第7話 29歳、手取り16万8000円、日給月給制、残業代・休日出勤手当なし、有給なし、健康診断無し
社内は常にうるさい。
3Dプリンターの出力ヘッドが上下する規則的な音。光造形機の耳障りなウィーンという機械音ピシュンピシュンと光を飛ばす音。自動の彫刻機がABSを削る音。たまに旋盤機の前に立った誰かがガラスに爪を立てるか歯医者のドリル音もかくやという不快さで何かを削る。
もう慣れたものだ。
玩具原型の世界では、ここ数年機械化が急速に進んでいる。原型師の机にはリューターやデザインナイフではなくCADの動くパソコンが並ぶようになった。最近の他の会社の現場は見ていないが、玩具やフィギュアの開発会社、設計会社とはだいたいこんなものだろう。
騒音の中で俺は頼まれた企画書をまとめている。
俺は烏丸からす。もちろん本名じゃない。ペンネームだ。昔、いや大昔か。一度だけ回ってきた模型誌の作例仕事の時につけた名前を今も使っているだけ。作例はオーダーされたプラモデルを組み上げ、写真を撮ってもらい、それに解説の文字をつける。4ページで2万円の仕事だった。
模型誌の作例は名前を売りたい新人か、模型を再度趣味に出来た大御所の仕事だろう。
無論俺は前者だった。
気が付けば29歳。もうすぐ30になる。
俺の勤め先の主な業務は玩具の開発。
玩具というものは実は、名前の出るメーカーの社内だけで作られているわけではない。
大抵名前の出ない下請けや、孫請けが開発に携わっている。
うちもそんな下請け孫請け、表に名前の出ない会社のひとつ。社員…ではなく『従業員』20名足らずの零細企業だ。
誰もが名前を知るような大手の玩具メーカーから、営業兼務のスタッフがとってきた仕事を社内の現場が分担し、あるいは外注にも協力してもらって、こなすことで仕事を回している。
仕事の内容はさまざまだ。元受けの会社内で商品のプレゼンを通すための企画書作りであったり、商品そのもののデザインであったり、機構を検証する試作であったり、そして商品=玩具やフィギュアそのものの原型であったりする。
玩具やアニメなどのオタクカルチャーは昔から大好きだった。現実と創作が違うものであると見極めのついた10代の頃、その10代の頃から、いつか、いや絶対に関連した仕事に就くと心に決めていた。
二十歳になるかならないかという頃、偶然社長と知り合い、この会社に入れてもらった。
夢が叶った。夢のようだった。
好きな仕事をさせてもらっている。そんな思いで駆け抜けてきた10年だった……。
だが、ふとしたことで夢は覚める。
29歳。手取り16万8000円。日給月給制。残業代無し。有給制度なし。ボーナスは3万円。社会保険は2年前にようやく加入できた。(それまでは国民健康保険を個人で支払っていた。自営業の個人事業主というくくりになる)
健康診断は無い。
始業時間は13時~終業時間は終電まで。おおよそ毎日11時間会社に拘束される。もちろん仕事が終わらなければ会社にそのまま居残って仕事をする。仕事が重なってこなしきれずに休日に出勤する。その分の超過手当など出ない。
好きな仕事をやらせて貰っているから。
若い頃はこの条件でも良かったが、30も近くなると驚くほど体の自由が利かなくなる。
給料は上がらず、物価と税金だけが上がり続ける。カードのキャッシングは膨らむ一方だ。
誰が言ったか、「やりがい搾取」という言葉が耳に残った。
それでも趣味を、好きなことを仕事にできた以上、そして受けている仕事がある以上、仕事をやめて他に行こうという考えは思い浮かばなかった。
……だが、この10年色々なことがあった。……ありすぎた。
人が増えるにつれて、社内には派閥が生まれ、政治が始まってしまう。
社内政争は会社を2つに分断するような規模にまで発展し、その間仕事は手に付かなかった。
任された年上の部下が、言う事を聞かず……。
「そんなに俺の仕事が嫌なら、俺の部下をやめてもらってかまわないです。もうあなたに仕事はまわせません」
売り言葉に買い言葉で、やめさせてしまった。それも2人。
同僚同士の社内結婚と、その新郎が同時に行っていた同僚同士の社内不倫。
俺はその不倫した社員の処分の甘さに不服を申し立て社長との関係に亀裂が入る。
ついに会社に見切りをつけた同僚が仕事と積み上げてきたCADの汎用データを持ってライバル会社へ逃げた。転職先は福利厚生がしっかりしていてボーナスも有給も残業代も健康診断もあるそうだ。
仕事とデータを持って行ったのは、社長への意趣返しもあったんだろう、辞めたそいつは1ヵ月に辞める旨を会社に申し出たが、やめる旨を聞いて「裏切り者だ」と激昂した社長は、その日のうちにクビを切ったからだ……こういうの大丈夫なんだろうか……。
営業職が一人居なくなり、仕事が減るかと思いきや、社内は以前より少ない人員で回すため、必然的に作業量は増えた。自業自得で部下の居なかった俺は、その直撃を受けた。
ゴールを動かすタイプのお客さんに当たった。
一度試作と企画書を納品するのだが、もう一日締め切りを延ばすのでもう少し作業してくれないか?
