01 初めましては行き倒れで
宮廷魔導師ヴィルフリート=クロイツァーを魔導院第二特務室の補佐官に命ずる。
そんな紙切れ一枚の指示書に、ヴィルフリートは思わず目を通した瞬間その場に崩れそうになった。
「どういう事でしょうか、これは」
俺が何をしたのか、と思わず口から漏れそうになるのをこらえて、涙もこぼれかけたのを防ぎ、ヴィルフリートは辞令を持ってきた上司に訪ねる。
魔導院第二特務室。
魔法を扱う者……魔導師が集まる、国に設立された魔導院という機関の中の、ある一つの部署の事を言う。
魔導師の中でも特別に集められた魔導師で構成されている――と言えば聞こえは良いだろうが、実際は特務と名は付いているものの隔離と言っても過言ではない。
一癖二癖どころか癖がありすぎて置き場に困った、札付きの……よく言えば我の強い、悪く言えば変人もしくは権力にたて突いた魔導師が集められる、第二特務室。
出世からは最も遠く見捨てられた部署であり、魔導師の間では掃き溜めと言われるほど。
まだ宮廷魔導師になってそう月日の経っていないヴィルフリートでさえその噂は聞いているのだから、余程ひどい場所なのであろう。
そんな所に異動命令を出されたのだから、事実上の左遷と言って良い。
「何故俺なのでしょうか。俺が第二特務室に異動になる理由が見当たらないのですが」
自分で言うのも憚られるが、ヴィルフリートは将来有望とされる魔導師だと評価を受けている。
平民出身ではあるものの保有魔力量は群を抜いており、このまま研鑽を積めば高みに登る事が出来ると期待されている有望株。間違っても閑職に就くような能力ではないと自負していた。
そんなヴィルフリートに、上司は、正しくは上司だった男は苦笑を浮かべた。
「本当に心当たりはない?」
「……恐れながら、全く」
職務には忠実であったし、仕事にも熱心に取り組んできたつもりだった。勤務態度に問題はないと思っている。
けれど、上司だった男はゆるりと首を振って肩をすくめた。
「うーんとね、ヴィルフリート君に直接の咎がある訳じゃないんだよね。ただまあ、上層部の機嫌を損ねたというか」
その一言に、ヴィルフリートの頭の中で何故こんな辞令が下ったのか、遅れて理解した。
つい先日の事だ。
ヴィルフリートは、とある一人の男の不興を買った。
噛み砕いて言えば、とある男に自分の下について尽力しろ、と言われた。
男の名はディートヘルム。魔導院の重鎮であり、数少ない特級魔導師(魔導師にも級があり、特級から五級までの位階に分かれる)の一人だ。
その男は黒い噂が絶えなかったというのと、自分以外を見下して部下なんか道具のように使い捨てる、という性質を聞いていた。
実際、自分の先輩であった人も彼の元に下って散々な目に遭っているそうだ。
そんな彼の部下になり悪事に巻き込まれるのは御免だと丁重にお断りしたのだが、それがまずかったらしい。
ヴィルフリートの態度が気に食わなかったらしい相手は権力に訴えた。彼はヴィルフリートの目標を知っていた為、報復の為にこのような手段に出たのだろう。
出世など二度と出来ないように、と最も権力から遠い場所に追いやり屈辱を与えようとした結果が、今のヴィルフリートへの辞令だ。
権力を握る者が人格者でないと、ロクな使い方をしない。
それを身をもって理解させられたヴィルフリートは、唇を引き結んだ。
悔しげに噛んだ唇は力の入れすぎで白くなり、かすかに血が滲み出ている。
「つまり、俺はディートヘルム閣下の意にそぐわなかった為に、閑職に追いやられるという認識でよろしいでしょうか」
「明け透けに言うね」
元上司は、否定しなかった。
「筆頭魔導師を目指していた君には申し訳ないんだけど、僕にもどうしようもないんだよ。庇ってあげたかったのだけど、僕も命が惜しいというか、妻子持ちだし……」
家族の生活がかかっている、と小さく付け足した元上司に、怒りをどこに向ければ良いのやら分からずに体の横で拳を握る。
元はといえば自分の立ち回りが悪かったのだろう。
かといってあのまま承諾すれば悪事に荷担する事は目に見えていたため、頷ける訳もない。目をつけられた時点で八方塞がりだったのだ。
庇わなかった上司が悪い訳でもない。それは理解しているので、夢が閉ざされた鬱憤をぶつける訳にもいかなかった。
自分が仕出かした事であるし、理不尽ではあるが自分で責任は取らないとならないのだから。
眉を下げて申し訳なさそうにする上司に、ヴィルフリートは平常を装って深々とお辞儀をした。
「ヴィルフリート=クロイツァー、その任しかと承りました」
職場での荷物は少なかった。というよりはそもそもなかったに等しい。
身一つでの異動になるのは喜んでいいのか悲しんでいいのか。
出世街道から華麗に脱落してしまったのは間違いない。
ヴィルフリートは権力そのものに興味はなかったが、筆頭魔導師――つまり特級の中でもっとも優れた、魔導師の中の魔導師を目指していた。
十年前に巻き込まれたとある事件を機に筆頭魔導師を目指すようになり、そうして努力の末に宮廷に仕える魔導師になる事まではかなったが……今回の事によりおそらく不可能になっただろう。
辞令に文句は山ほどあったものの、かといってあのまま言いなりになっていれば間違いなくヴィルフリートの矜持が壊されていたために、後悔自体はない。
