25 二人で過ごす休日
「おはようございます、ヴィルフリート」
朝っぱらからやってきたエステルは、実にそわそわとした様子でヴィルフリートの部屋の戸を叩いた。
あまり目立たない格好で、とお願いしているので多少地味めというか落ち着いた紺のワンピースをまとっているものの、隠しきれない品が透けているし顔立ちの端整さが目立つ。
そもそも見事な薄桃色の髪といい、目立つのはどうしようもないのかもしれない。
ただ違うのは、いつもより心なしか瞳の輝きが強い事だろうか。
「……おはようございます。朝早いですね。うん予想してたので食材は買い込んでありますしデザートは昨日の内から用意してますけども」
朝早い、と言ったもののあと三時間すれば昼食の時間が来る。
朝食は先に手軽なサンドイッチを大量に作ってあるので問題ないし、昼食は先に仕込んであるのでゆっくり調理すれば良い。
もう板についてきたというか、職場だろうが自宅だろうがこうして自らやっているので最早日課になりつつある。
さっさと自宅に招き入れて食卓に案内して用意していた朝食をテーブルに置くと、分かりやすくエステルの頬が喜びに紅潮した。
「至れり尽くせりで何だか申し訳ないです」
「良いですよ別に。俺は存外あなたが美味しそうに食べてる姿を見るのが楽しいので」
「……そうなのですか?」
「あんなに美味しそうに食べてくれるなら、料理を作る人は大概作り手冥利に尽きると思うかと」
実家の手伝いを子供の頃からしてきたヴィルフリートだが、彼女程幸せそうに料理を食べている人は見た事がなかった。
自分の作った料理がそんな表情をもたらしたのだという事は、くすぐったくて、やはり嬉しい。
料理のつたなさは自覚しているが、それでも彼女にとって自身の料理が好き、それだけで自然とがんばれるものだ。
「……それなら良かったです。もらってばかりで、私がヴィルフリートに返せる物がないのが申し訳ないですが。私があげられるもので、欲しいものとかありませんか。何でもしますし」
お金は渡しているのでそれ以外での報酬を、とエステルはのたまうものの、彼女は自分が何を言っているのか分かっているのだろうか。
「あんまり女の子がほいほい何でもしますと言ったら駄目ですからね」
「どうしてですか」
「たとえばですが、何でもという事を言質に何かする輩が居るでしょう。男の人は無防備な女の子を見ると食べてしまいたくなるものなのですよ、警戒心は持ちましょうね」
「……私は美味しくないと思いますけど」
「多分極上の範疇に余裕で入ると思いますよ」
「私にとってはヴィルフリートが極上ですよ!」
にこー、と屈託のない笑顔が咲いたエステルに、溜め息をつかないようにするので必死だった。
(絶対魔力の事を言っているだろう)
彼女の言う極上は、ヴィルフリートの魔力についての評価だ。あと料理。
ヴィルフリートにとっての意味とは全く違う。理解出来ていないのは、彼女にとってそういう感情がないからなのか、単純に世間知らず過ぎてそういうものから縁遠いからだろうか。
両方ある気がして、ヴィルフリートはそっと額に手を当てた。
「あなたの言う意味と俺の言う意味が違いすぎて相互理解が出来ていない気もしますが、まあ良いでしょう。……で、朝食食べるのですよね?」
「はい!」
まあ、ヴィルフリートからエステルに何かを求めるつもりも更々なかったので、諦めてエステルの笑みが続くようにしようとキッチンに向かった。
休日を共に過ごす事にはなっているものの、これといってする事もない。
朝食を食べた後は結局二人して暇を持て余していた。
ソファに隣り合って座ってみたものの、何をするでもない。
気まずさは不思議と感じないが、暇なのは否めなかった。特にする事はないと事前に言ってはいるが、このまま放置するのも気が引ける。どうしたものか。
ちら、と隣を見ると、エステルはこちらをじっと見ていた。
「何か?」
「いえ、ヴィルフリートの私服って滅多に見ないなあと思って」
