23話 伸ばすか、それとも
「……ふわぅ」
目を開くと、そこには見慣れた──見飽きた天井。
いつも通り、僕の家のベッドで目を覚ます。
──眩しい。
カーテンの隙間から部屋に差し込む光の明るさで、おそらく7時ごろだろう、と予想してみる。
ベッドのふち──枕元に置かれた時計は。午前7時20分を指していた。少しだけ予想が外れた、残念。
──起きよう。
アホなことを考えている暇はない。
今日は夏休み終盤、水曜日。高波さんたち3人と、高波さんの家で遊ぶ予定なのだ。
いつも以上に上機嫌でベッドから降りて、クローゼットを開け、中から洋服を取り出す。
一瞬『殻』をまとおうかと思ったが、さすがにやめた。高波さんの家に行く道中、誰かに見られる危険があったから。
「お母さんたちにも、見せられないもんね……」
僕の部屋を勝手に掃除されたらすぐに見つかるだろうけど、運良くそういった事態にはなっていない。
隠し通すのも大変だから、言おうとしたこともあったのだけれど『嫌われるんじゃないか』というストッパーがかかってしまって話せていない。
時間の問題だろうし、話すことも考えておかなければ。
『奏太ー、起きてる~?』
部屋の外からお母さんの声。
「あ、うん! 起きてるよー」
『朝ごはん出来てるからねー』
優しく明るい口調でそう言ってきた後、階段を下りる音がした。1階に行ったようだ。
真菜の声も小さく聞こえる。真菜は相変わらず、早起きだ。
手に持った『殻』をタンスの奥にしまって、適当に服を見繕い、ささっと着替えて部屋を出た。
◆
「あ、お兄ちゃん! おはよー!」
「おはよう、真菜」
元気なあいさつに笑顔でそれとなく返して、真菜の隣に座る。
首の動きに合わせて、ショートツインテールがピコピコ動いている。面白い。
僕の向かって正面にいるお父さんと、その隣に座っているお母さんにもあいさつをして、朝ごはんを食べ始める。
何も言わずにご飯をよそってくれるお母さん。さすがだなぁ。
「昨日お母さんから聞いたんだけど、お兄ちゃん、文学部に入ったの?」
「うん、そうだけど……あれ、言ってなかったっけ」
色々ありすぎて、今の今まで言えていなかったのか。
「お兄ちゃん、学校のこと全然話してくれないんだもん。あたしだってあと1年半で高校生なんだから、色々教えてよー」
「そんなに急ぐことでもないと思うよ。中学生生活を楽しむことに集中しなよ」
「むぅ、お兄ちゃんもお母さんと同じこと言ってる……」
真菜は少し前から『早く大人になりたい』と頻繁に言うようになった。
僕が高校入学2日目の朝、お母さんに『高校楽しい』みたいな嘘を言ったことが真菜に伝わったらしい。
逸る気持ちは分かるけど、もう少し中学のあの雰囲気を楽しんでおくべきだと思う。
中学校生活だって楽しいのだから。──僕のことは棚に上げて、そう言っておく。
「でも、色々教えてよねー!」
「はいはい、分かったから食べちゃいな」
「はーい!」
そう言って、真菜は再びご飯を食べ始めた。
僕もご飯を食べて、高波家へ行く準備をしなければ。
そう思って、お茶碗を持ち上げた、その時。
「奏太、そろそろ髪を切ったらどうだ?」
おとうさんからの、きょうれつないちげき。
──不意打ちもいいとこだったので、僕は。
「あ、うん……」
曖昧な返事しか、できなかった。
◆◆◆
「ってことがあったんだよ」
「連宮君もやっぱりそこ、悩むよね……」
「うん……」
午前10時、高波家2階、高波さんの部屋。
僕と三上さんは、僕のお父さんの今朝の発言について、クッションに座りながら話していた。
「自分は親が理解しつつあるから『髪を伸ばしなさい』って言われなくなったけど、連宮君の家は……ねぇ」
「まだ伝えていないからね。うーん、どうしたものかな」
二人でうんうん唸っていると、1階から麦茶とコップ4つを取ってきた高波さんが、開きっぱなしのドアから部屋に入ってきた。
麦茶の入った瓶とコップをテーブルに置き、高波さんもクッションに座る。
「ん、何の話?」
「髪を切るかどうするか、って話」
「つれみーの?」
「うん」
三上さんが、端的に説明してくれた。
しかし、本当にどうしたものか。
「つれみーのしたいようにするのが一番だろうけど、今はまだ無理だよねぇ」
「うん。少なくとも、学生のうちには髪は伸ばせないだろうし。ホントは伸ばしたいけど」
「うーむ、どうしたものかねぇ。つれみーの好きにさせてあげたいけど……」
「難しいからね。根原君ならいい意見、持ってるかも」
三上さんがそう言って、窓の外の住宅街を眺める。
根原君は今日は通院の日らしく、少し遅れてくることになっていた。
──そんなことを考えていると。
『ピンポーン』
「お、ベリーナイスなタイミング。ちょっと行ってくるねー」
高波さんが素早く部屋から出て、1階の玄関へ向かう。
30秒後。
