29話 五十嵐浩一郎
翌日日曜日、午前11時。文化祭2日目。
「A班のみんな、お疲れー! 交代の時間だよー」
高波さんの声で、昨日同様、エプロンを外しながら『疲れた~』と言い合うみんな。
確かに疲れた。日曜日だからか、昨日よりたくさんの人が来てくれた。嬉しいことなんだけど、やっぱり疲れる。接客業の大変さが、身に染みてわかった。
「連宮君、準備できた?」
「うん、三上さん。よし、部室に行こっか!」
今日は正午から文芸誌を配ることになっているから、その点を考慮してもらい、三上さんもA班になったのだった。
エプロンをササッと畳み、僕は根原君に、三上さんは高波さんに渡して、教室を出る。
◆◆◆
「看板はこっち……っと。部長、看板とプラカード、片付け終わりました」
午後1時半。予定通りほとんどの文芸誌を配り終えたので、一旦終了。
この後、午後2時から『小説の書き方講座』というのをやるから、少し休憩する。
「おつかれ~、連宮君。三上さんも、プラカード係おつかれ~」
「お疲れさまでした、部長!」
元気に返す、三上さん。今日は昨日ほど日差しは強くなかったから、三上さんの体調も心配いらなそう。
「いやぁ、助かったよー。後輩がいると、作業が分担出来ていいねぇ。ああ、やっと休憩できる」
「部長、言うほど疲れてないですよね」
パイプ椅子に座り、長机にべたーっと突っ伏している部長に、安喰先輩が声をかける。
「何を言うかね安喰君、あたしだって頑張ったよ? 指示を出したり、部室の前で呼びかけをしたり、文芸誌を配ったり。ずっと座ったままの作業ってのも、意外と疲れるものなんだよ~?」
「俺も同じ作業をしていたと思うんですが……」
安喰先輩の一言に部長は『はぁ……』とため息を一つした後、頬を膨らませ、諭すような口調で伝える。
あれ、もしかして。
「そんなだから、彼女の一人もできないんだよー?」
「な──っ! ……部長には関係ないでしょ」
「ま、そうだね。あたしには一切関係ないかもねー」
「そ……うですよ、そうです。部長には関係ないです」
やっぱり、いつもの口喧嘩が始まった。
部長が一方的に攻めている感じだけど、一応言い返しているから、これも口喧嘩でいいよね?
「安喰君かっこいいんだから、彼女の一人くらいすぐにできると思うんだけどなぁ」
「かっこいい!? ──って、何を言ってるんですか部長っ!」
「あ、そっちに反応するのね……」
部長の一言で、変な箇所に反応してしまったのだと気付く安喰先輩。見る見るうちに、頬が紅潮していく。
「へ? ……あ、いや、その」
「照れなくてもいいのよ~? まあでも、そういう反応は一番好きな人だけにしなよー。勘違いしちゃう女の子もいるかもしれないんだからさ」
「は、はいぃ……」
安喰先輩、俯いて泣きそうなので、そろそろやめてさしあげてー、部長。
巻き込まれそうなので、口は出さないけど。
「橋崎ぃ、そろそろやめてやれー」
「へ? あっ、五十嵐さん! 今日も来られてたんですね。……なんで文学部に?」
僕らの後ろの扉が開き、昨日も会った大柄な男性──五十嵐浩一郎さんが入ってくる。
今日は昨日と違い、紺色のスーツに紫のネクタイ、といったきちんとした服装。嬉しくて話しかけちゃったけど──なんで?
