第17話 最後の決断
東京 防衛省
「何だと!?確かなのか!?」
「はい、間違いありません。物体が突如活動を停止し…重力異常も消滅しました」
林に続き、他の3人もどよめきを見せる。
一体何が起こったのか。
誰かが物体に攻撃を加えたのだろうか。
現場を見られないのが何とも歯がゆかった。
依然として情報は錯綜しており、自衛官たちが慌ただしく走り回っている。
「統幕長、今は物体停止の原因よりも、この好機をどう生かすかです」
柳瀬陸幕長の言葉で、林の思考がようやく巡る。
最大の障害が消え去り、残されたのはガラ空きの的のみ。
今すべきことは、自ずと決まってくる。
「花井海幕長、展開する護衛艦に艦対空ミサイルの発射命令を。ターゲットはあの物体だ。渡辺空幕長、待機中のF-15に、可能な限りギデオン軍を排除させろ」
「「了解しました」」
花井海幕長と渡辺空幕長は目の前の電話を取り、命令を伝え始める。
林は椅子の背もたれに寄りかかり、深く深呼吸をした。
現時点では、これが最善の策のはずだ。
しかし状況が状況、確信はない。
今の彼には、目を閉じて自分の判断が正しいことを祈る他なかった。
「やりましたね八重山さん!」
ミサイルの直撃した物体は光を失い、空に広がっていた闇も消え去った。
どうやら、目論見は成功したようだ。
八重山は僅かに笑みを浮かべる。
ギデオン軍は混乱していることだろう。
そして無論、物体の再起動を図るに違いない。それまでに手を打つ必要がある。
その時、キーンという音と共にドラゴンが猛スピードでこちらに飛んできた。
「くそっ!もう来やがったか!」
八重山は地下に戻ろうとするが、ドラゴンはもう既に大きな口を開け、火炎を宿らせている。
ーー間に合わない…!!
八重山がそう思った時、石丸は自身のランチャーを肩に構えていた。
「喰らえええええええええええええええ!!!!!」
後部から炎を吹き上げ、ミサイルが発射される。
ミサイルは白煙を描きながら一直線にドラゴンの元へ飛び、その口の中へ侵入した。
直後、ドラゴンの後頭部は爆発とともに吹っ飛び、巨体が2人の上をかすめながら墜落していく。
「ははは!見たか!一矢報いてやったぞ!!」
大喜びする石丸を、八重山が感心した表情で見つめていた。
石丸はバカな奴だが、その才覚は確かなものだった。
だが、空に新たな轟音が響き渡る。
遠くの方から、先ほどのドラゴンとは比べ物にならないほど巨大な個体が、複数のドラゴンを随伴させてこちらに迫って来た。
間違いない。あれはゾルダーだ。
もはや、八重山達に出来ることはなかった。
後のことは、仲間に託すしかない。
2人はそのまま、元来た地下鉄に退却していった。
遠くから体の芯に響くような爆音が轟く中、峰人とグリフォスは向かい合っていた。
「いや…ちょっと待てよ。装置も止まったし、自衛隊だっている。別にその最後の力ってのを使いこともないだろ?」
「あいつの力は見ただろう?自衛隊の全戦力をもってしても敵うかどうかわからない。仮に勝てたとしても、一体どれだけの人間が犠牲になる?」
確かにそうだ。
ここでゾルダーを倒せなければ、ギデオン軍は次の街に移動して、殺戮と破壊を繰り返す。
ゾルダーに通常兵器は通用しない。
その場合、人間側は最後の手段に出ることになる。
つまり、核兵器だ。
さらに、この世界にギデオン軍がどれだけ潜んでいるかもわからない。
世界中が核兵器の飛び交う戦場と化せば、人類は否応なしに破滅の道を辿る。
「理解できるな?峰人」
そんなことはとうに理解できている。
