03 そしてご飯係に
「ご馳走様でした」
美味しかった、と満足げな少女に「だろうな」とヴィルフリートは火照った頬から意識を外しつつ内心で頷く。
あんな幸せ一杯の顔で完食するのだから、そりゃあ美味しくない訳がないだろう。
あんな純粋な喜びに満ちた顔をされるなんて初めてで、未だに心臓が落ち着かない。
未だに気分は晴れやかなのか、あどけない顔立ちはさも満足そうに緩んでいて、鼻歌でも歌いそうな程だ。
「えっとヴィルフリート、でしたよね。ありがとうございます。すっごく美味しかったです!」
両手を胸の前でそれぞれ握って興奮もあらわにぱたぱたと振っている姿は、なんというか幼さが勝ちすぎて微笑ましく思えば良いのか。
背景にお花が舞っていると錯覚させる程、少女のご機嫌は麗しいらしい。
「お口に合ったなら幸いです」
「はい! えっと、あなたが新人さんですよね。私、エステルと申します」
エステル、と名乗った少女は声音を弾ませていて、そわそわとしている。
「今後とも是非その腕前をふるって下さい。これなら私がんばれそうです」
「い、いえ、あの、俺は料理人として来た訳じゃないですからね……?」
「……じゃあ私仕事しません」
「はい!?」
急なストライキ宣言に目をむけば、一気に拗ねたようなエステルがそっぽを向く。
相当ヴィルフリートの料理がお気に召したらしく「ヴィルフリートが作ってくれなきゃお仕事に手がつきませんー」と宣っていた。
エリクが苦笑しつつ「お嬢いつも仕事してないだろ」と突っ込んでいたが、彼女はぷいっと顔をそらして言葉は返さない。
おそらく仕事から逃げるのは常習犯なのだろう。
「……あー、ヴィルフリート? アンタ、第二特務室の室長補佐官として任命されたんだよな?」
「は、はい、そうですが」
「ならエステルの言う事を聞いてやってくれ。餌で釣って仕事させれば良いから。仕事をしない室長を仕事させるお目付け役としてやって来たんだろうし」
「餌で釣るって、というか、まさか」
「エステルがアンタの直属の上司だ」
苦笑混じりのエリクの一言に、愕然とした。
この、廊下に倒れていたはらぺこ少女が、上司。
まだまだ幼さの抜けきらない少女が、散々な言われようである第二特務室の室長。
つまりはこの部署で一番偉い存在となる。
ヴィルフリートも若くして魔導師になり多少なりと持てはやされて来たが、それでも魔導師になれたのは二十手前だ。
推定十七歳の彼女が、室長という地位に就いた事自体、ヴィルフリートには衝撃でしかなかった。
その上、徽章から特級の地位にある事が分かるとんでもない才媛という事だ。
それが何故こんなへんぴな部署に、と思ったものの、自分も左遷されたクチなので何とも言えないが。
「室長補佐官というのは私の秘書みたいな存在でしょう? なら、私の栄養管理もお仕事の内だと思うのです!」
きらきらと、すみれ色の瞳が、期待を宿してヴィルフリートを写している。
「ようやくお嬢のお目付け役が出来るな。いやぁ、良かった良かった。お嬢すぐ逃げるしお腹空かせやすいしのに俺らのものじゃ食べようとしないし。こうして食べてくれる料理を作れる人材は貴重なんだよ」
「は、え?」
「助かった助かった」
これからよろしく頼むな、とばんばん背中を叩かれて、一瞬気が遠のいた。
飯係。
普通に魔導師として異動したのかと思いきや、お世話係兼ご飯係。
確かに料理は得意ではあるが、ヴィルフリートはシェフの道を歩みたかった訳ではない。
というか今でも魔導師の高みに登りつめる事は諦めていない。
だが、これはそもそもの魔導師の道から大きく外れているのではないだろうか。
左遷された上に魔導師としての本領を発揮するような役割ではなく、他人の世話をさせるために配属された。
魔導師としてではなく、ご飯係兼給仕として働けと。他人にあごで使われる立場に甘んじろと。つまりはそういう事なのだろう。
まずい、と流れを察して頬が引きつる感覚と、冷や汗が滲む感覚。
空気を読めない程鈍感ではないが、素直に頷けば間違いなく今後のヴィルフリートの役割はご飯係となる。それだけはさけたい。
何が悲しくて栄えある宮廷魔導師職からシェフまがいにならなくてはいけないのか。
だから、何とか誤魔化そうとして――エステルの瞳に宿った期待が少しずつ萎み始めて、ちょっと悲しげに揺れ始めるのに、気付いて。
駄目なの? とでも言わんばかりのしょげた眼差しと下がる眉。
泣きはしないようだが、分かりやすく悄然とした面持ちになり、見ているこっちが悪者になったような、そんな気分になってくる。
「室長命令です、私のために毎日ご飯を作って下さい……って言ったら、駄目ですか……?」
男性の方から言えばプロポーズまがいの事をうるうるとした眼差しで言われ、ヴィルフリートは今度こそ絶句した。
頷けば、ご飯係。
首を振れば、美少女の悲嘆に暮れる顔。
二つに一つで、でもヴィルフリートの今後を考えれば首を振るべきだと、分かっていたのだが。
悲しきかな、ヴィルフリートも年頃の男。
相手が上司でそれも美少女で、あんな期待に満ちた眼差しから急降下して悲しげな表情をされれば、断れる訳がなかったのだ。




