第1話 プロローグ
1946年2月3日 日本 伊豆大島近海
「突っ込むぞグリフォス!!」
多くのアメリカ軍の戦艦が忙しなく動いている。空には無数の戦闘機が飛び交っている。
その戦艦の中には、黒い煙を吹き、沈みかけているものもある。
海面には、沈んだ戦艦の乗員であろう人間が大勢浮かんでいる。
必死に助けを求める者、どこか安全な場所へ泳ごうとする者、もう動かない者…。
ここにいる兵士は、ほぼ全員が過酷な世界大戦を生き延びた者たちだ。
だがそんな彼らでも、これ程悲惨な戦場は初めてであった。
『艦砲射撃命中!しかし効果なし!』
『機関部で火災!総員退艦!!』
『15分で5隻が沈められた…化け物め』
『奴は悪魔か…?』
彼らが今戦っている存在は、人間ではなかった。
それどころか、本来この地球に存在するはずのないーーー。
伝説上の生物…まさしく"ドラゴン"と呼ばれるものだった。
全長70mはあろうか。
灰色の鱗がびっしりとついた胴体から、自身の体以上に巨大な2対の翼が生えている。
大きく裂けた口には、無数の鋭い牙が揃っている。
頭部には、5m以上はあるツノが禍々しく構えられていた。
敵はたった一体であったが、その破壊力は人々の心を折るには十分すぎるほどだった。
『また来るぞ!回避しろ!』
ドラゴンの口が大きく開き、喉の奥がメラメラと紫色に燃え上がる。
その炎は瞬く間に大きくなり、濁流のように発射される。
またも戦艦が爆発した。
数千の人命を乗せた戦艦が、数秒で炎の玉へと変わる。
その光景は、地獄と呼ぶにふさわしいだろう。
グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!
ドラゴンがその巨大な口から、けたたましい咆哮をあげる。
世界の全てを圧倒するような、悪魔の叫びだ。
その場にいた兵士全員が本能的な恐怖を感じる。中にはその場に跪き、神に祈り始める者までいた。
だがそんな中、まるで人々を鼓舞するかの如く、勇ましくドラゴンに突撃する2人…正確には1人と1匹がいた。
「さあ、あのトカゲ野郎をブチのめしてやろう!」
「ふん!振り落とされるなよ!」
この場にいたドラゴンは、一体ではなかった。
"グリフォス"。人間を乗せたドラゴンはそう呼ばれていた。
もう一体よりもだいぶ小さかったが、青く輝く鱗と、目にも留まらぬスピードを備えていた。
顔に当たる部分は、分厚い外骨格に覆われている。頭部には、先ほどのドラゴンと同じくツノが生えている。
「ジャック、奴の目に狙いを絞れ!」
グリフォスに乗る人間ーーージャック・テイラーは、まだ20歳にも満たない、若くして従軍した青年だった。
だが片手に剣を持ち、ドラゴンにまたがるその姿は、まさしく世に言う竜騎士であった。
彼らにも、壮絶な戦いを物語るかのような傷が、身体のいたる所に見られた。
だが、それをものともせず、強大な破壊者に立ち向かう姿は、希望そのものと言える。
「グリフォス…お前とは長らく戦ってきたが、それも今日までだ」
「ここは我々の世界ではないのだ、ゾルダー。望み通り…今日ここで終わらせてやる!!」
彼らが戦う巨大なドラゴンは「ゾルダー」と呼ばれた。
ゾルダーはグリフォスに灼熱の火球を浴びせようとする。
しかし、グリフォスはそれをひらりひらりと回避し、そのままゾルダーの頭部めがけて直進する。
ゾルダーの火球が海面に直撃し、その度に巨大な水柱が天を貫く。
それが数回繰り返された後、ようやくゾルダー本体が眼前に現れる。
「ジャック、やれ!」
「うおらああああああああああああああああああああああ!!!」
