65話 恋バナのような
夏休み中盤、午前12時半、軽音楽部にて。
「今日の部活は以上です! 気を付けて帰ってくださいね」
『はい! お疲れさまでした!』
顧問の先生の言葉に部員全員で返事をして、各自の荷物を持って部室を出る。
「おつかれ、佳奈美」
「おつかれー、ななよん」
廊下で声をかけてくれたのは、私が組んでいるバンドのベース担当、七夜ちゃん。
当然友達、だから例によってあだ名で呼んでいる。軽音部に入りたての頃に、部活で初めて仲良くなった子なのだ。
1年生の5月ごろに、あだ名として『ななよん』と『セブンナイト』を提案したら光の速度で『ななよんにしよう、ね!?』と言われた──なんてことがあったり色々あって、今は一緒のバンドを組んでいる。不思議な縁……同じ部活だから大して不思議でもないかな?
「ななよん、どっか寄って帰る?」
「あーごめん、今日はパス。塾行かなきゃだから」
「あれ、塾行ってたの?」
「うん、夏休み入ったあたりからね」
ほほう、そうだったのか。
「受験勉強のため──って親に言われて、仕方なく、って感じだけどね」
「なるほどね。じゃあ、また今度誘うねー」
「うん、それでは~」
靴を履き、私に手を振り、生徒用玄関から出ていくななよん。
『受験勉強のため』
──そうだよねぇ。
もう、そんな時期なんだね。
◆◆◆
帰宅後、午後2時。
ななよんに影響されて、あまりやっていなかった受験勉強をしてみる。
これがまた厄介で、最初はすらすら進んでいたのだけど、宿題みたいな『やらなきゃいけない』ものじゃないからか、途中からペースがガクンと落ちてしまった。テスト勉強とかが苦手なのです、私。
「……そうだ!」
みかみんと遊ぼう。
……そんなことをしている場合じゃないのは分かってるけど、どちらにせよ、このまま一人で頑張ってもペースは落ちていくばかり。
それならば、夕方辺りまで遊んで元気を補充して、夜に勉強をしよう──と思ったのです。
ということで、レッツ電話。
◆
この時間だし、文学部も終わってるだろうと思ったのだけど。
『ごめん、まだ学校なんだ』
「あれ、まだ部活中?」
午前からやってたのなら、随分長いような。今日は一日部活、とか?
『いや、ちょうど終わったとこ──なんだけど、これから連宮君と職員室に行かなきゃだから、今日は遊べなさそう……ごめん』
「ううん、気にしないで! ……もしかして、『同好会になる』って話?」
新入部員が一人だけだから、文学部が来年から部じゃなくて同好会になる、という話。
今年の5月ごろに、みかみんからそんな話を聞いたことがあったのだ。
『うん、その話。手続きがいくつかあるみたいだから、部長の自分が呼ばれたんだ。連宮君はサポートで来てくれるんだけど……ん、どうしたの?』
「……?」
最後の『どうしたの?』というのは、文脈からして私に投げられたものじゃない。
つれみーの声が小さく聞こえるから、部室にいるのだろうけど……。
『ごめん、ちょっと電話変わるね』
「う、うん」
誰に変わるのか分からないまま、2秒ほど黙ってみる。
『──もしもし、美月ですー』
「あ、つっきー!」
電話を変わったのは、まだ部室に残っていたのだろう、つっきーだった。
『さっき話してた通り、三上さんは行けないけど、代わりに私と真菜ちゃんで行ってもいい?』
「おぉ! もちろんだよ。場所は──」
『場所なら、前に近くを通った時に、三上さんに教えてもらったから大丈夫だよ。今から学校を出るから、20分くらいかかると思うけど』
「おっけー、待ってる!」
待ってる間だけなら、受験勉強も苦じゃない。
『うん、それじゃ、またあとで』
「はーい」
電話を切り、再び机に向かう。
20分間だけ、集中してみますよ!
