46話 三上と高波の
「ねぇ、三上さん」
「ん、なに?」
午後11時、自分と月夜野さんが泊まる部屋で。
数分前に電気は消したので、障子から漏れる月明かりだけが部屋を照らしている。
自分が障子側──窓側の布団に入っている。寝付けずに月明かりを楽しんでいると、まだ寝ていなかったらしい月夜野さんから話しかけられた。
「一つ、気になってたことがあったの。……昼間のこと。いつもの三上さんからは想像できないくらいにはしゃいでいたから、何か楽しいことがあったのかな、って」
「ああ……気付かれてたか」
「連宮君も気付いてたみたい」
そこまで表に出てたのか、なんか恥ずかしくなってきた。
「話してもいいけど……面白い話じゃないよ、それでもいい?」
「うん、聞かせてくれると嬉しい」
了承の返事を確認し、自分は話し始める。
大して面白くもない、自分の──昔話を。
◆◆◆◆
昔の話。あの頃の自分は、絶望のど真ん中にいたんだ。
◆◆
憂鬱。
それ以外の感情は、心の奥底へと追いやられた。
「愛香、制服は着れた?」
「……うん」
「よし、じゃあ出発しましょう。あなた、カメラは持った?」
「ああ、持ったぞ! しっかり撮るからな!」
母さんと父さんの楽し気な会話を聞き、心底うんざりする。ずっと昔から、その繰り返し。
できれば、こんな気持ちで中学校の入学式に出たくはない。
──出なくていいのなら、どんなに楽だろう。
こんなことを言ったら、また怒られるだろうから、もう言わない。
家を出て、3人で中学校へと歩き始める。
早く終わってくれ。とにかく早く自分の部屋へと戻り、ネットとかをして過ごすから。
早く、早く──こんな苦行、終わってくれ。
◆
「撮るわよー。愛香、笑って!」
「う、うん」
入学式が終わり、やっと帰れると思ったら──これだ。
シャッターが切られ、校門の横に立つ、今すぐにでも脱ぎ去りたい服を着た自分が、デジタルカメラに保存される。
「……うん、いい笑顔! じゃあお父さん、帰りましょうか」
『いい笑顔』。
この人たちは一体何を見て、そう感じたのだろう。
「ああ、そうだね。愛香、もう帰っても大丈夫か? 誰か友達と遊ぶ予定でもあれば──」
「大丈夫だよ、帰ろう」
自然なトーンで、帰りを促す。
特に不審がられずに、帰ることができた。
──友達がいないってこと、まだバレてはいないようだ。
◆
「愛香、今度3人で旅行に行かない? 海の近くの旅館に泊まろう、ってお父さんと話してたのよ」
「ゴールデンウィークに行こう、って話でね。まだ海には入れないけど、近くに大きな博物館があるんだ。美術館も併設されているから、結構楽しめると思うぞ」
……家に帰ってくるなり、これだ。
自室に来た母さんから居間に呼ばれたから、何かしてしまったのかと不安になったじゃないか。
「ごめん、ゴールデンウィークは友達と旅行に行く予定があるんだ。別の中学に行った人なんだけど、昨日連絡してくれてさ。だから、旅行は行けなさそう」
「そうか、そういうことだったら仕方ないな。愛香が旅行に行っている間、俺たちも2人で旅行に行ってしまってもいいかい?」
「もちろんだよ。楽しんできてよ、父さん、母さん」
……もちろん、真っ赤な嘘。
さて、ゴールデンウィーク、何をしようか。
◆
小学校が同じ同級生が中学で多かったため、小学生の時同様、友達はできなかった。
もちろん、同級生のせいだけにするつもりはない。──事実、自分は他人と距離を置いていた。
誰かに自分の内面を知られて、拒絶された──みたいな壮絶な話は全くないのだけど、自分は男子からも女子からも嫌われていた。
「また1人で本読んでるよ、三上さん」
「うわ、ホントだ……仲良くする気、ないのかな」
……今のは女子2人からの(自分に聞こえるような声量での)陰口。
男子とばかり遊んでいたからか、男子からも女子からも距離を置かれていたのだ。
女子と遊ぼうと努力はしたけど、結局自分の心を傷つけただけ。すぐにやめた。
「おーい、帰りの会を始めるぞ、席につけー」
