第5話 崩れゆく日常
2018年7月16日 日本 東京 首相官邸
危機管理室の中は、非常に重苦しい雰囲気に包まれていた。
もっとも、この部屋が使用されるのは、国家の未来を左右する重要な事態が起こった時なのだから、当然だ。
自衛官である八重山羽々輝一尉は、総理大臣、官房長官、防衛大臣、外務大臣といった錚々たる面々の前に立っていた。
この国のブレーンたちに、詳細な調査結果を報告するためだ。
「岩国基地の惨状は目に余るものでした。施設という施設ははことごとく消滅し、駐機されていた戦闘機には焼け焦げたような跡がありました。
駐屯していた兵はほぼ壊滅し、わずかに生き残った者は皆うわ言を呟いています」
ら
説明に合わせてスクリーンに画像を表示する。
どれも岩国基地調査時に撮影されたものだ。
中にはかなり残酷な写真も含まれていた。
「敵の正体は依然不明。どんな武器が使われたのかすら検討もつきません」
「生存者がいただろう?彼らからの証言は何かないのか?」
伊川総理大臣は、憮然とした表情で八重山に質問をした。
妙なことに、伊川総理をはじめとした閣僚たちの表情にはそれほど困惑は見られない。
むしろ目を閉じて、何かを覚悟しているように見えた。
「それが…皆口を揃えて"空飛ぶ怪物を見た"と。基地司令官のフランク・マーティン大佐も死に際に同じことを」
大臣たちはお互いに顔を見合わせる。
だが、何も知らないという様子ではなかった。
むしろ、何かに怯えている、という表現が正しいかもしれない。
対して、本当に何も知らない八重山は
当然、この事態がどのようなものか見当もつかないし、大臣たちの真意など知る由もなかった。
「総理、話しても構いませんか?」
前田防衛大臣が問う。
「ああ、構わん。いずれは皆に知らせねばならないことだ」
伊川首相はゆっくりと首を縦に振った。
その答えを確認すると、前田防衛大臣は説明を始めた。
「数日前のことだ。イギリス空軍が、未知の飛翔生物と交戦した。戦闘の末撃墜に成功したが…死体は見つからなかった。
この少し前には謎の飛行物体がパキスタンからインドにかけて出現した。両国は互いの仕業だと非難したが、真相は分かっていない。飛行物体はそのまま中国国境に消えたという。
この他、南米やアフリカにも出現している」
八重山は理解が追いつかなかった。
あまりにも突飛すぎる話だ。
岩国基地の惨劇は人間ではなく、謎の飛翔生物によって起こされたのだというのか。
そんなことができる生物が存在するはずがない。
常識からあまりにも外れすぎている。
「信じられないのも分かる。我々だってそうだ」
困惑する八重山をなだめるように、防衛大臣は語りかける。
八重山もようやく、頭の中の整理がついてくる。
「敵の正体は何なんです?」
「分からん。ロシアでも中国でも、北朝鮮でもない。新種の生物か、古代に存在した生命体が復活したのか、もしくは生体兵器か…」
防衛大臣は右手で頭を抱える。
すると後ろに控えていた秘書官が、八重山にとある写真を渡す。
その写真には、巨大な影が写されていた。
10mはあるだろう。肉食動物のものに似た鋭い歯、コウモリのような翼…。
「まるでドラゴンだな…」
八重山は思わず呟く。
こんな怪物が存在するというのか。
これ程の巨体を持ち、一夜で軍事基地を壊滅させるほどの破壊力を有している。
怪物の正体に関しても勿論問題だ。
だがそれ以上の問題は、怪物が今この瞬間にも、どこかの町を襲うかもしれないということだ。
「…対応策はあるんですか?」
「間もなく全ての自衛隊基地に臨戦態勢が命じられる。それで防げればいいが…」
事態の全貌はまだ誰にも分からなかった。
だが災いの炎は、ゆっくりと、確実に世界へと拡がっていた。
2018年7月23日 日本 千葉県 六山市
峰人は数学の授業も聞かず、ただ空を眺めていた。
よく晴れた、気持ちのいい空だった。
…学校が終わったらまた飛ぼう。
峰人はそんなことを考えるようになっていた。
この1週間、毎日のようにこの空を飛んだ。
その時間は、何物にも代え難い至上の幸福であった。
まあ、最初に会った時はどうなるかと思ったが。
