50話 夏の終わりの爽やかな
最初はとてつもなく長いものに感じ、途中でそうでもないと気付き、終盤にはあっという間だったと振り返る──さて、一体なんでしょう?
答えはいくつもあるだろうけど、今回の正解は……俺が現在進行形で過ごしている長期休暇、学生の憩いのひと月ちょい、そう──夏休み。
その終盤。さっきも言った通り、絶賛振り返り中だ。
「結構遊んだな……」
午前11時、郊外のショッピングセンターの3階、通路に設置されているベンチに座って小さく呟く。
文学部が休みの日に連宮君を誘い、俺の家で勉強会(宿題オンリー)を開いたり、連宮君と三上さん、高波さん……みんなの予定が合う日に街中へ出かけたり。駅前をぶらぶらするだけでも、かなり楽しい。
「今年は、それだけじゃなかったもんな」
いつものメンバーで遊ぶだけじゃない。今年は月夜野さんが加わって、より賑やかになった。
高波さんの家で勉強会(もちろん宿題オンリー)を開いた時の月夜野さんの笑顔は、今でもすぐに思い出せるほど明るく、嬉しそうだった。クラスで少し話したことがあるだけの、俺や高波さんと会うのは少し怖かったと言っていたけど、『来てよかった』とも言ってくれた。こちらも嬉しい限りだ。
──あの時だったか、月夜野さんから直接『生まれた時は半陰陽で、今でも性自認がかなり揺れる』と聞いたのは。『連宮君が信頼している人』だから俺と高波さんに秘密を話すことにしたらしいが、その決断は中々できるものではないと思う。俺みたいに、自分のことをペラペラ喋るような人じゃないからな、月夜野さんは。
「……半陰陽、か」
聞いた直後は『半陰陽』というものを知らなかったから、簡単に説明してもらったが……そういう人が世の中にいることを、恥ずかしながら、俺は知らなかった。性別で悩んでいる人は、連宮君や三上さんのような『性別違和』──少し昔の言葉では『性同一性障害』──を抱える人だけだと、勝手に思い込んでいたのだ。世の中、知らないことだらけだ。
だがまあ、その時に知ることができ、自分でも色々調べて、ある程度の知識はついてきた。連宮君たちを手助けできるよう、もっと知識をつけなければ。
このことについては、身の程なんて考えない。連宮君や三上さん、月夜野さんの助けになるのなら、いくらでも行動するつもりだ。
──と、なぜか決意を固めている俺の目の前の楽器屋に、見覚えのある人物が入っていった。
「あれ、もしかして……」
立ち上がり、両足の間に挟んで床に置いておいた薄緑色のリュックを持ち上げ、背負い、さっき買い物をしたばかりの楽器屋に再び入店する。
◆
ドラムスティックの並べられた棚を見つめるその人の、真剣な眼差しに少し驚きながら、後ろから声をかける。
「こんにちは、高波さん」
「ん? おお、ねはらっち! 偶然だねー!」
振り向いてする挨拶は、相変わらずとても元気。今度、その秘訣について詳しく教えてもらおうかな。
とりあえず、今はそのことは置いておく。
「だねー。通路のベンチに座ってたら、高波さんが楽器屋に入っていくのが見えたから、つい話しかけちゃったよ。邪魔じゃなかった?」
「邪魔なわけないよー、友達と会えるなんて、嬉しいよ! ねはらっちも買い物?」
「うん、さっき買ったところ。いつも通り、ピックを何枚か、ね」
「……ピックだけ買いに来たの?」
どこか不思議な様子。まあ、理由は分かるけど。
多分『ピックを買うだけなら、駅前の楽器屋で事足りるのでは』みたいなことを考えているのだろう。
「今回は、楽器屋は『ついで』だよ。一番の目的は、この後の昼食のこと。1階のイタリア料理店のパスタがおいしいらしくてね、それを食べに──」
「え、あそこに行くの!?」
なぜか驚かれた。もしや高波さんも、この前の地域広報誌を見たのだろうか。
『今月のおすすめ料理店』として、このショッピングセンター内のレストラン街にあるイタリア料理店が載っていたのだ。それを見ていたのなら──。
「あそこのパスタ、すっごくおいしいんだよ! 行ったことがあるの!」
「ああ、そういうこと」
「……?」
「いや、こっちの話。そうだ、この後予定ある? なければ、一緒に昼食にしない?」
──言いきって思ったのだが、さすがに唐突だっただろうか。無意識とはいえ、話の持っていき方が強引だっただろうか。
何より、迷惑ではないだろうか。友達とはいえ、異性に食事に誘われるのは、さすがの高波さんでも……。
「おおー、いいねぇ。友達と一緒にお昼ご飯だ!」
──即答。
『友達と一緒に』と嬉しそうに話すのは、高波さんらしいと言えばそれまでなのだけど、さすがに理由が気になった。
だから『いつも通り』正直に訊く。
「……なんでそこまで、俺を信頼しきった返答ができるの? もしかしたら、昼食に誘ったのは高波さんを口説くため、かもしれないのに」
「むー。ねはらっちのことだから無意識なんだろうけど、少し意地悪な質問だよ?」
「あ……ごめん」
これまた『いつも通り』言いきってから後悔、そして反省のコンボ。
「ま、気にしてないからいいけどね。……なんで、かぁ。ねはらっちがそういう人だって分かってるから、かなぁ」
「そういう人って?」
「口説くならもっと不器用に、唐突に、正直に来る──そんな人。ねはらっちは、そんな人。違う?」
「……いや、合ってる」
言って、二人してくすっと笑い合う。
俺が高波さんを(恋愛の意味では)好いていないこと、しっかり分かっているようだ。
「じゃ、スティック買ってきちゃうね。ちょっと待っててねー」
