試合①
白河リトルとの練習試合。対戦成績は互角。お互いによく知った相手だけに、負けられない戦いだ。剛腕古川を、オウルーズは打ち崩せるか。そして麻佑は、ストレート投げ込みの成果を、この試合の中に見出そうとする。
6月第1週の土曜日。今日は練習試合が組まれていた。場所は、隣町の球場。遠くて帰るのが遅くなるので、私が好きではない球場だ。ただ、この球場は新しく、更衣室もある。多くのチームメート、特に私以外の女子は、皆ここが好きだった。
「それにしても暑くなってきたわよね。蒸しっとしてるし、余計に汗かいちゃう」
更衣室で着替えていると、友里さんがボソッと呟いた。友里さんは一個上で、唯一女子の先輩だ。
「ほんとほんと!まだ全然動いてないのに、もう汗かいてきた気がするよ」
弘恵は丁度下を履き替え、上の着替えをしようとするところだった。着ていたTシャツを脱ぎ、キャミソール1枚になったところで、うちわで上半身を仰いでいる。このチームでは、あまり学年の上下関係はなく、皆ため口で話していた。
「そういえば、今日もナオちゃん休みなの?」
私は友里に問いかけた。ナオちゃんとは1個下の後輩、直子のことだ。1個下も女の子は一人だけなのだが、最近、練習でもたまに見るくらいだった。
「そうみたいね。女の子は少ないから、続けてくれるといいけど……」
友里が、心配そうに言う。この野球クラブは4年生から入ることができるのだが、来年女子が入ってくるかは分からない。そうなると、友里が卒業し、直子までやめたら、女子は私たち二人だけになってしまう。
「ナオちゃん、習い事他にもやってて、塾も行ってるもんね。忙しいのかも」
私も下を着替え終え、上を脱ぎながら話した。
「塾なんかより、野球の方が楽しいのになぁ。ね、ゆりちゃん!」
弘恵が能天気に友里へ振った。
「まぁそうだけど、別にナオちゃんも好きで塾行ってるわけじゃないと思うよ?私も、親に塾行くか聞かれたしね、断ったけど。……でも、私のクラスでも、結構行く子増えてるな」
「そうだよね。中学行ったら、勉強、難しいんでしょ?」
そう言って私は友里の方を見た。友里はワンピースを丁度脱いで上下下着姿になったところだった。友里は私や弘恵と違い、シャツではなく、ジュニアブラをしていた。友里は身長が高く、6年生の中でも成長が早い方だ。当然、胸も膨らんできていた。私もあんな風になるんだろうか。
「そう言われるけど、でも今から気にしたって仕方ないし。学校の勉強はしてるから、それで大丈夫かなって」
友里はさらっとそういうと、ユニフォームの下を履き始めた。
「ゆりちゃん頭いいもんねぇ。私は頑張らないと……」
弘恵は勉強が苦手だ。よくテストの見せ合いっこをするのだが、私は90点くらいを常に取るのに対し、弘恵は70点くらいの時が多かった。算数は特に苦手で、50点の時も見たことがある。
「ちゃんと宿題とか真面目にやらないからでしょ、ひろは」
私は着替えを終えると、そう言い放った。弘恵も既に着替えを終え、荷物をロッカーに入れている。
「えーやってるよ。麻佑も頭いいもんなぁ。もー、どうやったら勉強できるようになるの?」
「いつも言ってるでしょ。家でも宿題以外に、勉強するんだよ」
「そんな時間ないよー……」
「ひろちゃんは、野球の練習凄い頑張ってるもんね」
友里も着替えを終え、荷物をまとめていた。友里はどうも弘恵に甘い。
「そーそー!私は麻佑と違って、野球一筋だから!」
胸を張りながら、弘恵はそう言った。また調子に乗りだしたな……。
「一筋って、将来どうやって生きていくつもり?」
「え?そりゃ野球でしょ!」
弘恵は打撃の構えをして、ドヤ顔で言い切った。
「いやいや、男子じゃないし難しいでしょ。男子でも、野球で食べていくなんてなかなかできないのに」
「もー、麻佑は夢がないなぁ!気合だよ気合!」
弘恵は私の肩をポンと叩いた。
「あはは、ひろちゃんなら、本当に野球で生きていけそう」
友里はそう言うと、更衣室を出て行った。「でしょー!」と言いながら、弘恵もその後に続いた。全く、楽観的なんだから。私も忘れ物がないか確認すると、更衣室を後にした。
