47話 早朝の再会
翌朝、早朝5時。
パジャマ代わりのジャージから、薄緑色のTシャツとカーキ色のチノパンに着替え、貴重品だけ持って民宿を出る。
部長の横を歩き、着いたのは──昨日も歩いた、観光地の川沿いの道路、その横のベンチ。
「誰かと会うんですか?」
「そうだよ、誰なのかは秘密だけどね。もう少しで分かるし」
と言う風な会話をしていると、民宿とは反対の方向から、足音と話し声が聞こえた。
足音の主が、建物の脇から顔を覗かせ、こちらに気付いて駆け寄ってきた。
──まさかの人物。
「連宮君! 君も来てくれるとはね。嬉しいわ!」
「橋崎先輩! ──むぐっ」
すごく久しぶりに会う、文学部の先代部長。──に、抱きつかれた。
こっちは座っていたので、抱きつかれたというか、覆いかぶさってきた。
「は、離してください~」
「離さないわよー、もう、相変わらず可愛いわねぇ」
「……あの、橋崎先輩?」
「どうした、安喰君?」
橋崎先輩の腕の隙間から見える部長は、戸惑っていた。
当たり前だよね、橋崎先輩は、僕──『外見は男』の僕に抱きついているんだから。彼氏としては複雑な心境のはずだ。
なんてことを考えていると、僕の身体を抱きしめたままの橋崎先輩が、僕に小声で訊いてきた。
『もしかして、まだ内面のこと、伝えてなかった?』
『はい、まだ伝えてないです』
『ありゃ、そうだったか』
言うと同時に、僕の身体が解放される。
「こほん。安喰君と会うのも、久しぶりね。最近は電話ばっかりだったし」
「そうですね、会えて嬉しいです」
橋崎先輩が僕に抱きついたこと、部長はそこまで気にしていないみたいだ。よかった。
「……そ、そう? 会えて嬉しい、ねぇ。……ふぅん」
橋崎先輩が照れてる!?
──いやまぁ、部長の前では何度か照れているのかもしれないけど、僕はここまで明確に照れた橋崎先輩を見たことがない。まさかここまでとは。
先輩たちを見ながらそんな(しょうもない)ことを思っていると、橋崎先輩が来た方向から、更に足音がした。
この辺のお店の人かな、そろそろ開店準備をする時間だろうし──と、のほほんと考えていたのだけど。
「舞依……あ、いたいた。彼氏に早く会いたいからって、私を置いて走ってかないでよ」
「ごめん水留ぅ、テンション上がっちゃってさ。じゃじゃん! こちらがあたしの彼氏、安喰宗人君です!」
「テンション高いなぁ。そっちの子は……ん?」
建物の陰から姿を見せた、『みずる』と呼ばれた女性、こちらをじっと見つめて動かない。
えっと……なんだろう、すごく不安なのだけど、何かしてしまったかな。
「……奏太ちゃん?」
「え──」
あれ、まだ僕名乗ってないよね。なのになんで──。
「やっぱり奏太ちゃんだ! 久しぶり、元気だった? あれから全然会えてなかったから心配してたんだよ? ……大きくなったね、本当に」
矢継ぎ早に話しかけられ、感慨深く見つめられる。
本当に、なんで僕のことを知っているのだろう。僕はこの人と会ったことなんてないのに。
「……私のこと、憶えてない?」
「すみません、忘れてしまったみたいで……」
「小林水留、って言えば分かるかな」
「えっと、ですから……え、『小林』?」
『小林』──確か親戚に、そんな名前の人がいたような。
遠い親戚──じゃない、近い親戚。
「──あ」
記憶が、浮かび上がってきた。というか『思い出した』。
僕は小さい頃、ここに来たことがある!
「従姉の、水留さん」
「そう! ……よかった、まだ憶えててくれて」
ここの風を『懐かしい』と感じたのは、そういう理由だったのか。
でも、なんで忘れていたんだろう。今年のお正月にも、小林さん一家──お母さんのお兄さんの家族は、家に来たはずなのに。
──いや、水留さんは、僕の家には来ていなかったと思う。
「避けられちゃってるみたいだったから、私からも会わないようにしていたんだ」
「え……避けてなんて」
──いない。
そう続けようとしたのだけど、また浮かび上がった記憶に遮られた。
僕は小さい頃──小学生の頃、水留さんを避けていた。
なんで避けていたんだろう。僕の家で水留さんと楽しく遊んだ記憶があるのに。
一体なんで、僕は水留さんを避け始めたのだろう?
