4.僕は最強?
『僕は世界に拒まれる』略して『ぼくこば』。
…………どうでしょう?
誰も動こうとはしなかった。口を開こうともしなかった。詰まる所、その場にいた者は彼に萎縮してしまったのだ。
普段強気なララでさえ、ゴクリと喉を鳴らす程にその場を支配した男は、ジョッキを口に当ててゴクゴクと一気に煽ると、ドンと机の上に叩きつけ、ソウタと筋肉男を指差した。
「酒が不味くなんだよ、やるならさっさとやらねぇか。せっかくそこのねぇちゃんのエロい身体をアテに飲んでたってのに、見えねぇじゃねぇか。おい、そこのヘロヘロどけ」
目に深い傷跡を残す男が身勝手な要求を突き付けると同時に、ララは身の擁護の為にソウタの背中に密着した。それは、本能的な防衛本能であったのだが、柔らかな物体が突然ムニュと押し付けられたソウタは瞬時に沸騰した。
「ララ⁉︎ちょ、あ、当たってるっ!」
咄嗟に前へと逃げようとするソウタ。しかし、ニヤリと笑ったララにガシッと背中を掴まれ、逃げる事は出来ない。ララは取り乱すソウタの耳元にそっと唇を近づけると……
「妾を庇った褒美じゃ。存分に堪能せよ」
僅かに頬を上気させながら、耳元で甘く囁いた。
「結構ですっ!だから、離して!今はふざけてる時じゃないから!」
「やれやれ。これだけやって妾の美貌に陥落せんとは、何とも形容し難いやつじゃのう」
ララが諦めたようにパッと手を離すと、男は面白そうに口角を吊り上げた。
「嬢ちゃん、俺様を陥落させる気はねぇのかい?」
「妾は強い男にしか興味がないのでな」
即答し、男を振るララであったが、その顔にいつもの涼しさはない。彼女もまた萎縮してしまっていたのだ。それでも、普通を装う彼女はこの場にいる他の冒険者よりはマシであった。
ただ、それもソウタと比べると忍びない。彼はこの場で最も弱そうでありながら、萎縮などとはほど遠い感情を覚えていた。
歓喜。
表には出さない心は、嬉々として踊り狂う。
この時、もはやソウタの視界に、先の筋肉ダルマはなく、豪快に酒を飲む男だけを見詰めていた。
いい……あの男は、メインだ。
そんな何処か狂気染みた感動を覚えるソウタ。そんなソウタの熱い視線に男はギラつく視線を返し、不穏な空気が流れる。
「……ヘロヘロ、俺様とやる気か?」
「いやいや、そんな事しないよ。僕はただあなたが何者なのか気になっただけで、喧嘩する気はないよ」
「ケッ、田舎もんが。俺様を知らねぇてっか?」
ソウタの発言が気に入らなかったのか、唾を吐き捨て
、男は威嚇するようにゴンとテーブルにグラスを置いた。
「坊主、無知は罪だぜ?冒険者にとっちゃ、無知は死だ」
「それは困るよ。僕はまだ死にたくない。だから、無知な僕に名前を教えてくれると助かるよ。あ、因みに僕はソウタって言うんだ」
ソウタは男の威圧をそよ風のように受け流し、依然自分のペースを崩さない。それに、気分を害したのは、アルコールが入った男だ。
男の怒りに合わせるように、グラスにヒビが広がる。
「いいぜ。表に出ろや。一生忘れられねぇようにしてやるよ」
「えっ⁉︎僕は名前が知りたかっただけなんだけど……」
喧嘩を売られているのだと、いきり立ち表に出ろとまで言った男は、そんな肩透かしのような反応に、思わず怒りを忘れ固まった。
だが、それはすぐに震撼となって帰ってきた。
「ここまで舐められたァ、久方振りだ」
浮き上がる顔筋。目に見える程に、青筋が走る。直接、その威圧に当てられているわけでもないのに、周囲の冒険者達は震え出した。ララもその雰囲気に飲まれ、思わずゴクッと喉を震わした。
しかし、その圧を受けているソウタは実に飄々とした態度だ。
「この人は名前を覚えてないと怒るのか」
激昂する相手を前にして、メモを取るかのように呟くソウタ。それもまた、男の火に油を注ぐ。
刹那、テーブルが吹き飛んだ。それだけでなく、その周りにあった椅子も、テーブルの上に置かれた食器も全て、周囲に弾け飛ぶ。
まるで一本の道かのように開けたギルドの床。それは、男が一瞬にしてソウタに近ずいた事で出来た道。
ソウタの前に立っていた男は、八つ当たり気味に吹き飛ばされ既に夢の中。ララは直接やられたわけではないが、瞬間的に吹いた突風で尻餅をついていた。
「小僧、覚えておきな。俺様が最強だ」
その言葉は実に短く、全てを物語っていた。
人種に置いて並ぶ者はいない、文字通り最強の人間。それが彼だった。彼の武勇伝は、もはや数えるのも億劫になる程である。もしも、その中から特筆する事柄があるとすれば、それはすなわち竜殺し。それも一体やそこらの話ではない。
たった一人で50もの竜の大群に勝った男。それが彼、ドン・ベラーク。
