練習風景①
平日の放課後。異なる学校、異なる学年の少年少女が、グラウンドに集まる。そこでは一つのチームという学校とは異なるコミュニティーが形成され、皆一丸となって練習に励むのだった。その中麻佑は、監督に一つの練習課題を課される。
私は帰りの会が終わって机を下げると、一目散に教室を出ようとした。すると、同じく机を下げ終えた崇紘が、私を呼び止めた。
「あ、麻佑。今日掃除当番だから、ちょっと遅れるって監督に伝えといてくれね?」
崇紘は学校ではまゆゆ呼びで、クラブでは麻佑呼びだ。まだ学校だけど、崇紘の中ではもうクラブモードなのだろう。
「分かった。伝えとくね」
崇紘は「よろしく」と呟くと、用具箱へ向かっていった。私も教室を出て、一直線に練習場所である近所のグラウンドに向かっていった。
グラウンドにつくと、弘恵が既にユニフォームに着替えて待っていた。私と弘恵は別の学校なのだが、このグラウンドには、弘恵の学校の方が近い。大体弘恵の方が、いつも先に着いている。
「あ、麻佑おつかれ!今トイレ空いてるから、早く着替えてきなよ!」
男子は皆トイレの裏とか、建物の陰で着替えるが、私たち女子は流石に外で着替えるのに抵抗があるので、トイレで着替えていた。ただ、トイレも男女一つずつしかないので、順番だ。といっても、このチームの女子は私と弘恵、後は6年生の友里と4年生の直子の4人しかいない。そんなに待つことはないし、そもそも皆下校のタイミングが違うから、問題にならない。
「うん。監督は?」
私は崇紘からの伝言を伝えるため、キョロキョロと監督を探す。
「んー、さっきまでいたんだけど、どっかいっちゃったなぁ。どったの?」
弘恵は私軽くストレッチをしながら、私の質問に答えた。
「いや、ちょっと伝言があって……。まぁ後でいっか」
「そうなの?私が伝えとこうか?」
「いや、そんな大したことじゃないし、大丈夫。着替えてくるね」
そう言うと、私はランドセルはベンチに置き、ユニフォームを入れたバッグだけ抱えて、小走りでトイレに向かった。勝手に崇紘からの伝言を大したことじゃない、としてしまったけど、まぁ大丈夫だろう。最悪、練習が始まったら言えばいいし。ていうか、掃除当番なだけなら、多分間に合う。崇紘は変なところで心配性だ。
さくっと着替えを終え、グラウンドに出ると、弘恵のほかに、同い年の新と一つ上の陸人がいた。二人ともユニフォームを着ている。
「おっす麻佑」
私と目が合うと、陸人は軽く手を挙げ、声をかけてきた。隣にいた新は、軽く会釈した。
「こんにちは。りっきー、マサは一緒じゃないの?」
マサとは真輝のことで、今のうちのチームのキャプテンだ。二人は同じ学校で、同じクラス。いつも仲良しで、よく一緒にグラウンドまで来ていた。
「あーマサはちょっと今日来れないらしい。なんか家の用事があるんだと」
陸人は残念そうに言った。マサはキャプテンだけあって、ほとんど練習を休まない。よっぽど大切な家の用事なんだろう。
「たかは?まさかあいつも休みじゃないよな?」
陸人が私に聞いてくる。
「たかちゃんは掃除当番だからちょっと遅れるだけ。休みじゃないよ」
「そうか、よかった。でも今日は俺とマサとタカで4-6-3の練習しようって話してたんだけどな。仕方ないから守備の基礎練頑張るかぁ」
陸人はファースト、真輝はセカンドを守っている。そして俊足の崇紘がショートで、新がサード。これが私たちのチームの、内野のスタメンだ。この4人は、守備も打撃も一つ他のチームメートより抜けている。
「新にセカンドやってもらえばいいんじゃない?最近練習してるんでしょ?」
弘恵が割って入ってきた。新は黙って、チラリと陸人の方を見た。
「いや、それは無駄だろ。基本的に、セカンドはマサしかありえねーよ。新だって、サードの練習に時間使った方がいいだろ?」
新は小さく「うん」と呟くだけだった。でもそれは、陸人の言うことに納得しているというより、先輩に逆らえず半ば言わされているような印象を受けた。新は背が高く、運動神経も良くて、守備は上手いし、打撃もパワーがある。だけど、いかんせん引っ込み思案なのが欠点だった。
「もちろん基本はそうだけどさ。いつキャプテンがケガするかも分からないじゃない?練習しても、無駄にはならないと思うけどなぁ。それに、新はもうサード十分すぎるほど上手いし!」
弘恵が粘る。弘恵はキャッチャーだけあって、視野が広い。チーム内の色々なところに気がつく。だから、練習中も、ミーティング中も、チーム内で1,2を争うくらい、発言することが多い。