◆◆◆
既に終えた夏休みの宿題の中から、間違えた箇所だけを抽出して徹底的に頭に叩き込む。
受験のためと思うと気が遠くなるから、まずは夏休み明けのテストに向けた、そんな勉強を始めて20分が経過。
『ピンポーン』
お、来たみたい。
◆
「お邪魔しまーす」
「お、お邪魔します!」
「はーい、私のお部屋へようこそー! 適当に座ってくださいなー」
私、つっきー、真菜ちゃんの順で部屋に入る。
あらかじめ、クッションをいくつか置いといたから、それに座ってもらう。
「飲み物持ってくるね、ちょっと待っててー」
「はーい」
「は、はい!」
……緊張してるのかな、真菜ちゃん。
まあ、2年も先輩の家に招かれたら、誰だって緊張するよね、そりゃあ。
「まーなちゃんっ」
「は、はい!?」
ドアに一番近い──つまり下座のクッションに座った真菜ちゃんの後ろから、ばっ、と近づき、その肩に手を置いて、話しかけてみる。
「先輩の家だからーって固くならなくて大丈夫だよ。ほーら、リラックス、リラックスー♪」
「あ……」
こういうのは、回りくどい言い方よりもストレートに。
少しは緊張、ほぐれたかな?
「……ありがとうございます、高波先輩。えへへ……」
おおう、可愛い。
部活でもそうだったけど、後輩ってなんでこんなに可愛く見えるのだろう、不思議。
「じゃ、今度こそ飲み物持ってきますねーっと」
ドアを開け、廊下へ出て、1階の台所へ向かう。
◆
「駅前のあのお店、セール中なの!?」
テレビを点け、適当な番組をBGM代わりに流しつつ、進路とか趣味のことをだらだらと喋っていただけなのだけど。……耳寄りな情報を入手できた!
駅前の小物屋さん、セール中らしいのだ。
「そうなんです! 先週、美月先輩と三上先輩、それとお兄ちゃんと一緒に行ったんですけど、『夏休みセール!』っていうポスターが貼ってあったんです!」
「最大2割引きって書いてあったよ。今日は定休日だから行けないけど、今度みんなで行かない?」
2割引き……2割引きですと!?
「行く! 絶対行く! 部活の予定確認して後で連絡する!」
「興奮してるね、高波さん」
「そりゃあもう! あのお店で、ずっと気になってたのがあったからね……。ガラス製の、ちっちゃな動物のストラップなんだけど、もう可愛くって……あっ」
「? ……ああ、再放送の時間だったのね」
話の途中だったけど、テレビから流れた効果音で、そっちに意識が向いた。
つっきーの言った通り、『再放送』の時間。
数年前に流行った、漫画原作の恋愛ドラマが、何度目かの再放送をしているのだ。
今回は──吹雪の中、山小屋で暖を取っている男女のカップルのシーンからのスタートだった。
「懐かしいなぁ、中学の頃に毎週見てたよ」
「私も、小学生の頃に見てました! いいですよね、このシーン……!」
「お、分かってるね真菜ちゃん♪ 『愛し合う2人』って感じで、最高だよね……!」
つっきーと真菜ちゃんが盛り上がっているので、私も会話に入ろうと思ったのだけど、どうにもテレビから目が離せない。
山小屋で、寄り添い一つの毛布に包まって、ストーブの灯を眺めるカップル。
荘厳さからか、幸せそうだからか。見惚れながら──無意識に、呟いていた。
「恋愛かぁ」
「……高波さん?」
その一言を、つっきーは聞き逃さなかったようで。
「気になる人とかいるの?」
なんて具合に、訊いてきた。
──気になる人、ねぇ。少しだけ考えてみたけど。
「今はまだ、いないかなぁ」
「え、そうなんですか?」
そう驚いたのは、真菜ちゃん。驚くポイント、あったかな?
