第15話 押し寄せる絶望
薄暗い地下鉄の線路を、2台のバイクが疾走していた。
乗っているのは八重山と石丸だ。
地下特有の冷たい空気が、絶え間なく彼らの肌に触れる。
「八重山さん!正直言ってこの作戦…まともじゃないですよ!」
「まともじゃない状況なんだ。文句言うな」
八重山の作戦はこうだ。
彼らが今走っている地下鉄は、街の中心部へと続いている。
例の物体の真下は、重力による影響を受けていない。
地上や上空は重力異常をモロに食らってしまうが、今のところ地下には影響がない。
地下鉄を通って名古屋駅へ出て、物体のリアクターと思われる部分をロケットランチャーで破壊する。
そうすれば、重力異常が収まり形勢を一気に逆転できる、という算段だ。
バイクは、乗り捨てられていたものを拝借した。
攻撃が始まって間もなく、職員の咄嗟の判断により全ての車両は市街地から最も離れた徳重駅に移動した。
この判断により多くの人命が救われたことだろう。
そのため、線路に障害物は一切ない。
時間をかければかける程、市民の犠牲が大きくなる。
だからこれは時間との勝負だ。
「こういうとこでバイクを飛ばすのは最高だな!一度やってみたかったんだ」
「八重山さん…意外と子供っぽかったりします?」
「俺のことをお堅くてつまらない人間だと思ってたか?」
「正直のところ…」
バイクのスピードは軽く100km/hを超えていた。
もし壁に激突でもすれば、重傷では済まないかもしれない。
だがその甲斐あって、名古屋駅への到着は早まりそうだった。
グリフォスとゾルダーの戦いは壮絶を極めていた。
ゾルダーの攻撃は、全く命中しない。
スピードに特化したグリフォスにとっては、ゾルダーの攻撃をかわすのは難しくはなかった。
しかし、グリフォスは攻撃力が圧倒的に不足していた。
通常のドラゴンならば火球数発で倒すことができるが、ゾルダーの鱗は通常のそれとは比較にならない。
グリフォスの攻撃は殆ど命中したのだが、いずれもダメージを与えるには至らない。
「せっかく俺を殺す機会だというのに、ネズミのように逃げ回るだけか?グリフォス…」
「お前は人竜大戦の頃から力押し以外の方法は学べていないようだな。図体の割に脳みそは小さいのか?」
ゾルダーの紫の火炎が直撃した場所が、地獄の如き業火で焼き尽くされた。町の消防能力は既に失われており、もはや人間にはどうすることもできない。
何も知らない人間が見れば、神々の戦いと呼ぶかもしれない。
「峰人…やはり奴は俺の力では殺せないようだ。認めたくはないが」
「ああ、見ればわかる。だって攻撃が全然通用してないんだから」
峰人の息もかなり上がっていた。
峰人も先程から何度かゾルダーの火炎を相殺しているが、出来ることと言えばそれだけだ。
七聖竜でも敵わない相手には、竜騎士など無力に等しい。
「なぁ、俺が70年前にゾルダーと戦った時の話、覚えてるか?」
「今は思い出に浸ってる時じゃないって!」
「戦術の話だよ!即席でジャックと考えた馬鹿な作戦だがな…成功すればあいつの視界を奪える」
彼らの横では、メフィアとセイバーがギデオン軍と交戦していた。
こちらも数と火力で完全に押されており、劣勢であることには変わりない。
さらに運の悪いことに、相対しているギデオン軍の中心にいるのはノヴァだ。
メフィアとセイバーは互いを援護しながら、ギデオン軍と戦い続けている。
しかし明らかに防戦一方であり、敗北は目前に迫っていた。
「皆さん!諦めないでください!活路は必ずあるはずです!!」
セーネが仲間たちを鼓舞する。
だが、彼女自身にもかなりの疲労が見えていた。
「俺はこいつらに復讐するために生きていたんだ…今更諦めるかよ!!」
エアルが叫ぶように言葉を返す。
仲間を…というよりも自分自身を奮起させるためだ。
脳裏にちらつくのは何も出来ず殺された両親や友人たち、そして自分に全てを託して死んだ妹の姿。
ここで諦めれば、今までの全てが水泡に帰すだろう。
そんな会話の隙も与えずに、ギデオン軍が次々に襲いかかってくる。
セーネが竜剣から緑色のエネルギー弾を発射した。
それはギデオン軍の1体に直撃し、ドラゴンの顔は爆炎に覆われる。
すかさずエアルがセイバーの背から飛び上がり、そのドラゴンの翼を斬り裂く。ドラゴンは飛行能力を失い、きりもみ状態で落下していく。
その落下経路には、メフィアが待ち構えていた。
