第16話 反撃の一打
半身を失ったグリフォスの体は、下にあった民家を潰して地に伏している。
僅かに動いているのが見えるが、明らかに虫の息で、それ以上のことは何もできない。
その様子を見て、ゾルダーが口元にニヤリと小さな笑みを浮かべる。
「そう何度も同じ手が通用すると思ったか?馬鹿め…」
峰人は言葉を発することもできず、死にかけた友をただ見下ろしていた。
ゾルダーは自身の左目の辺りにいる峰人を、翼についた鉤爪でゆっくりと摘む。
ゾルダーから見れば、人間など虫けらも同然だ。
地上へ放り投げることも、そのまますり潰すこともできたが、敢えてそうはしなかった。
峰人の目には、至る所から炎と煙を上げ、爆音と悲鳴がこだまする名古屋の街が写っていた。
異次元の穴は依然拡大を続け、街を飲み込んでいる。
避難する大勢の市民の姿が見えるが、明らかに穴の方がスピードが早い。
彼らの命も長くはないだろう。
横を見れば、真っ逆さまに落ちていくセイバーと、力なくノヴァの手に身を委ねるメフィアの姿があった。
ゾルダーはゆっくりと、グリフォスの待つ地上へと降下していく。
もはや峰人に抵抗の術はなかった。
ゾルダーは強かった。本当に強かった。
これまで戦ったドラゴンの数は決して多くない。
それでも、ゾルダーの強さが桁違いなことはよく分かった。
まず、こちらの攻撃がまるで通用しない。
他のドラゴンなら、グリフォスの火球で大ダメージを与えられた。
だが、ゾルダーは怯むことさえない。
さらに恐ろしいことに、一帯を一撃で吹き飛ばしてしまうレベルの攻撃力を備えている。
正直、ここまで強いとは想像していなかった。
異世界とは違い、こちらには文明の利器がある。
だから、ドラゴンの軍団が相手だろうと勝てない敵ではない、そう考えていた。
しかしそれらも、彼らにとっては享楽のための玩具に過ぎなかったようだ。
言い知れぬ悔しさが、胸の奥から溢れてくる。
人類の命運を賭けた戦いが、こうも呆気なく終わってしまうとは…。
この戦いの前、全員で生きて帰ろうと誓った。
しかし今では、全滅の危機に瀕している。
一矢報いることさえできずに殺されるのなら、竜騎士として生き延びたのは一体何だったのだろうか。
いくら歯を食いしばっても、目の前に迫る死を止めることはできなかった。
ゾルダーが、ふわりと地上へ着地する。
先程までの荒々しさは影を潜めていた。
そして一歩ずつゆっくりと、横たわるグリフォスの元へ近づいていく。
峰人はゾルダーの左手の中で、倒れこむグリフォスを見つめていた。
近くで見ると、グリフォスのダメージの酷さがよく分かった。
火球の直撃を受けた半身が、綺麗に吹き飛んでいる。
少しずれていたら、全身が粉々に砕け散っていたであろう。
頭部も損傷が酷いため話すことすらできず、胸部からは"竜の輝き"が露出している。
そんなグリフォスを、ゾルダーもまた見下ろしている。
峰人が決死の作戦で潰した左目も、今では完全に再生していた。
その目で、虫の息となっている宿敵と、左手に持った虫けらを交互に見る。
「さて、どちらから先に殺すべきか…」
ゾルダーは真剣に頭を悩ませていた。
だがどちらの選択肢も、殺される者にとっては絶望以外の何物でもない。
ゾルダーもそのことはよく解っていた。
彼が好むのは、何よりも絶望の表情なのだから。
地下鉄のトンネルはまだ続いている。
上からは、地上から響くガラガラという破壊音が今も響いている。
バイクはフルスロットルに近いスピードを出しているが、幸い八重山、石丸両名とも運転には自信があった。
ふと上を見上げると、トンネルの上部に亀裂が入っているのがわかった。
おそらく、重力異常の影響で地面そのものも破壊され始めているのだろう。
