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あの日々は蒼き春  作者: つきもと みや
9/13

9 自分という存在 ‐日野陽子‐

「そういうことか……」


 一通り話し終えるとシュウはそう言って暫く何も話さなかった。シュウが今の話を聞いて何を思ったかはわからない。けれど不思議と陽子にはそのことに対しての不安は一切なかった。寧ろ、ここまで自分のことを誰かに話したのは初めてで、少しの高揚感を覚えていた。

 いつの間にかテレビは消され、部屋の中はやけにシンとしていた。ソファーに二人並んで座りながら、時間だけがゆっくりと流れる。


「つまり……」


 シュウはどこか遠くを見つめながら話だした。


「男の俺なら恋愛対象外だから、色々話せるかもって思ったわけだ」

「うん、そう……。でも結局、全然話せてなかったけど……」

「……まあ、そうすぐには無理だろ。取り敢えず、今話してくれただけでも充分だよ、俺は」


 その言葉に陽子は救われる思いだった。以前、同性愛者であると打ち明けた時以上に、彼の優しさを強く感じる。


「……で、どうする?」

「え?」

「春美に本当のこと話すのかってことだよ。今の話聞いてからだと俺はもう何も言えないからさ。陽子が決めて」

「……」


 陽子はそっと目を伏せた。そして今の自分の気持ちと向き合う。

 さっきシュウから同居の話を持ちかけられた時、自分の秘密を春美というもう一人の人と共有することが怖くて仕方がなかった。

 中学の時に感じたあの時の友達二人の視線が蘇る。まるで呆れたように陽子を見ていた。あの反応はおかしくも何ともない。寧ろ普通なことなのかもしれない。けれど、それでも陽子はあの視線から逃れようといつも必死だった。そして高校に入ってもそれは変わらず、結局は陽菜に何も言えなかった。そのことが陽子の中でずっと引っかかっていた。

 陽菜の言ったように“そういう相手”を見つければ、彼女に対しての負い目はなくなると思っていた。しかし、そうではなかった。シュウという相手を見つけたところで、陽菜に対する負い目など無くなるはずがなかったのだと、春美に会ってからようやく気付いたのだ。


 初めて春美を見た時、雰囲気が陽菜に似ていると思った。女の子らしさを感じるその姿は、初めて陽菜を見た時と同じように陽子の心を惹きつけた。だからなのか、春美に自分のことを打ち明けることは、陽菜に打ち明けることとそう変わらないように思えたのだ。

 そうであるならば、春美には早く打ち明けないといけない。結局、春美に打ち明けなければいつまでたっても陽菜に対する負い目などなくならないのだ。しかし、同性同士であるという事実がそれを躊躇わせる。 もし彼女たちのように受け入れてもらえなかったら……?そんなことばかりが頭を過る。


 けれど、今陽子の頭の中には別のことが浮かんでいた。そのおかげでさっきまで感じていた恐怖は徐々に消え失せ、心も随分と落ち着きを取り戻していた。


「私ね、正直春美さんに自分のこと話すのが怖かったの。受け入れてもらえないんじゃないかって。でも、それでも良いやって今話してて思ったんだ」


 よくわからないといった顔でシュウは次の言葉を待つ。それを見て陽子も続ける。


「シュウに全部話したら何だかスッキリして、先輩の言ってたことがやっとわかるようになったんだ。それで、私のこと知っても変わらずにいてくれる人がいるのに、怖いって思う方がおかしかったんだなって」


 それを聞き、シュウは今度は真っ直ぐに陽子を見つめる。陽子が何を言いたいのかがわかった。そう言われているような気がした。


「だからね、私がもし春美さんに受け入れてもらえなくても、私にはシュウがいるから、それだけでもう充分だなって思ったの。皆から受け入れてもらえなくても、シュウがいてくれるから……」

「……うん」


 あれ?と陽子は彼の反応を見て思った。

 決して自惚れているわけではないが、それでももう少し喜んでくれると思っていた。しかし、陽子のその反応に気付いたようにシュウはすぐ笑顔になった。


「てか、そんなの当たり前だろ。気づくの遅いんだよ、ばーか」

「ははっ、うん。本当にばかだよね」


 良かった、私の知ってるシュウだ。


「よしっ、わかった。じゃあ取り敢えずこのことは明日春美に話すってことで」


 シュウはソファーから立ち上がりグッと両腕を上に伸ばした。


「なんか飲む?」


 陽子はさっきの衝撃で倒れた空の缶ビールを拾いながらシュウを見て言った。


「じゃあ……ビール、飲もっかな」

「おっけ。俺ももっかい飲むかな~」


 ペタペタと足音を鳴らしながら彼はキッチンへ向かい冷蔵庫を開けた。ちょうど二個冷えてたわ~と陽子に話しかける。良かったと返事をして陽子は目を閉じた。フッと力が抜け、ずっと感じていた不安が嘘のように消えていった。体は重かったが、心は随分と軽い。もう何も考えられなくなっていた。


