第9話 異世界の男爵令嬢(姉)のまどろみ
「……で、なんで、あんなのと一緒にいるわけ?」
ガーネット・ベルン嬢は、闘技場のあけすけな友人に酒席、いわゆる女子会でこう聞かれたことがある。
ガーネットは、質問にはっきり答える事ができなかった。
「どこがいいの?」
自分でもわからない……なりゆきだったとしか言いようがない。
「やっぱり何か弱みを握られてるとか? 相談に乗るよ! 私達!」
それは否定しておいた。
「あなたなら他に、もっといい男がいるって! 絶対!」
それもピンとこなかった。
ガーネットの意中の男は、自分や妹達との関係をはっきりさせようとしない。
「俺は女とちゃんと正面切って付き合うことが無理なんだ……」
と言っていた。
だが手だけは遠慮せずしっかりと最後まで出してくるあたり、奴は責任をとりたくない卑怯者か、はっきりした関係を築くのが怖い臆病者なのだ。
ガーネットの鈍くとも確かな女の勘が警鐘を鳴らす。
卑怯者も、臆病者も、ガーネットは大嫌いだった。反吐が出た。
だが、卑怯者が一瞬だけ見せた気骨や、臆病者が振り絞って見せる勇気は、どんな聖者や勇者のそれより輝いて見えてしまうことがある……。
それが一時の気の迷いを生んだのだ。
曖昧なままふらふらとさせておいて自分のことだけを愛せ、そんな都合の良い女がどこにいるだろう。
……ここに居てしまったのだ。まさか自分が、だ。
「酔っぱらって四六時中殴ってくる男娼がさー。たまに自分に優しくしてくれるからいつまでも貢いじゃうみたいなもんじゃない?」
剣闘士のゴーレムマスターの友人がケラケラと言う。
身も蓋もなかった。
すべては、なりゆきだった。
そのなりゆきを語るには、ガーネットとベルン男爵家の女達に降りかかった事件から描かねばならない……。
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8歳のあの日のことだ。
妹が。
ルナリアが来た日のことを、ガーネット・ベルン嬢は今でも鮮明に覚えている。
「これがお前の妹だぞ」
「…いもうと?」
父が胸に抱えた毛布の塊を覗き込む。
銀髪のうぶ毛。ぷっくりした褐色の肌。吸い込まれるようなエメラルドの瞳が自分を見返していた。
「わぁ」
指で頬を触ると、吸い込まれるように沈み込み、ぷよんと弾き返される。
「……抱いていい?」
「気をつけるんだぞ」
赤子特有の汗の酸っぱい匂いには少々顔をしかめたが……。毛布に包まれた愛らしい赤子を父と一緒に抱きあげて、ガーネットはまるで一番の宝物を見つけたような顔になっていた。
そしてそれは彼女の世界で一番の宝物になった。
母親危篤の報が届き、それでも戦地に留まらなければいけなかった父。母の死に際を看取らなかった、いや看取れなかった父を、8歳のガーネットは恨みがましく思うこともあった。
だが同時に物分りのいいもう一人の自分がそれを見ていて、騎士たるもの受け入れねばならないと自分を押さえつけた気がする。
父が帰ってきたのは母の納められた氷の棺が溶けはじめた頃だった。
母の葬儀を終え幾日かした後、父親が不意に妹と使用人達を連れてきた。
その日から大事な家族が何人も増え、ガーネットの屋敷はにぎやかになった。
父が連れてきたメイド長と警備兵長の獣人ハウはガーネットにとって時に厳しい教育係であったが、同時に遊び相手でもあり、大抵のことは話せる友達であり、いつしか家族になっていた。
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「あはははははは! いくよルナリア」
「うふふふふふ、ははははは!」
父は機嫌が良いと愛機のゴウレム『ゲートキーパー』を持ち出し、庭に出ては熊のように大きなそのゴウレムにさまざまなポーズをさせた。
ゴウレムの大きな腕を滑り台やブランコの支柱にして自分たち姉妹を遊ばせてくれたのだ。
メイド長にはずいぶんたしなめられたものだが、磊落な父は耳を貸さなかった。
そして、軍服を付けて『ゲートキーパー』に乗り、戦地に向かう父の姿は子供心に憧れを禁じえなかった。
ルアリアとは8つ年が離れているから、自分が妹と一緒に遊ぶのは短い期間だったと思う。
だが、父の駆るゴウレムの背に乗って、領地にある海の見える高原を走ったあの夏の景色は未だに忘れることができない。
メイド長のつくってくれたお弁当がおいしくて、父上や妹と見る海がまぶしくて、この時間をどうしても夕方で終わらせたくなかった
自分は普段は言わないわがままを言った。どうせ叶わなくても良い。けれど……。
「嫌、私、帰りたくない! お父様とルナリアとメイド長とハウと、皆で一緒にまだここにいたいの! 見てお父様! 一番星よ! きっと、きっと夜空はもっとすごくきれいよ!」
自分はお父様にわがままを言いその高原に野宿することになったんだと、ガーネットは思い出す。同行したハウと、メイド長がしぶしぶ旅用の夜具を近隣の家から手配して用意してくれた。
焚き火を囲みながら、父とガーネット、ルナリアは、3つの月と星の運河を夜が明けるまで見ていた。
その年の秋から、ガーネットは寄宿舎に入り、父や妹、屋敷の家族同然の使用人達とは離れて暮らすこととなった。