短編 交通事故
通学路には落ち葉が散り、9月の風は若干の冷たさを伝えている。
道路脇にある木々がその風に揺られて、ガサガサと葉を揺らす。
そんなありふれた光景を歩いている俺――久保翔太は、これから始まる学校に徒歩で向かっていた。
今日は夏休み明けで、出された宿題や筆記用具などを鞄に入れている。
高校生である俺は、中学校とは違い、宿題を出さなければ最悪留年の可能性だってあり。
若干ハードな日々がまた始まるという事もあって、少しだけ気分が沈む。
ニュースでは自殺者の報道が絶えず続けられていて。
人身事故なんてワードをたくさん聞いてしまったので、その単語を覚えてしまった。
そのほとんどが社会人なので、仕事がどれだけ辛いのかなんて、ありありと想像できる。
家から学校までは約10分。
通学で電車に乗ることも無いので、俺はすっかり慣れ親しんだ風景に退屈していた。
「……寒っ」
そう呟いた俺は、ポケットに手を入れる。
9月の風は冷たい。
半袖で来るべきではなかったか。
平坦な道を歩いていると、小さい頃とは違って視点が高くなっている事を実感した。
現実的な事を考えられるようになっている俺は、少しだけ大人に近づいたはず。
高校2年生の俺は、そんな事を考えながら足を進める。
音を立てて車が通り過ぎていく。
それに視線を当て、車が前に行ってしまった所で、俺は少し前にいる同じ制服を着た少女を見つめた。
肩まで伸ばしている髪に小さな体。
そして整った顔立ちの高校生。
同じクラスの■■ ■■だ。
「あれ?」
おかしいな。
名前が思い出せない。
思い出せそうで、思い出せない。
……まあいいか。
別に恋をしている訳でも知り合いなわけでもない奴だ。
そもそも話したこともないし、忘れた所で何か問題がある訳ではない。
「ふぁ……あ」
あくびが出る。
昨日夜更ししすぎたか?
ネット小説を読み漁って、気がつけば深夜の3時になっていた事を思い出す。
あくびと同時に視界がぼやける。
涙が出てきていたのだ。
腕で乱暴にゴシゴシと涙を吹くと、再び前を見た。
前にはあの綺麗な少女がいて。
風に吹かれて、髪がフワッと揺れる。
「…………」
あいつとは、同じクラスだったはずだ。
同じクラスで、隣の席だったはずだ。
なぜ名前が思い出せない?
あんな見た目の奴だ。インパクトが強すぎて忘れられるずがないだろう。
――ズキン。
頭痛がした。
何か大切な事を忘れたような気がして、俺は立ち止まる。
忘れた事があるはずだ。何か重要で、とても大切な事を。
前を見ると、信号の所で立ち止まっている少女の姿があり。
目測で2メートルは離れた所に、俺はいた。
「…………」
頭痛が収まる。
何を考えてたんだっけ?
とにかく、このまま向こうに行くのもなんなので、ここで立ち止まることにした。
そこで、もう一度頭痛が走る。
さっきからこの頭痛は何だ。顔をしかめた後に前を見ると、俺はある事に気づく。
反対車線から車がこちらに近づいて来ていたのだ。
正確にはあの少女がいるところに。
暴走車、なんて単語が浮かぶ。
なぜあんな所から車が近づいてくるのか分からなかったものの、ここにいれば安全だと言うことだけは分かる。
あいつもあの車に気づくだろう。
さっさと逃げればいいのに、なぜあそこからにげないのだろうか。
そう思っていたのだが。
「は?」
口からそんな声が出てくる。
いや、いやいやいや!
なんで逃げないんだよ!
もうあの車は反対車線からこちらの車線に来ている。
こちら側を走っていた車は、前から来る車に気づき、慌てたように急停車して
横からはあの車が迫ってきた。
あの車が少女に追突するのは、このまま行けば確かに起こる未来だろう。
俺は車の進行方向にいないので、あいつが轢かれるのをただ見ることになるわけだが。
なんでこいつは動かない?
そう思って近くに行き、何をしているのか覗いてみると、なんとスマホをいじっていた。
歩きスマホではない。
だが、この状況でそれは致命的だ。あの車の進行方向に入った俺達は、このまま行けば轢かれる。
轢かれる。
轢かれてしまう。
女性の悲鳴が聞こえた。
向こう側にいる女性。
いつの間にかスローモーションになった視界で、手を胸の前に組んで叫んでいる。
この状況で俺はどうするべきか。
スローモーションになった視界で俺は考えて。
目の前のこいつだけでも助けられるという結論に至る。
ああ、二人死ぬよりも一人死ぬほうがまだましだ。
何倍も、何十倍も。
この状況で俺はどうするべきか。
考える。
――気がつくと、俺はこいつの体を蹴っていた。
車のブレーキが踏まれる音。
目の前には車。
そして、蹴る際に空中に投げ出された体。
なぜこんな事をしたのかは分からない。
けど、こうしないといけない気がして。
少女のポカンとした顔を最後に、俺の視界は暗転し
グシャッ。