18話 僕のことを
翌日、ゴールデンウィーク4日めの月曜日、午後2時。
「……大丈夫かなぁ」
僕は、病院の512号室、そのドアをノックできずにいた。
『ちゃんと言うぞ!』
──なんて決めたのはいいものの、その勢いのまま翌日を迎えられるはずがないわけで。
内心、僕はひどく緊張していた。
──それは至って、当たり前の心境。
これから僕は、僕の一番知られたくなかったことを、でも今は一番、知ってもらいたいことを──初めてできた友達に話すんだ。
緊張しないほうが、おかしいだろう。
「……や、やっぱり帰ろうかな」
弱気にならないほうが、おかしいだろう。
そう自分を肯定し、ドアに背を向けようとした、その時。
ドアが、開いた。
「それじゃ、また明日来るわね。しっかり休みなさい」
「帰りに買い物をしていこうか。──おや?」
「あっ……」
根原君の両親が、病室から出てきた。
「君は、確か……」
「つ、連宮奏太、です」
「お見舞いに来てくれたのかしら?」
「はい……」
ナイスタイミングなのかな、これは。
根原君の両親の肩越しに見える病室の中では、根原君がこちらを思いっきり見ていた。
明らかに気付かれているし、ええい、こうなったら。
「そんなに長居はしないので、入っても大丈夫でしょうか」
「もちろんよ。ほら、入って入って」
両親と入れ違いに、僕が病室に入る。
なんか、根原君のお母さん、やけに機嫌がいい。
昨日がああだったから、っていうだけかもしれないけど。
「また明日ね、悟」
そう一言言って、根原君のお母さんはドアを閉めた。
──さて、と。
「体調はどう、根原君?」
「ん、まあまあってとこかな。痛みもだいぶ引いてきたから、あと1週間くらいで退院できると思うよ」
「よかった……」
元気そうで何より。
「で、連宮君は、俺に何を伝えに来てくれたのかな?」
「へ!?」
な、なんでそんなことを知っているんだ?
三上さんと高波さんは、絶対に言ってないだろうし……。
「父さんたちから聞いた話だと、ゴールデンウィーク初日からずっとお見舞いに来てくれていたそうだけど、今までは3人で来てくれていたんでしょ? でも、今日は君一人だ。他の2人、三上さんと高波さんには聞かれたくないことなのか、もしくは君一人で言わないと意味のないことなのかは分からないけどね。大体あっているんじゃないのかい?」
「……本当に、根原君はすごいね」
見透かされていた。
あまり緊張する必要もなさそうだ。
「今日は話しておきたいことがあったから来たんだよ。僕一人で話さなきゃいけないことだから、1人で来たんだ」
「うん。……話して」
──怖がらなくても、大丈夫。
きっと、分かってくれる。
思い切って、それでも冷静に。
「僕、は──」
◆◆◆
午後2時15分。
「ねえ、高波さん」
「ん?」
「大丈夫かな、連宮君」
自分は、高波さんと自室で宿題をしていた。
「つれみーなら大丈夫だよ。みかみんが一番分かってるんじゃないの?」
「うん……でも、相手が分かってくれないかも……」
「根原君のこと、信用しきれていない感じ?」
そう言われると、その……まあ、なんだ。
「その通りかも。失礼なことだとは思うけど、でも、どうしても」
「仕方ないよ。出会ってすぐの、自分とは境遇の違う人のことをすぐに信用できるはずがないんだから。──でも、根原君なら分かってくれると思うよ」
「なんで言い切れるの?」
力強く言い切った高波さんが、不思議に思えた。
「……まあ、言ってもいいかな」
「ん?」
「みかみんとつれみーには言ってなかったんだけど、実は私、根原君と2人で話したことがあるんだ」
「え、何を?」
自分にも言ってなかったことって、一体。
「根原君がみかみんとつれみーのことを『似ている』って言ったことがあったでしょ?」
「ああ、かなり驚いたから憶えてるよ。それがどうかしたの?」
かなり前のことのように思える。
「その日の放課後、軽音楽部に行く前に根原君と少し話をしたんだ。ちょっと確認したいことがあったから」
「確認?」
「うん。『似ている』っていうのは、どういう意味で言ったのか」
そ、そんなことを訊いていたんだ、高波さん。
「返ってきた答えは、私の予想とは全然違ったんだけどね」
そう言って高波さんは、何かを思い出して笑った。
「『直感で分かった』なんて言ってたから、不思議な人だな、とは思ったんだけど、続きがあってね。──『いつか教えてほしいんだ、連宮君たちが何を思っているのか』なんて晴れやかな笑顔で言ったのよ、根原君。その時に、『この人なら、みかみんたちの秘密を知っても大丈夫だろうな』って感じたの。だから、今日はきっと大丈夫」
「……ありがとね、高波さん」
「お礼されるようなことはしてないよ。全部私が勝手にやったことだからね」