どうやら服装を見ていたらしく、ラフな普段着姿のヴィルフリートにどこか感心したような雰囲気。
「俺もあなたの私服は滅多に見ませんよ、会いませんからね。別に俺の私服見て面白い事はないでしょう」
「そうですか? なんか、いつもと雰囲気違って新鮮です」
「別に変わらないと思うのですが」
「うーんと、いつもはかっちり制服着ていていかにも真面目そうな感じがしますけど、今日は、何か爽やかです」
「普段が陰気臭くてすみませんね」
「そんな事言ってませんー」
もう、とほんのり唇を尖らせてヴィルフリートの二の腕をぽこぽこと軽く叩くエステル。
じゃれ合うような程度の衝撃なので全く痛くもないし多少に振動が伝わるだけなのだが、何故か叩いた側のエステルが目を丸くしていた。
「いつもは上着着てるから分かりませんけど、ヴィルフリートって案外かっちりしてるのですね」
「実家の手伝いとかしてるとどうしてもね。料理するのには筋力と体力が要るのですよ。重い鍋振ったり材料運んだりね、力仕事ですので」
魔導師であまり体を鍛える人は居ない、というか頭脳労働が主である程度外を走り回れる体力があればそれで良い。戦闘職ですら持久力だけしか鍛えていないというのはよくある事だ。
ヴィルフリートは足腰も腕力も鍛える。食事処が実家なので、手伝うのも力が要るのだ。
エステルに言ったように調理器具は重いし、材料……たとえば小麦粉は子供が丸々入る袋単位で必要なため、搬入するのにも力は必要不可欠。料理を客のところに運ぶのも中々に重労働だ。
勝手に鍛えられるし筋力が落ちないようにある程度鍛えているので、多少は均整取れた体つきになっていると自負しているが、エステル的にはこれが珍しいらしい。
……まあエリクはともかくマルコなんて華奢な少年なので、見慣れないのも分かるが。
「ヴィルフリートはお手伝いに行ったりしてますもんね」
「毎回じゃないですけどね、流石に休みを奪われるのも勘弁なので。……言っておきますけど、あなたの事は俺がお呼びしましたので気に病む必要はありませんからね」
先んじてエステルに言っておくと、エステルはふにゃりと笑みを浮かべる。
「ありがとうございます、誘ってくれて嬉しいです。ねえヴィルフリート、触っても良いですか?」
「……どうぞ」
興味津々だったらしく、許可が出ればおずおずと掌をヴィルフリートの二の腕にくっつけた。
小さな掌が、確かめるようにシャツの上からヴィルフリートに触れる。柔らかな指先とは逆に引き締まった感触のヴィルフリートに、エステルはぱちりとすみれ色を輝かせた。
「……おお」
ぺたぺた。
子供が物珍しげにおもちゃに触れるような手付きに、ヴィルフリートは感覚的にも心情的にもくすぐったさを覚えた。
「楽しいのですか」
「楽しいです!」
「……左様で」
「掌も大きいですね。男の人ですもんね」
「……そりゃあそうですね」
「胸もぺたんこだし」
「あったら怖いです」
「ふふ、そうですね」
気になるところは触れるらしく、掌や胸板に手を伸ばして感触を確かめている。指を絡めて「太くて骨張ってます」とのんきに感心していた。
下手をすれば逆セクハラになるものの、本人は純粋な興味で触れている上別に差し支えがある場所でもないので、嫌がるつもりはないの、だが。
どうしてだろうか、なんというかやはりくすぐったいというか、やり返したい気分になってくるのだ。
「……あんまり触られると俺も触り返しますよ」
「どうぞ」
流石に実行するのはセクハラなので冗談めかして言うと、まさかの許可が出た。
いや、エステルの性格を考えたなら気にしないで受け入れるとは分かっていたものの、実際に何ら躊躇いもなく言われるとヴィルフリートとしては困る。
「抵抗を持ちなさい」
「ヴィルフリートは何か変な事する訳でもないし……」
「しませんけどね」
「なら平気ですよね」
しない、という疑いを一切持っていないらしい。
信頼の証なのだろうが、女としてそれはどうなのか。そして自分は男としてそれでいいのだろうか。