しかし、峰人が言いたいのはそんなことではない。
「そりゃあ…お前とは会ったばかりだ。だけど、一緒に命を賭けた仲間だ。"はいそうですか"って納得すると思うか!?」
峰人は思わず声を荒げるが、グリフォスの眼差しはあくまで冷静だ。
「その命を賭けて守ろうとした世界を、今更見捨てるわけにはいかないだろう?」
1体の仲間と、全ての人類の命。
天秤にかけるまでもない。
自分の我儘で、この世界に破壊をもたらすわけにはいかない。
峰人はもう、引き下がるしかなかった。
視線を地に伏したまま、グリフォスから一歩ずつ、ゆっくりと離れていく。
グリフォスはそんな峰人に手を伸ばし、彼の顔をそっと撫でた。
「峰人…お前は俺が出会った中で、誰よりも勇敢な少年だ。この数百年、人間の傲慢が招いた多くの戦争を目にしてきた。だがそれと同じだけ、人間の勇気も見た。ギデオン軍の思想は間違いだ。お前の存在が、その証明だ」
その時、彼らの上を、複数の戦闘ヘリがローター音を響かせながら通過していった。
ギデオン軍に戦いを挑もうとしているのだろう。
「もう時間がない。お別れだ」
グリフォスは峰人から視線を離し、遠くにいる倒すべき宿敵に目を移す。
全てに決着をつけるため、その青く美しい翼を広げた。
「グリフォス…!!」
峰人が、震える声で呼び止める。
感情は溢れてくるが、それをどう言葉にすればいいのかわからない。
「あの…短い間だったけど…会えて良かった」
言葉を紡いだ後、峰人は後悔した。
何もできない上に、死地に向かう仲間にその程度の言葉しかかけられない自分を呪った。
しかし、それとは逆にグリフォスの表情は満足げだ。
「この世界が滅びることはない。幸せに生きろよ、偉大な竜騎士」
グリフォスはそう言いながら口元に笑みを浮かべた。
翼を羽ばたかせ、その巨体がゆっくりと持ち上がる。
ある程度の高度に達すると、追従してきたメフィアが行く手を遮るように彼の目の前に出た。
「グリフォス…最後の力は、ドラゴンが生涯で1度使うか使わないかの能力…それを2度も使うということは、もう目覚められないかも知れないのよ?」
「そんなことは解ってるさ。その前に契約は解除されるから、峰人が死ぬことはない」
「でも峰人はそのことを知らないんでしょう?」
「あいつをこれ以上苦しめる必要はない…じゃあな」
そう言うと、グリフォスは最後の戦いへと向かっていった。
ゾルダーの前には、破壊された次元転移装置が浮遊していた。
幸いにも損傷は浅く、修復が可能なレベルだった。
「ただちに装置を再起動しろ。残りの者は装置の防衛に全力を尽くせ!」
ゾルダーの指示で2体が装置の修理を始め、それ以外のドラゴンは装置の周囲に陣取った。
この装置は、ギデオン軍の勝利への要、命に代えても守らねばならない物だ。
すると遠くの方から、何かが白煙を放ちながら、装置の方へ飛んできた。
海上自衛隊が発射した、艦対空ミサイルだ。
人間側も、この僅かなチャンスに全てを賭けていた。
ミサイルは全部で10発程度、装置を守るため、ドラゴン達はそれに火炎攻撃を仕掛けた。
火炎が当たったミサイルはことごとく爆散し、火炎攻撃を逃れたものには、ドラゴンが体当たりで破壊した。
無論、ミサイルの直撃を受けたドラゴンの体は無事では済まなかったが、彼らは命を惜しむようなことはしない。
肉が抉られようとも、顔が吹き飛ばされようとも、戦うことをやめなかった。
あっという間に、装置を狙ったミサイルは、ドラゴンの兵達によって全て破壊されてしまった。