ジャックはゾルダーの額の部分に飛びかかる。
目の前には、ゾルダーのギロリとした眼球があった。
その目はジャックの姿をしっかりと捉えている。
すかさずジャックは右手に持った剣で、その目を思い切り斬り裂く。
「ぐっゴミが…小賢しい!」
ゾルダーはに片目の視界を失い、わずかに動きが鈍くなる。
しかし、それは彼の逆鱗に触れる結果にもなった。
怒りに任せ、頭部を左右に大きく振って邪魔者を落とそうとする。
ジャックは鱗のわずかな突起の部分に必死にしがみつき、耐えようとしている。
だが、それが長くは続かないことは誰の目にも明らかであった。
「かかったなウスノロ!」
ジャックに気を取られたゾルダーは気づいていなかった。グリフォスがジャックの潰した方と逆の目の部分に、密かに回り込んでいたことに。
この時ばかりは、彼の巨体が仇となってしまった。
グリフォスは残った目に、渾身の火炎攻撃を放つ。
凄まじい爆風と熱で眼球が破裂したことで、ゾルダーは完全に視界を失い、狂ったような咆哮をあげる。
だが油断は出来ない。ドラゴンの再生能力は人間のそれとは比較にならない。
通常の生物ならば致命傷となるような傷であっても、彼らならばものの数分で治癒してしまうのだ。
だが、またとない好機であることに変わりはない。
米軍がこれまでの報復とばかりにゾルダーに砲弾の雨を浴びせる。
それはまるで、人間の持つ生きる意志を体現しているかのようであった。
その隙にグリフォスはジャックを回収し、一旦戦線から退く。
「ジャック…やはりゾルダーを葬ることは出来ない。正攻法ではな」
「じゃあどうする?奴は退散してくれる雰囲気じゃないぞ」
「いや、方法はある。"犠牲"を払うことになるが…」
「ちょっと待て、それって…」
ジャックは1テンポ遅れて、言葉の意味を理解する。
「それはダメだ。お前を犠牲になんて出来るわけないだろ!」
「お前も見ただろう?ゾルダーとはああいう奴だ!奴は人間を生き物だとは思っていない!奴は人類を滅亡させるまで止まらないぞ!」
ジャックは必死で反論を考えたが、何も言えなかった。
グリフォスの言うことは正しい。それはこの地獄絵図が証明している。
だが、それでも…
「いいか?あの島には大きな火口がある。そこにゾルダーを封印する」
グリフォスの視線の先にあるのは、伊豆大島・三原山であった。
「グリフォス…本当にいいのか?」
ジャックは震える声で尋ねる。しかしグリフォスはそれとは正反対の迷いのない、決意に満ちた声で答える。
「これは俺たちの戦いだ。お前たちの世界の命を、これ以上散らすわけにはいかない」
ジャックは何も言わず、その言葉に耳を傾けている。
一言一言を噛みしめるように。
「今までありがとうジャック。お前と共に戦えたことは俺の生涯の誇りだ。最後にもう一度、力を貸してくれ」
その頃、ゾルダーの視界は少しずつ戻り始めていた。
人間どもが何やらチンケな武器で攻撃を仕掛けているようだが、生態系の頂点たるドラゴンに通用するはずがない。
全ては徒労に終わる。視界が完全に戻った瞬間に消し炭にしてやろう。
「ゾルダー!約束通り…終わらせるぞ!!」
聞き慣れた声…グリフォスのものだ。
此の期に及んでまだ勝てる気でいるらしい。そうだ、見せしめに奴の首を最初に刈るのも面白い。
だが、回復途中のゾルダーの目が捉えたのは、青白く輝く光だった。
馬鹿な…あり得ない。あれはドラゴンにとって自滅にも等しい、最後の力だ。
「ゾルダー…俺もお前も、本来死ななければならなかった。俺たちの世界が滅んだ時にな」
ーーー奴は本気だ。
そう悟った時には、もう遅かった。青白い光線に、ゾルダーの体はいとも簡単に吹き飛ばされる。
