07 左遷された理由
本日のおやつは、宣言通りマドレーヌだ。勿論ヴィルフリートのお手製である。
同じ味ばかりでは飽きるだろうと紅茶の茶葉を細かくしたものを入れたり、生地にココアを練り込んだり、オレンジピール(ヴィルフリートお手製。自宅で作っておいた)を刻んだものを入れたりと味にバリエーションを付けている。
……エステルの為に自宅でもある程度の準備をしだした辺り、段々と役割が体に染み込んでいる気がしたが、ヴィルフリートはもう何も言わない事にした。
本職に敵うかといえばおそらく無理ではあるが、料理もお菓子作りもこなせるように教育されてきた彼にとって、焼き菓子くらいなら手軽に作れた。
……喜べば良いのか悲しめば良いのか、ヴィルフリートの作った食事やお菓子はエステルには好評で、毎日せがまれる。
作らなければしょげて仕事に身が入らないためにやはりせっせと作るので、エステルにとってのヴィルフリートの認識は補佐官というよりは「食事係」であった。
(あんなに喜んで食べてくれるのは、やっぱり作り手冥利に尽きるんだけどな。……滅茶苦茶複雑ではあるが)
小さな唇でかじりついてはご満悦そうな表情を浮かべているエステルは、リスのようだ。
左遷されてこんな事をする羽目になるとは、誰も思うまい。
何のために魔導師になったのかと自問自答する事もしばしば。勿論答えなど誰も返せる訳もなく、結局心の奥底に沈めるのだが。
「……足りません」
ぺろりと七つ個程平らげてなお物足りなさそうなエステルの食欲に、毎度毎度作り手であるヴィルフリートは驚かされてばかりだ。
彼女はヴィルフリートが想像していた三倍は食べる。成人男性より遥かに食べてまだ足りなさそうにする辺り、大食漢なのは言われずとも分かる。
常にはらぺこ、というのもあながち間違いではないだろう。
あんな細い体によく入るな、と感心と呆れと心配がないまぜになった感情が湧くものの、最近は慣れてきている。
おかわりを要求される事もしょっちゅうな為、エステル一人に対して数人分は用意する事をこの二週間で覚えたのだ。
因みに材料費は経費で落ちるので好き勝手に作れて楽しくはある。
「あまり食べると太りますよ」
「大丈夫です、私太りませんので」
世の女性が聞いたら妬みそうな事をさらっと言ってのけたエステルが物欲しげに見てくるので、不本意ながらの専属シェフは用意してあった残りのマドレーヌを差し出した。
途端に弾けるような笑顔を浮かべたエステルに、ヴィルフリートはひっそりとため息をつく。
「よく入りますね」
「そりゃ、お嬢は燃費がものすっっっごく悪いからな」
「燃費悪いじゃ済まないでしょうこの食欲」
「お腹すくから仕方ないのですよ。それに、ヴィルフリートの料理美味しいんですもん。流石私のご飯係です」
すっかりヴィルフリートの料理に餌付けされているエステルにエリクは微笑ましそうに見守っているが、ヴィルフリートとしては板につきだした食事係の役割にちょっと凹み気味である。
別に、料理を作る事そのものが嫌とか、エステルにねだられるのが嫌とか、そういう訳ではない。
ただ、魔導師としての自分のがんばりは何だったんだろうか……とちょっと虚しくなるだけだ。
ご飯が作れるなら誰でも良いんじゃないのか、と任された役割に不満とよく似た蟠りがある。
魔導師としての力を求められている訳ではない――そう思うと、やはり複雑な心境だった。
「……シェフの方が向いてるんですかね、俺」
我ながら、途方に暮れたような声が出た。
今更人事に文句を言ったところでどうにもならないしご飯係が定着しつつある今どうこうしようというつもりはないが、ちょっと自信がなくなってくるのも致し方ないと言えよう。
ディートヘルムに平民は平民の仕事でもしていろ、と言われているような状況なので、ややこたえているのもあるかもしれない。
年下上司、それもまだ幼げな少女のお世話係。下らないとは分かっているが男のプライドを刺激する状況も、やるせなさに繋がっていた。
勿論本人に当たるのは筋違いだろうし、純粋な目で見てくる彼女にそんなものをぶつければすぐに自己嫌悪に陥るのでしないが。
「……そういえば、ヴィルフリートはご両親が料理人と聞きました。だからこんなにお上手なのですね」
「お口に合っているなら幸いですよ」
素直に家業を継いでいろ、とどこかでディートヘルムが嘲笑っている気がしたが、ヴィルフリートはあえてその幻聴をないものとした。
「そういえば、アンタ左遷されたらしいもんな」
あっけらかんとしたエリクの悪気ない言葉に胸が抉られた。
確かにそうなのだが、他人に言われると痛みもひとしおである。
もうちょっと柔らかいものに包んで欲しかったが、事実なのでどうしようもない。