しかし、また新たなミサイルが、遠くの方からジェットの音を轟かせて飛んでくる。
「ノヴァ!人間共の兵器を破壊してこい!」
「承知いたしました」
このままでは不利である。
そう判断したゾルダーは、ノヴァに指示を出した。
ノヴァならば、人間の兵器などものともせず一瞬で粉々にしてくれるだろう。
その頃には装置の修復は完了し、晴れてギデオン軍の勝利だ。
ノヴァは翼を広げ、ミサイルの飛んできた方向へ勢いよく飛び立った。
『こちらウルフ、ターゲットとの距離800。ゾルダーを視認』
ミサイルに続いて10機ほどの陸上自衛隊の戦闘ヘリ部隊が、ギデオン軍の前に現れた。
ヘリはゾルダーにターゲットを集中し、ロケット弾を放つ。発射されたロケット弾は1発たりとも外れることなく、全てゾルダーに命中した。
しかし、強靭な鱗の装甲によってそれは阻まれてしまう。
「人間どもが…小賢しい」
ゾルダーは口に紫の炎を発生させると、そのままヘリ部隊に向け火炎を撃った。
『攻撃してきた!回避しろ!』
ヘリは右へ左へと旋回し、炎から逃れようと思い思いの行動を取る。
だがゾルダーはヘリの動きを正確に追い、火炎で飲み込んでいく。
紫の炎を食らった機体は、凄まじい衝撃と熱によってパイロットもろとも、この世に一切の痕跡を残さず消滅した。
虫けらへの慈悲など持たないゾルダーは、懸命に死から逃れようとする哀れな人間を1匹たりとも見逃さず、炎で焼き尽くしていく。
全てのヘリが消え去ったのを確認すると、ゾルダーは炎を収め、深呼吸をしながら口を閉じた。
刹那、何処からか飛んできた青い光の筋が、彼の首のあたりに命中した。
「チッ、今度は何だ…ん?」
ゾルダーは驚きの表情を浮かべた。
青い光線のことよりも、それを浴びた自分の鱗が焼けただれてることに。
しかも、凄まじい熱により一部が溶けかかっている。
ゾルダーの耐久力は並外れたものだった。
その鱗に傷を負わせられる者は限られている。
「やはりお前は先に消しておくべきだったな…」
ゾルダーの目の前にいたのは、先ほど瀕死の重傷を与えたグリフォスであった。
再生はとうに完了しているようで、己を誇示するようにその青い翼を広げている。
だがグリフォスといえど、通常ゾルダーにダメージを与えるほどの力は持っていない。
だとすると、考えられる要因は一つだった。
「遂に最後の力を使ったか…この場で死ぬ気か?愚か者め」
「お前を道連れに死ねるのなら本望。戦火に身を投じた時から命など捨てている」
その言葉を聞いて、ゾルダーはケタケタと笑い出す。
「ハハハハハ…道連れだと?地獄に行くのは……貴様1人だ!!」
最強と呼ばれる2体のドラゴンによる、最終決戦の火蓋が切って落とされた。
愛知県沖
あたご型護衛艦「なるかみ」、及びこんごう型護衛艦「いざよい」「あわゆき 」は、名古屋にある標的に向け対空ミサイルを放ち続けていた。
搭載されたイージスシステムによりターゲットを正確に捉え、そこにミサイルを撃ち込む。
ドラゴンに妨害されており、物体の破壊には至っていないが、敵の気をそらすことにも意味はある。
護衛艦なるかみの倉持艦長は、艦橋からミサイルを眺めながら指示を出し続けていた。
「艦長、形勢はこちらに有利です。このまま押し切りましょう」
「くれぐれも油断はするなよ」
倉持は船務長と言葉を交わす。
未知の生物といえど、所詮は動物。
高度な文明を持っているわけでもない。
名古屋壊滅は想定外の事態であったが、最悪の状況は打開したと見える。
終結まであと一歩だ。倉持はそう確信していた。