「「全ては偉大なる勝利のために!!!!!」」
グリフォスとジャックが声を揃え、捨て身の一撃を繰り出す。
ゾルダーの巨体は、三原山の火口に一直線に飛んでいく。
灼熱の火口に突き落とされ、大量の土砂に飲まれれば、ドラゴンとて無事では済まないだろう。
ゾルダーの体は、あっという間に三原山の山頂に叩きつけられた。
「馬鹿どもめ…その程度でこの俺を封印出来るとでも思っているのか!!」
ゾルダーの怒りの声が響く。
だが、その声はすぐにかき消された。
『総員!一斉射撃!目標、三原山火口!!』
再び、米軍から艦砲射撃の雨が注がれる。
それは火口に次々と命中し、山体の一部を崩壊させる。
崩壊で発生した土砂に飲まれ、徐々に身動きが取れなくなるゾルダー。
ようやく完治した目で状況を確認しようとするが、同時にそれは彼が見た最後の光景となった。
青白い光が、再び注がれるーーーー。
「クソがあああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
ゾルダーの断末魔が一帯に響く。
人々はその光景を、ただ沈黙して見つめていた。
三原山の山頂が崩れ去り、ゾルダーの最後の叫びが消えていく。
山頂の崩壊が終わり、土埃のみを上げるようになった頃には、あたりは完全に静寂に包まれていた。
「これで…終わったんだよな?」
ジャックが小さな声で尋ねる。
「ああ…ようやくな」
グリフォスはそれに淡々とした調子で答える。
そのまま彼らはそのままゆっくりと伊豆大島へと降下する。
島民は全員訓練名目で本土へ避難させているため、現在ここは無人島だ。
よって今この島にいるのは、ジャックとグリフォスのみとなる。
空を覆っていた大量の黒煙が徐々に晴れ、本来の青い空が顔を覗かせる。
「すまなかったな…お前をこんなことに巻き込んでしまって…」
先に口を開いたのはグリフォスだった。
「馬鹿が…何を今更」
ジャックが小さく笑う。
「お前とはもう…会うことはないかもしれないな」
グリフォスの声が重々しくなる。
ドラゴンの"最後の力"。
それは、下級のドラゴンならば命を落としかねないものだ。
幸いにも、グリフォスはドラゴンの中でも最強の部類に入る存在のため、命までは失わずに済んだ。
だがそれでも、数十年…場合によっては数百年の休眠を必要としてしまう。
「犠牲」とはそのことだ。
「俺はお前と再会するその日まで、必ず生き続ける。だから、別れの言葉は言わないぞ」
ジャックは必死にいつもの調子で話そうとする。だがその目からは、今にも涙が溢れそうだ。
そんな彼に向けて、グリフォスは穏やかに語る。
「いいかジャック?この世界は、お前が全てをかけて守り抜いた世界だ。だから、幸せに生きろよ」
ジャックの目から、一筋の涙が流れる。グリフォスにとってはそれで十分だった。言葉など必要ない。彼らの友情が掛け替えのないものであることはその涙が証明している。
「友よ…また会おう」
青く美しい翼を大きく広げ、そのまま雲の狭間へと飛び立つ。
みるみるうちにその姿は遠のいていく。
15m以上はあったグリフォスの姿は、今や米粒大にしか見えない。
そして10秒も経った頃には、もう目で捉えることは出来なくなった。
この島にはもう、ジャックただ1人しかいない。
『総員、我らの英雄グリフォスに敬礼!』
無線から誰かの声が響く。
彼はその声に従い、右手を頭の前に持っていく。
しばらくその姿勢のままいた後、ほんの小さな声で呟いた。
「ありがとう…グリフォス」
お読みくださり誠にありがとうございます。
お手数ですが、感想を頂けると幸いです。