37話 橋崎、卒業の日
翌日、午前8時30分。
卒業式の前にクラスに集合することになってるけど、指示された時間は午前9時30分。
更に言うと、式が始まるのは午前10時。式までまだ1時間半もある。
こんなに早く来た理由だけど。
「おはようございます、部長」
「──早いね、連宮君」
部長はきっと、落ち着かなくて早く来ているだろうな、って思ったから。
予想通り、南校舎1階の一番奥、文学部部室の前に部長はいた。
◆
「よく分かったね、俺がここに来てるって」
「早く来てることも、分かってましたよ。……落ち着かないんですよね、僕と同じで」
鍵はないから、部室前の壁に寄りかかって、部長と話す。
「ああ、その通りだよ。どうにも落ち着かなくてね。早く起きすぎちゃって、家にいてもすることがないからここに来たんだけど……ここに来ても、何もすることはなかったね」
「──……」
明らかに、感情を隠して元気なふりをしている。
こんな部長は、見たくない。こんな辛そうな部長は、見たくない。
「そんな顔しないでくれよ。ああ、本当は──まだ迷ってるんだ」
部室のドアをじっと見つめ、部長は語る。
「何も言わずにただ諦めるなんて、絶対に嫌だ。でも、俺なんかが言っていいのか、本当に分からないんだ。憧れの人に会いたいから文学部に入って、憧れの人の傍にいたいから毎回部活に出て……俺はそんな、くだらないことの繰り返しをしていただけなんだ」
「──部長っ!」
「え?」
大声に驚いた部長は、顔を上げ、声の主である僕を見た。
「くだらなくなんてないです、すっごく立派なことだと思います。部長は今までずっと、先輩を追いかけていたんでしょう? その人に並べるチャンスが来たのに、そんなに弱気でいてはダメです! ……自分の今までしてきたことを否定しちゃ、ダメです!」
後半は僕自身、何を言っているのか分からなくなっていたけど──届いただろうか。
「連宮君、俺は──あの人に、並んでいいのかな」
「当たり前です。部長にはその権利があります」
「俺は、どうすればいい?」
「決まってるじゃないですか」
僕が言うまでもないこと。
僕が介入する必要のないこと。
「部長の思うようにしてください。──昨日言われたじゃないですか、『卒業式のあと、待ってる』って」
「──ああ、俺は馬鹿だな!」
……へ?
両手を前に突き出し、ぐぐーっと伸びをして、部長は笑う。
「後輩に勇気づけられるなんてな。本当なら、俺が引っ張っていかなくちゃなのに。──ありがとね、連宮君」
「いえいえ。……僕や三上さんだって、応援してるんですからね」
「ああ、ありがとう。──よし、クラスに行くかな。連宮君も、そろそろ行った方がいいんじゃないのかな?」
言われて、スマホで時間を確認。時刻はもうすぐ午前9時。
そろそろ、根原君たちが来ているかも。
「じゃ、先に行ってるよ。──俺、頑張るから」
「はい!」
そう言って部長は、廊下を走っていった。
役に立てたなら、嬉しいな。
◆◆◆
卒業式は、おごそかに行われた。
橋崎先輩が入ってきたときは、案の定、泣いてしまった。
周りの人にバレないようにしたけど、隣に座っていた月夜野君にはバレちゃってたみたいで、ハンカチを貸してくれた。洗って返さなくちゃ。
『──以上で、卒業式を終了いたします』
その言葉と同時にかかった優しい音楽でまた泣いて、卒業式の会場の体育館を出ていく橋崎先輩の姿にも泣いて。──こんなに泣いた日はないってくらい、泣いた。
卒業式の後、卒業生は一度教室に戻り、担任の先生から最後の言葉をもらう。
その間に在校生は卒業生を見送るため、生徒用玄関の前に並ぶ。
少し待つと、笑顔だったり泣き顔だったり、様々な表情の卒業生が出てきた。
『おめでとうございまーす!』と、みんなで大きな声で伝える。ここまでの頑張りを、最大限の声で肯定する。
「おめでとうございます、橋崎せんぱーい!」
「橋崎先輩、おめでとうございますー!!」
僕と三上さんの声に気付いてくれたらしく、橋崎先輩が手を振ってくれた。
少しすると、今度は校庭で卒業生同士で色々話す。
『離れてても友達だよ!』とか『この後ファミレス行こうぜ!』とか、すっごく楽しそうに話している。
そのいくつもある集団の一つに、部長が歩いていくのが見えた。
「部長、頑張ってるね」
「そうだね、三上さん。……頑張れ、部長」
これ以上は、介入はしない。
ここから先は、二人だけの時間なのだ。
◆◆◆
「ねーねー舞依ー、そろそろカラオケ行こーよー」
「ごめん、もうちょっとだけ待ってくれる?」
「えー? 大体、用事って何なのよー」
「大事な用事なのよー」
『まさか恋人できたの!?』なんて言われたけど、ちょっと違うかな。一応ノーコメントで。
──あ、来てくれた!
「橋崎先輩、今、お時間よろしいでしょうか」
「ええ、大丈夫よ。……何かしら」
「ここでは少し……部室に来ていただけますか」
「ええ、いいわよ。──ついてってあげる」
黄色い声を上げる友達を置いて、あたしは、安喰君の後ろを歩いていった。
◆◆◆
「あ、南校舎に歩いていったね」
「ってことは部室に行ったのかな。……三上さん、よく見えるね」
この学校の校庭、それなりに広いから、いまいち見えなかったのだ。
「眼鏡補正があるからね」
「ああ、なるほど。……ん?」
橋崎先輩が抜けた集団が、やけに盛り上がっている。
橋崎先輩と部長から隠れながら、その集団の近くまで行き、会話を聞いてみる。
その内容は案の定、橋崎先輩たちのことについてだった。
『おい、あいつすげーな!』
『なんか、文学部の後輩らしいぜ』
おおおお、と歓声が上がる。
『あ、私知ってる! 『理系なのにあたしを追って文学部に来たバカ』って舞依が言ってた!』
『おいおいマジかよ! 行動派だな!』
再び、おおおお、と歓声。
卒業式の日でも、他人の色恋の行方は気になるみたいだ。