「ちょっと…これってヤバくないですか?」
「生き埋めは御免だな」
だが最悪の事態は、直後に起こった。
彼らの背後から、今までとは比べ物にならない破壊音が響き、岩盤が崩壊し始めたのである。
今まさに彼らが通った道が、分厚いコンクリートと岩石により埋め立てられていく。
そしてそれが、バイクを追いかけるように迫って来る。
「おいおい…冗談じゃないぞ!」
こんなところで埋葬など真っ平御免だ。
背中に背負ったランチャーの重さすら忘れ、アクセルを全開にする。
まだ出発から数分しか経っていないのだが、追い詰められた状況ではその2倍にも3倍にも感じる。
名古屋駅はまだなのか…。
全身が冷や汗に濡れ、ハンドルを握る手が震える。
ガラガラという破壊音も、すぐ後ろまで迫っていた。
これが失敗すれば物体は止まらず、何千何万という人々が犠牲になるだろう。
だから何としてもここで死ぬわけには…。
そんな思いが通じたかのように、崩落が彼らを飲み込む直前で止まった。
地上からの破壊音もやみ、あたりを静寂が包む。
横を見ると駅のホームがあり、そこには「名古屋」と書かれている。
どうやら、重力異常の影響圏から脱出したようだ。
ということは、物体はこの真上にあるはずだ。
バイクから降りると、避難していたとみられる数百人の市民がこちらに集まってきた。
年齢、性別はバラバラだったが、不安げな表情は皆同じだった。
訳も分からないまま街を破壊され、救助も見込めない状況だったのだから、ある意味当然だ。
「あの…自衛隊の方ですか?」
「お願いします、助けてください」
「一体何が起こってるんです!?」
「これは攻撃なんですか?」
陸の孤島に閉じ込められた人々が、藁にもすがる思いで2人に救いを求める。
女性や子供の中には、涙を流す者もいた。
「皆さん落ち着いてください!我々は元凶である浮遊物体を破壊しに来ました。これが成功すれば、救助ヘリを呼ぶことが可能になります」
八重山が必死に人々をなだめる。
その甲斐あってか、人々は多少なり冷静さを取り戻し始めた。
「物体なら…ここから地上に出ればすぐです」
1人の男性が、上を指差しながら告げた。
40代くらいで、スーツを着込んで鞄を持っている。おそらくサラリーマンなのだろう。
彼も今朝までは、普段と変わらない日常を送っていたはずだ。
「ありがとうございます。石丸、行くぞ!」
「あ…はい!」
2人は停止したエスカレーターを駆け上がる。
周囲にはやはり大勢の避難民がおり、恐怖に怯えている。
皆着の身着のままで逃げて来たという様子だ。
それが、一瞬にして崩壊した日常を強く物語っている。
怪我をした女性を、駅員と思しき人が懸命に介抱しているのが見えた。
手助けをしたかったが、今は何よりも果たすべき任務がある。
何としてもこの惨劇に終止符を打たねばならない。
地上への階段を、ペースを落とすことなく駆け上がっていくと、突如淡い緑色の光が、彼らの目に飛び込んで来た。
階段の先には、破壊すべき目標物…全ての元凶が、その巨大な体をどっしりと構えるように浮遊していた。
数百mはあるその物体は、絶えず幾何学的な動きを繰り返し、上空に光の柱を放ち続けている。
そしてその光を中心に漆黒の闇が広がり、今も地上にある全てを飲み込んでいる。
まるでブラックホールだ。
この一帯を除いて、街は文字通り跡形もなく消え、更地と化している。
日本第3の都市は、もはや見る影もない。
八重山はその光景に思わず飲み込まれそうになるが、それを振り払ってランチャーを肩に構える。
光の柱が放たれているのは、物体の中心部分だ。
「これで終わりだ…ドラゴン共」
物体を正確にロックする。
これで、絶対に外すことはない。
それを確認すると、八重山はランチャーのトリガーを引いた。
