むしばむしゃかい
鬱になりたい方はどうぞ~(笑)
今回の話しもなかなか暗いです~
呼吸を忘れて走っていたせいか、ゆんは体が他人の体のように感じてきました。ふるえているひざに手を付き、空気をたくさん肺のなかに入れては出してをくり返します。
ほっぺを流れる汗をそででぬぐい、ゆんは目を細めて見えるところにある改札へ向かいました。みんな改札から出てどこかへと向かうなか、ゆんだけが反対に歩き、前からくる人の足に当たらないよう、体を左右にゆらします。ときどき、前から来る人のズボンが臭くて鼻をつまみたくなりますが、ゆんはがまんして歩き続けます。
ぴよぴよと鳴く小鳥の鳴き声を聞きながら、人と人が行き交う改札を通り、アナウンスと足音でうるさい駅の中を歩いていると、かべの方にブルーシートにダンボールがいくつか置いてありました。今はそこに人は居ませんが、枕らしきものの近くに空のペットボトルが二本、無造作に転がっていました。
ホームレスになるほどではありませんが、ママは小学生のころ、両親の仕事がうまく行かず、衣食住が不安定だったそうです。家にお金がないから友だちと遊べず、一人で時間を過ごすときが多かったそうです。そんな日が毎日続くものだから、ママはたいくつ過ぎて、何度も何度も人生をやめようと思った日があったそうです。それでママが高校生のとき、両親が仕事で成功したから、たくさんのお金が家族の財布に入ったそうです。
そして今、細かいところは知りませんが、宝くじで当たったような両親の遺産が今のゆんとママの生活を支えているらしいです。ですがママは、しっかり働いています。というのも、万が一のときのために働いているそうです。どんな仕事をしているかまでは知りませんが、いつもパソコンをさわっています。他の家ではパパが家の大黒柱らしいですが、ゆんの家ではママがパパなのです。
ゆんがようちえんに通っているときに聞いたのですが、ゆんが生まれる前に、ママとパパは違う家に住みはじめたらしいです。どうしてそうなったの、とママに聞いたら、ゆんには関係ないよ、と言われました。なのでゆんは、どこに住んでいるのか教えて、と聞いたのですが、これもゆんには関係ないのよ、と教えてくれず、なら写真はないのと聞くと、そんなものはないよ、とママは答えました。
ホームに着いたゆんは、黒いバックを持った、折り目のない灰色のスーツを着ている人の後ろに並びました。辺りを見回すとほとんど大人で、ゆんみたいな小さい子はどこにもいませんでした。
少しの間待っていると、緑色の電車がやってきました。アナウンスが流れドアが開くと同時に、ゆんは電車の中に入り空いていた席に座ります。
この時間帯は仕事服を着た人は少なく、どこかに遊びに行くような服を着ている人の方が多い気がします。窓に映し出されている風景を見ると、どれも同じ色をした大きな建物ばかりでした。スーツを着た大人はこの中で仕事をする、と考えると、大人が働きありみたいで、なんだか人だとは思えないのです。
みんなが自分の巣を守ろうと頑張っているのはなんのためなのでしょうか。
別に大きな建物がなくても、お金さえもらえれば生活はできます。お金がもらえて働く環境が自分に合っていればいいのですが、仕事が大変で会社が自分に合っていないからと、高いところから飛び降りて自殺してしまう人の気持ちが理解できません。
いろいろと仕事をやめられない事情があるのかもしれませんが、そこはあきらめて今のゆんみたいに羽をのばして飛び去ってしまえばいいのです。だからゆんは、自分で作ったお休み届を、いっしょに登校する班長さんにわたして先生に届けてもらうようにお願いしています、
ゆんは学校に行っても友だちがいなくてつまらないです。学校を楽しむために友だちを作りたくても、人と話すのが苦手なゆんはだれにも話しをかけられないのです。そんなゆんが持っているのはせいぜいたくさんのお金だけで、いくら流行りの物を買っても、ゆんの家にはだれも遊びには来てくれないのです。昔はいろんな子が遊びに来てくれたのですが、小学生に上がって、どこの家も遊び道具がそろってくると、みんなゆんの家には来なくなってしまいました。
胸がしめつけられて、息がしにくいです。