「ほれ、適当につまみになりそうなのも持ってきた……ええー……」


 陽子は静かな寝息をたててソファーの上で眠っていた。これ以上ないほど安心しきった顔で、彼女は久しぶりに深い深い眠りについた。



 次の日の朝、陽子とシュウと春美は三人揃って朝食をとった。こんがりと焼き目のついたトーストが一枚。それとは別の皿に半熟の目玉焼きがレタス、トマト、ベーコンと共に乗せられている。

 寝ぼけた頭で三人はモグモグと食べ進めた。


「また泊めてもらった上に朝ご飯まで……本当に申し訳ないです」


 春美は二人の顔を交互に見ながら言った。


「だーかーら、気にすんなって。なぁ?」


 シュウは陽子に同意を求める。陽子はそれを見てうんうんと頷いた。


「それより、俺らと一緒に暮らすこと少しは考えといてくれた?」


 何でもないことのように、さらりとシュウはその話題に触れた。思わず陽子の体がピクリと動く。


「そのことなんだけど……」


 少し躊躇った後、春美は目線を下に向けて答えた。


「正直言うとすごく嬉しい。だけど、これ以上二人に迷惑かけたくなくて……」

「迷惑って……。別にこんなの大したことじゃないだろ」

「な、こんなのって……」

「それにもし暮らすとしても、その時はちゃんと生活費は払ってもらうつもりだし。それが払えるんだったら、迷惑でも何でもないだろ」


 それを聞き、春美はバッと顔を上げた。


「……本当に」

「ん?」

「本当に……いいの? 私なんかが二人と一緒に暮らしても……」

「いいっつってんじゃん。そもそも嫌ならこんなこと言わねぇし」

「じゃあ、私……二人と一緒にここで暮らしたい……です」


 恐る恐るといった様子で春美は小さく答えた。それを見て陽子の心が痛む。

 もしかしたら自分のせいで一緒に住めなくなるかもしれない。そう思うと、声に出して言うことが急に怖くなった。

 チラリと視線を横に向け、隣に座っているシュウの顔を見て心を落ち着かせる。大丈夫、大丈夫。


「よし、じゃあ三人で仲良く暮らそうか……と言いたいところだけど……悪い。実はまだ春美に言ってなかったことがあるんだ」

「え? 何?」


 今度はシュウが陽子に視線を送る。陽子は震えそうな声で春美に打ち明けた。


「……えっと。実は、その……」


 春美が不安そうにこちらを見る。早く言わなきゃ、早く……。


「私の事なんだけどね……」

「うん」

「私は、その……女の人しか好きになれないの」

「……え?」

「私ね、同性愛者なんだ」


 それを聞いて春美は目を丸くした。驚くのも無理はない。そう思いつつも、次に彼女が何を言うのか陽子は怖くて仕方なかった。


「そっかー……あ、だからシュウの家で一緒に暮らしてるんだ!」


 そっかそっかと春美は一人納得し出した。


「付き合ってもいないのに男女二人で生活してるなんて不思議だなって思ってたけど、そういうことだったんだ」

「……それだけ?」

「え?」

「だから、その、それ聞いて他に思うことはないのかなって」

「他って?」

「だから、その……。こんなやつと一緒に住めるか! とか……」

「え、どうして?」

「だって……春美さんからしたら、異性二人と同居するのと変わらないことになるし……」

「あー、言われてみれば確かに……」


 そう言った後、春美はクスリと笑った。なぜ笑ったのかわからずにいると春美はこう答えた。


「あ、いやごめんなさい。嫌だなんて一つも思わなかったなって思って。……寧ろ何だそんなことかって……。あ、ごめんなさい、そんなこととか言って。でも、私二人と一緒に暮らせるんだ、嬉しいなって、そればっかり今考えてたから」


 思ってもいなかった言葉に陽子は戸惑った。酷く悩んでいた自分は何だったんだと言いたくなるほどに、春美はあっさりと陽子を受け入れた。


「私は陽子さんとシュウと一緒に暮らしたい……です」


 改めて二人の顔を見ながら春美はそう言った。思わず陽子はシュウの顔を見る。するとシュウは黙って陽子の頭を優しく撫でた。良かったな、彼の手からそう伝わってくる。

 その途端急に目頭が熱くなり、今にも泣いてしまいそうになった。嬉しいのに泣きたくなったのは、この時が初めてだった。


「……うん。ありがとう」


 陽子はこの時になってやっと、自分の存在を認められた気がした。

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