ヴィルフリートとしては複雑な気分である。
「そうですね、ええそうでしょう。全く」
「それに前も触ってくれたじゃないですか」
「……そうですけども。……じゃあ、触れさせて頂きます」
半ばヤケクソ気味に言い切って、無難な掌を握る。
小さくて、か細い指。自身の筋張った掌と違って、エステルの手は柔らかくて滑らかな手触りをしていた。
少し力を入れると、ふに、ふに、ともっちりした感触が返ってくる。触り心地はとても良い。一生懸命スプーンを動かすのも、気だるげにペンを握るのも、圧倒的な力を示すように振るうのも、全部この指だ。
「……ふふ」
「何ですか」
「いいえ。……なんでも」
初めはくすぐったくて笑っていたのかと思ったが、それとは違うようだった。
エステルに浮かんでいたのは、食事の時とは違う、甘い笑顔。
甘いと感じるのは、ふやけてとろけているからなのだろうか。
満面の笑みというよりは心地よさそうな、安らぎの強い穏やかな表情。幸せそうと表現するのが相応しい、気も表情筋も緩んだ笑顔で。
――自分がこんな表情をさせた、と思うと、心臓が跳ねた。
「……そういう顔は誤解を招きそうなので止めてくださいね」
「誤解?」
「そういう顔をほいほい男に見せるな、と言ってます」
「でも、ヴィルフリートくらいにしかこんな顔しません」
「そういう事言うと余計に誤解しますので」
「誤解って何ですか」
「たとえばですが、好かれているのではないかとかですね」
「好きですよ?」
さらっと、極当然のように言われて一瞬息がつまった。
(……悪意がない分たちが悪いんだが)
ヴィルフリートも馬鹿ではない。どういう意味で好きと言われているかは分かる。
ただ単に人として純粋に好きだと言われているのだろう。料理の腕も引くるめて、人柄が好ましい、そういう事だ。他意はない。
そもそも彼女に異性の恋愛感覚が分かるかすら危ういのだから、まずそっちはないだろう。
脳内で思考停止しかけたものの、意味は違うと理解して、何とか通常運転に。
不自然でないように、それでも普段のヴィルフリートよりはぎこちなく微笑んで、ふわふわゆるゆるで笑っている彼女を見た。
「……好ましく思って頂いていると?」
「はい!」
「っ、あー……うん、ありがとう」
元気よく言われて、絞り出せたのはそんなどもりかけの言葉だった。
エステルがぱあっと瞳を輝かせたのすら、心臓の鼓動を早める原因になっている。
「敬語取れました!」
「取りませんからね。……全く、心臓に悪い」
「ほんとだ、どきどきしてます」
ぺとり、と何気なく掌で心臓の上の位置あたりの胸を触ってくるので、余計に心臓が暴れかける。
「触る馬鹿が居ますか」
「触って良いと言ったじゃないですか」
「それとこれとは違います」
「理不尽ですー」
「大人は理不尽なのですよ」
「……私も年齢的には大人ですからね」
「はいはい」
「もう」
膨れっ面をしている姿は、とても大人には見えない。成人の十五歳を二歳も過ぎているというのに、エステルはやっぱらあどけなさの方が強い。
しかし――青さで言うなら、ヴィルフリートも負けていないかもしれない。
(ちょっと言われたくらいでこんなに動揺するとか思わなかった)
たかだか人として好きと言われたくらいでうろたえるなんて、それこそ思春期の子供ではないか。よくある、好ましいとしての好きなのだから、平静でいなくては。
未だにうるさい胸の奥からエステルを遠ざけたくて、触れた小さな掌をやんわりと掴む。
「……さ、そろそろ離して下さいね。ほら、俺なんかに構わず、好きに過ごして下さい」
「好きに過ごした結果がこれなのですけど」
色々と問題発言をする彼女に絶句していると、彼女はそれは楽しそうに相好を崩した。
「ふふ、楽しいですね、人と一緒に過ごすの」
「……そうですね」
基本仕事以外は一人で過ごさざるを得ないというエステルに、色々言いたい事は飲み込んでヴィルフリートは苦笑をひっそりと口許にたたえた。




