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02 着任早々調理開始

「……何で俺が」


 そう呟いたのは、エプロン姿のヴィルフリート。

 手にはホイッパー。ボウルに割った卵黄を入れてときほぐしている所であった。


 ただいま第二特務室……に何故か併設されていた大掛かりな厨房にて頼まれものを作っている最中である。


『お嬢、燃費悪くていつもはらぺこなんだよ、その癖俺らが作ろうとしても嫌がるし。だから、何かお嬢が食べられそうなもの作ってくれないかね。割と甘いものなら警戒心も低めに食べてくれるからさ』


 美貌の少女を担いだ青年はエリクというらしい。

 彼はそんな無責任な事を言ってヴィルフリートを厨房に押し込んだのだ。エプロンが用意されていた辺り計画犯に違いない。


 おそらく作るまで厨房を出すつもりもないだろうし、先程の少女のとんでもないお腹の大合唱を聞くと哀れになってくるので、腹をくくって渋々ながら調理に取りかかったのだ。


 すぐに作れるお腹が膨れる甘いもの、となると手っ取り早いのはパンケーキだ。

 幸い、というか確実にヴィルフリートに使わせる前提である程度の食材が揃えられていたので、パンケーキ自体焼くのは問題はなさそうだ。


 あそこまでお腹を空かされると本人に文句を言うつもりはないが、どうしてこうなったのかは常に頭を回っている。手元のホイッパーも回して卵黄をほぐし、砂糖と牛乳を入れて混ぜていた。

 合わせて振るった小麦粉とふくらし粉を入れて練らないように混ぜる。


 別に作る事自体嫌ではないのだが、正規の業務でない事は確実だ。


(いや、別に料理を作るのは構わないんだが……配属早々料理を振る舞うっておかしくないか)


 はぁ、とため息をつきながら、今度は卵白とちょっとの塩でメレンゲを作り始めるヴィルフリート。

 本人の渋々そうな顔とは裏腹に手慣れていた。


 本人も甘いものが好きなためにこうしてお菓子作りをするが、まさかこんな形で役立つ日が来るとは思うまい。


「……まさか、毎日こんな事させられるとか言わないよな」


 有り得そうな未来を想像して身を震わせたヴィルフリートは、忘れようと頭を振って卵白を泡立てるのに専念する事にした。




 出来上がったものを皿に載せて厨房を出ると、ぐうう、と隠しようのない轟音が少女の細い腹から響く。そういえば少女の名を聞いていなかったが、それは一旦後だろう。


 机に突っ伏している少女の目の前に焼き立てのそれを載せた皿を置くと、匂いと音に反応したらしい少女がゆっくりと顔を上げた。


 やはりというか、綺麗な少女だった。

 瞳を開いた姿は始めて見たが、やはり整った顔立ちな印象は覆らない。それどころか強くなる。


 年の頃は、成人してそう間もなさそうなくらい。大体十六歳十七歳くらいだろうか。


 あどけなさの残る顔立ちは、好みの差はあれど誰もが美少女と定義しそうな可愛らしさを持っている。


 緩く波を描く薄桃色のロングヘアーや滑らかな陶器の肌。瞬きをすればころんと落ちてしまいそうな大粒のすみれ色の瞳。

 等身大の人形と言われれば信じてしまいそうなくらいに整っていて、物静かそうな雰囲気が余計にその作り物めいた美貌を強調している。


 ただ、その端整な顔立ちは、非常に強張っていて、どこか訝るような眼差しをヴィルフリートに向ける。

 なんというか警戒心の強い小動物を目の前にしたようで、可愛らしさに癒やされてほっこりとした。


「どうぞ召し上がって下さい。お腹空いているのですよね」

「……要りません」


 言葉とは裏腹にきゅうんとお腹が鳴っていて、少女は唇を噛んでいる。何を我慢しているのか。


 空腹を訴える癖に手を伸ばそうとすらしない少女の行動がちぐはぐ過ぎて、どうして良いのか分からずに側のエリクをちらりと見る。

 肩をすくめられた。


 いつもの事らしく、エリクが咎める気配はない。

 そもそも、今この第二特務室に居る人間はヴィルフリートを合わせて三人なため、見栄を張る事もないという事だろうか。


「お嬢、大丈夫ですから食べて下さい。毒なんて入ってませんって」

「……やだ」

「お腹空いて行き倒れてたらしょうがないでしょうに。せっかく作ってくれたんですから」

「……知らない人ですもん」

「俺はヴィルフリートです。今日から第二特務室に配属となりました。知らない人……ではなくなりましたよね?」


 どうやら知らない人間から何か物を貰うのに抵抗があるらしく、少女は手を付けようとしない。


 けれど菫青石の瞳は焼き立てふかふか、ほんのりと湯気を立てるパンケーキに釘付けとなっていた。

 狐色に焼けた表面と膨らみ具合であり、お腹がすいている訳ではない自分まで食べたくなる出来だと自負している。


(お腹すいているなら食べてしまった方が楽になるだろうに)


 少女は物欲しそうな眼差しをしているものの、フォークとナイフを持つところまで促せていない。ただ宙を踊り消えていく湯気を見つめて実に物悲しそうな腹の音を響かせている。