ゆんはなにも悪いことをしてないのに、どうしてこうなってしまったのでしょうか。わかりません。いくら考えても、理由が見つかりません。気がついたころには、ゆんの周りにはだれもいなくなり、前までしゃべっていたはずのお人形さんも、話さなくなってしまいました。
もしかしたら、この気持ちからにげるために、ゆんは電車に乗っているのかもしれません。
この電車は、丸を描いて走っているので、同じ場所を行ったり来たりしかしないのです。知らない人と同じ電車に乗って、同じ風景を見て、同じ時間を過ごすことで、この気持ちをごまかしているのかもしれません。
まだお昼にもなっていないのに、目が机みたいに重くなってきました。学校で授業を受けていないのに眠気がおそってきます。朝からママに大声で怒ったからでしょう。
ゆんは口を開けてあくびし、電車にゆられながら目を閉じました。
がたん、と体がゆれました。
だれかに肩をゆすられて起こされたみたいです。
どれくらい寝ていたのか、ゆんはスマホで時間を確認します。十四時です。窓の外を見ると空がわたあめみたいな雲でおおわれていました。色は黒っぽく、これから悪いことが起きそうな予感がしました。雲に太陽を隠された車内は暗く、半分くらいの人がぬれていないかさを持っています。
ずっと同じたいせいで座っていたせいか腰は痛み、あごを上げてねていたせいか首も痛く、これ以上座り続けるのは無理そうです。
家の最寄り駅に着き、アナウンスが流れると同時にドアが開きました。
ゆんはひざの上に乗せていたランドセルを背負い外へ出て行きます。
自販機のかげに隠れ、通知音のうるさかったスマホを確認します。そこにはママからたくさんのラインが届いていました。が、すべて未読無視しました。
改札を出たあと、家には帰らず近くにある公園に寄りました。遊具はすべり台、ブランコ、砂場くらいしかなく、家と家のすきまに建てられたようなこの公園にはだれも来ていません。
ご飯ちょうだいよ、とお腹が鳴きました。
でもゆんは動けません。ここから動く気力が残っていませんでした。代わりにとなりの家から出てくるクッキーみたいなにおいを、息ができなくなるくらい吸いこみます。鼻から入ってきたあまいかおりが、つかれきったゆんの心をいやしてくれます。
この家には子供がいるのでしょうか。時間帯はおやつの時間です。このあまいにおいはきっとママの手作りなのでしょう。スーパーで売っているクッキーのふくろを開けたところで、家の外にまでにおいが出てくるなんてありえません。
ゆんの家にはお菓子がたくさんあります。ゆんとママだけしかいないのに、五人ぶんくらいお菓子があります。けれど、ぜんぶ、どこかのお店で買ったものです。それも数量限定とか、その県の名物をわざわざ家に取り寄せたものとか——ママの手作りのお菓子は一つもありません。もちろんどれも美味しいのですが、ゆんの心に残るような味ではないのです。
ぼーっとゆんがベンチに座っていると、としがまだ若い家族が入ってきました。ママはベビーカーをおしていて、パパは女の子とてをつないでいます。女の子はパパとはしゃぎながらすべり台をすべると、今度は砂場の方へ行き二人で笑いながら山を作ってはくずしてをくり返しました。ママはパパたちのすぐそばに立ちながら、赤ちゃんをゆらゆらし、自分も遊んでいるかのように笑顔で見守っています。
「……あ」
まぬけな声が、ゆんの口からもれてきました。
かみの毛に雨が、いってき、にてき、と降ってきます。すると空から、怒鳴り声が聞こえてきました。これはきっと、大雨になります。ようちえんに通っていたとき、ゆんはこの大雨に飲みこまれて、家に帰ったころにはシャワーを浴びたようになっていました。
そして今も、ゆんはかさを持っていません。
電車でかさを持っている人を見かけたのに、どうしてゆんは雨が降ると予想できなかったのでしょうか。お腹の虫の言うとおりに動いて、コンビニに行っていればよかった、といまさらですが後悔しています。
ふとゆんはここで遊んでいる家族に目を向けました。ママはしゃがみこみ、ベビーカーの下からかさを二つ出すと、その内の一つをパパにわたしました。そしてパパがかさを差すと、女の子はサルみたくパパの足にしがみつきました。
子供たちをかさの下に入れたママとパパは、いっしゅんゆんを見ましたが、なにごともなかったかのように公園を出て行きました。
「……どうして」
朝まで風通しのよかった服が、今ではゆんの心みたいに、風を通すよゆうすらなくなっています。