「んー、ひろの言うことも、一理あるか。新、どうなんだ?」
陸人に聞かれて、新は俯きながら口を開いた。
「うん……。キャプテンには全然かなわないけど、でも、セカンドも練習しておきたい」
これを聞いて、陸人は「そうか」と数回首を縦に振った。
「決まりだね!よーし、監督来る前に、ウォーミングアップで少し走っておこうよ!」
そういうと、弘恵は一人、グラウンドに駆けだした。
「おい!準備運動ちゃんとしろよ!」
陸人が叫ぶと、「もうやったー!」と走りながら弘恵が返してきた。やれやれ、という表情で陸人も準備運動を始め、やがて駆けだした。新もそれに倣い、陸人の後をついて行くように、走り出していった。私は走りたくないなぁと思いながら、のんびり準備運動していたら、早くも1周走り終わった弘恵が「ほら麻佑も早く!」と声をかけてきた。また今日も弘恵のペースだなぁ、と思いつつ、私も小走りにグラウンドへ駆け出した。
ランニングを終え、グラウンドで練習の準備をしているうちに、次々とチームメートがやってきていた。崇紘も間に合ったようで、準備運動している。そのうちに監督も現れ、集合がかけられた。
「今日は10人か。少な目だな。まぁいつも通り、ノックからやっていって、その後はこの間の試合で見つかった課題に各自取り組んでくれ」
監督はそれぞれに異なる練習メニューを振ることが多かった。得意なこと、苦手なことは人によって違うから、練習メニューもそれぞれに合ったものにするべきだ、というのが持論らしい。とはいえ、基礎を疎かにすることはない。皆のスタミナが足りないとなったときには、一日中走らされたこともある。
「っしゃぁこぉーい!」
崇紘が叫んでいる。ショートを守っているだけあって、崇紘はチーム内で一番守備が上手い。それはもちろん、足の速さとか、身体能力に依るものもある。でも、一番は守備の練習の時の気合が違うのだ。打撃練習で張り切る人が多い中、崇紘はむしろ守備練習の方がやる気に見える。
「よしいくぞぉー!」
カーン!
監督がノックを始めた。三遊間に打球が飛ぶ。
「……っし!セカンッ!」
崇紘が難なく捌き、セカンドの新にボールを送る。新はキャッチすると、素早く一塁の陸人に送球した。
「ナイスプレー!」
陸人が声を上げる。いつもはキャプテンの真輝の仕事だが、いないときは最上級生の陸人がその役割を買って出ている。
「よぉーしっ!どんどんいくぞー!」
監督が声を上げる。今内野でノックを受けているのは、陸人・新・崇紘、そして私。新に代わって、3塁に入っている。もっとも、実戦で内野に入ることはまずない。ほとんど外野だ。でも、ピッチャーとしてのフィールディングを身に着けるため、ノックでは内野で練習している。
カーン!
監督が次の球を打ち出す。私は少し前に出て、このボールを捌く。
「ファースト!」
ピュッとはじき出した球は、陸人のミット手前でワンバウンドしたが、上手く掬い上げてキャッチされた。
「ナイスキャッチ!」
ショートの崇紘が声をあげた。私は、取ってくれてありがとうの気持ちで、軽く帽子のつばに手を当て、陸人に向かって会釈した。
その後もノックは続いた。途中でメンバーを交代し、内野にも外野にも、ノックは行われた。30分ほどやったところで、再び集合がかけられた。
「よし、それじゃあここからは分かれて練習しよう。今日は野手陣は、サインプレーの練習をするぞ。水分補給をして、準備だ。今井と鈴木はちょっと来てくれ」
監督が声をかけると、私と弘恵以外はベンチの方へ向かっていった。私たちは監督のもとに向かう。
「今井、ノートはつけてきたか?」
「はい、監督。持ってきましょうか?」
「いや、いい。前回、課題だと思ったことはなんだ?」
私はどう答えようか迷った。失点の原因は、点差がついて適当に投げたことだ。でもそれは意識の問題であって、もし監督が私にそれを言わせたいとすれば、このあと怒られるのは目に見えていた。それは嫌だったので、私は何とか話題を逸らす。
「えーっと、チェンジアップのコントロールがイマイチだったことです」
前回の試合での失点は、チェンジアップを狙い撃ちされてのことだから、間違ってはいない。ただ、正確に言うと、コントロールがイマイチだったというより、コントロールに気を遣わなかったのだ。点差があるから、多少コントロールがアバウトでも、緩急で十分と判断してしまった。
「まぁそれもあるだろうが、それは気持ちの問題だろう?なぁ鈴木」
監督は見透かしたように問いかけ、弘恵に目を向けた。
「うーん、どうでしょう……」
