スターチス
爆発音がうるさかった。そこかしこから煙が上がっていて、怒号や悲鳴、銃声が遠くの方から聞こえてくる。まわりに生きている者はもういなかった。俺と、彼を除いて。
「行った……か……?」
弱々しい声。誰のことを指しているのかすぐに分かり、俺は顔をしかめる。
「……行ったよ。代わりに撃たれたおまえには目もくれず、我先に撤退しやがった」
「そうか……それは、よかった……」
「……どこがだよ」
舌打ちを鳴らす。よかったことなんて、今この場所に何ひとつない。彼が身を挺して守った指揮官は一目散に逃げ去り、そこら中には死体が転がっている。青々としていた緑は灰となり、土は爆撃でめくれ上がり、ありとあらゆる"生"が一瞬で奪われた。唯一の希望である彼さえ、今、俺の目の前で消えかけている。
「誰かを」
彼は仰向けに転がったまま、言葉を打ち上げた。
「誰かを、守って死ぬなんて、俺らしい……そうだろ?」
「うるさい。もうしゃべるな」
体重を掛けるようにして、彼の腹部を押さえる。血は止まらない。
「おい、死ぬなよ。約束守れ。酒飲みに行くんだろ」
「ああ……そうだ……酒、を……」
そこで彼の言葉が途切れた。話の続きを楽しみにしてるかのように、口角が僅かに上がっている。
声を掛けるのが怖くて、体を揺らした。名前を呼んで、反応がないことを確かめるのが怖かった。おい、とやっとの思いで小さく呼び掛けるが、その声もひどく震えて、届いているのかすら分からない。
ああ、寝たのか、と脳が突飛な答えを出す。こんな荒野で、戦場のど真ん中で、のんきに寝るなんてあるはずないのに、俺はそうして自分を納得させることしかできない。
ああ、そうだな、すこし疲れたよな。俺もだ。転がる死体の中心で、ただひとり座り込んでいる俺もきっと、すぐに誰かが眠らせてくれる。きっと、すぐに会える。
そして、一際大きな銃声が空に響いた。
* * *
父が事故に遭ったらしい。今すぐ治療費必要だからと祖母に30万円入った封筒を押し付けられたのが30分ほど前。病院までは距離があるため、駅の近くで代理の人が受け取りに来てくれるらしい。早くお金を渡さないと手術ができないって……! と、電話を受けた祖母は動転していて、震える手で茶封筒を寄越した。
まさか事故なんて、そんなはず……と思う私の手もしっかり震えていた。この封筒を渡さなければ、父の命が危ないのかもしれない。そう思うと、とても生きた心地がしなかった。
「やっと見つけた……って、おい。顔真っ青だけど、大丈夫?」
じっとしていられず、駅前をうろうろしていると男の人に声を声を掛けられた。このひと……もしかして代理のひとだ!
「だ、大丈夫です、あ、あの、これ、お願いします……!」
半泣きになりながら、ぶるぶると生き物のように震える封筒を男の人の胸に押し付ける。男の人は気味が悪そうに軽く身を引きながら、封筒と私を交互に見ている。目を逸らしたら逃げられる気がして、頼みの綱がここで切れてしまう気がして、私はぼやける視界で必死にその人を見た。若い男の人だ。私よりすこし年上に見える。
「えーと……まあ、大体察しはつくけど、とりあえず経緯聞いとくわ」
焦る気持ちを抑えながら、なんとか説明を終えると、男性は気持ちのいいほど冷めた声で、うん、詐欺だな、と言った。
「さ……?」
さぎ? さぎって……何だっけ?
「親父さんに連絡したの?」
「いや、連絡取れる状態じゃ……!」
「いいから電話してみろって。でなきゃ、この封筒は受け取らない」
とても興味なさそうに、その人はポケットから煙草を取り出すと口にくわえた。人の父親が大変なときに……! と睨みつけながらスマホを取り出す。もう嫌だ、早くお金を受け取ってほしい。早く、早く助け『もしもし?』
「お……」
お父さん……!? と思わず声がひっくり返った。「おと……っだ、大丈夫……怪我……事故……!」 とまさかの応答に、私は単語を紡ぐことしか出来ない。
それから紛れもない父親の声をしばらく聞いて、話して、通話終了をタップした。しまいには、そんなゴテゴテな手に引っ掛かるんじゃない! と説教される始末だった。ごめんなさい。
「よかったな、親父さん元気で」
煙草を携帯灰皿に押し付けながら、男が言った。ほらみろ、言っただろ、と得意気に笑っている。
「っ、おい……!?」
私はというと、全身から力が抜け、へなへなとその場にしゃがみ込んでしまった。よかった、お父さん、怪我してなかった。おばあちゃんのお金も取られなかった。
「よかったよぉ……」
さっきとは別の涙が浮かんでくる。ふわりと煙草の匂いが強くなると、男が目線を合わせるようにしゃがんでいた。膝を外に向けるようにして、こちらを見ている。柄、悪いな。……というかこの人は誰だっけ?
「おまえ、相変わらず自分より他人のことなのな」
まあ、おまえらしいっちゃらしいけど、とその人は呆れたような、嬉しそうな、声だった。
「どこかで会いましたっけ……?」
彼はすこし間を置いたあと、さあ、どうだろうな? とはぐらかした。……前に会ったことがある? 困惑する私を置き去りにして、彼は、そんなことより、と話を進めた。そんなことより、って、私はすごく気になってるのに勝手に進めないでほしい。
「約束、守ってくれよ。酒、飲みに行こうぜ」
「は!? いや、私まだ未成年ですし……!」
「なんだよ、じゃあコーヒーでいいから付き合え」
「な……っ」
なんだ、この人。あれ、これ、私またなにかの事件に巻き込まれそうになってるのだろうか。詐欺の次は誘拐?
「……」
「おまえ、詐欺には簡単に引っ掛かるくせに、恩人には警戒心丸出しなのな」
「!!」
図星すぎて言葉にならない。恩人……たしかに恩人だけど……!
「べつに取って食やしねぇよ。すこし話すくらいいいだろ?」
さ、行こうぜ、と歩き始める彼の後ろを、じりじりと迷いながら進む。行くべきか、行かざるべきか……。
「つーか、来ねぇと金返さないけどいいわけ?」
おばあちゃんのお金! 封筒をひらひらと揺らされ、私は大慌てで追い掛けた。騙されそうになった直後でおかしいけど、悪い人に見えない、と思っている私はかなりチョロいのかもしれない。
テーマを決めてから書いてみよう、とスターチスの花言葉から連想して書いたものでした。
とにかく書ききることを目指したので文体がすこし砕け気味です。2018年1月の話。