24話 小学校の思い出
「……あれ、誰もいないのかな」
午前7時45分。教室には、誰の姿もなかった。
◆◆◆
夏休みが明け、学校が始まる。その初日。
少し早めにセットした目覚まし時計よりも早く起きた僕は、いつも通りに朝食を食べ、いつも通りに学校に到着した。
朝に少しだけ、『殻』──ショートワンピースを着たことも、いつも通りと言えばいつも通りだから、置いといて。
「……暇だなぁ」
いつもなら数人くらいは来ている時間なのだけど、今日は珍しく、僕以外誰もいない。
高校入学後初めて、クラスで一番に来たかもしれない。そう思うとちょっぴり嬉しい。
──とはいえ、暇なのは変わらない。
椅子から立ち上がり、窓の外を見ると──何人か、見知った顔が登校してきていた。クラスメートだ。
「……まあ」
ほとんどのクラスメートとはあまり話したことがないので(その人たちには悪いけど)嬉しくはない。嫌でもないけどね。
ああ、早く根原君たち、来ないかなぁ。
「──よかった、連宮がいた!」
「へ?」
後ろから、名前を呼ばれた。
あれ、でも──『連宮』って呼び捨てだったのだけど、誰だろう。
振り返ってみる。
「あ、月夜野君」
短い黒髪の頭を上下させ、息を切らせて教室に入ってきたのは、月夜野優斗君。
クラスメートの中でも(根原君たち以上じゃないけど)よく話すことがあるから、自然と名前は憶えていた。
「どうしたの?」
「──一生の頼みがある」
「ど、どうしたの!?」
今までに見たことがないような真剣な顔で、僕の目をじっと見つめてくる。そんな表情になるくらい、大事なことをお願いされるのかな……。
サッカー部に入っているらしいから、助っ人で試合に出てほしいとか? ──冗談でもやめてほしい。
さすがにそんなことはお願いしてこないと思うけど……うぅ、不安。
「──夏休みの課題を見せてくれ!」
「ああ、そういう……」
「ダメなのか!?」
「違う違う! 別に、構わないよ。どれを見せればいいの?」
夏休み中盤の登校日に提出した課題は(物理的に)見せられないけど、それ以外なら全てカバンの中に入っているから、見せることはできる。
でも、なんでそんなに焦ってるのかな。確かに期限は今日だけど、『持ってくるのを忘れました』とか言っておけば、ごまかせると思うんだけど。……さすがにその手は通用しないのかな?
「数学を少し見せてくれ……」
「はい、朝のうちに返してね」
「ありがたや、ありがたや……!」
心から『助かった』って思ってるみたい。ますます気になる。
「どうしてそんなに焦ってたの?」
「いや、それがさ……昨日部活のメンバーから聞かされて知ったんだけど、期限までに課題を終わらせてない奴は試合に出させてもらえないらしいんだよ」
「厳しいんだね、サッカー部って」
宿題を期限までに出すのは当たり前だと思っているけど、ここは話を合わせておく。
「昨日死ぬ気で課題を終わらせようと頑張ったんだけど……思わぬアクシデントが突然起きたんだよ」
『思わぬアクシデントが突然』──すごくおかしな文章だけど、そこも言わないでおく。
頭が頭痛で痛い、的な。重言っていうんだっけ。
「何が起きたの?」
「──眠気に襲われた」
それは予想できたと思う。
◆◆◆
「──疲れた」
知らず知らず、そんな言葉が僕の口から飛び出していた。
夏休み初日も何事もなく終わり、駅まで根原君たち3人──いつものメンバーと帰ってきて、いつも通り根原君とはそこで別れた。
そのあと、公園近くの分かれ道で高波さんと三上さんとも別れて、今は一人で家に向かって歩いている。
ちなみに、月夜野君は無事に課題を終え、試合にも出られるようになったと喜んでいた。こっちまで嬉しくなるくらいに喜んでいたのが、面白くて──
「お、久しぶりーっ」
「え?」
道端のベンチに足を組んで座っていた、僕の通う高校の制服姿とは違う制服を着た男子高校生が、僕が通り過ぎた後に呼び止めてきた。
振り返って確認してみる。──誰だろう、見覚えがないし、声も聞き覚えないし。
分からずにポカーンとしていると、男子高校生は『まじかよ~』と天を仰ぎ、僕へ近寄ってきた。
「おいおい、俺のこと忘れちゃったのー?」