「艦長!アンノウンが1機、本艦に急速接近中です!IFFに反応無し!」
電測員の声が、環境の中に響く。
倉持が歯をくいしばった。現在、この一帯での飛行は禁止されている。
IFFに反応も無いとなれば、正体は自ずと決まってくる。
「対空ミサイルのターゲットを接近中のアンノウンに絞れ!奴を撃ち落とすんだ!」
艦内に敵の接近を知らせるけたたましい警報音が響いた。
ノヴァは、その目でターゲットを視認する。
ドラゴンの視力は、人間のそれよりも遥かに優れていた。よって、敵の攻撃をかわすことも容易となる。
3隻の護衛艦から、新たなミサイルが発射される。
いずれもノヴァを狙ったものだ。
ノヴァはミサイルの軌道を予測し、体をロールさせてヒラリとそれを回避する。
その時には、3つの標的は雷撃の射程圏内に入っていた。
「艦長!敵が発光を始めました!」
倉持がそれを肉眼で捉えたのとほぼ同時に、稲妻のような光がドラゴンから放たれた。
稲妻は「なるかみ」の隣の護衛艦「いざよい」の側面に直撃し、そのまま船体を一直線に切り裂いていく。
続いて、稲妻を受けた部分から順に凄まじい爆発が起きる。
艦全体が炎に包まれ、逃げようとした乗組員も爆発に巻き込まれていく。
高く舞い上がった破片が、「なるかみ」の甲板に降り注いでくる。
「くそっ…機銃を展開しろ!奴を殺せ!」
ノヴァに向け、2隻の護衛艦から弾丸が雨のように浴びせられる。
しかしそれは鈍い音を立てて跳ね返るばかりで、全くダメージを与えられない。
ノヴァは燃え上がる「いざよい」の上に到達すると、辛うじて残っていた船首部分を己の両手で持ち上げた。
そしてその船首を、隣の護衛艦「あわゆき」に向けて投げつけた。
「あいつ…何を!?」
倉持の目にも、その光景は鮮明に映っていた。
船首は「あわゆき」の艦橋を押し潰し、一拍置いて凄まじい爆発を起こした。
「あわゆき!あわゆき応答せよ!」
船務員が必死に呼びかけるも、応答はない。
「砲雷長に、全ての武器を奴に向けるよう命じろ!!」
慌ただしく動く乗組員たちに倉持が檄を飛ばす。
その時、眩い光が、艦橋全体を覆った。
あまりのまぶしさに、乗組員は思わず自分の目を覆う。そしてほぼ同時に、艦全体を激しい揺れが襲った。
乗組員が右に左に投げ出され、立っていられる者は誰1人いなかった。
「何が起こった!?」
倉持が、誰に問うでも叫んだ。
その声で、全員が状況確認を急ぐ。
「第3から第7、第9、第11、12区画で浸水を確認!ダメコン間に合いません!艦が傾斜します!」
艦橋からも、黒煙と炎が確認できた。
おそらく、左舷に先ほどの稲妻が直撃したのだろう。
『ダメだ!消火が追いつかない!』
『対空レーダーと機関砲が損傷したぞ!』
『火薬に引火するぞ!みんな逃げろ!』
無線通信からも、事態の深刻さがよく分かった。
甲板で、新たな爆発が起きた。
先ほどと同程度の揺れが起き、艦橋のガラスが粉々に弾け飛んだ。
ミサイルに引火したのだろう。
甲板に大きな穴が空き、主砲が吹き飛んでいる。
それを皮切りに、艦が一気に左に傾き始めた。
倉持たちの体が、左側に引き寄せられる。
「これまでだ。総員退艦!」
こうなっては、戦うことはおろか、航行することさえ不可能だ。
もはや逃げるしか方法はなかった。
あっという間に艦橋は海面に達し、海水が滝のように流れ込んでくる。
空を見上げた倉持は一瞬、あのドラゴンと目があった気がした。
その目は感情を一切持たない、背筋が凍りつくような冷たい目だった。