一応人間の常識にも精通しているようだし、竜騎士の力を使うのもそれほど難しいことではなかった。
それから、70年前のゾルダーとの戦いについても聞いた。
戦いの末にゾルダーを火山に封印したこと。力を使い果たしてこの時代まで眠っていたこと。そして、峰人と同じく竜騎士として戦ったかつての相棒のこと。
彼が生きているとすれば90歳近いはずだ。
2日後には夏休みだ。一度探しに行ってみるのもいいだろう。
「なあ峰人、最近どうしたんだ?空ばっかり見て…」
不意に、後ろから小声で話しかけられた。
隼太だ。
「え!?あっいや…」
突然の質問に峰人は戸惑った。
まさか「ドラゴンの背中に乗って飛び回るのを楽しみにしている」なんて言えるはずもない。
必死に答えを考えていると、
「しかもニヤニヤしてるし…はっきり言ってキモいぞ?」
などと言われてしまった。
まあ、隼太の言い分はもっともだ。
何もない空を見て笑みを浮かべるなど、どう見ても変な奴だ。
「宮原くん、どうかしましたか?」
「いいえ、何でもありませ〜ん」
先生の注意を軽く受け流し、隼太はまた机に向かい始めた。
ドン!という破壊音とともに学校全体が大きく揺れたのはその直後だった。
突然起こった揺れに、教室の中はパニックに陥る。
「何だ!?」
「地震か!!?」
「みんな机の下に隠れて!!」
あちこちから悲鳴が響く。
壁の装飾物もそこら中に落下する。
「おいおい何だよいきなり!??」
峰人も状況を掴めないまま、とりあえず机の下に隠れる。
地震だろうか?それにしては違和感がある。
ふと窓の外に目をやる。
その光景に、峰人は驚愕した。
割れんばかりに揺れるガラスの向こうには、2体のドラゴンがいた。
2体は取っ組み合い、互いの首筋に噛みつこうとしているようだ。
グリフォスではない。別のドラゴンだ。
2体は絡み合ったまま、その巨体を校舎に直撃させる。
その衝撃でまた教室が大きく揺れ、窓ガラスが粉々になる。
生徒たちはパニックに陥り、教師の指示も聞かず次々と教室を飛び出す。
峰人もまた、教室を飛び出した。
そしてそのまま、他の生徒たちとは逆の方向へ走り出す。
「おい峰人!?どこ行くんだ!」
後ろから微かに聞こえる隼太の声も無視し、人の流れに逆らってドラゴンが落ちた方へと向かう。
悲鳴と火災報知器の音が、耳をつんざく。
校舎がまた揺れる。
ドラゴンがまだ暴れているのだろう。
このままではまずい。
しばらく走ると、不意に上から太陽の光が注いだ。
上に目をやってみると、そこにはあるべき天井が無かった。
屋上部分は完全に崩壊している。
だが、そこからドラゴンの姿はなかった。
改めて空を見上げると、飛び去る2体のドラゴンが確認できた。
「グリフォス…グリフォス聞こえるか!?」
竜騎士の力の一つ、テレパシーを使ってみる。
これは、契約したドラゴンとならどんなに離れていても意思疎通ができるという、非常に優れたものだ。
『ああ、よく聞こえるぞ峰人。どうだ?テレパシー能力は気に入ったか?』
「待て待て、今はそれどころじゃない!別のドラゴンが現れた!」
『何だと!?ギデオン軍か?』
「それは分からないが…とにかく今すぐ来てくれ!」
峰人は連絡を終えると、周囲を見渡してみる。
ひどい惨状だった。この先の廊下は完全に破壊され、進むことができない。
ここに人がいたらまず助かっていないだろう。
「おい峰人!お前何やってんだ!」
後ろから名前を呼ばれ、峰人は驚いて振り向く。
隼太だった。心配して追いかけて来てくれたのだろう。
「馬鹿野郎!こんなとこに来るなんて…一体何考えてんだ!てかよ、さっきの怪物…ドラゴンじゃなかったか?」
怒るのか興奮するのかはっきりして欲しかったが、確かに彼の推察はドンピシャであった。
「あぁ…確かに…ドラゴンだったな…」
峰人はどう答えていいか分からず、しどろもどろになる。
「俺の見解だが、あれは多分北朝鮮の生体兵器だ!」
勝手な考察を語り出した隼太を無視して、負傷者がいないか探し始める。
「誰か…助けて…」
どこかから、かすれた声が聞こえた。
峰人と隼太は思わず顔を見合わせる。
二人とも聞こえたことを確認すると、すぐに声の主を探し始める。