担任の先生が来て、話をしていた生徒は自分の席に戻り、帰りの会が始まる。
「明日から5日間の休み、ゴールデンウィークだ。あまり羽目を外さないようにな。遊ぶのもいいが、宿題を忘れるなよ。……──」
先生の話を聞き流しながら、ゴールデンウィークに何をしようか考える。
考え始めて数秒で、友達のいない自分には苦痛にしかならないことを思い出し、やめた。
結局、友達は一人もできなかった。
ゴールデンウィーク、本当にどうしよう。
◆
ゴールデンウィーク1日目、自分は着替えなどが入ったリュックを背負い、両親に見送られながら駅へと出発した。
──もちろん、ただ『騙すため』の行為。
昨日の今日で友達ができるわけもなく、でも旅行に行くと言ってしまった以上、嘘を吐き続けなければいけない。
だから、父さんと母さんが旅行に出かける時間までは、こうして旅行に行くふりをして、街中を適当にぶらついていようとしたのだ。
2時間ほど街中を歩き、ファミレスで昼食を(お小遣いで)食べ、帰宅。
予想通り、父さんの車はなかった。もう旅行に出発したようだ。
父さんたちは2泊3日の旅行に行った。つまりあと2日は帰ってこない。
その間、家にいたということを悟られないようにしなければ。
家の電話には出ないようにするし、冷蔵庫の中身にも手を付けない。
……辛くはない。久々に一人でゆっくりできるのだ。
さて、自分の部屋でゲームでもするか。
◆
「……なんでだろ」
ゴールデンウィーク2日目、午後11時。
いつも通りの時間に布団に入ったのだけど、本当に──この現象は、何なのだろう。
「なんで泣いてるんだろ、自分」
真っ暗な部屋で天井を見つめていただけだ。なのに──なぜか、涙が止まらない。
「……はぁ」
真っ暗な天井が、自分の未来を表しているかのようで。
昨日は我慢できたのに……ダメだ、おさまらない。
「自分は、さ」
誰も聞いていないから、少し大きめに独り言を発する。
「普通に、生きたかったんだ。普通に父さんたちと旅行に出かけて、帰ってきたら当然のように友達と遊ぶ……すごく、楽しそうだよな」
ゴールデンウィークくらい、そうやって普通に過ごしたかった。
このままでは、夏休みも真っ暗な生活を送ることになりそうだ。
「……対処法なんて、ないからさ。自分はこれからも、暗闇の中を生きていくよ」
誰に発したものでもない、揺るがない決意。
涙を止めるのを諦めながら、自分はそっと目を瞑った。
明日から、また地獄を進もう。
◆◆
本題はここまで。だけどこのままじゃ、ただのバッドエンドだから……ここからは、自分が救われた話。
ゴールデンウィークの後も、孤立は続いた。
でも、丁度その頃からだった。──あの人が、話しかけてきてくれたのは。
◆◆
「ね、三上さん! 一緒に帰ろー!」
「……すみません、用事があるので」
「もう、そればっかり! 何の用事なのかも教えてくれないの?」
また、これだ。
一体何なのだろう。自分が孤立している理由でも知りたいのか?
だとしたら──不愉快だ。
さっさと対処しておくべきだったか。今からでも遅くはないはず。
「……分かりました、一緒に帰りますよ。……で、何さんでしたっけ」
「高波! 高波佳奈美っていうの。よろしく!」
「……はい」
席を立ち、荷物を持って『いつも通り』素早く教室を出る。
「ま、待ってよ~」
「……はぁ」
面倒。
他人のペースに合わせなければならないのが、ここまで面倒くさいとは。
◆
2週間ほどその調子が続き、いい加減疲れていた自分は、自宅の近所の公園で『人生で初めて』自分の内面を他人に伝えた。
拒絶するための行為。それが孤立へとつながることは、重々承知の上。
既に、分かっていたから。この調子で高波さんと親しくしても、どこかで自分の内面がバレてしまい、拒絶されるのだ。
ならば、こちらから拒絶すれば、辛い思いは少しは和らぐだろう、と思ったから……だったのだけど。
「ひぐっ……そうだったんだね……」
泣かれた。
ベンチに座ったまま、泣かれた。
えっと、これは……どういう感情で泣いているんだ?