メフィアは尻尾を鞭のように使いドラゴンの体を全力で横に弾く。
ドラゴンが飛ばされた先…そこは、重力異常の真っ只中だった。
何の抵抗もできないまま、ドラゴンは異次元の闇に引きずり込まれていった。
「どうだ!見たか!!」
その光景を見たセイバーが喜びの声をあげた。
「レジスタンスの戦士よ…お前たちの強さは私の予想を超えているようだ」
彼らがいるよりもさらに上空から、聞き覚えのあるドスの利いた声が響いた。
声の主…ノヴァは、わざとらしくセーネたちを褒め称える。
「だがもう手遅れだ。計画は最終段階に移った。今日をもって人類文明は終わりを迎えるだろう」
「計画の最終段階…だと?」
エアルが緊迫した調子で言う。
彼らの計画には、まだ続きがあるということか。
同時刻 イギリス ロンドン
首都の中心部は、パニックを起こし逃げ惑う者や、訝しげに空を見上げる者で溢れていた。
ダウニング街は国家の要所中の要所ということで、人が集まっているのは何ら不思議ではない。
だがその上空には、数百mはあろうかという巨大な物体が、宵闇の中で不気味に浮遊していた。
議事堂やビッグベンを備えるウェストミンスター宮殿、首相官邸には、巨大な影が覆いかぶさっている。
名古屋の惨状は既に世界中に発信されており、それを知る人々は命の危機を覚え、その場から離れようと右往左往していた。
逆に何も知らない人々は、スマホで撮影してSNSなどに発信しようとしている。
物体の中心の柱から、うっすらと緑色の光が放たれている。
真夜中ということもあって、その光はより幻想的に映った。
だがその美しい光は、の破滅の始まりを告げる鐘でしかなかった。
東京 首相官邸
「これは…何かの間違いじゃないのか…?」
伊川首相は愕然とし、声を震わせる。
ロンドン、ニューヨーク、リオデジャネイロ、上海、パリ、モスクワに巨大物体が出現したという報告が入ったのは、たった今のことだ。
「これではっきりしました。ギデオン軍の攻撃目標は、政治・経済の中枢もしくは人口密集地に集中しています。奴らの目的は、大量虐殺及び国家体制の崩壊でしょう」
前田防衛大臣は、あくまで冷静に言葉を紡いだ。しかし、彼の目の奥にも明らかに動揺が見える。
もはやこれは日本だけの問題ではない。
人類存亡の危機だ。
伊川は防衛省からの報告を思い出す。
『ギデオン軍の目的は全人類の支配』
こちら側に協力する青いドラゴンの言葉らしい。
ドラゴンと言えど所詮はただの動物、人類が敵わない相手であるなど有り得ないーーーー。
つい数時間前まではそう考えていた。
だが今こうして現実に、人類を未曾有の危機に追いやっている。
もしドラゴンに敗北し、人類が支配されれば、一体どうなるのだろうか?
老若男女問わず奴隷として日々働かされ、逆らう者は全員炎に焼かれる。
これから生まれる全ての世代は、自由も、平和も知ることなく、圧倒的な存在に支配されながら朽ち果てていく。
そんな世界に生きる子どもたちは、何を思うのだろうか。
考えるだけでも恐ろしい。
そんな暗黒の時代の到来は、絶対に阻止せねばならない。
それは国民の生命と主権を守る政府に課せられた、絶対の使命だ。
伊川は責任の重大さを、改めて認識する。
「…前田大臣、ギデオン軍に指揮系統は存在すると思うか?」
「可能性は高いでしょう。ゾルダーはギデオン軍の司令官であるとの報告もあります」
「ならばどうにかゾルダーだけでも殲滅できないのか!?」
「今は例の青いドラゴン達が交戦しているとのことです」
「彼らを援護することは?」
「重力異常の影響が広がっており、それどころでは…」
伊川は歯を食いしばり、力を込めてテーブルを殴った。
閣僚達の顔がより一層強張る。
「くそっ…何も出来ないのか我々は…」
「これが、我々の計画の全貌だ」
メフィアとセイバー、そして2人の竜騎士は、言葉を発さず黙ってノヴァの方を見上げている。
「確かにこの世界の人類は高度な文明を有している。しかし、所詮は人間のすること…指揮系統・防衛体制を崩壊させてしまえばそれらは無用の長物と帰す」
「何故そうまでして…人類を支配しようとするのですか…?」
セーネの声が震えている。
それが恐怖から来るものか、怒りから来るものかは分からない。
「我が種族は他の生物の追従を許さないほどの圧倒的な力を持っている。生態系とは常に強き者が頂点に立ち、支配者となる。これは、自然の摂理というものだ。神の啓示と言っても過言ではないだろう」