「おい!どこだ!返事しろ!」
「ここ…ここにいる…」
声は、半壊した教室の中から聞こえていた。
2人は慎重に教室の中へと入る。
ところどころから日光が差しており、今にも崩れ出しそうだ。
声の主はすぐに見つかった。
「助けて…足が挟まってて動けない…」
そこには1人の少年が、左足を鉄骨に挟まれた状態で倒れていた。
「うわ…おい峰人!早く助けるぞ!」
「あ、ああ!」
峰人と隼太は、2人で力を合わせて鉄骨を持ち上げようとする。
だが、鉄骨は天井から続いており、中学生2人の力ではびくともしなかった。
「くそ…やばいぞ!ここもいつ崩れるか分からない」
隼太は焦りを見せる。ここにいては3人とも危険だ。
この少年を助けるには、鉄骨の一部を切断するしかない。
そしてその方法は、一つしか思いつかなかった。
「隼太、ちょっと下がってろ」
「え…?」
峰人の言葉の真意が分からず、隼太は困惑する。
直後、峰人は右手に青く輝く剣を発現させた。
「はああああああああああああ!!?」
隼太の表情が、困惑から驚愕に変わる。
目の前の現実が信じられないという顔だ。
「黙ってたことは謝るって」
「いや…それはいいけど…」
峰人は剣を振り上げ、そのまま鉄骨を一刀両断する。
すかさず隼太が残りの鉄骨を除け、少年を助け出す。
「あ…ありがとうございます…」
少年は困惑しながらも、声を絞り出して礼を言う。
やはり竜騎士の力を見て驚いているようだ。
「で、どういうことなんだ?」
隼太は改めて峰人に質問する。
「ちょっとドラゴンと知り合ってな」
「知り合ったって…お前一体どういう…うわぁ!!」
突然、隼太と少年は恐怖の叫びをあげる。
そのまま腰を抜かしてしまい、立ち上がれずに2人で震える体を寄せ合いながら上を見上げている。
峰人が彼らの視線を追うと、巨大なドラゴンの姿があった。
「ああグリフォス、待ってたぞ」
峰人だけは驚かず、至って冷静に話しける。
彼にとってはもう見慣れた姿であった。
「こいつが、その知り合いのドラゴンだ。こいつと契約してあの力を手に入れた」
峰人の説明も、隼太の耳にはあまり入っていないようだった。
隼太と少年は目を白黒させながら、グリフォスを見上げている。
「…とにかく、その子を連れて早く逃げろ。詳しい説明はまた今度するから!あとこのことは内緒な!」
峰人はグリフォスに跨ると、あっという間に空の彼方へと飛び去った。
隼太と少年は、その光景をただ呆然と見つめていた。
「それで、お前の見たドラゴンは敵で間違いないか?」
「敵だろうと味方だろうと、町中で暴回られちゃかなわねぇ!」
峰人とグリフォスはドラゴンを探して飛び回る。
何としても死者が出る前に止めなくてはならない。
空から捜索していると、下から数人の悲鳴が響いた。
そこに目をやると、民家が一軒、黒煙を上げて燃えているのがわかった。
さらによく見ると、ベランダから小さな子供と母親と思しき女性が必死に助けを求めている。
「グリフォス!あの人を助けるぞ!」
「ああ分かってる!」
「乗って!」
峰人とグリフォスはベランダの手前で滞空している。
母子のすぐ後ろには、火の手が迫っていた。
だが、母親は子どもを抱いたまま固まってしまっている。
やはり誰でも、ドラゴンが目の前に現れたら思考が働かなくなってしまうようだ。
「早く!!」
峰人がもう一度叫んだところで、ようやく母親は動き出し、グリフォスに飛び乗る。
「大丈夫ですか?」
「あっ…はい」
母子ともに目立った外傷は見られない。
峰人の問いかけにもしっかりと反応している。
グリフォスは適当な広場を見つけ、着陸して母子を降ろしてやった。
「本当に…ありがとうございます!」
母親は深々と頭を下げる。
「あ…いえいえ、頭を上げてください」
母親の低姿勢な態度に、峰人は思わず恐縮する。
その時、「グオオオオオオ」という獣の咆哮が、辺り一帯に響く。
その場にいた全員が視線をあげると、そこにはさっきのドラゴン達の姿があった。
相変わらず空中で戦闘を続けている。
「さあ、あいつらを止めに行くぞ」
峰人は再びグリフォスに跨り、空へと飛び上がった。