「グリフォス…最後に1つ聞かせろ」
ゾルダーは死にかけた宿敵に話しかける。
その声は、普段のような相手を見下すものではない。
「お前ともあろう者が、なぜ人間に加担する?なぜ我々と共に戦わなかった?」
グリフォスの頭部は完全ではないにせよ、再生が進んでいた。
口元や声帯も再生しているため、なんとか言葉を発することはできる。
「簡単なことだ…ドラゴンは生態系の頂点だが…支配者には値しない…お前らはそこに気付かなかった」
「お前は我々を誤解しているようだな。ギデオン軍は支配欲を暴走させた愚か者などではない」
ゾルダーの視線は、何かを訴えかけるものに近かった。そしてその視線は、グリフォスだけに注がれている。
「この世界の人間を支配した暁には、奴らを奴隷として我々の世界の復興に当たらせる。この世界の人間の技術があれば、それも可能だ。そして種族は再び1つになる。それでも我々に協力しないというのか?」
グリフォスの目が、僅かに見開かれる。
彼の脳裏に浮かんだのは、故郷への想いだろうか。それとも、種族が1つだった頃への懐古だろうか。
「グリフォス…確かにこの世界の人類は強力だ。だが七聖竜である俺とお前がいれば、故郷復興も夢ではない!俺たちは本来敵ではない!どうするべきか、答えは一つだろう!?」
そう言いながら、ゾルダーは左手の指に力を込める。
「ぐあああああああああああああああああああああああああああ!!!?」
手の中にいた峰人が、悲痛な叫び声をあげる。肋骨がミシミシと音を立て、口から鮮血が溢れ出す。これまで経験したことのないような痛みが全身を駆け巡り、意識が弾け飛びそうになった。
そんな峰人を、ゾルダーはゴミを見るような目で見つめていた。
「見ろ…こんな弱々しい、非力な生き物のために、その命を散らすつもりか?よく考えろ…己の本来の価値を」
グリフォスは自身に語りかけるゾルダーと、悲鳴をあげる峰人を交互に見つめた。
そして、考えが決まったかのように、静かに目を閉じる。
「そうだな…お前の言う通りだ。どうするべきか…答えは一つだ」
峰人は激しい痛みの中で、彼らの会話を聞いていた。
溢れ出す涙で前がよく見えないが、絶望的な状況であることはよく分かる。
グリフォスは人間を見捨てるつもりなのだろうか?
人生最後の経験が裏切りとは、あまりに酷ではないか。
だが峰人の力では、もう何も出来ない。
そしてグリフォスは、ゆっくりと目を開けた。
「…やはりお前とは分かり合えないようだな…ゾルダー。その傲慢さは…お前が誰よりも支配者に相応しくない証左だ。お前の元に下るくらいなら、ここで死を受け入れるさ」
峰人はほんの僅かに口元を緩める。
絶望的な状況が好転するわけではない。
だが、グリフォスの答えは、ただ純粋に嬉しかった。
ゾルダーは少しだけ目を細め、ため息を吐いた。
「お前はいつの日も…俺を失望させてくれるな!!!」
ゾルダーは右足でグリフォスの体を蹴り上げ、仰向けにする。
"竜の輝き"が、ゾルダーの眼前に晒されてしまう。
右手でグリフォスの体を抑え込み、その毒牙を突き立てる。
「種族の恥晒しめ……命をもって愚行を償うがいい!!!」
その時だった。
街の破壊される音が一瞬にしてやみ、辺りが静寂に包まれる。
そこにはもう、風の音以外は響いていない。
人々も押し黙り、先程までの喧騒が嘘のようだった。
少し間を置いて、空を覆っていた漆黒の闇が薄くなっていき、やがて煙のように消えていった。
何が起こったのか、理解が追いつかなくなる。
闇は完全に消え去り、顔を覗かせるのは見慣れた、いつもの空だけだ。
敵も味方も、ただ空を見上げている。
ゾルダーは思考を巡らせ、この事態の原因を模索する。
最も可能性の高いもの、それは……。