ゆんは空を見上げます。
灰色の雲が空をおおっています。ところどころ色が違い、でこぼこしていて、いくつもの雲が重なっているように見えます。いつもこの光景を見て、ゆんはずるいと思うのです。ゆんがもし月だとしたら周りの人は雲です。周りの人はゆんが幸せそうに見えるかもしれませんが、ゆんからしたら周りの人の方が幸せそうに見えるのです。ゆんの上辺だけを見たら、買えないものがないという理由で幸せそうに見えるかもしれません。だけど、ゆんは一人です。周りにはゆんと同じくかがやいている人はいません。周りの人の生活は、ゆんに比べたら暗く見えてしまうでしょうが、ほんとうに暗いのはゆんの方なのです。
ゆんは立ち上がり、公園を後にします。
他の家族を見てしまうと、どうしてもゆんは自分の家族と比べてしまうのです。あの子のママが持っていたバック、あの子のパパが手首に付けていた時計は、ゆんの家にあるものよりも買いやすそうなものでした。けれども、ゆんの家族の方が、あの子の家族よりも下に見えてしまうのです。あの家に生まれたかった、とさえ思ってしまうのです。
目の奥から出てくるなみだを必死におさえながら、ゆんはまた最寄り駅へ走り、駅ビルにあるおもちゃ屋さんに入りました。いろんなおもちゃでかべが隠れている店内に、ショッピングカートをおしている子連れの親が歩いていました。どれを買うか、と楽しそうに話し合いながら店内を回っています。またです。公園で見た家族のように楽しそうです。こんな光景を見ていたら呼吸ができません。苦しくて、苦しくて、どうしようもないのです。
ゆんは手に持てるだけのお人形さんを持ちます。手から落ちそうになるお人形さんを抱きかかえながらレジに行き、ランドセルでねていたぶたさんを取り出します。ぶたさんの持っているお札を店員さんにわたし、たくさんのお人形さんをふくろにつめてもらい、手の平よりも大きなレシートは受け取らず、幸せに包まれているおもちゃ屋さんを走って出ました。
ゆんの居場所なんてどこにもありません。
どこもゆんを目には見えないかべで追い出してきます。
お前は仲間外れだ、と耳には届かない声で、そのかべはゆんを追い出してきます。
胸が痛くて、痛くて、どうしようもありません。ゆんには味わえない幸せが、胸をぎゅっ、としめつけてきます。
駅のはじっこでうずくまり、どうしてゆんがこんな目に合わないといけないの、と頭の中でくり返していました。すると、どこからかだれかの歌声が聞こえてきました。
その声は直接頭にひびいてくるようなすき通る声で、聞いた人はだれでもふり向いてしまう、そんな力のある声でした。ゆんはうつむいていた顔を上げて、声がする方に目を向けると、そこには細身な女性がギターをひきながら歌っていました。
その女性の周りには、帰りがけの学生やサラリーマンがたくさんいました。友達と話しながら聞いている人もいれば、一人でうんうんとうなずきながら聞いている人もいます。聞き方はそれぞれ違いますが、みんな笑顔なのには変わりません。
まぶしいです。
ゆんにとって、あの女性が放つふんいきは自分の足りないところを見せつけられているようで目を背けたくなります。でも、目が離せなかったのです。それも、時間を忘れてしまうくらい、ひきつけられてしまいました。
きっと、死を目前としているお金持ちなおばあちゃんはこんな気持ちになるのでしょう。
ゆんはまだ若いけれど、あの女性みたいにはなれないのです。
勉強も運動も人と話すこともできず、お金しか持っていないゆんは、なんににもなれません。
今までゆんが与えられてきたものはお金で買えるものしかないのです。
どうやって自分の想いを伝えればいいのか、どうやって自分の夢を持てばいいのか、どうやって夢に向かってがんばればいいのか。どれもわかりません。ただ知っていることは、お金で欲しいものは買える、これだけなのです。
ゆんは見続けます。
自分にはないものを目に焼き付けるように見続けます。
あの女性から出るふんいきは、ゆんが目を背けることを許してくれません。お前は一人だ、とのろいのように唱え続けてきます。
そののろいにゆんの心は、空っぽになった葉が小さな虫に少しずつ食べられるように、跡形もなくむしばまれていくのでした。
ここまで読める方、凄いと思います(笑)
わたしだったら絶対に読めません……