今日の相手は、白河リトル。今までも何度か試合をした相手だが、戦績は五分。バントを多用して1点を取りに来るのが得意なチームだ。そうして取った1点を、エースの古川が守りきる。良くも悪くも、白河リトルの勝敗は、このエース古川に依るところが大きかった。古川は球が速く、絶好調だとバットに当てるのも難しい。また、同じような球速のスライダーもあり、これが曲者だ。ただ、調子に波があって、不調だとストレートのコントロールは悪いし、スライダーも曲がりが早くて見切れる。さて、今日の古川はどうかな。
「集合!……よし、全員いるな。いいか、白河リトルとは夏の大会でも当たる可能性が大きい。勝つのももちろんだが、各々相手選手の特徴を、しっかり見ておくこと!それでは、スタメンを発表する」
そう言うと、監督がスタメンを読み上げた。1番セカンド真輝、2番ショート崇紘、3番センター友里、4番ファースト陸人、5番サード新、6番レフト光一、7番キャッチャー弘恵、8番ライト裕也、9番ピッチャー私。大体思っていた通りのスタメンだった。一番意外なのは、友里が3番なこと。でもその理由はなんとなく分かる。友里は打率こそ低いが、選球眼が良く、四球を良く選んでいた。打撃だけなら光一や弘恵の方がいいが、いかんせん二人とも早打ち気味だ。コントロールを乱すことがある古川には、友里が上位の方がいいと監督は判断したのだろう。
「皆、さっき監督から話が合った通り、白河は次の大会でも当たる可能性が高い。勝ちに行こうぜ!お~~~~、オウルーズ、ゴオっ!」
「「っしゃあ!」」
私たちは、キャプテン真輝のいつもの掛け声で、気合を入れた。
「麻佑、今日は頼むぞ。古川が調子よければ、あまり点は取れないかもしれない。だが、なんとか打ち崩すから、終盤まで粘ってくれ」
真輝は本当にキャプテンシーがある。試合中も、積極的に声を出してくれる。
「もちろん。でも出来るだけ早く、点取ってよね」
私は悪戯っぽく笑いながら言った。横で聞いていた光一が、口を挟む。
「おう任せろ!古川なんて、俺がホームラン撃ってやるぜ!」
「それより、ボールを後ろにそらしてランニングホームランにするなよ」
光一の後ろで靴ひもを結びながら、裕也がちくりと釘を刺す。光一と裕也は、私と同じ学校の6年生だった。同じ学校だけあって、仲もいい。二人とも今日は外野手だが、裕也はピッチャーもやることができる。
「いつの話だよ!あれはもう時効だろ、時効!」
光一が後ろを向いて、裕也に叫んだ。あれは確か、4月の試合の時だっけ。光一は外野へのゴロを盛大にトンネルして、ランニングホームランを与えてしまったのだ。4月だから、時効というには、まだ早い気もする。
「相手は古川だ。今日は余計な点を与えるわけにはいかないぞ」
そんな光一に対し、真輝が釘を刺す。確かにそうだ。あの日は割と点も取れてたし、エラーしても笑い話になった。今日は、そうもいかなそうだ。
「あんまり外野、特にレフトには飛ばさせない様に頼む、麻佑」
裕也は私の肩をポン、と叩きながらそう言うと、整列に向かった。
「だから今日はエラーしねーって!」
光一もそう叫ぶと、裕也の後に続いた。まぁ、エラーについては割り切るしかない。とにかく私は私のピッチングをしよう。そう言い聞かせると、私も整列しに向かった。
先行は私たち、オウルーズ。この回は、真輝・崇紘・友里という選球眼のいい3人が打席に入った。しかし、真輝は5球目をセカンドゴロ、崇紘は2球目をピッチャーゴロ、友里は4球目のスライダーで三振と、あえなく3者凡退に終わってしまった。
「ごめん、振っちゃった。あれボールだよね」
友里はヘルメットを脱いで謝りながらベンチに戻ってきた。
「仕方ねーよ。今日の古川のスライダー、かなり切れてるぜ。手元で曲がりやがる。直球だと思って、俺も打っちまった」
崇紘がフォローを入れる。崇紘は低めのフォームで、球を引き付けて打つバッティングが得意だった。だがそんな崇紘が、2球目のボール気味のスライダーで、打たされてしまったのである。
「ドンマイドンマイ!まだ1回だし、点取れるよ!」
そう弘恵は声をあげると、グラウンドへ出ていった。確かに、まだ1回ではある。でも、なかなかタフな試合になりそうだなと、私は思った。また一つ気合を入れ、マウンドに上がる。
7球の練習投球を終えると、弘恵が一度マウンドに来た。
「やっぱりカーブがいいね。序盤はこれで押してこ。チェンジアップは……戻ってこないね」