だから、彼を知らない者など、人間の国でいはしなかった。その姿を見た事はなくとも伝え聞く容姿から、彼が世界最強と名高いドンであると判断するのは難しい事ではない。
竜の爪に引き裂かれた目。山一つはあろうかという魔物を叩き潰した剛腕。そして、彼の手にある竜の牙から作られた大剣が、彼が最強であるとの証明だった。
その最強の拳が、目にも止まらぬ速さで、ソウタに放たれた。冒険者達は一様にソウタがギルドの外に吹き飛び、首がひしゃげる未来を幻視した。
しかし、一方で彼を暗じる側のララは、違う未来を幻視していた。ドンの体がソウタによって吹き飛ばされる未来を。
しかし、どちらも所詮は幻。現実ではない。
衝撃が風となって吹き抜けた。ドンによってばら撒かれた食器の破片や小物が、2人から距離を取るように散らばった。飛び散る破片に思わず目を閉じる。何が起きたか、目にしたものはこの2人以外にはいなかった。
ただ、目を開けた彼らの前には、片手でドンの拳を止めたソウタの姿があった。そこから連想するに、竜をも沈めた拳を、大した武功もあげていないひ弱そうな少年が止めたという事だ。
それだけが、事実であった。
「ガッハハハ、面白れぇ‼︎やるじゃねぇか!こんなところまで足を伸ばした甲斐があるってもんだ。小僧、悪いが手加減は出来ねぇぜ?」
己が拳を止められたドンは、先の怒りなど何処へやら、強敵との出会いに心を震わせていた。
「あなたがあのドンだったんだ。うん、覚えたよ」
しかし、一方のソウタはその様な感情を覚えてはいなかった。男の言動など気にも止めず、男の顔を脳裏に刻み込む。いい記録装置として。
「あなたには悪いけど、こうするしか僕はこの世界で生きていけないんだ」
「あぁ?何を意味不明な事い……」
勝負は一瞬だった。いや、勝負でも、一瞬でもなかった。
突然、前触れもなく最強がソウタの前で失神した。
静寂が訪れる。脳の理解が追いつかない。有り得ない事が目の前で起きた。
華々しい武勇を持つ最強が、倒れた。見た目、細々しい少年の前で。
その衝撃の大きさが冒険者達の開いた口を閉まらせなかった。
ソウタはドンを一瞥すると、周りに目を向けた。唖然とした顔が並び、最後に何処か誇らしげな顔をしたララの顔がソウタの瞳に映る。ソウタはもう一度視線を戻すと、名乗りを上げた。
「僕の名前はソウタ。最強のドンを倒した男の名前だよ」
そう宣言した彼の名は、その場にいた者たち全ての記憶に深く刻まれた。刻み込まれた記憶は記録となり、ソウタへと返る。
それが、彼にとって唯一の救いであった。だが、同時に終わる事のない侵食の加速が彼を襲う。
「行こうか、ララ」
そう言ってララに差し伸べられた手は、温かさを持ち得なかった。
◇◇◇
太陽が傾き、地平線の彼方が赤を帯びていく。夕焼け色に染まった空はまるで火の海のようだ。陽の光が建物に反射し、時折視界がオレンジ色に覆われる。
街はやり残した仕事をいそいそと片付ける人で溢れ、慌し気だ。
そんな街の一角にひっそりと佇む宿に、ソウタとララの姿はあった。ベットがあるだけの小さな2人部屋で、2人はそれぞれ自分のしたい事をして寛いでいた。
ララは新調した服を鼻歌混じりに眺め、ソウタは装備の点検をしていた。
そんな穏やかな時が流れる中、ソウタがふと何か思い出したようにあっと呟く。
「そういえば、ステータスはどうだった?」
「すてーたす?何じゃそれは?妾は知らぬぞ」
何故か服と針を手にしているララは、キョトンした顔で問い返す。
「あっ、魔人族にはないんだ。便利なんだよ。今の自分の力がわかるしね」
「ほう、それは便利だな。勿体ぶらず妾に教えるといい」
高圧的なララの物言いにソウタは苦笑いで乾いた笑みを漏らす。
「はは……そんな言い方他の人にはしないでよ?揉め事になるからさ」
「何を言う。今日その揉め事とやらを起こしたのは其方じゃろう。つまり、妾も一度は揉め事を起こしても問題ないわけじゃ」
「どういうルール⁉︎そんな取り決めした⁉︎確かに、今日は僕が揉め事を起こしたけど、ララの場合は正体がバレたらまずいから言ってるんだよ?」
「むっ、そう言われると妾は何も言えぬではないか。腕を上げたな。褒めてつかわす」
「もう疲れたよ……」
ソウタはララの話し方の矯正を半ば諦めかけていた。自分が気を配り続けるしかないかと、逃避的思考に頭を巡らせつつ、話を元に戻す。
「ステータスっていつのは、これ。ララもギルドで貰ったでしょ?」
ソウタが手に持ったのは、ギルドで配布している身分証であった。もちろんララもそれを貰っており、彼女の胸元の収納スペースに大事に保管されていた。
「これか?だが、その様な便利な機能は見当たらないぞ」
「その身分証の裏に血を垂らさないとダメなんだ」
