失策
明日斗はいつでも動けるよう、膝を軽く曲げたまま、かかとを浮かせた。
二秒、三秒……。
リザードマンの体が徐々に傾ぎ、崩れ落ちた。
五秒……十秒……。
たっぷり時間を数えてから、明日斗は相手の生死を確認。
リザードマンは、既に事切れていた。
そこで、明日斗はやっと残心を解いた。
「ふぅ……」
とてつもない難敵だった。
コボルト戦とは違い、明日斗はリザードマンの攻撃が目で捉えられなかった。
ワンランク上の魔物に勝てたのは、もちろん神咲のバフがあったからだ。
それに加えて、短剣や回避のスキルをきっちりレベル3まで上げたおかげもある。
もしスキルレベルが低ければ、攻撃を躱すことも、受け流すことも出来なかったに違いない。
「お前、一体どういう特訓してきたんだ?」
「何の話だ藪から棒に」
「おととい覚醒したばっかでDランクモンスターを討伐って、どう考えてもおかしいだろ!」
「さてな。これまでの積み重ねが生きてきたんじゃないか?」
「積み重ね、ねえ……」
アミィが疑いの眼差しを向けてきた。
決定的なボロを出さない限り、相手が明日斗の力の秘密を証明するのは不可能だ。
だから、こちらは堂々としていればいい。
血振るいをして短剣を鞘に収めると、待ってましたと言わんばかりに神咲がとててと近づいてきた。
「お、お疲れ様です」
「うん。そうだ、レベルは上がった?」
「ええと……あ、はい。1つ上がりました!」
「おお、いいね」
彼女はバッファーとして参加なので、分配される経験値は少ないはずだ。
にも拘わらず、一匹倒しただけでレベルが上がった。
Gランクハンターにとって、Dランクの魔物の経験値がいかに美味しいかがわかる。
(パーティメンバーのレベルが一気に上がるのは楽しいけど……)
明日斗には、とある懸念があった。
低レベルのハンターを、難易度の高いゲートやダンジョンに連れて行きレベルを上げる。この行為を、パワーレベリングと呼ぶ。
大手ギルドが新人育成などで行うくらい、パワーレベリングはメジャーな手法だ。
レベルがサクサク上がる反面、スキル熟練度が上がらず中身がスカスカになるデメリットがある。
(……あまりレベルが上がりすぎると、神咲のスキル熟練上げが大変になる)
前回、神咲は自分の力でトップランカーにまで成り上がった。
今回もし明日斗が手を貸して、中身がスカスカな状態の神咲を生み出してしまったら?
――未来が、大幅に変化するかもしれない。
(将来、神咲にはランカーになってもらわないと困る)
天の魔物を相手に、まともに戦えていたのは彼女率いる私滅ギルドだけなのだ。
その最大戦力の消滅は、将来天の魔物と戦おうとしている明日斗にとって最悪の未来だ。
(さて、どうしたものか……)
「結希さん、なにかありましたか?」
「あ、ごめん。ステータスを確認してた」
「そうでしたか、失礼しました」
さすがに「君の将来を考えていた」なんて口が裂けても言えない。
嘘をついたついでに、ステータスを確認する。
○名前:結希 明日斗(23)
レベル:23→24 天性:アサシン
ランク:E SP:15→20
所持G:4→5
○身体能力
筋力:33 体力:25 魔力:4
精神:4 敏捷:48 感覚:24
○スキル
・初級短剣術Lv3(37%→45%)
・回避Lv3(21%→30%)
・跳躍Lv3(7%→13%)
・記憶再生Lv2(30%→35%)
・看破の魔眼Lv1(51%)
・リターンLv1(31%)
(さすがDランクの魔物だけあるな)
コボルトを倒していた時とは比べものにならないほど、経験値も熟練度も上昇していた。
非常に美味しいが、危険度もこれまでとは段違いだ。
念のため、明日斗は今の戦闘を加味した上で、必要と思われるステータスにポイントを割り振ることにした。
○名前:結希 明日斗(23)
レベル:24 天性:アサシン
ランク:E SP:20→0
所持G:5
○身体能力
筋力:33 体力:25 魔力:4
精神:4 敏捷:48→60 感覚:24→32
○スキル
・初級短剣術Lv3(45%)
・回避Lv3(30%)
・跳躍Lv3(13%)
・記憶再生Lv2(35%)
・看破の魔眼Lv1(51%)
・リターンLv1(31%)
敏捷と感覚を上げておけば、先ほどよりは楽に攻撃が回避出来るはずだ。
ステータス画面を消して、明日斗は次の獲物を探す。
気配を察知。
神咲を下がらせて、戦闘態勢に入る。
前から一体のリザードマンが現われた。
相手が攻撃してくる前に、前へ〈跳躍〉。
――来る!
