2 変わる日常、変わらない気持ち ‐真田シュウ‐
まだ寒さの残る二月中旬、二人は無事志望校に合格した。
高校を卒業した後、シュウは一人暮らしのため、実家を出てすぐに新しい家に引っ越した。
「え、大きいね! こんないい家なかなか住めないよ」
バイト帰りに様子を見に来た陽子は、シュウの引越し先を見てこう言った。陽子は合格したとわかるとすぐに、大学の近くにあるファミレスでバイトを始めていた。
「しかも大学からも近いし、本当おじさんには感謝しないとな」
シュウには小さい頃から良くしてもらっているおじがいた。おじは二人が通う大学のすぐ近くに住んでいたのだが、仕事の都合で、その年の四月から何年か海外で生活しなければならなくなり、家を空けることになった。おじ自身もその家には思い入れがあり、もともと売るつもりもなかったが、シュウがその大学に通うなら是非住まないかと声をかけてもらったのだ。シュウにとっては願ってもいない申し入れだった。
「いいな―……。まあでも、シュウ一人が使うには勿体ないし、私が遊びに来てあげてもいいけど?」
一瞬シュウの動きが止まる。だがすぐに笑って、
「しょーがねえから、家に上げてやってもいいよ」
と言った。そんなシュウの小さな戸惑いに気づく様子もなく、陽子は嬉しそうに笑う。そんな無邪気な姿がシュウには辛かった。
それから大学に上がると本当に陽子は頻繁にシュウの家に遊びに来るようになった。そんな陽子を見てシュウは思わずこんなことを言った。
「お前さあ、あんまり俺んちばっか来てっと変な噂立つんじゃねえの?」
だが陽子はそれがどうしたと言わんばかりに、
「いいじゃん。男よけにちょうどいいし」
と言い放った。がすぐにアッと何かに気づいた様子でニヤニヤしながらシュウを見る。
「なんだよ」
「いや、私はよくてもシュウが女の子呼ぶときに困るのかな~とか思って」
一瞬カチンときたが、懸命にこらえながらシュウは言った。
「彼女ができたら確かに困るけどな。でもあいにくそういう予定は当分なさそうだから、気にしてもらわなくて結構です」
「ほんとに~? シュウだって普通にモテそうなのになあ」
「全然モテねえっつうの」
そう答えながらもシュウは高校の卒業式の日のことを思い出していた。
陽子とは大学が同じということもあり、特に名残惜しさも感じられなかった。そのためシュウは男友達と写真を撮ったり喋ったりして高校生活最後の日を迎えていた。すると、名前も知らない小柄で可愛らしい女の子が突然シュウに声をかけてきた。
「あの、い、いきなりすみません」
「ん? あ、俺……ですか?」
「はい、あの、私隣のクラスだった河合って言います。あの、それで、その……」
言い淀む彼女の姿とその少し後ろで女子二人がこちらを見ている様子から、なんとなく察しはついていたが、シュウは彼女の言葉を最後まで待った。
「付き合っている人がいるのは知ってます。でも今日で最後だから言わせてください。……前からずっと好きでした」
「あ、あー、えっと……ありがとう。でも俺彼女いないよ?」
「え、でもいつも一緒にいる人は……?」
やっぱりか……。
「あいつはただの友達」
「え、ホントですか?じゃあ、あのもしよかったら私と付き合ってもらえませんか?」
一瞬、本当に一瞬それもアリかもしれないとシュウは思った。いつまでも不毛な恋を続けるぐらいなら、いっそ他の子と付き合ってみるのもいいかもしれない。だけど……。
「ごめんね、俺他に好きな子がいるから……」
「そ、そうですか。……でも、あの、言えてよかったです。ありがとうございました」
そう言った彼女の瞳は少しだけ潤んでいた。
シュウには自分が付き合うことで陽子が一人になるのではないかという不安があった。陽子にもそれなりに友達はいるが、本当の意味での友達はシュウだけだと前に陽子から聞かされていた。だから、もし仮に彼女を作れば、絶対に陽子はシュウの元から離れていってしまうだろう。シュウはそれだけはどうしてもダメだと思った。陽子にとっても、自分にとっても。
あの日の決断が間違ってはいなかったと思いたいシュウではあったが、自分の気持ちも知らずにからかってくる陽子を見ると、時々行き場のない怒りが襲ってくることがあった。けれどそんなシュウの気持ちなど知らない陽子は、結局大学一年が終わる頃にはすっかりシュウの家に入り浸るようになっていた。
「ただいま~」
「ただいまじゃねえだろ、ここは俺んち。お前んちじゃねえ」
「まーまー、そう硬いこというなって~、見たがってたDVD借りてきたし、一緒に見ようよ」
「……はあー、ったく、しょうがねえなあ……」
こんなふうにだんだんと陽子が家に来るのが当たり前になっていき、次第にいちいち鍵を開けるのも面倒くさくなったシュウは、陽子に合鍵を渡すことにした。
「いいの!?」
「散々うちに来てる奴がどの口で言ってんだよ。ほれ、なくすなよ」
「うん。ありがとう!」
やっぱり、笑うと可愛いんだよなー。シュウは思わず顔を近くに寄せた。
「ちょっと何して、い、いひゃい!」
「いや、なんかムカつくなーと思って」
「なんで?!」
やばいと思いつつも体が勝手に動いてしまう時には、こうして頬をつねったりしてごまかしていた。けれど、二人で家でお酒を飲む時などは理性が働かなくなることも多く、先に酔いつぶれる陽子にこっそりキスをしてはそのあとで酷い後悔に襲われることも少なくなかった。
もう限界かもしれないな……。シュウはそう思い始めていた。
そして今日も陽子がバイトに行くまでの間シュウはひどくイライラしていた。自分のことを心配してくれているのはわかっているのに、それが友達としてであることが許せなかった。今日、陽子がバイトから帰ったときにでも言ってしまおうか。シュウはもう陽子が悲しむことよりも、自分の心が傷ついていくことに耐えられなくなっていた。
その日の夜、ピンポーンと家のチャイムが鳴った。まさか陽子のやつ合鍵なくしたんじゃ……。そう思ったシュウは玄関のドアを開けて面食らった。
「ご、ごめん。鍵出す前におぶっちゃって」
そう言った陽子の背中には見たことのない女の人がおぶさっていた。
「なに? お持ち帰り?」
「違うわよ、ばか。取り敢えず中に入れさせて」
そう言って玄関まで入った陽子はおぶっていた女の人をゆっくりとおろした。
「よっこいしょと……。はあ、疲れた……」
「てかこの人誰……うわ、酒臭!」
「さっき帰ってきたらそこでうずくまってたんだ。声かけても返事がないから取り敢えず家に入れようと思って……。勝手にごめん」
「いや、それはいいんだけど……。まあ、取り敢えず客間まで運ぶか。……あ、そだ二階の空き部屋の押し入れに確か来客用の布団があったはずだから、悪いんだけどそれ持ってきてくれないか?」
「わかった」
陽子は急いで階段を駆け上がる。その姿を目の端で捉えながら女の人を客間まで運ぶ。そして無事に女の人を布団に寝かせる頃には、シュウはすっかり陽子に伝えようとしていたことを忘れてしまっていた。