「むっ、血か」
ララは一度自分の指先を見て、噛んだ。針を渡そうとしていたソウタが、思いっきりがいいなと若干の苦笑いをしていると、身分証に血をつけたララが顔を綻ばせ、小さな少女の様に騒ぎ始める。
「ソウタ‼︎これは凄いぞ‼︎光っておる!見よ、これを!キラキラ輝いておるぞ!」
文字がライトのように輝き、ララのステータスを写し出していた。それを見てソウタは一瞬眩しさから目を細めた。
「うわ、本当に凄い含有魔力量だね。普通ここまで光らないよ」
そう言って何気なしにソウタが見せた彼の身分証は、輝くどころか、濁り曇っていた。本当に僅かに文字が見える程度で、ララとの魔力量の差が目に見えて出ていた。
しかし、比較として見せるには、彼の身分証を見せるには適切ではなかった。何故なら、彼の魔力は……
力:143
魔力:0
耐久力:103
「魔力0…?」
唖然したララの呟き。信じられない物を目にしたかのように、ララはしばし固まった。
この世界には、スキルと呼ばれるものがある。それは、魔法と同じく魔力を消費するのだが、魔法よりも多種多様にあり、また消費魔力も少ない。
魔力の多い魔人は、強力な魔法が使えるため、あまりスキルに目を向ける事はないが、魔力が少ない人や獣人は魔法よりもスキルを重要視している。
だが、どちらにしろ魔力が必要なのはこの世界の常識であり、誰もがその身に秘めているものだ。
だから、あり得るはずかないのだ。魔力がないという事は。
「僕は魔力を持っていないんだ」
ソウタは少し悲しげに笑いながら、数値が間違いでない事を告げる。しかし、それはまた彼女の疑問を加速させる結果になった。
ソウタのステータス。それに記載されている他の数値もまた考えられなかったのだ。
ララのステータスはこうだった。
力:70
魔力:35480
耐久力:45
ソウタと比べると魔力以外のステータスは半分以下。逆に言えば、ソウタはララの倍程のステータスしか持っていないのだ。
因みにララは知らないが、この世界の一般人のステータスは魔力が500程度である以外、彼女と同等の数値しかない。だから、少し鍛えた者であれば、ソウタよりも高いステータスを持っていておかしくはないのだ。
だからこそ、ララは疑問であった。自分を助けた時の動きは何だったのか。あの最強と名乗っていた男をどうやって一瞬で気絶させたのかが。
そんなララに、一つの考えが浮かんだ。それは、スキルの存在。
彼女は、ゆっくりと視線を下ろし、能力値の下部に目を向けた。
『異物』
紛れ込んだ異物。理から外れた存…
ララがスキルの説明に見入っていると、突然身分証が目の前から消えた。
「妾がまだ見ている途中だというのに……もう一度見せよ」
「嫌だよ。余りステータスは人に見せるものじゃないからね。それに僕も余り見せたくないんだ」
「むぅ、嫌と言うのなら無理強いはしまい。其方が風呂に入っている時にでも見よう」
「結局、見るんじゃん!」
そんな突っ込みを入れつつ、ソウタは内心でため息を吐きながら、密かに暫くは肌身離さず持っていようと決めた。そして、まるで獲物を狙う獣のような目をしたララの視線を逸らすために、話を彼女の方へ持っていく。
「それより、ララはどうだったの?やっぱり魔力が高かった?」
「愚問じゃな。魔力は35480じゃ」
「3万⁉︎そんなに⁉︎」
「フフフッ、妾を舐めるでない。妾は魔王の実の娘であるぞ。この程度当然じゃ」
ララは当たり前のように言ってのけたが、ララ以外の魔人族と殆ど関わった事のないソウタからしてみれば、異常も甚だしいものであった。
人間ならば魔力1万を越えれば大魔法使いと呼ばれる。彼女はそれを容易く突破し、尚且つまだ若い。
ソウタはそこに危機感を覚えた。この数値を公にしたら間違いなく魔人だとバレると。
「ララ、絶対に僕以外にそれを自慢したらダメだよ?魔人だってバレる」
まるで母親のようにソウタは口を酸っぱくして注意した。が、すぐにララは文句を返して、ソウタを困らせる。
「むっ、また妾にだけそのような縛りをつけるのか。ズルいではないか」
「文句言わない。ララの目的は王都に行く事でしょ?正体がバレるとマズイのはララなんだから、我慢してよ」
ソウタはそう言って、ため息を吐きながらステータスを教えなければよかったと後悔していた。
「ソウタはため息が多いのう」
「……はぁ」
このまま何事もなくってわけにはいかないか、とまだ見ぬ苦労にソウタは深くため息を吐いた。
ーーこれは大きな賭けになりそうだ。
ぼくこばを読んでいただきありがとうございます。
一ヶ月ぶりに書くと、色々と忘れていて思い出すのに時間がかかりますね。もうボケが始まってるのかな?