「そんなもの…貴方の都合のいい解釈です!」
「我が種族の存在そのものがその証明なのだ。我らは常に神の使者…世界の調停者であり続ける」
声を張り上げるセーネに対し、ノヴァは抑揚なく、不気味なほど平坦に話す。
「あなた方は…人類を滅ぼしました」
「人間が摂理に反逆したからだ。選択を間違えれば、この世界も同様の運命を辿る」
「そんなことはさせません!」
メフィアが翼を羽ばたかせ、ノヴァに向けて突進する。
俺に合わせてセーネが剣を振るい、ノヴァの喉の辺りを斬った。
さらにそこからゼロ距離でエネルギー弾を発射し、ノヴァは頭部を大きく仰け反らせる。
最後にメフィアがフルパワーの火炎攻撃を放ち、ノヴァの巨体は大きく吹き飛ばされた。
ノヴァは翼を広げ、自力で空中で静止すると、彼女たちを鋭く睨みつけた。
「哀れな子羊たちよ…大人しく審判の時を待てば良いものを」
ノヴァの口内が、鈍い光を放ち始める。
エアルとセイバーは、それに見覚えがあった。
「お前らよけろ!!」
エアルの叫びと同時に、雷のような光がノヴァの口から飛び出す。メフィアは空中でロールしながらギリギリでそれをかわすが、直後にノヴァの鉤爪が彼女の喉笛に襲いかかる。
「あっ…ぐっ……」
メフィアの首筋から、赤い血が流れ出る。
声帯が損傷したため、声にならない叫びを上げるしかない。
鉤爪がめりめりと食い込み、メフィアの肉が抉られていく。
「くっ…メフィア!」
セイバーはメフィアに気をとられているノヴァの背後に回り込み、火球を3発連続で放つ。火球は確かに全てノヴァの背に直撃した。
しかし、ノヴァが振り返る様子はない。
さらに接近しようとしたその時、セイバーの横から強靭な尻尾が鞭のように飛んでくる。
「ぐわぁっ!!」
頭部に強烈な尻尾の一撃を食らったセイバーは弾き飛ばされ、その体は地上へ真っ逆さまに落ちていった。
グリフォスは、己の出せる最高の速さでゾルダーに接近していった。
ゾルダーが紫の火球を連続で発射するが、あまりにスピードが足らない。
グリフォスはヒラリヒラリと攻撃をかわし、さらに距離を縮める。
その背に乗る峰人の頰からは、冷たい汗が流れる。
グリフォスがさらに突進していくが、ゾルダーは何故か攻撃をやめ、彼らの姿を静かに眺めていた。
「あいつ…どういうつもりだ?」
「時間がない!とにかくこの好機を逃すな!!」
グリフォスが火球を発射する。
火球は鈍重な動きのゾルダーを正確に捉え、その頭部に襲いかかる。
爆発とともに発生した黒煙が煙幕となり、ゾルダーの視界を完全に塞ぐ。
その隙に、グリフォスはゾルダーの間近にまで迫っていた。
「よし峰人!行け!!」
「おう!」
峰人が、グリフォスの背から跳び上がる。
彼が着地したのは、ゾルダーの頭部だった。
峰人の目の前には、巨大で、背筋が凍りそうな視線を放つ、ゾルダーの眼球があった。
その恐ろしさに一歩後退りながらも、意を決してそこに竜剣を突き立てる。
剣を通じて、両手に鈍い感覚が伝わる。その気持ちの悪さに思わず手を離しそうになるが、腕に力を込めて眼球を縦に引き裂く。
「グゥゥッ…!!」
ゾルダーが苦しそうに喉を鳴らす。
どうやら効いているようだ。
「今だグリフォス!やれ!!」
テレパシーを飛ばしてタイミングを伝える。
70年前、ジャックとグリフォスはこの方法でゾルダーの視界を奪った。それと同じ作戦だ。
あとは、グリフォスが火球でもう一つの目を吹き飛ばすだけだ。
だが不可解なのは、ゾルダーが殆ど抵抗を見せないことだ。
一時的とはいえ、視界を奪われれば何も出来なくなることは間違いない。
それでもなお、ゾルダーは峰人を振り落とすでもなく、ただじっとどこかを見つめている。
まるで何かを待っているかのように。
グリフォスが口に炎を宿し、残った右目の前に躍り出る。
しかしその右目には動揺は一切なく、まっすぐに獲物を捉えていた。
そこでようやく、峰人が勘付いた。
「グリフォス!!逃げろ!!!」
その言葉と同時に、火球が発射された。
しかしそれは、グリフォスのものではない。
紫色の炎がグリフォスに直撃し、その体を吹き飛ばす。
グリフォスの鱗は強靭なものだった。
しかし、規格外の破壊力を持つゾルダーの前には、それは無力に等しい。
「グリフォス!!!!」
峰人の悲痛な叫びにも答えることなく、体の半分を吹き飛ばされたグリフォスは、炎と煙を上げながら遥か下へと消えていった。