「装置に何かが起こったのか……?」
グリフォスから目を離し、装置の方に視線を向ける。
確かに装置はまだ浮遊している。
しかし、その中心部分が炎と煙に包まれ、オリジン・ストーンが入っている柱が真っ二つに折れてしまっている。
ドラゴンと竜騎士はギデオン軍の戦士が抑え込んでいる。
ならば、こんなことが出来るのは…。
「まさか…人間か!!」
人間が何らかの方法で、装置を破壊した。
そうとしか考えられなかった。
下等な人間になど何も出来ることはない、そう高をくくっていた。
だが、現に作戦の要となる装置が破壊されてしまった。
人間に対する苛立ちが湧き上がってくるが、それよりも重大な問題がある。
装置は今や無防備だ。
つまり攻撃を受ければ、瞬く間に瓦礫と化してしまうだろう。
世界中の装置はこのオリジン・ストーンを核として連動している。
だからここを破られれば、作戦は完全に崩壊する。
人間はこのチャンスを逃そうとはしないだろう。
「くっ…ギデオン軍!装置を守れ!何としてもだ!!」
ドラゴン達が、装置に向かって一斉に飛んでいく。
ゾルダーは左手の人間を放り投げ、仲間達に追従した。
ゾルダーから放り投げられた峰人を、グリフォスが正確にキャッチする。
疲れからか、両者ともしばらく会話をしなかったが、峰人がようやく口を開く。
「まぁ…あと一歩だったな」
そう言いながら、自嘲気味に笑う。
実際には、どう見ても完膚なきまでに叩きのめされただけだ。
「そう気落ちするな。竜騎士になって2週間程度なのによく頑張った」
「正直言って今のところ、竜騎士になったこと結構後悔してる」
「そうだろうな。ここまで危機的状況になったのは多分お前が初めてだ」
峰人が「はぁ…」とため息をこぼす。
ここ最近ツイてないことが多い気がした。
体の痛みはだいぶ治まっている。
出血も止まっており、再生が進んでいるようだ。こういうところは竜騎士であることの利点だろう。
そう、数少ない利点だ。
「おいお前ら!無事だったか!」
遠くの方から、こちらを呼ぶ声が近づいてくる。
セイバーだ。その後ろにはメフィアもいる。
「お前らか。てっきりノヴァの奴に殺されたのかと思ったぞ」
「貴方だってゾルダーに負けかけていたでしょう。とにかく、装置にトラブルがあったようで助かったわ」
ドラゴンの背から、セーネとエアルが降りてくる。だいぶ疲れているようだが、確かに生きている。
「よう峰人、意外としぶといじゃないか」
「三途の川に片足を突っ込んでたがな」
2人は、峰人の前に腰を下ろした。
彼らの異国情緒溢れる服は、血と土でどろどろになり、ところどころが破れている。
ノヴァとの戦いも壮絶を喫したようだ。
「ははは…酷いなりだな」
「貴方に言われたくありません」
セーネの言葉で、峰人は視線を自分の服に向ける。
彼の目に映ったのは、2人に負けないくらいにボロボロに汚れた服だった。
ドラゴンに握り潰されかけたのだから、こうもなるだろう。
「とにかく、これはまたとない好機です。今のうちに装置を完全に破壊しなければ…」
「それにはゾルダーとノヴァを止めないと。でも僕らの力で何が出来る…?」
セイバーの言葉はもっともだった。
狙われることを分かっているから、ギデオン軍は目の前の獲物を捨てて装置の守りに入ったのだ。
「一つだけ方法がある」
グリフォスのその言葉に、全員の視線が注がれた。
「"最後の力"だ。奴を倒すにはそれしかない」
「ちょっと待て!それって…」
峰人もその言葉の意味はある程度分かっていた。
70年前、ゾルダーを三原山に封印した、竜騎士を持つドラゴンのみが使える力だ。そしてその代償は、100年近くに渡る休眠である。
それはすなわち、グリフォスとの今生の別れとなるだろう。