「ドドン!ねはらっちの登場だー!」
「久しぶり、連宮君、三上さん」
「久しぶりー、根原君」
「久しぶりだね、根原君。元気してた?」
マックスを振り切ってるんじゃないかってくらいのテンションの高波さんを放っておいて、僕と三上さんと根原君であいさつを交わす。
「うん。病院でも、もう病気に関しては心配いらない、って言われたよ。──どうかしたのかい?」
「へ?」
唐突に放たれた『どうかしたのかい?』に少し戸惑っていると、察してくれたようで、根原君が話し始めた。
「連宮君が悩みを抱えたような顔をしていたから、どうかしたのかな、と」
「よくわかったね……」
エスパーじみた能力だけど、もう驚きはしない。根原君がこういう人だということは、これまでの付き合いですでに理解している。
なので、気にせず続ける。
「実は……」
◆
「なるほど、髪を切るべきか伸ばすべきか、ねぇ」
「ねはらっちはどう思う? 私たちだけじゃ答えが出なかったんだけど」
僕の話を聞き終えた根原君は、目を瞑り『うんうん』と頷いて何かを考えている。
──そうしていたのも数秒間。答えが出たらしく、目をパッと開いて僕を見る。正確には『僕の髪を』見る。
「俺は、切った方がいいと思う」
「そ……そう」
胸の奥にチクッ、と小さな痛みが走る。
「ねはらっち、どうして?」
ほんの少し荒い口調と共に、三上さんが根原君に詰め寄る。
そんな三上さんを軽くあしらうように、根原君は自分の意見を述べる。
「連宮君のしたいようにするのが一番なんだろうけどね。髪型くらいなら、わがままでも何でもないと思うし。だけど、それによって連宮君、君がクラスの人、及び先生たちからどんな目で見られるのか、なんとなく想像はできているだろう?」
「う……」
小学校の時のことを思い出して、少し──ううん、かなり憂鬱になる。
「『高校を卒業するまでの辛抱だ』──なんて言えば責任を逃れているみたいで聞こえは悪いけど、実際この言葉は大事だよ。社会に出てしまえば、髪を伸ばして暮らす方法なんていくつもある。だけど今は──」
『社会へと繋がる、大事な時期なんだから』──そう〆て、優し気に微笑む根原君。
「確かに、先生たちから変な目で見られるのは嫌だもんね」
そう話したのは、三上さん。
三上さんは、随分髪を短くしている。男子ほどではないけど、女子の中でも目立ちそうなくらいには短くしているのだから、きっと何か言われたことがあるのかも。
「……一晩考えてみる」
「そうだね、それがいい。連宮君の判断を尊重するよ」
「手伝いが必要なときは言ってね、連宮君!」
「うん、ありがとう!」
──と、こんな感じに話が進んだのだけど。
「……本当にいいの?」
「うん、少し考えてみて、それで──高波さん?」
「──ごめん、なんでもない」
結局、高波さんだけ最後まで納得してはいないようだった。
僕のことを考えてくれたから、なんだろうけど……うん、僕も早く決めなくちゃ。
伸ばすか、それとも──。
◆◆◆
翌日。
文学部は部長が用事があるらしく、安喰先輩からの電話で、臨時で休みとなった。
僕たちに執筆のイロハを教えてくれているのは安喰先輩だけど、部長も色々と面倒を見てくれているからね。4人そろって『文学部』ってなわけですよ。
──なんてことを思っていたのだけど。
『部長が部室の鍵を持って行っちゃったんで、入れなくてね』
──ってことでした。なんて単純な理由。
仕方ないので、今日、僕は──近所の床屋へと向かった。
◆◆◆
夕食を終え、お風呂にも入り終えた午後8時。
『えーっ、切っちゃったの?』
心底残念そうな高波さんの声に、吹き出す。
「自分のことじゃないのに、すごく残念そう」
『当たり前よ。自分のことじゃないけど──友達のことだもん』
「あ──うん、心配してくれて、ありがとね」
もう何度も感じているけど、僕のことを『女子の友達』として心配してくれているのがひしひしと伝わってくる。
本当に嬉しいことで、ありがたいことで──ちょっと泣きそうになっちゃった。でも電話中なので、ぐっと堪える。
「僕が家族に伝えられるくらいに強くなったら、髪、伸ばしてみようかなって思ってる」
『いいね! 強くなれ、つれみー! 全力で応援してるからね!』
「ふふっ、ありがとう。それじゃ、おやすみ」
『うん、おやすみー』
電話を切って、ふと、にやけていたことに気付く。
──僕は、本当にいい友達と巡り合えた。昨日の一件と今の電話で、それを再確認できた。
だからだろうか。──急激に眠気が襲ってきた。その眠気に対抗せずに、辛うじて残っている気力で部屋の電気を消し、ベッドに横になる。
──『友達のことだもん』。
その言葉が脳内を巡り、相も変わらずにやけながら、僕は目を閉じた。
もう少しで、夏休みも終わる。
また学校が始まる。
──楽しい日々が待っている。