 なんとも強情な少女だ。食べたら良いものを、すんでの所で止まっている。


「そんな物欲しそうな眼差しをしなくても。食べないなら、こちらで処理しますけど」

「……う」


 皿を掴むと、しょげたように柳眉が下がる。

 食べたい、けれど食べられない、そんな葛藤を抱いているらしく、手は膝の上で固く握られていた。


 仕方ない。


 ヴィルフリートはため息をついて、側に置いてあった小さな容器を手に取る。


 中にはたっぷりと深い琥珀色をした液体が溜まっていて、傾ければとろりと粘度のある揺らぎ方をして甘い匂いを辺りに広げていく。

 蜂蜜ではなくメープルシロップを選んだのは、すっきりとした甘さがこのパンケーキに合うからと、生地の染み込みやすさを考えてだ。


 食べないならば、食べさせたくするまで。


 せっかく作った料理を無駄にされるのも癪だったので、ヴィルフリートはわざとらしく緩慢な動作で容器を持ち上げ、猫背気味の少女の目線まで持ち上げて――ゆっくりと、液体を流すように傾けた。


 とろり、音を立てそうな滑らかな流れで落ちていく琥珀色のシロップ。

 細く糸のように流れ落ちるその先は、焼き立てのパンケーキの表面だ。


 表面の狐色よりも濃いシロップが、重なったパンケーキに落ちては表面を流れつつ染み込んでいく。


 スフレタイプのものなので、生地はしっとり食感が特徴。

 ふわふわじゅわっと優しく溶けていくような舌触りで、軽いのも手伝いすぐに平らげてしまう程だ。


 そんな生地にたっぷりと染み込んでいく、独特の甘い香りを漂わせるメープルシロップ。

 元々蜂蜜程甘さは強くないので、たっぷりかけても生地の方が甘さ控えめなためにくどくならない。


 バターを乗せると味わいも深くなるが、今回はシンプルな方向で押す事にした。


 目の前で最後の仕上げをされて、少女は涙目でパンケーキを見つめている。

 食べたい、瞳がそう物語っていた。


 何だか意地悪をしているような気分になったものの、食べて良いと言っているのに食べない少女が悪いのだ――と自分に言い聞かせて、にっこりと微笑みかける。


「焼き立てですし、冷めない内にどうぞ。食べないなら俺が責任持って胃の中に処分しますが」

「……うっ、た、食べます……食べるもん……」


 とうとう根負けしたらしく、いじけ気味に呟いてナイフとフォークを手にした少女。


 驚いたのはヴィルフリートよりエリクの方だ。


 翠の瞳を丸くして、それから何か企むように口の端を吊り上げたので、ちょっとヴィルフリートは嫌な予感がしたものの少女の動向を見守る方が優先だったのでスルーする事にした。


 おずおず、と手にしたナイフを生地に押し当てると、少し食い込んだ後抵抗も見せずにしゅわっと音を立てて狐色の大地が分かれていく。

 メープルシロップがたっぷり染み込んだ生地を一口大に切り分けた少女が恐る恐る口に運ぶのを、ヴィルフリートはただじっと眺めた。


 小粒の唇に仕舞われてもぐ、と咀嚼する瞬間が、一番緊張する。


 まずい、という事はないと思うのだが、舌が肥えていそうな少女のお口に合うかどうか。


 そんなヴィルフリートだったが、心配は要らなかったらしい。

 ぱあ、と生気が宿ったのを、ヴィルフリートは丁度目撃した。

 

 まず、瞳が輝いた。


 暮れゆく夜空のような瞳が感動したように湿り、つややかなきらめきと喜びを宿す。噛む度にきらきらが増して眼差しも和やかになって喜色をあらわにし、ほんのりと新雪の肌を色付かせる。

 それだけでお人形のような容貌が生き生きとして、年相応の溌剌さを取り戻したようだ。


 こうして表情が色付くと、より際立つのが少女の愛らしさだ。

 一気にみずみずしさを溢れさせた年若い、というか幼さの残る可愛らしい少女の姿は、あまり異性に気を向けてこなかったヴィルフリートにはまぶしすぎる。


 ごくん、と飲み込んだ少女が、感動の色を宿したままにヴィルフリートを見上げる。


「……おいひいです」

「そ、それなら良かった。冷めない内にお召し上がり下さい」

「はい!」


 今までの警戒心はどこへやら。

 満面の笑みを浮かべて頷かれて、不覚にも心臓が跳ねた。


 元々異性への免疫なんてほぼないヴィルフリートにとって、今の素直な笑顔は大打撃。ただでさえ可愛らしい容貌が幸せそうに緩む姿なんて、滅多に見られるものでない。


 う、とたじろいだヴィルフリートの内心を知らず、少女は先程と打って変わって自ら進んで口に運んで、上機嫌に喉を鳴らしている。

 ご機嫌らしく白い頬が緩んでとろんとした眼差しになっており、ヴィルフリートに追撃をしているのだが本人は全く気付いていない。


 そんな二人を、エリクは微笑ましそうに眺めていた。

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