疑問に答えるように、また一つ、記憶が浮かび上がる。
「──そう、だ」
僕は、水留さんに──『内面を知られた』。
そのことで何かを言われたわけじゃない。けれど、会いにくくなって、避け始めたんだ。
「あ、ごめん……無理に思い出そうとしなくてもいいんだよ? あのことが奏太ちゃんにとって嫌な思い出なら、思い出す必要なんて全くないからね」
「いえ、大丈夫です。──全部、思い出しました」
きれいさっぱり忘れていたのに、全てを思い出せた。
心のどこかに、まだ残っていたんだ。
嫌な記憶でもあり、『優しい記憶』でもある、あの日の出来事が。
『ね、連宮君』
『はい?』
何のことか分からずにいる部長の横に立つ、橋崎先輩に心配そうに話しかけられた。
小声だったので、僕も小声になる。
『もしかして、連宮君の内面のこと?』
『はい、僕がまだ、隠すのが下手だったころの話です』
『だったら、場所を移した方がいいんじゃない? ……何も知らない、安喰君がいるし』
『あ──いえ、そういうことでしたら、大丈夫です』
本当に、大丈夫。
ずっと『伝えたい』と思っていたのだから。
ここからは、小声でなくても大丈夫。
「部長一人だけ知らないなんて、かわいそうですし」
「相変わらず優しいわね、連宮君」
それだけ言って、座ったままの部長の右隣に座る、橋崎先輩。
僕はその反対、左隣に座る。更に左隣には、水留さんが。
「部長。ちょっとだけ、自分語り、させてもらいますね」
「あ、ああ……分かった」
未だに戸惑い気味の部長を気にせず、少しだけわがままに、自分を語り始める。
◆◆◆◆
あれは──僕の人生の中で、最も辛かった時期の話。
◆◆
「おいオカマ、聞いてんのかよ!」
「──っ」
「けっ……キモいやつ」
どなられて、いやなことを言われて。
それでもまだ顔を上げようとしないぼくにイライラしたのか、相手の言葉がもっとらんぼうになってきた。
「こんなやつなんてほうっておいて、おれたちだけで遊びに行こうぜ?」
「そうだな。せっかくおれたちが、遊んでやろうと思ったのに」
──どこまでいっても、上から目線。
教室のドアが大きな音をたてて閉まったのを確認して、ぼくは顔を上げる。
教室には、ぼくひとりしか残っていなかった。
明日から小学校に入って3回目の夏休みだけど、いじめられっ子のぼくは当然、だれとも遊ぶ予定はない。
こんなことなら、1年のときに先生に『ぼくはおとこじゃないです』なんて言わなければよかった。
言わなければ、今より少しは、辛い思いをせずに過ごせたのかも。
ぼくへのいじめが始まってから、もう2年間は経ってるから、もう気にしてもしょうがないのだけど。
◆
夏休みの宿題を1週間で全部やり終えて、暇だから自分の部屋でゲームで遊んでいたら、部屋のドアが『コンコン』ってノックされた。
返事をしたら、ドアが開いて、お母さんが入ってきた。
「奏太、明日からの3日間って、何も用事無い?」
「あしたから? うん、ないよ」
学校のプールの授業もないし、当然、友達にも誘われていない。
ゆっくりしようと思っていたけど、どこかに行くのなら行きたい。ずっと部屋で宿題をやっていたから、そろそろ外に出たい。
「水留ちゃんの家に行かない? お母さんのお兄ちゃんが『暇だったら来ないか』って言ってくれたのよ」
「えっ! 行く、ぜったい行く!」
「ふふっ、決まりね。お父さんと真菜にはさっきオッケーをもらえたから、早速準備するわよ。奏太、持っていく着替えとかをリュックに入れておいてくれる?」
「うん!」
毎年お正月にうちに来てくれている、お母さんのお兄ちゃんの家族。
水留ちゃんと遊べるなんて、本当、予定が入ってなくてよかった。
よし、早く準備をしちゃおう。




