第2話 ドラゴン
2018年7月11日 日本 千葉県 六山市
「でなぁ、このシーサーペントってやつがな、実在する可能性が高いUMAっていわれてんだ」
旭峰人は、友人である宮原隼太のUMA講座を話半分に聞いていた。
彼が昼休みにこのようなオカルト話をするのは、特に珍しいことではない。
UFOだの幽霊だの超古代文明だの、その話は多岐に渡った。
容姿は結構上の方で、スポーツも出来るのだから、このオカルトオタクの部分を何とかすればそれなりにモテると思うのだが…。
そんな峰人の思いなど気付く様子もなく、隼太は何やら巨大なオタマジャクシのような生物が、ボートの下を通過している写真をスマホに表示させていた。
「この前ニューネッシーの話しただろ?あれはこのシーサーペントの死骸じゃないかって俺は思ってる」
「あれはサメの死骸だってテレビでやってたぞ」
峰人は隼太とUMAに関する議論を交わしていた。
実のところ、峰人もこの話題が嫌いなわけではなかった。
やはり、オカルトというものはいつの時代も人の心をくすぐるものだ。
「てかさ、何でUMAってデカいワームだとか、腐った死骸とか、キモいのばっかなんだ?もっと格好いい奴いないのか?」
峰人の何気ない質問に、隼太は口元に笑みを浮かべる。
「そう言うと思って…」
隼太はスマホに先程とは別の画像を表示させる。
その画像には、青い空が大きく写し出されていた。
その中心に、高高度を飛行していると思われる、小さな物体が確認できた。
飛行機ではない。もっと生物的なものだ。
長い胴体から、コウモリのような羽が生えている。
この形状は初めて見るものではない。
むしろ童話などで慣れ親しんだ姿といえる。
これは……。
「凄いだろ?3日前にイギリスで撮られたんだ。証拠はこの画像だけじゃない。何百人もこれを目撃したんだぜ」
ドラゴン。
その生物を形容するのに、これ以上の言葉はないだろう。
「イギリスの他にもな、インドでも、ブラジルでも、エジプトでも目撃されてんだ。最近はネットもこの話題で持ちきりだ」
やはりその姿は、どう見ても伝説上のドラゴンそのものであった。
はっきりとは写っていないが、ワニに似た口や、ツノのようなものもあるようだ。
「なあ隼太、ドラゴンは架空の生物だろ?ここまで似るってことがあるか?」
峰人は思わず最大の疑問をぶつける。
それに対し隼太は、「う〜ん」と数秒間悩んだ後、答える。
「…大昔の人間も、ドラゴンに遭遇してたのかもな」
「暑ィ…」
放課後、家に荷物を置いて着替えてから、峰人はただ1人で山を登っていた。
もう夕方の筈だったが、ジメジメとした暑さはさらに悪化しているように思える。
半袖短パンにサンダルという格好でも、あまり効果が無いようだ。
ボサボサの髪からは、ダラダラと汗が垂れてくる。
毎週金曜日は、住宅街の裏手にあるこの山に登るのが、彼の習慣だった。
部活はやっていないので、そのぶんの運動も兼ねている。
服は既に汗でびしょ濡れだったが、それでも頂上を目指し続ける。
特に標高があるわけではないが、暑さのせいかいつもの倍以上の距離に感じる。
どれだけの時間登っただろうか。
もう1時間近くになる気がする。
いい加減息も切れてきて、肺が酸素を強く求めている。
そろそろ到着してもいい頃になる筈だが…。
すると突然、涼しい風が辺り一面に吹き始めた。
峰人は思わず両手を広げて深呼吸をする。
周囲を覆っていた木々は、いつの間にかまばらになっていた。
「やっと着いた…」
峰人はそのまま振り返る。
彼の眼下には、彼の住んでいる町が一面に広がっていた。
彼の家も、学校も、指で掴めそうなほどに小さく見える。
「ふぅ…」
彼は目を瞑り、しばらくその快感に浸る。
この山に登った真の目的、それは、この場所から見える絶景を1人で堪能するためであった。
幼い頃に父にここに連れられて以降、何度となく訪れた。そしてこの光景を見た。
大勢の人間の住む町が、すっぽりと視界に収まっている。
それは、僅かな間峰人を全ての支配者のような気分にさせてくれた。
太陽が向こうの山に少しずつ沈んでゆく。
この美しい景色は平地にいては絶対に見られないだろう。
峰人は木製のボロボロのベンチに腰掛け、それを眺めていた。
20分ほど経っただろうか。
月が昇る様子まで眺めたいところだが、流石にいつまでもこの場所にはいられない。
「はぁ…そろそろ帰るか。面倒臭ェな…ここに泊まってくか?」
峰人はベンチから立ち上がろうとした。
刹那、バキバキッという数本の木が一気に折れる音が響く。
峰人は一瞬で全身に冷や汗をかき、音のした方を向く。
木々の間から、何かの影が見える。
まさか…熊だろうか。
いいや、そんなはずはない。
この山には何年も前から登っているが、熊が出るなど聞いたこともない。
本能が「逃げろ」と命令しているが、彼の足は動かなかった。
恐怖心よりも好奇心が勝ってしまったのだ。
峰人は目を凝らし、"それ"の正体を確かめようとする。
数秒後。
姿を現したのは、熊ではなかった。
だが、安堵は微塵もない。
むしろ、熊であったならばどれだけ良かったか。
峰人の前に姿を現したのは、10mはあろうかという、赤く輝く鱗を持った巨大な生物だった。
巨大な翼とワニのような口を持ち、頭部からはツノが生えている。
その姿は、昼間隼太に見せられた写真の生物に酷似している。
ーーーードラゴン…!?
