51話 体育祭
10月最初の土曜日、午前11時。真っ青な空の下、校庭にて。
普段教室で使っている椅子に座り、校庭のトラック1周──200メートルを走る生徒たちを、少し興奮しながら応援していた。
クラスメートが走る時は、特に大きな声を出して応援する。
ちなみに僕はもう走り終えた。案の定ビリだったけど。思いっきり身体を動かすのって結構楽しいものなんだな、と初めて感じた。
去年の今頃は、丁度文化祭をやっていた。
だけどこの高校では、2年連続で文化祭を行わない。
それなら今年は? ──体育祭だ。
◆
『位置について、よーい……』
パァン、とスターターピストルの音が響き、男子生徒6人が一斉に走り出す。
その中の2人は、5秒後には既に他の4人を引き離し、どんどんスピードを上げていった。
一人は月夜野君。さすがサッカー部の部員、フォームが綺麗──な気がする。よく分からないけど。
そしてもう一人は──
「ねはらっちー! 全力で行けー!!」
遠くの方で応援しているはずの高波さんの声が聞こえてきたので、思わず噴き出した。どんな声で応援してるんだ、高波さん。
そう、もう一人は(意外にも)根原君。フォームは崩れ気味だけど、月夜野君に必死に食らいついている。
高波さんに負けないくらいに、僕も大きな声で応援する。
「月夜野君、頑張れー!!」
その瞬間、月夜野君は更にスピードを上げた。
僕の応援が届いた? ……いや、なんでもいい。頑張って、月夜野君!
スタートから23秒後。──レースの展開からか、一際大きな歓声。
ほぼ同時に、それでも一瞬だけ早く、月夜野君がゴールした。
◆
「はぁ、はぁ、……さすがに速いね、っ、疲れた……」
「ふぅ……根原こそ、めちゃくちゃ速ぇじゃねぇか。身体弱かったんじゃなかったか?」
「もうすっかり良くなったんだよ。……ふぅ、やっと落ち着いてきた」
走り終えた生徒は、運営のテントで順位を報告して、次に走る生徒の邪魔にならないようにすぐに自分のクラスの応援場所に戻ることになっている。
順位を報告したところまではできたのだけど、全力で走ったからか、テントから少し歩いただけでふらついてしまった。
仕方なく、クラスの応援場所に行くまでの木陰で座って休んでいたら、隣に月夜野君が座ってきた──という流れである。
「マジで抜かれるかと思ったぜ。最後に本気を出して正解だったな!」
「最後に──ってことは、最初から本気だったら」
「もっと速いかもな」
ひえぇ。やっぱりサッカー部員は、というか月夜野君は凄いな。
……一つ気になったので、訊いてみる。
「なんで最初から本気を出さなかったの?」
「そりゃお前、体育祭は楽しむものだからな。本気で走るのは部活の時くらいだよ」
「じゃあなんで途中から、本気を出そうと思ったの?」
ますます気になる。楽しむ程度にするつもりだったのに、なぜ本気を出すことになったのか。
──あ、そういえば。
「連宮君の声が聞こえたときくらいに加速したよね。クラスメートの応援の声が聞こえて、本気を出したくなった……とか?」
「えっと……まあ、そんな感じ。クラスメートの前で負けるわけにはいかないからな」
「……ふぅん」
不思議だった。『クラスメートの声で本気を出したくなった』ということについて、ではない。
──月夜野君が、今、嘘を吐いていることが分かったからだ。
でも(いつも通り)嘘の内容までは分からない。……今回は訊かなくていいか。連宮君や月夜野さんの時ほど重要なことではないだろうし、きっと。
「よし、完全に落ち着いたし、俺は9組のとこに戻るよ。……月夜野君?」
「ん? お、おう、俺も3組んとこに戻るとするか」
やっぱり、何かごまかしているような。
まあいいや。さて、そろそろ戻らなければ。
◆
午前のプログラムが終わり、30分間のお昼休憩を挟み、体育祭再開。
午後は部活対抗リレーから始まる。運動部の後に文化部のリレーもあるけど、文学部や軽音楽部は出ないことになっている。なので、僕と三上さん、月夜野さん、根原君、高波さんの5人で3組の応援場所に集まり、サッカー部で出る月夜野君の応援をすることに。
種目が『部活対抗』ということで、この時間だけはそれぞれのクラス以外の場所でも応援していいらしい。部員で集まれるように、ってことなんだとか。
「お、集まっていった。走り始めるみたいだね」
「だね。月夜野君はアンカーなのかな」
スタート(とゴール)とは反対の位置、そこに並ぶサッカー部員2人のうち、後ろの方に月夜野君は並んでいた。
このリレーは4人で行い、一人100メートル走ることになっている。校庭1周が200メートルだから、スタートと反対の位置にいる人のうち、後ろに並んでいる人がアンカー、ということなのだ。
……3年生が引退した後とはいえ、4人しか選ばれないリレーのメンバーになるなんて相当だよね。僕には分からない世界の話だ。