弘恵は眼を逸らし、誤魔化しているが、相変わらず嘘が下手くそだ。あの時私が適当に投げていたことは、誰よりも弘恵がよく分かっていた。弘恵はアバウトなコントロールで投げようとする私に対し、際どいコースばかり要求してきていたからだ。
「同じコントロールでも、もっと緩急があれば、抑えることはできる」
監督は再び私に視線を移し、言い放った。緩急は、私がもっとも気を遣っているところだ。球が遅い私にとって、いかにストレートを早く見せるか。それは常に意識してきた課題だった。だから、もっと緩急を、と言われても、ピンとこなかった。
「ストレートを、練習しよう」
何を言いたいのかあまり理解できていない私に対し、監督はズバリ言い放った。
「ストレート……」
ストレートは、ピッチャーの基本だ。もちろん、今までだって他のどの球よりも投げこんできた。その結果、他のどの球よりも、高い精度で制球できている。でも、どんなに投げても、球速が抜群に伸びることはなかった。正直、球速だけなら、他のチームメートの方が全然速い。弘恵だって、私より速い球を投げる。
「と言ってもな、俺は速い球を投げろって言いたいわけじゃないんだ。いいか?要は、速く見えればいいんだ。実際に球速が何キロとか、そんなのは関係ない。テレビでも良く聞くだろ?キレってやつだよ」
私は、真っ直ぐ監督の目を見ながら、話を聞いていた。キレ。確かに、テレビでよく聞く。特に最近、トラックマンとかいう機械に絡んで、ことさら良く聞くようになった気がする。要は、回転数が多い球ほど速く見える、ということだ。
「キレを出すためにはな、しっかり固まったバランスのいいフォーム、そして指先の繊細さが必要だ。ただ、今井。お前は指先の繊細さについては、もう十分備わっている。それは変化球を見ればわかる」
私は様々なプロの変化球の握りを見て、真似て、投げてみていた。もちろん無理なのもあったけど、少しの曲りだったら、大抵の変化球は投げることができた。尤も、ひじに負担がかかるという理由で、実戦ではほとんど使っていない。
「だから、フォームを固めていこう。お前のフォームはバランスは悪くないが、1試合を通して固めきれてない。回によってバラツキがある」
「確かに!私から見てても、この回はいいな、とか、この回はうーん?とか、って思ったりするもん」
弘恵が横から口を挟んできた。
「お前の完璧な時のフォームでストレートを投げれれば、あのチェンジアップは今より武器になる。どうだ?試してみる価値はあるだろ?」
私はここまで、黙って監督の話を聞いていた。というのも、自覚があったのだ。回によって、確かにしっくりくるときと、ダメなときがあった。そしてそれは、傾向として、浅い回ほどしっくりくることが多かった。つまり、疲れと共にフォームが崩れていたということだ。
「スタミナをつけるってことですか?」
私は、監督の考えを先読みして質問してみた。
「もちろん、それも大事だ。だが、お前は割とスタミナがある方だと思っている。それより、とにかくいい時のフォームを体に覚えさせることが大切だな」
ここまで言われて、私は察しがついた。
「要するに、投げ込みですね」
「あぁ、そうだ。あーだこーだ言ったが、とにかく投げるしかない。そうすりゃスタミナもつくし、フォームも固まるからな。ただし!投げるのはストレートだけだ。……これが案外つらいぞ。飽きるからな。どうだ、やれるか?」
私は、少し答えに困った。どちらかというと、私は変化球が好きで、色んな球種を投げることが楽しかったからだ。それが、仮に試合に使えなかったとしてもそうだった。だけど、ひたすらストレートだけだと……。
「やれます!ね、麻佑!」
弘恵が勝手に答えた。いやいや、ひろはずっと受けてるだけでしょ……。内心そう思いながらも、あまりに真っ直ぐな弘恵の言葉に、私は頷くしかなかった。
「よし、それじゃあ決まりだな!とりあえず、向こうでフォームを意識しながら投げ込んでみろ。俺もあっちの守備練を見ながら、合間をぬって見に来るから。ストレートだけ、投げるんだぞ!」
「はい」
「はい!」
若干重い気持ちで返事をした私とは対照的に、弘恵は元気に返事をすると、監督に指示された場所へ走りだした。
シュッ――
私の脳裏に、完璧に投げられたときのストレートがよぎる。あれを、常に投げられるようになれば……。私の心の内には、ずっとストレートを投げなければいけないという憂鬱さと、ストレートが良くなるという期待感が同居していた。いずれにしても、やるしかないんだ、と自分に言い聞かせ、私は投球練習を始めるのだった。