4話 三上愛香
「あの、すみません」
「ん?」
僕の呼びかけに、三上さんと高波さんが気付き、振り返る。
「えっと──あ、4組の」
「はい、連宮といいます。三上さん、ちょっと今、いいですか?」
「え……」
──三上さん、すごく嫌そうな顔をした。
向こうは僕のことを知らないだろうし、当たり前か。
「連宮君……って言うのね。悪いけど、みかみんは恋人は募集してないわよ」
「そういうことですので、失礼します」
きっぱりと言って、高波さんと三上さんはまた歩き出した。
──え、ちょっと待って。
高波さんに言われたような、恋人になりたい、なんて気持ちは1ミリもないんだけど。
「あ、いや、そういう意図で声をかけたわけではないんですけど……」
「あれ、そうだったの?」
高波さん、意外そうな顔をしている。
「ごめんね、早とちりしちゃったみたい。みかみんに何の用事?」
みかみん──というのが、三上さんのあだ名らしい。
それはまあ、今はいいんだけど。
「三上さんに、少し訊きたいことがありまして」
「自分に訊きたいこと、ですか」
──三上さんの一人称は、『自分』らしい。
自己紹介ゲームの時に、それで若干浮いてしまっていたので、憶えている。
「はい。昨日のデパートでのこと、なんですが」
「──っ!」
三上さん、かなり驚いている。──なぜか高波さんも。
昨日のことは、触れてほしくなかったのかな。
「あの、時間がないようでしたら、大丈夫なんですけど……」
「みかみん、どうする?」
不安そうに、高波さんは三上さんに訊いてみたけど、どうだろう。
「──昨日のデパートでのこと、というと」
「えっと……紳士服売り場で、三上さんを見かけた、ということなんですが」
「見られて、たの、か」
マズい。三上さん、相当落ち込んじゃってる。
「あ、あの、あまり話したくない内容でしたら、大丈夫です、誰にも言ってはいないので!」
三上さんのあまりの落ち込み様に、なぜかテンパってきてしまった。
「──誰にも、話しませんか?」
「は、はい、話しません」
僕の目を真っ直ぐに見て訊いてきたので、僕も三上さんの目を真っ直ぐに見て、答える。
「みかみん、いいの?」
「うん、大丈夫。すみません、高波さんにいてもらってもいいですか?」
「はい、もちろんです」
話しにくいことらしい。やっぱり、『そういうこと』なのかな。
「一応、場所を移しましょう。──ここを真っ直ぐ行ったところの公園で、いいですか?」
「はい」
僕の家の近くの公園に向かって、3人で歩き出す。
◆◆◆
公園のベンチに3人で腰かける。
「自分は、『私』という一人称が、あまり好きではありません」
厳かさすら感じさせる、静かな口調で、三上さんが話し始める。
一人称については──やっぱり、という感じ。
「このスカート──女子の制服も、どうにも好きになれません。スカート自体に嫌悪感はありませんが、自分が『女子』にカテゴライズされている気がして、制服だけは、どうしても」
言いながら、はいているスカートを嫌そうに睨む三上さん。
これは、まるで──。
「三上さんの心は、男の子……なんですか?」
「──……はい」
数瞬、言うのをためらったようだけど。
力強く、そう語ってくれた。
「──ありがとうございます。大事なことを、僕に教えてくれて」
「感謝されるようなことはしてないと思いますけど。……引いたり、しないんですね」
「人の大事な内面を引くなんてこと、絶対にしないですよ。それに、訊いた僕が引くなんてことがあったら、失礼にもほどがありますからね」
基本的に僕は、失礼にあたることは絶対にしない、と決めている。
「面白い人ですね。自分の内面を知って、引かなかったのは連宮君で2人目です」
「2人目、ということは──1人目は高波さん、ですか?」
三上さんを挟んで、一番左側に座っている高波さんを見てみる。