プライドは先日ボキボキに折られたからもう折れるものはないと思っていたが、折れたものでやわい部分を抉られてちょっと泣きたかった。
「エリク、言葉を選びなさい」
「すまん。まあ元気出せよ、よくあるこった」
「反省してないでしょうエリク。……ヴィルフリート、傷口を抉るようで申し訳ないのですが……差し支えなければ、教えて欲しいのです。何があったのでしょうか」
おずおず、と窺ってくるエステルには好奇心というよりは、部下に何があったのか把握しておきたいという意志が読み取れる。
傷付けたくはない、と先に示しておいて、話すかどうかは此方に委ねている。
調べようと思ったなら幾らでも調べられるであろうが、本人の口から正しい情報を聞きたい、そういう瞳で。
別に、こんな職場で隠しだてする事もないので、ヴィルフリートはほんのりと苦い口の中を紅茶で洗い流して、一息つき――ゆっくりと、口を開く。
「聞いても面白い事はないと思いますけど。単純に、ディートヘルム閣下のお誘いをお断りして不興を買っただけです」
「あー」
二人して納得の声を上げたのは、それだけディートヘルムの横暴は知られているという事だ。
エリクから哀れみの眼差しを受けたが、もう諦めているので乾いた笑みで享受しては肩をすくめる。
「まあ、良いんですよ。従って何かの片棒担がされるよりは、こうしてご飯係だろうが何だろうが、清廉に生きられてますし。まあ、筆頭魔導師とかそういう目標は叶わなくなりましたが」
筆頭魔導師、という言葉にエステルが少しだけ眉尻を上下させた事には気付かず、ヴィルフリートはひっそりと苦笑を漏らした。
夢自体は諦めていないが、少なくともディートヘルムが在任中は無理かな、という現実的な思考がぐるりと頭を巡っている。
もしもの仮定でディートヘルムに付き従ったとしても、そこにヴィルフリートの求めるものはない。
それに、どちらにせよ自分を遥かに凌駕するエステルのような存在が居るのだから、すぐになれる訳でもないだろう。努力がまだまだ足りない、というのは身に染みている。
だからこれでいいのだとは思っているし、喚くほど子供でもないので無理矢理納得はさせているが、やっぱり悔しくはあった。
何くそ、と反骨精神が働くにはまだまだ衝撃から立ち直れていないのが事実で、情けないとは分かりつつもこうして消化不良を起こしているのだ。
「こんなものですよ。よくある、お上の機嫌を損ねたというやつです。誰にだって起こりうる事ですし」
「……ヴィルフリート」
白い手が、こちらに伸びた。
髪をぽん、と軽く叩いたエステルは、そのままぎこちなく撫でる。
どうやら慰めているつもりらしくて、一生懸命掌を動かしてなでなでしていたが、慣れなさすぎて髪をボサボサにしていた。
それでも、労りの気持ちは伝わってくる。
この年になって年下の少女に慰められた、と考えると羞恥で頬に熱がのぼるものの、ややひんやりとしたエステルの指は心地好くて、振り払う気にはならなかった。
「私からは何も出来ませんが……あなたがここにきて良かった、と思ってくれるように、がんばります」
「……じゃあお仕事はまめにしてくださいよ」
「う、ぜ、善処……出来たら良いですね……」
そこは確約しない辺りエステルの仕事に対する意欲がうかがえる。
ちょっぴり凹んでいたヴィルフリートはそれさえ忘れて思わず吹き出し、だらけ癖のある上司を眩しいものを見るように眺めた。
(そういえば、彼女は何故こんな場所に居るのだろうか)
特級魔導師、というのは本当に限られた人間しか得られない階級だ。
実力で登りつめるしかない立場であり、賄賂や不正でどうにか出来るものでもない。
特級を得ているならこのエステルは間違いなく実力は高いし、特級というのは特別視されるもので、間違いなくこんな他者からあざけられるような場所に置いておくような存在ではない。
自分が望んでも辿り着けるか分からないような境地に至っているというのに、その力は正しく振るわれる事はないのだ。
見ているこちらが悔しくなるくらいに、彼女の立場は不当なものだ。自分ならばその力を存分に振る舞っただろうし、筆頭魔導師になろうとしただろう。
それなのに、彼女に不満は一切なさそう……というよりは好んでだらけているようにも見える。
どうして、エステルのような才媛がこのような場所でくすぶっているのだろうか。
問い掛けようと唇を開いたヴィルフリートだったが、自分の頭を撫でるエステルが段々楽しそうな顔に気付いて、止めた。
ここに飛ばされた人には何らかの事情がある――自分を含めてそうなのだから、気軽につついて良いものでもないだろう。
慰めから髪で遊び始める事にシフトし出したエステルに表情を無にしておきつつ、ヴィルフリートはとりあえずされるがままになっておいた。
……胸がやけにうるさいのは、おそらく気のせいだと思って。