試合前に投げていた時から、今日はチェンジアップがあまりコントロールできなかった。マウンドにあがって良くなることもあるのだが、今日はそれもない。決め球がその状態であることには少々不安があったが、コントロールできないチェンジアップなら、投げない方がいい。
「うん。大丈夫と思えるまでは、チェンジアップ抑えていこう。カーブと、後はストレートで」
私がそう言うと、弘恵はニコリと笑った。
「いよいよ練習の成果が分かるね!楽しみだなぁ」
そう言うと、弘恵はホームベースへ向かっていった。監督にフォームを固めるよう言われ、ひたすらストレートを投げ続けて初の試合。一体、自分のストレートがどこまで良くなっているのか。私自身にも、分かっていなかった。
「しまってこー!!」
弘恵が声を張り上げる。内野も外野も、「おーっ!」と応えた。相手の1番が、打席に入る。初球の弘恵のサインは……カーブ。私は頷くと、ワインドアップから山なりのカーブを投げた。カツン。完全に崩して打たせた打球は、ピッチャー前。私はそれをキャッチすると、素早く1塁へ送球した。アウトが宣告される。
「へーい!ナイス!ワンダンワンダン!」
陸人はそう声を出しながら、私にボールを返球した。1球目からあのカーブに手を出してくれたのは、ラッキーだ。確かにストライクではあったけど、低めの難しい球だ。初球から手を出すようなボールじゃない。
そう考えていると、2番バッターが、左打席に入ってきた。初球はカーブが低めに外れてボール、2球目はカットボールが外一杯決まってストライク。今日はこのカットボールも、精度がいいなと感じていた。ただ、私のカットボールは本当にちょっと曲がるだけだから、狙われると痛打されやすい。あまり多投できる球ではなかった。さて、3球目。……ついに、ストレートのサインが出た。私は普段より強く頷くと、ふーっと息を吐いて弘恵のミットを見つめた。そして、ワインドアップから、思いっきり腕を振った。投げた瞬間、アッと思った。外に構えた弘恵のミットより、内側。ど真ん中にボールがいってしまった。しかし、バッターはバットを振らなかった。ストライク。これで、追い込んだ。
「よっし、追い込んでるよー!」
後から崇紘が声を出した。元々、待つつもりだったんだろうか。なんにせよラッキーだ。私は弘恵からボールを返球されると、ロジンバッグを手に付け、サインを見た。……フォークか。チェンジアップが使えない今日、決め球に出来るのはフォークくらいだ。弘恵が三振を取る気だと察した私は、ボールを握りこむ。私のフォークは、親指と人差し指でボールを挟む。手が小さい私には人差し指と中指で挟むことはできないけど、これなら楽に挟んで、抜けるのだ。ワインドアップから、低めを意識し、投げる。――狙い通り。外側低めから落ちるこのフォークで、空振りを取った。
「ナイスピッチン!へいツーダンツーダン!」
崇紘が後ろから声をあげる。
「いいぞ麻佑!その調子だ!」
真輝も声をかけてきた。弘恵が左手でツーアウトの合図をし、ボールを私に返球する。3番バッターが、左打席に入る。弘恵の初球のサインは……フォーク。警戒していくってことかな。ボール気味で、投げていこう。低めを意識し、私は腕を振った。思ったより中に入って真ん中だったけど、高さは狙い通りの低め。落ちたボールは、ストライクコースから外れていた。しかし、バッターはバットを振ってしまい、コツンとボールにあたる。力ない打球が、ショートにとんだ。崇紘は軽やかにこれを拾うと、ファーストに送る。
「っしゃー!ナイス崇紘!」
陸人が叫ぶ。
「おっけーおっけー!ナイス麻佑!さ、攻撃だ!」
崇紘はそれに応え、私にも声をかけた。
「お疲れ麻佑!いい立ち上がりだったね。相手、早打ち作戦かな?」
弘恵が私の隣に来て、声をかけてきた。早打ち、で多分間違いない。相手も私のことはよく分かっている。コントロールがよく、あまり四球を出さないことを。恐らく、ストライクゾーンのボールをどんどん振るよう、指示が出ているんだろう。
「うん、だと思う。ボールゾーンのボールも使って、上手いこと打たせて取っていこう」
私がそう言うと、弘恵も頷いた。既にマウンドでは、古川が投球練習を始めていた。これは投手戦になるかも……。そんな予感が、私の中によぎり、絶対先制点をあげないようにしようと、気を引き締め直した。