『位置について、よーい……』
もう聞き慣れた合図とスターターピストルの音が聞こえてすぐ、男子の運動部員4人がスタート。
サッカー部の他には、野球部、陸上部、ラグビー部が一緒に走っている。
実際には『一緒に走っている』なんて可愛いものじゃないけど。みんななんかすごい気迫だし。
大体30秒を数秒過ぎたころ、4人目──アンカーの月夜野君にバトンが渡った。
現在の順位、ラグビー部との同率3位。1位はやっぱり陸上部、数メートル先を走っている。さすがにこれは──と思ったけど、応援は絶対にする。
月夜野さんや他のみんなは口々に応援しているから、僕も負けないように、聞こえるように、大きな声で。
「頑張れ、月夜野君ー!!」
今日一番の声で、半ば(なぜか)必死に応援する。
僕らの前を走った月夜野君は、苦しそうだったけど少し笑っていた。
楽しそう、っていうのとは違う──なんだろう、あの顔。
2位の野球部と並び、少しだけ抜かし、もっと抜かして、1位の陸上部とほんの少しの差まで追い付く。
でも──ここで、陸上部のアンカーが本気を出した。
(ああ……)
直線に入って、ゴールまではあと少しなのに。
陸上部は、やっぱり速かった。
帰ってきたら、惜しかったねって言ってあげよう。
──そう思ったのは、ほんの一瞬。
「……え?」
次の瞬間には、更にスピードを上げる月夜野君の姿があった。
どんどん加速し、陸上部に並んだのも一瞬、すぐに抜かして──ゴールテープを切った。
「……すごい」
怒涛の展開で、月夜野さんや高波さんが盛り上がっているのも、根原君と三上さんがため息混じりに感想を言い合っているのも、遠く感じる。
『バトンを受け取って、一人抜いて、もう一人抜いて、ゴールした』。
展開は理解しているのに、僕も高揚しているのだろうか、意識はふわふわと揺れていた。
「……すごい……!」
月夜野君って、本当にすごい。
それに──かっこいい。
ふわふわとした意識の中、そんなことを思っていた。
◆
午後3時に体育祭が終わり、各クラスでホームルームを終え、下校する。
今日はほとんどの部活が休み。練習試合の日が近い野球部やテニス部はやってるみたいだけど、文化部は全て休みだから、僕たち──月夜野君を応援していた5人と、月夜野君も一緒に帰っている。少し広い歩道だけど、自転車とかの邪魔にならないように2列になって。
月夜野君、土曜日に部活がないのは久々だ、と言っていた。日曜日も結構練習しているイメージあるし、サッカー部って大変なんだろうなぁ、と他人事のように(実際そうだけど)感じていた。
──と。
「もう少しで中間テストだねー」
話が途切れたところで、先頭を歩く高波さんがそう呟いた。
唐突だったので『そ、そうだねー』なんて小声での返答しかできなかったのだけど、僕の前、高波さんの左隣を歩く月夜野さんにはしっかり聞こえていたらしい。振り向いて、こう提案した。
「じゃあさ、明日休みだし、うちで勉強会をしない?」
「月夜野さんの家で?」
「うん! 明日は文学部も軽音楽部も休みだし、みんなで一緒にやろうよ!」
「おー、いいねぇ。私行きたい! みんなは?」
高波さんはすぐに賛成した。みんなも一瞬考えたけど、拒否するという考えは当然なくて。
「僕も行く! テスト勉強全然してないし……」
「自分も行きたい。根原君は?」
「もちろん行くよー。分からないとこを教え合えるし、いいんじゃない?」
月夜野君以外は全員賛成。まあ月夜野君は、サッカー部の練習があるから無理だよね……。
そんなことを、月夜野さんも考えていたようで。
「お兄ちゃんも参加できるように、午後からってことにするから。明日の部活は午前中だけだもんね」
「へっ!?」
「参加するよね、お兄ちゃん?」
「……さ、参加します」
なんか強引に参加させられたけど、そんなに勉強が嫌いなのかな。
去年の夏休み明けの時、数学の課題をやってなかったもんね。……随分懐かしく感じる。
「よし、決まり! じゃあ明日の午後1時、駅前に集合ね。私が迎えに行くからね」
「了解ー! よーし、明日は勉強頑張るぞー!」
高波さん、すごくいい笑顔。友達の家に行けるのが嬉しいんだろうな。僕もそうだし。
◆
6人で帰る中、俺と月夜野君は最後尾を歩いていた。
「月夜野君」
「ん?」
一応、前の4人には聞こえないように、気になっていたことを訊く。
「今日の部活対抗リレー、途中から随分速く走っていたけど、また途中から本気を出したの?」
「……いや」
あれ、違うのかな。とてつもない加速をしたし、そういうことなのだと思ったのだけど。
「本気は最初から出してたよ。……今までで一番早く走れた、ってだけだよ」
「……なるほど」
今回は、嘘ではない。嘘ではないけど……一番速く走れた、その原動力については分からなかった。
意図的に言わなかったみたいだし、そこは訊かないでおこう。