首をひねり、最低限の動きだけで攻撃を躱す。
(前より見える!)
攻撃直後で硬直したリザードマンの懐に入り込み、胸に短剣を突き出す。
一撃必殺に見えた攻撃は、
――カギッ!!
しかし、相手の肉体に刺さらず弾かれた。
(しまった、鱗かっ!)
明日斗は慌ててバックステップ。
硬直が解けたリザードマンが追撃を繰り出してくる。
それを躱し、受け流しながら、距離をとる。
「ああ、惜しい。リザードマンの鱗に阻まれたな。倒し方は鱗の――」
「うるさい、黙ってろ」
失敗の原因も、改善点も、言われずともわかっている。
助言は必要ない。
逆に話しかけられると集中力が乱れる。
「……ケッ!」
ぞんざいな扱いを受けたアミィが、見るからにふて腐れた。
少しきつい言い方をしてしまったか。
申し訳ないとは思ったが、いまは構っている余裕はない。
前回の戦闘で明日斗は、リザードマンに一撃で致命傷を与えられた。
だから、相手に強力な鱗があることを失念していた。
リザードマンの体には、鱗がびっしり生えている。
これにより、ハンターの攻撃が弾かれることがある。
攻撃が弾かれない方法は、大雑把に三通りある。
一つは、鱗すら切断出来る武器を使うこと。
一つは、鱗がない弱点を狙うこと。
最後の一つは、鱗の隙間を狙うことだ。
前回は運良く鱗の隙間に刺さったが、今回はその鱗に弾かれた。
(大丈夫。冷静に……)
心を乱せば窮地に陥る。
〈リターン〉がある明日斗は、最悪失敗してもやり直せる。
しかしながら、死はなるべく避けて通りたい。
事切れるまでは死ぬほどの激痛があるし、まだまだ強烈な恐れを感じる。
戦うことで何かが得られるなら別だが、無駄死にだけは勘弁だ。
明日斗は深呼吸を行い、仕切り直す。
リザードマンの攻撃。
穂先を躱す。
「くっ!」
今回は、肩を浅く斬られた。
相手が明日斗の動きに対応してきているのだ。
軽傷を負った代わりに、相手の懐に深く潜り込んだ。
――今度こそ。
短剣を突き出す。
今度は、鱗の隙間を意識的に狙った。
だが、
――ガギッ!
またもや鱗に弾かれた。
相手の僅かな動きで狙いが狂ったのだ。
(もう少しだったのに!)
痛恨のミス。
しかしそれが、明日斗を燃やした。
「おいおい、ミスばっかだな。さっさと倒した方がいいぜ」
「……」
アミィの茶々は、もはや耳に入らなかった。
それだけ明日斗は深く集中していた。
――次こそは!
簡単に上手くいかないからこそ、夢中になれる。
着実に進んでいる実感があるからこそ、集中出来る。
難しい課題をクリアするからこそ――面白い!
斬って、突いて、蹴って、殴って、
回避、フェイント、バックステップ。
何度も何度も、明日斗はリザードマンに攻撃を仕掛ける。
リザードマンの体に、徐々に傷が増えていく。
相手の命を奪うまで、もう少しだ。
それがわかり、さらにギアが上がる。
徐々に、相手の動きになれてきた。
回避行動も、予測出来るようになった。
あとは短剣のスキル次第。
何度目の交錯になるか、明日斗はついにリザードマンの胸に、短剣を深々と突き刺すことに成功した。
今回は、運良く刺さったわけではない。
自らが狙って刺したのだ。
(よしっ!!)
明日斗は拳をぐっと握りしめる。
今回はかなり時間がかかってしまったが、コツは掴んだ。
次はもう少し短い時間で倒せるはずだ。
血振るいをして、短剣を鞘に収めようとした、その時だった。
「っ…………」
背後からか細い声が聞こえ、明日斗は即座に振り返る。
そこには
「あ…………」
胸から短槍が突き出た、神咲の姿があった。




