第10話 異世界の男爵令嬢(姉)の望み
ガーネットが入学したのは貴族の子息が入る学園だった。ここで上流階級に相応しい教養と武芸を学ぶ。
優秀な成績を収め、本人が望めば軍に士官候補生として取り立てられる。父と同じ軍人を目指す彼女にとってまたとない機会だった。
ベルン家の爵位は男爵にあたる。
このへリック大陸全土を統べるへリック王政下において、公・侯・伯・子・男の五爵位のうち、最も身分の低いのが男爵家だ。
父は元々一兵卒であった。
だが、先祖伝来のゴウレムであるゲートキーパーを数世代ぶりに起動させ、それを駆って戦場で活躍して得た武勲で爵位を頂き男爵となった。
ガーネットの母親も元は市居の女性であったため、彼女自身男爵という身分はどこかなじめないものを感じていた。
過去数人の異界人がもたらした男女同権や身分の垣根を越える概念は、自分の世代ではかなり浸透してきてはいる。だが、それでも未だ身分制度が厳格に敷かれているのが貴族の世界だ。
高貴な者ほど先頭に立って国難にたちむかうべしというノブレス・オブリージュを体現するため、学園の生徒は一定期間、見習いの兵隊として軍隊に送られることがある。
……と、いっても最前線や危険な任務に送られることはまれで、兵站の輸送任務や、怪物駆除の後方支援などに従事することがもっぱらであった。
ガーネットの運命はこの任務中に、ある老人を助けたことで劇的に変わる。
兵站輸送を行っていたガーネットの小隊が、馬車強盗に出くわした。
ガーネットは独自の判断で、輸送用のゴウレムに乗り、強盗の一味に襲いかかったのだ。
この時に救った老人が、実は高名なゴーレム・マイスターテーロス師であった。
職務を放棄し処分を受けることになったガーネットに対し、テーロス師は感謝をこめて一体のゴウレムを送る事にした。
騎乗タイプの馬型ゴウレムルビーアイである。
依頼されたものに比べ、マイスター自らが望んでその腕を奮った彫像はその仕上がりが格段に見事になる。馬のなめらかな筋肉と豊かなたてがみは精緻に彫刻されており、さらにその全身を鎧が覆うとても見事な軍馬の彫像となった。ルビーアイの名の通り、馬の目の部分はルビーで出来ていた。
操作権を得るために、テーロス師の指導に従って最後の仕上げをガーネット自身が自分で彫刻を加え、制作者の魔力を吸って動く生きた彫像ゴウレムとした。
軍馬ゴウレムルビーアイは、命令違反を犯し事実上軍属になる道を断たれたガーネットに様々な武功をもたらしてくれた。
イレギュラーで学園間際にフォレストワームの群れが現れたことがある。避難が命じられる中、ガーネットとルビーアイは生徒達が安全に避難する時間を稼ぐため、単身フォレストワームの群れに立ち向かい、次々とその頭を踏みつぶして、しまいには単騎で追い払うことができた。
実力を認められたガーネットは命令違反を恩赦され、ベテランの兵士達に交じり、怪物の駆除の最前線に参戦することを許された。
そして多くの怪物達を倒したガーネットには、学生の身でありながら直々に勲章が送られることとなったのだ。
ガーネットはこのルビーアイに乗って、いずれ父とともに戦場を駆けることを確信してやまなかった。
とても幸せだった。とても幸せだった。
不意に誰かが背中を抱きすくめる感覚を覚えて、ガーネットは目を覚ました。
「あっ……あの…ごめんなさい姉さま、起こしてしまいましたね」
妹が、ガーネットの肩に毛布をかけていたところだった。
あわあわとしているルナリナ。
起きてしまったガーネットは、今までの光景がすべて夢であったと気付く。
あの頃とは何もかも変わっている。妹は見違えるように美しく成長した。
『もし貴家さえよろしければ……』という、縁談は、このベルン家が困窮した今でも引く手数多だが、本人の気持ちがどうにもわからない。ルナリアは引っ込み思案な子だ。
例えば望まない縁談だとしても、他の者を立てて自分はその意向に添うであろう。そんな娘だった。
「いいのよルナリア」
「今、お茶をお持ちしますね」
「……ええ……お願いしようかしら」
それはメイド長にと言いかけて、やめた。使用人に頼る力はもうベルン家には残されていなかった。
ルナリアが部屋を出た後、ガーネットは椅子の背もたれに深く背を預けた。座り心地の良いものだったが、この椅子は売約済みだ。来週には引き取られることになっている。
戦場を父と駆ける夢は叶わなかった……。
父の執務室をそのまま受け継ぐ形で使っているその部屋に、大きく傷つき変わり果てた姿となったゴウレム、ゲートキーパーが鎮座していた。
あの頃とは何もかも変わってしまったのだ。




