「……はい」
夢見の滴を手に入れるために、無報酬で手助けしてくれた。
そんな彼に優しくそう言われたら、『いらない』と突っぱねることなど出来ようはずもない。
夢見の滴を受け取ると、結希がくるりと背中を向けた。
「あっ、待ってください。結希さん、もしかしてですけど――」
「神咲さん」
真生の言葉を、結希が優しい口調で遮った。
首を回して振り返り、ICUの扉を指さした。
「お母さん、待ってるよ」
「――ッ!」
その言葉を聞いて、真生はいても立ってもいられなくなった。
彼に聞きたいことは山ほどあった。だが母に会いたい気持ちが勝った。
真生は深々と頭を下げ、首に提げたカードでICUの扉を開く。
早くと急かす気持ちを堪えて、真生は通路を早足で進む。
そして、母の病室の扉を開いた時だった。
「おかあ……さん……」
「あら、おはよう真生」
上体を起こした姿勢で真生を見た、母の微笑みを見てボロボロと涙が溢れ出した。
「お母さん!!」
もう我慢する必要はない。
真生は顔をくしゃくしゃにして、母の胸に飛び込んだのだった。
意識を取り戻した母は、これまでの状態が嘘だったかのように完全に回復していた。
それでも万が一に備え、即時退院は見送った。
病室も、ICUから一般病棟に移った。
命の危機は去った。
安堵した真生に、数日ぶりの睡魔が襲った。
ふらふらになる足取りで、病院に併設された入院患者の家族用の小さなコンドミニアムに戻った。
そのままベッドに倒れ込むと、ポケットから夢見の滴が転がり落ちた。
『特に疲れてる時は効果があるから、試してみて』
天使のアイムが、このアイテムの効果を勘違いさせて真生を騙したことは、今思い出しても、はらわたが煮えくり返る。
だが、悪いのはアイムであって、アイテムではない。
結希の言葉を信じて、真生は夢見の滴の封を切った。
すると途端に、花のようなアロマとともに、安らかな眠りが真生を包み込んだ。
夢の中で、結希明日斗は凶悪な魔物と戦っていた。
実力差は明らかで、結希が倒せる魔物ではなかった。
彼は何度も何度も殺された。
けれど、殺される度に蘇り、立ち向かい続けた。
僅かな経験が幾重にも積み重なり、結希は魔物を圧倒出来るまでに成長した。
そしてついに、真生の母を救うアイテムを入手した。
――どうして、そこまで。
いくらスキルがあるとはいえ、死が恐ろしくないはずがない。
痛くないはずがない。苦しくないはずがない。
でも彼は、巨大な壁に立ち向かい続けた。
――なんでそこまで出来るの?
その疑問を、夢が教えてくれた。
彼を突き動かす衝動は、無力だった自分への激しい怒りと、力への強い意志。
そして死を乗り越え、自己超克を繰り返せたのは、天に臨むトップランカーの姿があったからだ。
その背中を見て、はっとした。
――あれは、私?
天にひしめく無数の魔物、それに挑む女性の横顔が、自分にとても似ていた。
結希は〝彼女〟を尊敬し、大天才と認めていた。
けれど、自分はどうか?
――私はあそこまで、強くなれるの?
未来のことなど、わからない。
だがもし今の自分が〝彼女〟になれなければ、きっと失望されるに違いない。
それは、とても、辛い。
――強くならなくちゃ。
もし自分が弱いままなら、彼がたった一人で天の軍勢を相手にすることになる。
それに、自分はまだ何も恩返しが出来ていない。
母を救ってくれた恩を返すために、強くならなければいけない。
――強くならなくちゃ。
誰よりも、何よりも、強くなる。
そしてお互いを高め合う仲間を集め、ギルドを作るのだ。
彼の隣に、並び立つために。
――〝彼女〟よりも遙かに強い自分に、ならなくちゃ!!
真生の意識がゆっくりと覚醒した。
体を起こすと、涙がぽろりひとしずく、頬を伝って落ちた。
その涙の温度は、母を失うことに怯えていた時とは違い、とても暖かかった。
 