「了解ー」
2本1セットのドラムスティックを手に取り、レジへと向かう高波さん。
その背中を見て、さっきの言葉を思い出す。
『ねはらっちは、そんな人』
きっと──いや、絶対に、俺はこの人には敵わないんだろうな、と思った。
◆◆◆
10分後、レストラン街、イタリア料理店にて。
一番混む時間ではないためか、行ってすぐにテーブルに着くことができ、注文したパスタも10分ほどで運ばれてきた。
俺はペスカトーレを、高波さんはボンゴレロッソにした。
確かに、これはおいしい。イカやエビに絡まるトマトソースの爽やかな風味は、他では味わったことのないものだった。うん、これは正解だ。
「ねえ、ねはらっち」
「ん、なに?」
『夏休みが終わっちゃうね』なんて他愛もない話をしつつ食べ進めて、ほぼ同時に完食。
注文しておいたバナナジュースを飲み干したタイミングで、高波さんは何やらまじめな顔で、俺に質問を投げかけた。
「ねはらっちって、なんで嘘を見抜けるの?」
おかわり自由だから、という理由で注文したコーヒー(砂糖とミルク多め)を飲みながら、突拍子もないことを訊く高波さん。
──答えるべきなのだろうか。
「大して面白い話じゃないと思うよ?」
「それでも聞きたい。気になったから。話したくないことだったら、無理に教えてくれなくてもいいんだけど……」
「いや、そういうわけじゃないよ。そんなに隠したい話でもないし」
5秒ほど脳内で話をまとめてから、話し始める。
5秒でまとまってしまうほどの、ひどく簡単な話を。
「両親の吐く嘘を聞きすぎたから、かな」
◆
「……ごめん、訊いちゃダメな話だったね」
「いやいや、高波さんが考えているような、暗い話じゃないから」
誤解しているようだったので、すぐさま訂正し、話に戻る。
「嘘といっても、悪い嘘じゃなくて、良い嘘だから」
嘘は二種類ある。
一つは『自分自身を守る嘘』。怒られたくないから、嫌われたくないから──といった理由で吐く嘘。
もう一つは、『他人を守る嘘』。誰かを守るために、幸せにするために吐く嘘。
俺が両親から吐かれたのは、後者だ。
「俺の身体が他人より弱いのは知ってるでしょ?」
「うん、病院にお見舞い行ったし」
「そうだったね。で、その『身体が弱い』ってのは生まれつきでね。小さい頃から何度も入院した記憶があるんだ。で、小学校低学年の頃だったかな。長期間──1か月くらい入院したときに、両親が気を利かせて、個室にしてくれたんだ」
ずっと他人と一緒の部屋だと、色々疲れるだろうから、という理由で。
「去年の時みたいな?」
「そう、あんな感じの病室。実際楽だったし、ありがたかったんだけど、子供ながらに『お金は大丈夫なのかな』って思ったんだよね。一応、大部屋より個室の方が高い、ってのは聞いたことがあったし」
7、8歳くらいでも、気になるものは気になる。
自分の身体のせいなのだから、尚更だ。
「俺の性格と『子供の無邪気さ』とでもいうのかな、その二つが合わさっちゃって、俺はすぐに親に訊いたんだ。『お金は大丈夫なの?』って」
あの時の、両親が一瞬見せた動揺の素振りは、未だに憶えている。
直後には普通の態度で『大丈夫だよ』なんて答えていたから、『大人ってすごいなぁ』と呑気に思ったことも、しっかりと。
「その時の両親の表情を見て『ああ、嘘を吐かれていたんだな』って思ってね。同時に『こうやって嘘を隠すんだな』ってのも感じた。その時から人一倍、嘘に敏感になったんだよ。──些細な、本当に大したことのない話、おしまいおしまい」
一方的ともいえる勢いで、昔話を終わりにする。
自分の過去を隠したがるような性格ではないし、暗い過去なわけでもないのだが、言いふらすのはなんか違う気がするから、これでおしまい。
「なるほど……そんな経緯だったのね。ありがとね、教えてくれて」
「どういたしまして。──さて、そろそろ出ようか。あと10分くらいでバスが来ちゃうからさ」
スマホの時計は、正午を20分ほど過ぎた時刻を指していた。
「あれ、もうこんな時間なんだ。私もバスだから、一緒に帰ってもいい?」
「もちろん」
友達と一緒なら、帰るのも楽しいだろう。
◆◆◆
「……あ、そういえば」
「ん?」
バスに乗り、ショッピングセンターを後にして数分後。
何かを思い出したのか、窓の外を見ながら高波さんが呟いた。
「去年の夏休みに、ここでつれみーと会ったことがあるの」
「へぇ、偶然?」
「うん。あの時は確か……夏休み初日だったなぁ」
──よく憶えているなぁ。
「今日とは違って、私は両親と来てたんだけどね。で、今日と同じお店でご飯を食べて、つれみーも一緒にお父さんの車で帰ったの」
「本当に、よく憶えているね。1年も前のことなのに」
「当り前じゃない。友達のことなんだから」
高波さんらしい、即答。
「『出かけた先で偶然、友達と会えた』──こんなに嬉しいことなんて、ないんだもん!」
「なるほど、それは確かに嬉しいね」
「今日だって、今だって、嬉しい瞬間だよ♪」
──本当に、『高波さん』だなぁ。
「それならよかった」
「照れたりしないんだねー?」
意地悪気に訊かれたので、こちらもそうやって返そう。
「俺がそういう奴だって、知ってるでしょ?」
「うん、知ってる。……ふふっ♪」
言い合って、笑い合う。
うん、俺たちはきっと、『そういう仲』にはならない。
でも、ああ、なんて──心地良い。
窓から入ってきた、夏の終わりの爽やかな風を感じながら、そう思った。