「部長! お久しぶりですー!」
「お久しぶりです、部長。──お恥ずかしいところをお見せしてしまいました」
「二人とも、久しぶり。ってか、今の部長は橋崎だろう?」
「あ、そうでした!」
部長や安喰先輩が、五十嵐さんのことを『部長』って呼んでるんだけど、これもしかして──。
「まさか、先代部長!?」
「そうだよ、連宮君。驚いてもらいたくて、君には黙っていたんだ。いやぁ、驚いた顔が見れて大満足さ! あっはっは!」
「そりゃ驚きますよ……」
はぁ、本当にびっくりした。
──今来たということは、もしかして。
「この後の講座、講師として出てくださるんですか!?」
「そうだよー。これでも一応、小説家と作詞家をやってるからね。色々教えるつもりだから、君たちも見ていてくれよ」
「はい! 小説家さんだったんですね」
──ところで。
僕の右隣でずっと無言のまま、五十嵐さんを見つめている三上さんは、どうしたのだろう。
僕の視線に気づいたようで、部室後方の床に置いていたカバンへ小走りで向かい、表紙が緑色の小さめのノートを取り出して、素早く戻ってくる三上さん。
取ってきたノートと油性ペンを五十嵐さんに差し出して、一言。
「サインいただけますか!」
……五十嵐さんって、すごく有名な小説家さんだったりする?
「いいよー。表紙の真ん中でいいかい?」
「はい! 一生大事にします!」
「あっはっは、大げさだなぁ。でもよかったのかい? 色紙とかじゃなくて」
優しく微笑む五十嵐さん。サービス精神旺盛だなぁ。
五十嵐さんの問いに、ノートの中身を見せながら、三上さんは答える。
「大丈夫です! これ、五十嵐さんの記事をまとめているノートなので!」
「おぉ! これは一番最初に受けたインタビューの記事じゃないか。新しいのもちゃんとあるし、嬉しいねぇ」
三上さん、五十嵐さんの大ファンだった!
「君の名前、訊いてもいいかい?」
「あ、はい! 三上愛香といいます!」
「三上さん、ね。……ほい、できたよ」
「わぁ、名前まで入れてくださって……本当にありがとうございます!」
三上さんだけじゃなく、五十嵐さんもすごく嬉しそう。ファンからサインを求められたら、そりゃあ嬉しくなるよね。
三上さんのノートの表紙に書かれたサインを、ちらっと見てみる。
五十嵐さんのフルネームが、崩された字で書かれている、その右下。
少しだけ小さな字で、『三上君へ』と書かれていた。
「……あれ、なんで俺、三上『君』って書いたんだろ」
三上さんに聞こえないくらいの声で、五十嵐さんが呟く。
『あたしと違って無意識だからなー』と部長も言っているけど、一体どういうこと?
「さて、そろそろ時間だから、またお客さんを呼びに行こうか」
安喰先輩の声で、もう午後1時50分なのだと知る。
「じゃあ、また僕が先に呼びかけてきますね」
「頼んだよ、連宮君」
「はい!」
安喰先輩に送り出され、扉を開けて廊下へ出ようとして、気付く。
──いや、これは『気付く』とかのレベルじゃない。一目でわかる。
部室前の廊下には、列ができていた。
『あの五十嵐先生に会えるのか……!』とか『五十嵐先生に教えてもらえるなんて、夢のよう!』とかを話している人たち。──ここまで有名だったとは。
一瞬クラッ、としたけど、なんとか持ち直す。部室に戻り、扉を閉め、すでに列ができていたことをみんなに報告すると、五十嵐さんから一言。
「変装しないで来ちゃったからなぁ」
──有名な自覚あるのなら、サングラスくらいしてください、五十嵐さん。
結局。
30分間、五十嵐さんが(簡単に)小説の書き方を教え、10分ほど取っていた質問の時間を20分に増やしたりしながら、講座はなんとか無事に終わった。
これで、文学部の文化祭の出し物は終了。それぞれ自分のクラスに戻り、ホームルームを終えてから、ファミレスへ打ち上げに行くことになった。
そういえば、今日は部長、ずっと考え事をしているようだった。体調悪そうには見えなかったけど、どうしたのかな。
それも、ファミレスで話してくれるかな。