もし矜持を曲げて彼に荷担すれば悪事がつまびらかにされた際、失脚するのは実行した自分である。
どちらにせよ、筆頭魔導師への道は閉ざされていたのだから、潔白のままでいられる方が何倍もマシだ。
未練も文句も山ほど、けれど自分の選択は間違っていないと胸を張って言えた。
渋々、といっても仕事なので切り替えて新たな職場に向かうヴィルフリートであったが――その職場に到着する手前で、足を止めた。
扉の前で、薄桃色の髪の女性が行き倒れている。
その人は、間違っても床に転がってはいけなさそうな高貴な見かけをしていた。
敷かれた赤い絨毯に映える、長い薄桃色の髪はひたすらにつややかで、埃が付いていようとそのきらびやかさが失われる事はない。
むしろ赤の絨毯に広がる、春に咲き誇る異国の花を思わせる髪はどこか神々しさすら感じさせる。
白磁の肌のきめ細かさは少し見ただけでも分かるし、整った鼻梁はすぐに美女……いや、美少女だという印象を此方に与えた。
香る何とも言えない甘くて心地好さを与える甘い匂いに、ヴィルフリートは少しだけ眉を下げた。
服装を見れば、宮廷魔導師の中でも地位のある人間にしか身に着ける事のならない装飾のあしらわれた上着。
その上着には複数徽章が付いていて、一定地位にある事が分かった。
ただ、その徽章を見た瞬間、ヴィルフリートはどうして良いのか分からなくなった。
魔導師であるものとその等級を表すもの、これはまだ良い。
等級が特級なのも多少驚きはしたものの、魔導院に居ない訳ではない。この少女が相当の実力者である事は理解出来るし、おかしくはない。
問題は――所属を表すものに、第二特務室特有のものがあった事で。
これから自分が挨拶しにいく職場の人間である事は間違いない。
何故こんな所に倒れているのか。
甚だ疑問ではあるものの、変人揃いと言われる第二特務室の人間である事を考えれば納得してしまいそうで、ヴィルフリートは額を押さえる。
呼吸は正常だし顔色も悪くない。
苦痛を訴えるような仕草もなく、倒れているというよりはむしろ――寝ているような、そんなたたずまいで。
床に横たわり瞳を閉じて微動だにしない少女を前に、どうしたら良いのか分からず戸惑ったところで、ぐぅぅぅぅぅぅ、と地響きのような音が辺りに響いた。
びく、と思わず身を縮めて何事かと辺りをうかがうと、どうも足元から聞こえるらしい。
そう、丁度、倒れている少女の腹部の辺りから。
――お腹がすいて行き倒れているとかではないだろうか。
(いやそんなまさか。こんなはかなげな少女から轟音がするとか)
自分の想像に笑うヴィルフリートであったが、返事をするように物悲しげな音が鳴り響いて笑えなくなった。
空腹で倒れている少女が自分の先輩であるとか、信じたくない。
「おーいお嬢、また倒れていたのか」
ちょっと理解し難い事態に固まるしかないヴィルフリートだったものの、声が飛んできた事に気付いて振り返ると、赤髪の青年が此方に……正しくは寝ている少女に向かって走ってきていた。
此方はラフな服装にマントを羽織っている男で、同じく第二特務室の徽章を付けている。
つまり、この床に落ちている彼女の同僚で、自分も同僚になる男という事だ。
「ご飯求めてふらふらさ迷うからこんな所で寝るんだろ……ほら、起きろお嬢。仕事抜け出すまでお腹すいたのか」
「……ぅー」
抱き起こされて頬をつつかれた少女は、微かに身じろぎをする。
柔らかそうな髪がさらりと揺れる姿は何とも美しいのだが、倒れていた原因が空腹という事を知って複雑になった。
可愛いのに残念、そんなイメージが少女に染み付きそうだ。
同僚とおぼしき男が呆れたように少女を横抱きにするのをぼんやりと眺めていたヴィルフリートだったが、棒立ちしている場合じゃないと青年に向き直る。
「あの、すみません……第二特務室の方ですよね」
「ああ、そうだが。アンタは?」
「申し遅れました。本日付で第二特務室に配属となりましたヴィルフリート=クロイツァーです」
おそらくこれから向かう第二特務室で再び会う事になるであろうから先に名乗って頭を下げると、赤髪の青年はジロジロとヴィルフリートを見たものの、すぐに明るい笑顔を浮かべる。
悪くない感触だと思ったのも束の間、青年はそれはそれは楽しそうに口の端を吊り上げた。
「例の新人か、なら丁度良かった」
「丁度良かった?」
「アンタ、料理出来るんだよな? 資料に書いてあったんだ」
どんな資料だ、と突っ込みたかったものの、料理が出来るという事については間違いないし、そこら辺の人間よりは上手く出来る。
元々ヴィルフリートは一般庶民の出であり、両親は大衆食堂の料理人。
何の因果か本来貴族が持つようなたぐいまれなる魔力を持ってしまったが、それがなければ両親のように料理人になっていたかもしれない。
家業の手伝いも兼ねて自身も料理をしていたため、少なくとも引きこもりが多いそこらの魔導師よりは出来る自信があった。
「……まあ、出来るには出来ますが」
「ならちょっくら頼みたい事があってさ。なぁに、アンタの実力確認も含めて……な?」
爽やかな笑みに、非常に嫌な予感がしたものの――逃げられる訳もなく、ヴィルフリートは少女を肩にかついだ青年に引っ張られて行く事になった。