「それでも、ありがとう」
自分は、高波さんのこういうところが気に入っている。
「さ、宿題の続きをしよう!」
「うん!」
不安は、どこかへ吹き飛んでいった。
──連宮君、頑張って。
◆◆◆
ほんの少しだけ、勇気を出して。
大丈夫。僕は──伝えたい。
「──女子に、なりたいんだ」
今まで、ずっと思ってきたこと。
でも、叶わなかったこと。
言ったから、どうなるわけでもない。
変われるわけでもない。
──でも、友達には言っておきたい。
根原君なら分かってくれると思ったのだけど、どう……かな。
「あ、やっぱり?」
何かが納得言ったらしく、ひどく爽やかな笑顔で、そう言った。
「戸惑いとか──そういうのは無いの?」
困惑されるくらいのことは、覚悟していたのだけど。
「無いよ。前に言ったでしょ? 君の嘘は──『守っている嘘だ』って」
確かに言われたことがある。
最近の日常が濃かったせいか、随分昔のことのように感じる。
「だから、『そうなのかな』って思ってたんだよ」
──優しい笑顔で、この反応だもんなぁ。
もっと早めに、話してもよかったかも。
なんて、にやけながら思ってしまう僕が、そこにいた。
◆◆◆
ゴールデンウィークが終わってから、最初の土曜日。
根原君が昨日退院したことを担任から(昨日のホームルームで)聞き、根原君に連絡を取って、家の場所を教えてもらった。
で、今は根原君の家の前に来ている。
時刻は午後3時。
チャイムを鳴らし、数秒後。
「はーい……おお、君たちか、こんにちは」
「こんにちは、悟君いますか?」
「ああ、部屋にいるよ。さ、どうぞ」
「お邪魔します」
根原君のお父さんに先導されて、根原家にお邪魔する。
◆
根原君の部屋のドアをノックすると、中から『はい』と彼の声が返ってきた。
3秒後、ドアが内側に開いた。
「こんにちは、連宮君、三上さん、高波さん」
「こんにちは、5日ぶりだね。体調はどう?」
「おかげさまで、完璧に良くなったよ。さ、中に入って」
「よかった……あ、失礼します」
僕から順番に、根原君の部屋にお邪魔する。
◆
「……あ、そういえば」
根原君が来れなかった日の授業について話していると、根原君は何かを思い出したかのように、突然僕に耳打ちしてきた。
『連宮君が話してくれたこと、他の2人は知ってるの?』
頷いて、不思議そうに僕らを見る三上さんたちの方を向いてから、根原君に話す。
「2人は僕の内面のこと、知ってるよ。色々あってね」
「ああ、そうなんだね。よかった、他にも知っている人がいて」
何が『よかった』のかな。
「自分自身のことを理解している人は、多ければ多いほうがいいでしょ? 特に、こうやって集まれる仲の人なら尚更だ」
「うん、僕もそう思うよ」
「……そうだよね、うん」
最後の言葉は、三上さんが発したもの。
「……ねぇ、根原君」
「なんだい、三上さん」
「──自分、男子になりたいんだ!」
──すごい、この空気で言えるんだ、三上さん。
かなり思い切った様子だったけど、そこまでする必要はないと思う。
そう、根原君になら。
「やっぱりそうだったんだね」
「は、反応薄いね」
「連宮君とすごく似ているから、ひょっとしたら、とは思っていたんだよ」
「……はは、高波さんの言ったとおりだ」
安堵した表情で、三上さんは続ける。
「心配する必要なんて、なかったんだね」
「ほら、私の言ったとおりでしょ? ねはらっちなら大丈夫だ、って!」
「──『ねはらっち』?」
根原君、不思議そうな顔で高波さんのことを見ている。
おそらく、というか間違いなく根原君のことを言っているのだろうけど、どうして急にあだ名(だよね?)で呼んだのかな。
「前にも言ったでしょ? 私は友達のことはあだ名で呼ぶことにしているんだって。だから、根原君のことは、今日から『ねはらっち』って呼ぶの!」
「なんで今日からなの?」
気になったので訊いておく。
呼ぶまでに随分時間があったような。
「いいあだ名が思いつかなかったから!」
「なるほど、そういうことだったんだね。いきなり『ねはらっち』なんて呼ばれたから、ちょっと驚いたよ」
うんうん、やっぱり驚くよね、あれは。
「私のことも、あだ名で呼んでよね!」
「いいあだ名が思いついたら、呼ぶことにするよ」
「うぅ……今度はそう来たか……」
前回同様断られ、うなだれる高波さん。
「気長に待っていてね」
「オーケー分かった! 明日かな、明後日かな!?」
「おかしいな……感覚がだいぶズレているような」
──なんて話を、およそ1時間。
良くなったとはいえ、無理をさせてはいけないということで、今日は早めに帰ることにした。
根原君は月曜日から学校に来れるらしい。
良くなって、本当によかった。