『なんでそのリアクション……?』と訊く前に、続けて真菜ちゃんが言葉を発した。
「あたしてっきり、高波先輩は根原先輩のことが好きなんだとばっかり……」
「……そうねぇ」
すぐには否定せず、少し考えてみる。
ねはらっちは──かっこいい。それは否定しない。容姿的な意味でも、内面的な意味でも。
でも、と。
「付き合いたい、みたいな恋愛的な意味での『好き』って感情はないかな」
「……その、こういうことを訊いていいのか分からないんですけど」
と前置きし、更に訊いてくる。なんでしょうか。
「告白されたら、どうしますか?」
「ねはらっちから?」
「はい」
「そうねぇ」
再び、少し考えてみる。
──考えてはみたのだけど、結局いつも通りの考えしか出てこなかった。
「ねはらっちが私に告白する──そんな展開は、絶対にないわ。それは私が一番分かってる」
去年の夏休み、ショッピングセンターからの帰りのバスでした会話を思い出し、話す。
「でも、万が一告白されたら……ってのも考えたわ」
「は、はい」
こっちに関しても(誰にも話したことはないけど)いつも通りの私の考え方。
「すぐに付き合うわ」
◆
数秒の静寂。その後に、質問者が口を開く。
「それは……来るもの拒まず、っていうことなんでしょうか」
「うーん、違うかな」
別に、告白されたら誰でも付き合う、なんてつもりはない。
「友達の中で、一番尊敬している人、だからなの」
「尊敬……ですか」
「うん」
尊敬。
私が友達全員に向ける、大事な感情。
その中でも、私が一番尊敬しているのが、ねはらっちなのだ。
「友達に優劣をつけてる──っていうことじゃないんだけどね。ただ、『なりたい自分に近い人』なんだ、ねはらっちって」
「憧れの人、ってことですか?」
「うん、そう。つっきーもみかみんも、つれみーも、ゆーとも……友達は全員、凄いと思ってるし、憧れてもいるよ。でも『この人と友達でいたい』じゃなくて『この人みたいになりたい!』って思ったのは、ねはらっちだけなんだ」
私自身よく分かっていないから、多分、なのだけど。
前に患っていた病気のことを除けば、所謂『普通の人』で、それでもつれみーとみかみんと真摯に向き合ってる──そんなところが、私と同じで。
でも、私と違っていたところもあって。つれみーたちと『至って自然に』『他の人と全く同じように』関わっているところが、本当に凄くて。
「正直に言うとさ、今は違うけど、私はみかみんと友達になった頃、みかみんのことを『他とは少し違う人』だと思って接してたんだ。もちろん『いい意味で』そう思ってたんだけど……ねはらっちは、みかみんたちの内面を理解した上で、他の人と──私とかと話すときと全く同じ態度で、みかみんたちと接していたんだ」
『人によって態度を変えない』──そうしているつもりだったのに、みかみんに対してはできていなかった。
それに気付かせてくれたのが、ねはらっちなのだ。
「私は、私よりねはらっちの方が『正しい』って思ってる。だから、そんな人から告白されたら、断るなんて考え、どっかに行っちゃうかな、って思って」
「なるほど……」
付き合って、その関係が続くかどうかは別の話だけど。
それでも、これが今の私の本心なのだ。
「……ありがとうございます、とても大事なことを教えて下さって」
「参考にはならないと思うけどね」
「いえ、そういう考え方もあるんだ、って心に留めておきます」
「ふふっ、どうぞご自由に」
真菜ちゃん、色々を納得したような、清々しい顔になった。
「なんか、恥ずかしい話を聞かせちゃったね、ごめんねつっきー」
「ううん、すごくいい話だったと思うよ。高波さんの考え方が知れたからね」
「もう、真菜ちゃんもそうだったけど、大げさだって……」
言いながら、それでも嬉しくて、にやけちゃっていた。
◆◆◆
その後。
つっきーと真菜ちゃんの恋愛観も少しだけ聞いたり、家でのつれみーのことを真菜ちゃんから、ゆーとのことをつっきーから聞いたりしていたらいつの間にか午後5時になっていたので、つっきーと真菜ちゃんは帰っていった。
一応『夜に勉強をしよう』と自分で立てた計画を実行し、夕ご飯とお風呂以外の時間のほとんどを勉強に費やしてみた。
すっごく疲れた。明日は勉強はほどほどにしよう。
──で、午後11時。さすがに眠いので、電気を消してベッドに横になる。
『憧れの人、ってことですか?』
真菜ちゃんの言葉が、なぜかふと、頭をよぎった。
憧れの人──自分で言っておいて何なのだけど。
「憧れの人って、つまり──」
……ここからは、言葉にはしないでおく。
「よーし、寝よう!」
薄い掛布団をかけて、眠りにつく。
『憧れの人って、つまり──』
その先を、考えながら。