「すみません、どなたでしたっけ……?」
後ずさりしそうになるのを我慢しつつ、感情が表に出ないように注意して訊いてみる。
すると男子高校生は、ずいっ、と僕の顔を覗き込み、にやけながら──言い放った。
「小学生ん時、よく遊んでやったじゃ~ん、……オカマ野郎なんかに俺の名前教えるわけねぇだろ、つ・れ・み・や・くぅん?」
「────」
僕は──駆け出した。
逃げるために。
──トラウマを、蘇らせないために。
◆
「はぁ、はぁ、はぁ……」
どれくらい走っただろう。
気が動転していたようで、家とは真逆の方向へ走ってきてしまった。
でも、よかったかもしれない。家を知られたら、家族にまで危害を加えられるかもしれないから。
走っているうちに、色々なことを思い出してきた。
あの人は、僕が小学生の時に、僕をいじめてきた同級生だ。
『殺してやりたい』って強く思っていたから、憶えていたのかも。
もちろん今はそんなこと思っていないけど、向こうはどう思っているか分からない。
小学校では、色々なことをされた。
悪口はたくさん言われたし、教室の外のベランダに閉じ込められたこともあった。
上履きを隠されるのなんて当たり前。酷いときには、ゴミ箱に捨てられていたりした。
焼却炉じゃなくてよかった、ってその当時は心底安堵したのを憶えている。──ゴミ箱でも、よくはないけど。
そんな思い出を消そうとすればするほど、脳内は小学校の思い出だらけになってゆく。
あいつが僕のことを探していたら、どうしよう。
もし、あいつが僕の家を知っていたら──。
「あれ、連宮?」
「ひっ……!」
曲がり角から、逃げてきた道路に誰もいないことを確認していたら、後ろから名前を呼ばれた。
回り込まれていた──もう一度駆け出そうとして、肩を弱く叩かれる。
──あいつじゃ、ない?
「月夜野、君……」
「よっ! お前んち、この近くなの? 俺んちも──って、どうした!?」
「え、何が?」
今朝以上に真剣な目つきで、月夜野君は正面から僕の両肩を掴み、心配そうに声をかけてくる。
一体どうしたのだろう、何が月夜野君をそんなにして──あれ、月夜野君の顔が歪んでる。あはは、不思議だ。
──って、もしかして。
「あ、あれ? 僕、泣いちゃって……は、恥ずかしいな、友達にこんなの見られるなんて──なんで、どうして……止まらない……っ」
ダメだ、月夜野君の顔を見ていたら、止まるどころか溢れてきちゃった。
ああ、ホント恥ずかしい。こんな僕だから、いじめられて──
「連宮、一体何があった」
「何もないよ、何にもないよ。だから月夜野君、離して──」
「悪いがそれはできねぇぞ。泣き出したダチを放っておけるほど、俺は薄情じゃないんでね。──お前んちまで送る。そっちの道か?」
僕の両肩から手を離し、月夜野君は僕が逃げてきた道へ出ていこうとする。
「あ、そっちは……その……」
咄嗟に声が出てしまったが、上手く説明できない。
あんなこと、説明したくない。
「……分かった。違う道から行くとするか。ほら、道案内頼んだぜ」
「……ごめんなさい」
「俺たちはなんだ? ……ダチだろ?」
「う、うん……」
すごく、申し訳ないことをしちゃったな。
◆◆◆
満面の笑顔で、月夜野君は僕の隣を歩き、一緒に僕の家までついてきてくれた。
時折話しかけてきてくれたのに、僕は何も返せなかった。
声を出したら、またあいつを思い出して、泣いてしまいそうだったから。
「じゃあ、また明日な!」
「……う、ん」
声を絞り出して、頑張ってそれだけ伝える。
頼むから、早く帰ってほしい。
僕なんかに関わらずに。僕みたいな気持ち悪いやつなんかに関わらずに。
「連宮、『また明日』な」
「……え?」
「『また明日』」
「──また、あした」
「おう!」
僕の言葉に満足したようで、月夜野君は笑顔で帰っていった。
──僕らが歩いてきた方向へ、逆戻りする形で。
「──ごめんなさい」
何に対してのものか、自分でも分からない謝罪の言葉が、自然と口から出ていた。
もう、家に入ろう。
早く寝よう。
──『また明日』。
たった5文字の言葉が、僕の頭を駆け巡っていた。
──『また明日』。
明日も学校、行かないとだよね。
すごく──すごく憂鬱だ。