「す、すみません、変なこと言って。気持ち悪いでしょうし、自分とは関わらない方がいいですよ。友達、減ると思いますし」
「そんなんじゃないよ!」
「……?」
泣き止まないまま、今度は怒鳴られた。
一体、何だというのだ。
「そんな大変な思いをしていたのに、私は何も知らずに、三上さんに迷惑かけてた。……本当にごめんなさい」
「いや、高波さんが謝ることじゃ……」
「三上さんが許してくれるなら、私、三上さんの友達でいたい。……ダメ、かな」
──は?
拒絶されるものだと思っていたのだけど、なんで。
「なんで、自分なんかと友達になりたいって思うんですか。……もっと普通の人と友達になった方が、得るものは大きいと思います。それに──」
「ほかの人がどうかは分からないけど、私は友達を選ぶようなこと、したくない。みんなと友達になりたいもん。……三上さんは、損得勘定で友達を選ぶの?」
──違う。
友達を選ぶような真似なんて、自分もしない。
「で、でも」
「三上さんは、私が友達だと、迷惑?」
「……っ!」
そう問われたら、拒絶なんてできないじゃないか。
泣き止み、真剣な目で自分を見つめる高波さんに──自分の想いを、伝える。
「友達でいてくれると、嬉しい、です」
「本当!? よ、よかったぁ……」
心底安堵したようで、高波さんは柔らかい笑顔になる。
「じゃあ改めて。高波佳奈美です、これからよろしくね♪」
「三上愛香です。……よ」
「よ?」
「……よろしく、です」
自分の言葉に満足したらしく、高波さんは立ち上がり、んーっと伸びをした。
「これから、すっごく楽しくなるよ。私が楽しくしてみせるから、覚悟しててね!」
「……ふふっ、はい、覚悟してます」
「お、初めて笑ってくれたね」
「あ……は、はい」
本当に、自分のことをよく見ていてくれたんだ。
高波さん、すごい人だな。
◆
数分後。
「あ、そうだ!」
公園からそれぞれの自宅へと帰る途中、急に高波さんが言葉を発した。
「あだ名、つけてもいい?」
「あだ名ですか?」
「うん。友達にはあだ名をつけることにしてるんだ。うーん、えっと……」
少し考えた後、ピン、と人差し指を立てて、こちらを向いて。
「『みかみん』でどう!?」
「みかみん……ええ、いいと思いますよ」
「よし、決定! これからは『みかみん』って呼ぶからね、みかみん♪」
「はい、高波さん」
帰る途中、高波さんはしきりに『みかみん』と呼んできてくれた。
少し可愛すぎる気もするけど、友達がつけてくれたあだ名だから、気に入っている。
これから、どんなことが起こるんだろう。
友達が一人できただけで、こんなに嬉しい気持ちになれるなんて。
ああ、楽しみだなぁ。
◆◆
その日、自分は初めて『救われた』のだ。
高波さんという、ただ一人の同級生によって。
◆◆◆◆
「ここまで話したけど、結局は『友達と旅行に行けて嬉しい』って話。それだけなんだけどね」
それだけのために、かなり長く話してしまった。
さて、月夜野さんはというと。
「す、すごくいいお話でしたぁ」
「そこまで感動する話かな……?」
涙声になっていた。
今になって思えば、波乱万丈とまではいかないけど、色々あったなぁ、と過去に親しみすら覚える。
それにしても──午前1時か。随分と話し込んでしまった。
「そろそろ寝よっか、月夜野さん」
「うん! 明日も早いもんね」
「ああ、そうだね。……おやすみ、月夜野さん」
「おやすみ、三上さ……ん……」
ありゃ、もう寝ちゃった。
自分も目を瞑り、掛布団の位置を直していると、あの人の顔が浮かんできた。
昔の話をしたからだろうか。
(……高波さん)
高波さんのおかげで、今こうして、楽しく過ごせている。
ああ、明日も楽しみだ!