峰人は即座にその名前を思い浮かべる。
ドラゴンは動かず、彼の顔をじっと見つめている。
それでも、峰人の足は動かなかった。
今度は好奇心などではない。
逃げなければ。
そう思っているのだが、全身がガクガクと震え、金縛りにあったように動けない。
まさしく、蛇に睨まれたカエルだ。
「人間…お前は運の悪い奴だ」
低く、ドスの効いた声。
あのドラゴンから発せられたものだ。
それは、体の芯から恐怖を湧き立たせるものだった。
ーーーー逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ。
脳が全身にそう命令する。
その瞬間、全身の金縛りが一気に解けた。
峰人は即座に踵を返し、言葉にならない悲鳴を上げながら、自分でも驚くほどのスピードで山を下る。
もはや暑さも、疲れも感じない。
ただひたすら斜面を疾走していた。
スピードを緩めることなく、全力で駆け続ける。
すぐ背後からは、木々がなぎ倒される音が絶え間なく響いている。
奴が追ってきているのだ。
殺される…。
全身のありとあらゆる感覚が警告を発する。
こんなところで死にたくない…絶対に嫌だ。
無我夢中で、峰人は走り続ける。
確かこの辺には、使われなくなった小さな小屋があった筈だ。
そこに隠れよう。
峰人はこの山についてはかなり詳しかった。
当然、小屋の位置についても正確に把握している。
峰人は小屋を視界に捉えると、一目散にそこへ駆け込んだ。
中は荒れ放題という言葉がぴったりで、小屋中にススが溜まっている。
素早くテーブルを探し、その下に隠れる。
小屋のヒビからは、外の様子を伺うことができた。
心臓が、この上ないほど早く脈動している。
心臓の音で場所がばれるのではないかというほどに。
呼吸も治まる気配がない。身体中が酸素を欲している。
全身から汗が吹き出てくる。下には汗が水たまりを作っていた。
「マジかよクソ…冗談じゃないぞ」
未だに信じることができない。あんな怪物が実在して、尚且つ目の前に現れたなど、到底信じられるわけがない。
ぼやける視界で、外の様子を覗き見る。
先ほどと同じように木々を踏み倒しながら、赤いドラゴンがのしのしと歩いている。
そして獲物を探す目であたりを見回していた。
ついさっき見失った人間…峰人を探しているのだ。
ようやく呼吸が整い、思考を巡らせることができた。
だが冷静になればなるほど、自分が今最悪の状況にあることが見えてくる。
そもそも、この小屋は目立ちすぎる。
自分がドラゴンの立場だとしたら、まずこの小屋を探すはずだ。
何故このような単純なことに気付かなかったのか。
だが、あのまま走っていたとしても、いずれ追いつかれていたことは明白だ。
つまり最初から選択肢などなかったのだ。
心臓の鼓動がまた大きくなる。
そういえば初めて、ドラゴンの姿をしっかりと確認した。
ワニのような胴体から生えるコウモリのような翼と、後ろ足を使い、器用に歩行している。
やはり奴は、足音を立てながらこの小屋に迫ってきた。
峰人はすぐさまヒビから目を離し、小動物のように体を丸めブルブルと震えた。
足音が次第に大きくなってくる。
頼む…来るな…来ないでくれ…!!
鼓動が先程よりもさらに早くなる。
全身に冷や汗が溢れ、目を瞑ってその瞬間に備える。
小屋全体が大きく振動し、脆い部分が耐えきれずに崩れ落ちる。
だが、足音はそのまま小屋の横を通過し、次第に小さくなっていった。
バレなかったのだろうか…。
そっと耳をすますが、もう奴の足音はしない。
ドラゴンは行ってしまったようだ。
「ははは…ざまあみろ、アホドラゴンめ」
安堵感からか自然と笑みがこぼれる。
だが、危険が去ったわけでは決してない。
ここにいるわけにはいかない。
一刻も早く下山しなければ、奴がいつ戻ってくるか分からない。
峰人はテーブルから這い出て、ゆっくりと立ち上がった。
ガシャン!!という音とともに、突然小屋の天井部分が吹き飛んだのは、それとほぼ同時だった。
峰人は驚いて振り替える。
そこには、先ほど去ったはずのドラゴンの姿があった。
その瞳は、唖然とする獲物をしっかりと捉えている。
「楽しい鬼ごっこだったな」
ドラゴンの声に、全身の鳥肌が逆立つ。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
峰人は声にならない叫びをあげる。
そのまま転倒し、背中を強く打ちつけた。
ドラゴンは去ってなどいなかった。
獲物が安堵し、油断するのを待っていたのだ。
どうしてそんなことをした?殺すならさっさと殺してしまえば良かったのに。
答えは簡単だ。ドラゴンは遊んでいたのだ。
その気になれば山を下っている時に食い殺してしまうことも出来た。
そうしなかったのは、獲物が無様に逃げる様を嘲笑いたかったからだ。
そして今、その"遊び"も終わりを告げようとしている。
峰人は立ち上がろうとした。
だが、もう体のどこにも力は入らなかった。
目からは自然に涙が溢れてくる。
人は死ぬ間際に走馬灯を見るという。
だが彼の頭の中には、恐怖と絶望しかなかった。
「じゃあな」
ドラゴンの巨大な爪が、峰人の小さな胸に振り下ろされる。
次の瞬間、彼の胴は貫かれ、鮮血が宙を舞った。