「正解、その1人目は私よ。中1の時に教えてもらったの。大人っぽいみかみんと仲良くなりたくて、どんどん話しかけていったら、ある日突然教えてくれたの♪」
「追っ払おうと思って、自分のことを話したんですけど……高波さん、引かなかったんです。それどころか、それからも仲良くしてくれて」
──高波さんたちの話で、根原君のことを思い出した。
あの人も、もしかしたら──なんて甘い考えは捨てておいて、気になっていることを訊く。
「訊いた僕が言うのも変な話なんですけど──なんで隠さずに、話してくれたんですか?」
僕は、ずっと隠しているのに。──なんてことは言わないけど。
「変に隠したら、嫌な噂が立っちゃうかもしれない、と思ったので。正直に言った方が、まだいいのかな、と思いまして」
「──そう、ですか」
『正直に言った方が』──そう思っても、このことを出会ってすぐの人に伝えられるのは、凄いことだと思う。
僕も、正直になれるだろうか。
「さて、自分はそろそろ帰ることにします」
「みかみん、やっぱり帰るのね……ついていこうか?」
「大丈夫だよ、これは家の問題だから、自分でなんとかする」
えっと──話がまったく見えないんだけど。
「三上さん、何かあったんですか?」
「いや、たいしたことではないんですけど──高校に入ったんだから、本当の自分のことを両親に教えようとして、昨日、その……」
それって、もしかして。
三上さんの内面を知って、引かなかったのは僕で二人目、と言っていたし──まさか。
「引かれた、とかですか?」
「……いや、えっと」
「その程度だったらよかったんだけどね」
言い淀んでいる三上さんに代わり、高波さんが話し始める。
「みかみんのお父さんとお母さん、みかみんを怒ったのよ」
「お、怒ったって──なんで」
「『普通の女に育てたつもりなのに、なんでそんなこと言うんだ!』──なんて具合でして」
俯いて、悲しげに話す。
──酷過ぎる。三上さんの両親、あまりにも自分勝手じゃないか。
「──決めた! 私、みかみんの家に一緒に行く!」
「高波さん……気持ちは嬉しいけど、高波さんに迷惑はかけられないよ」
「もう、いつまでそんなこと言ってるのよ! 私とみかみんは友達でしょ?」
──三上さん、いい友達がいるんだな。
「連宮君、あなたも来て!」
「へ!? ぼ、僕も?」
急に僕に振られたので、少し驚いた。
「何よ、ここまで聞いたのに、嫌だ、なんて言うつもり?」
「うぅ……」
有無を言わせぬ迫力で、高波さんに問われる。
そりゃあ、僕だって三上さんの両親を説得したいとは思うけど。
「説得するときの人数は、多い方がいいわ!」
「いや、僕はまだ、三上さんと会って間もないですし、三上さんは嫌じゃないかな、と……」
「女々しいわね」
「あはは……」
女々しい、か。
あながち間違ってもいない意見。
「連宮君、気にしなくていいんですよ。高波さんにも連宮君にも、やっぱり迷惑はかけられないです。──両親に、謝りますよ」
「みかみん……! そんなことしたら駄目だよ!」
「でも、今の自分じゃ、父さんたちの前できちんと意見が言えるかすら分からないんだよ。高校卒業まであの家にいるためには、自分を押し殺さなくちゃ」
──押し、殺す?
自分を押し殺して、家に居させてもらう?
「──駄目、ですよ」
「え?」
「そんなことしては、駄目ですよ! 三上さんの居場所が、三上さんの家から無くなっちゃいます!」
「連宮君──?」
三上さんの声で、はっ、と気付いた時には、全部言ってしまっていた。
──こうなったら、僕も協力するしかない。
「僕も三上さんの家に行きます。高波さんと一緒に。──いいですよね、三上さん」
「おお、よく言ったぞ連宮君!」
高波さん、すごく喜んでいる。
「でも、これはあくまで自分の家の問題で……」
「連宮君、行こう!」
「はい!」
「……仕方ないですね、何があっても知りませんよ」
そう言いつつも、少し嬉しそうな三上さんを先頭に、僕たち3人は三上さんの家に向かって歩き始めた。