お客さんの頼みは基本的に断れない。承諾して再度直しに入る。
100メートル走をゴールテープに向かって全力疾走したはずが、さらにゴールが100メートル伸びて再び走らなければならなくなった感じ。
結局その後〆切りは3回のび、締め切りも後ろにずれていく仕事にかかりきりになり、最後の納品日に気絶するように寝坊をして、その仕事を飛ばしてしまった。
「せっかく仕事を回してやったのに、お前のせいでお客さんとの条件面での交渉がもう出来なくなった」
と社長は会社のドアを蹴り飛ばした。
ただただ疲労感が心を埋め尽くしていた。
休日はただ布団で寝ているだけだ。
テレビを録画しても見る気分が起きない。
10代から学生時代あんなに好きだったアニメもだ。
俺はだんだん人間としての心を失っていくのが分かった。逃げるように飲む酒の量も多くなっていった。
ゼロカロリーのストロング。アルコールは9%。500のロング缶のつぶれたのがそこらに転がってる。
こうして寝てる間も空き缶は増えてゆく。
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異変はある日突然に起こった。
いつも通りに昼過ぎに会社に出る。ばらばらと同僚が出てきている。
自分のPCをつける。
勤怠管理サイトでタイムカードをつけ、メールをチェックする。
今日から数日の仕事は、児童誌のぼくの考えた○○コンテスト用の景品作り。既製品の玩具を改造して形状を変える新人でも出来る仕事だ。
気分転換にコーヒーを入れ、ネットを少々見る。うちの会社はソーシャルメディアやネットの閲覧に寛大だというか特に制限はない。
なんとなくネットを見ていると、気がつけば夜の10時を過ぎていた。
今日はもう調子が出ないので、明日に回そう。リーダーは勤怠管理もある程度任されている。今日はたまたま具合が悪かっただけさ。
だが、明くる日も手が進むことはなかった。
何も作れなくなっていた。
はじめは自分に何が起きたかわからなかった。
原型を作る手が進まない。手が動かないのだ……。
気分を変えようと、まだ〆切りに余裕のあるCADの仕事に手をつけてみたが、ソフトで線を引くこともできない、めまいがする。光造形の溝をサフで埋めて磨く程度の事までできなくなっていた。
会社でほとんど何もせず、遅れを取り戻そうと家に持ち帰ってやってみるが、やはり手が動かなかった。
部屋に積んである趣味のプラモデル、その一つを思い切って開けてみた。そこそこプレミアがついている自分が子供の頃一番好きだったプラモデル。
数年前に未組立て新品を見つけて買い戻し、何かいいことがあった時に「御褒美」に作ろうと決めていたものだ。
内袋を開封し、ニッパーで頭のパーツを切り出す。
頭になる2パーツを切り出してやすりをあて、パーツを合わせた所で手が止まった。
大好きなもののはずだったのに、それ以上手が動かなかった。
何故だかわからないが、涙が止まらなかった。
その後、もう1件仕事の納期を飛ばしてしまった俺にはもう二度と原型の仕事を回さないということが決まった。
今は自分が育てた20代前半のホープに細々した仕事を回してもらっている。
……つまり上司だ。なんの事はない。あれだけ自分が苦手にしていた、年上の部下に、俺はなってしまったわけだ。
今日は騒音の響く社内で、黙々と企画書に使う画像をネットで集めている。
かつての後輩に使われる気分は……何も感じない。
悔しいとかかなしいとか、腹立たしいとか、そういう気持ちがまるで何も起こらなくなっていた。
それでも仕事をやめられないのは、趣味を、好きな事を仕事にしてしまったためか。ここを離れれば自分がなくなってしまうような気がするのだ……。
趣味を仕事にするべきではない。
特に一番好きなことは、仕事にするものではない。仕事にしたら趣味が無くなってしまうから。
昔からこの世界では言われていることだ。
趣味を失った今、犠牲にして得たはずの仕事まで失うわけにはいかない。
幸いまだ会社には自分の席がある。
この零細企業で、社長と対立していて何故まだ在籍できるのか不思議に思うこともあるが、まだ玩具とこの業界が大好きだったころの腕を買ってもらっているのかもしれない……。
ありがたいと思う。
プライドなどこの10年でとっくになくしてしまった。
心はどうだ?
何も感じなくなった。
今は窓際にいる。温情で置いてもらっていると言ってもいいか。
全く原型が作れなくなってしまった原型師。
それでも原型師でいたいと思う元原型師。
それが俺の今の状況だ。